第3話 入学
文字数 1,966文字
にもかかわらず、髪は長くぼさぼさ。制服以外に身なりを気にした素振りは感じられず、いつも通りの装いである。
「絶対詐欺やろ。なにかの間違いじゃ。あり得ない。いったい、いくら積んだんじゃぁ……?」
その隣、一段低い位置では希久が文句を垂れ流していた。
真新しい濃紺のブレザーに乗った、愛嬌のあるくせ毛を弄りながら猫のような瞳を曇らせている。
「失敬な。正当なる評価だよ」
「うちは
ぶち
勉強したのに……なんで、なんでじゃっ!」「それが現実、人生ってもんだ。実に不条理だよなぁ」
楽しそうに羽央は口元を綻ばせる。
希久と違って口調も表情も爽やかだ。
「現にルイの奴はこんなとこでもナンパしていやがった。仮にも、俺の保護者のくせしてな」
もっとも、ルイは正真正銘の曽祖父である。
父親は存命だが、家庭の事情で羽央は小学生の頃から彼と二人暮らしをしていた。
つまり、ルイは長年に渡って羽央の保護者を務めてきたわけだが、本人にその自覚があるかどうかは未だに疑問であった。
あまり言いたくはないが、あれこそ人種の違いだと羽央は思う。
自分が若くいたいからと呼び捨てにさせるのもそうだが、ルイには理解できない言動が多い。
でもだからこそ、自分や父親の異常性――とまではいかないが、周囲との違いを羽央は受け入れることができた。
あれに育てられたのだから仕方ないと、幼い子供ながらに諦めがついたというわけだ。
「そがー決めつけんでもえぇじゃろ? ルイたちがなに喋っとったかはわからんけぇ」
「最初くらいは聞き取れたっつーの。あのジジイ、いきなりなんて言ったと思う? 落としましたよ、笑顔を――だぞ? そのあとも、ミニョンだのジュテームだの口説き文句を使いやがって」
つまり、相手もフランス人。となるとハーフの生徒がいるのかもしれない、と羽央は心を弾ませ、髪を後ろに流すように撫でつける。
「ワックスくらいつけたらどうじゃ?」
「髪、触るの好きだから嫌だ。そういうおまえは、ちと明る過ぎないか?」
羽央は無造作に手を伸ばし、
「くるくる~」
指に毛先を巻き付ける。
「……勝手にいらうなっ!」
触られることよりも発言が気に食わなかったのか、希久は時間差で振り払った。
羽央はちぇっ、と拗ねる言葉を吐き出しながらも既に興味の対象は移っている様子。
「本当に満子の言ってた通りだな」
きょろきょろと見渡すと、侮蔑や哀れみの視線と嘲笑。微塵も悪いと思っていないのか、あからさまである。
「そりゃぁ、基本すべり止めじゃけん」
神香原学園高等部の大半は中等部からのエスカレーター組か公立高校を落ちた――受験に失敗した生徒で成り立っている。
故に、中高一貫の六年コースの生徒たちは他の進学コースを見下す傾向にあった。
その中でも、SA〈特進〉コースは県立高校を落ちた人間なのでA〈進学〉コースを〝下〟に見るようで――
更にそのAコースは同じAコースの一芸入試組を軽視するという負の連鎖――スクールカーストができあがっていた。
しかも生徒だけでなく、保護者にまで浸透している様子。
「気持ちはわからんでもないけど」
「ほんと。おまえみたいなのがいるから、世の中からイジメや戦争がなくならないんだよ」
「じゃかぁしいっ! そもそも、あんたのように人を傷つけたり、怒らせたり、煽ったりするほうが問題やろ!」
つま先立ちまでして手を振り上げるも、羽央の頭には届かない。希久の背は自称百五十センチと低く、羽央は百七十後半と満子よりも高かった。
「もう高校生なんだから、あんま背伸びすんな。太ももがけしからんぞ」
「あんたも高校生じゃけん、しょうもないこと言うなや!」
スカートを撫でるように整え、レジメンタルのストライプが綺麗に浮かび上がる。
「いま思ったんじゃけど、人少なくないけぇ?」
「そりゃ、見下されるのがわかってて長居する奴はいないだろ。んで、カモが減ればいうまでもなくってな。あとはまぁ、傍目にはいちゃついているように見えるだろうから、目に入れたくないんだろ」
「あー、中学の時もそうじゃったね。うちとあんたって」
「はぁ。二人でいるだけで恋人扱いするなんて、短絡的思考としか言いようがないがな」
「すんごい溜め息。幸せ逃げるよ?」
けらけらと希久は笑う。
口を開けて、歯を見せて、子供みたいに無邪気に笑う。
昔から知っている顔……変わらない。
たぶん、自分も変わっていない。へらへらと真剣味のない笑みを浮かべて、羽のように軽い口を開く。
「幸せを分けてやってんだよ。俺たちを眺めて、ストレスを感じるような奴らにな」
だからこそ、一緒にいられるのだと羽央は思う。いつまでも軽口を叩いていたい。子供のように適当な関係を続けていたい、と。