第4話 酷すぎる平常運転
文字数 3,666文字
ここはA-3――別名、一芸入試組の教室である。
さてどうやって時間を潰すかと羽央が考えていると、
「なぁ」
後ろから声をかけられた。
「あん?」
やる気のない一声と共に振り返ると、邪気のない屈託な笑顔の男。
「おまえさ、名前なんて言うの? あいお? あいおい?」
「あいおい」
「藍生かぁ! ありがとう!」
何故か感謝された。
理解不能でありながらも、
「どういたしまして」
羽央の口は勝手に動いていた。
「おまえのおかげで初めて出席番号二番になれた」
「名前は?」
「相川だよ」
聞いて納得。
逆の立場なら自分も感謝しただろう。
「俺も早く〝あいうち〟か〝あい〟という苗字の奴とクラスメイトになりたいものだ」
初日くらいはと、羽央は毒を抑え適当に会話を繋いでみる。
「残念なお知らせだが、一年生にはいなかったぞ」
「調べたのか?」
「あぁ、つい癖でな。全クラスの出席番号一番は確認済みだ」
二人してしばらく出席番号一番のあるある話しに興じていると、前方の扉が開いた。
途端、教室がざわめく。
今までもうるさかったものの、それは無秩序で纏まりがなかった。
それが今、一つになった。
好奇の視線を一身に受けるのは、見慣れぬ髪の色をした女子生徒だった。
目を見張る金髪。言葉としては知っている。映像としても珍しくない。
ただ、日常の舞台においては限りなくイレギュラーな存在。
少女は迷子のように首をきょろきょろさせるも、同級生たちは薄いブルーの瞳から逃げるように盗み見するだけ。
そんな中、
「ハロー? サリュー? チャオ?」
羽央は手を振って挨拶を始めた。
少女は驚き、視線が結ばれる。
「Oh、lala……」
けど、はっきりとした返事はなかった。
「おりょ? 反応ねぇな。おい相川。他の挨拶知らねぇか?」
「……アニョハセヨ?」
「おまえが馬鹿なのはよーくわかった」
少女に向けて、羽央は締りのない笑顔を浮かべる。
「うるせぇっ! そもそも、おまえがあらかた言い尽くしたからだろうが!」
笑顔で後ろからの騒音を聞き流している羽央と違い、少女の顔は強張りを見せていた。
「どうせ、ハロー以外は知らなかっただろ? 変な見栄張らなくていいぞー?」
振り向きもしないで羽央は投げ放った。
からかうような、ゆっくりとした抑揚で。
「んなことねぇよ! チャオくらいは知ってたわ!」
「ちなみに何処の国?」
その質問に少女の唇が震えるも、
「……国? チャオって漫画とかの挨拶じゃねぇの? うっそ? まさか実在すんの!?」
後ろがうるさすぎて声を拾うことはできなかった。
「はぁ、だから言ったろ? 変な見栄張らないほうがいいって」
「待て待て! そう決め付けるのはまだ早いぞ。……そうだ! ボンジュールがあるじゃんか! ボンジュールボンジュール!」
「というか、前の質問に答えるのかよ」
「じゃないと、汚名挽回できないだろ?」
「馬鹿丸出しだな。ある意味、有言実行ともいえるが」
同意を得るように呟くと、少女が小さく笑った。
それを見て、確信。
「おはよう」
羽央は普通に日本語で挨拶する。
「……
おあよう
、ゴザイます」案の定、少女は拙いものの返事をした。
「ふむ。やはり見た目で人を判断するのは良くないな」
そもそも、日本語が一切喋れないならこのクラスに来る道理がなかった。
神香原にも留学特待生制度はある。
つまり、そういった生徒には然るべきクラスが存在していた。
「おぃおぃ、藍生! ん? なんかギャグみたいだな。おいおい、あいおい、あいあい?」
「まさか、高校生にもなってそのフレーズを聞く羽目になるとはな」
溜息と共に羽央は吐き出した。
小学生の頃はよくからかわれたものだと。
「悪い悪い。でさ、なんでボンジュールで馬鹿扱いされないといけないんだ? それともなにか? おまえ、ボンジュールの意味知らないのか?」
ワンテンポずれてるなぁと思いながら、羽央は目の前の少女に目をやる。
「ちなみに、今のは聞き取れた?」
「えっと……ゴメンなさい。
あやすぎて
わからないです」は行
がうまく発音できないところから察するに、イタリア人かフランス人だろう。となると、先ほど反応がなかったのはこちらの発音が悪すぎたか単に面食らったか……
「……あのさ、それ触ってもいい?」
視界にちらつく金髪に引っ張られ、羽央は考えていたこととはまったく関係のない言葉を口にしていた。
「シュヴー? アー……髪、ですか?」
「って藍生! おまえ、なに人を無視してナンパしてんだよ!」
「人聞きの悪いことをいうな。これはナンパではなくて、異文化コミュニケーションだ」
「いやいやいや! 絶対違うだろ、それ!」
早口だとほとんど聞き取れないのか、少女は青い瞳を瞬かせている。
「それで、いい?」
混乱に付け入るように羽央はお願いをし、
「アー……いいです、よ?」
了承を得ると、心底嬉しそうに立ち上がった。
難なく少女の頭頂部に手を置き、子供を撫でる手つきで金髪の感触を楽しむ。
目のやり場に困るのか少女はやや俯き、瞳を伏せた。
「ふーん、あんま背は高くないんだね」
頭から腰まで――髪に指を通しながら、羽央は関係のない感想を述べる。
「におんの血もあいってますから」
「そなの? でも、髪色からしてハーフってわけじゃないよね? クォーター? ワンエイス? って、両方和製英語か……」
「アー、ワンエイスです」
慣れた質問だったのか、少女は指を八本立てたあとに、人差し指を一つ口元に添えた。
「へぇ~、可愛いねぇ。でも、八分の一じゃ見た目にはなんの影響も与えないぞ」
自覚なしに呟いて、
「俺を無視してイチャついてんじゃねぇよ!」
相川の絶叫が響いた。
「あー、悪い。フランス語は既に言ったからだ」
少女の髪から手を離し、羽央は遅すぎる答えを述べた。
「は? どういう意味だよ?」
首をさすりながら、
「サリューがフランス語」
端的に答える。
「それと、チャオはイタリアだ」
相川の求めていた答えを放り投げると、羽央は自分の机の上に腰を下ろした。
楽しそうに足をぶらぶらさせながら、
「藍生羽央だ。よろしく」
目線を合わせた少女にゆっくりと、落ち着いた声色で自己紹介をした。
「アイオイ、ワオ?」
「そそ。羽央、でいいよ。で、エトワ――君の名前は?」
「Marie-Claude Sinclair」
羽央が聞き取れず眉をひそめると、
「ワタシの名前わ、マリー=クロード・シンクレアです」
少女はもう一度口にしてくれた。
にっこりと。今までとは違う頬笑みを向けられ、羽央は年相応の照れを顔に刻む。
「おぃ、藍生。俺はおまえの下の名前は初耳なんだが?」
が、後ろからの責めるような物言いにすぐさま一変する。
「だからどうした? それともなにか? おまえは下の名前で呼び合うのに憧れを持っているような奴だったのか?」
「おまえっ、態度違いすぎだろ?」
「当然だ。何処にでもいる野郎と物珍しい女のコを同列に扱えるほど、俺は博愛主義者じゃないんでね。むしろ、差別主義者だ。悪いが徹底的に区別するぞ俺は」
羽央にとって(彼を知る者にも)平常運転なのだが、初対面の相川には少々厳し過ぎたようだ。
早口で吐き出される言葉の羅列に圧倒されたかのように絶句している。
迂闊にも、聞き耳を立てていたクラスメイトたちも同じような有様だ。
とはいえ、こちらは数が多いせいか口に非難を乗せていた。
――うわ、なにあれ? から始まり、偉そうだの、何様だの、キモいだのウザいだの――なまじ目立っていたぶん、流れに乗る生徒たちは多かった。
「中学は日本? 海外?」
かような空気でありながらも、羽央は平然とマリーに話しかけている。
「海外です。そこでにおん語、勉強しました」
マリーも日本語がよく理解できないおかげか、輪唱していく陰口に動じずにいた。
「俺は相川! 相川
二人とは対照的に、相川は周囲を気にしながら身を乗り出してきた。
「また、ワンテンポ遅いな。もしかして、それがおまえの生き様なのか?」
「うっせー。つーか口悪すぎだろ、おまえ?」
「今更気付くなんて。やっぱ、ワンテンポ遅いなぁ」
「アイカワ……セイ……? セイ……?」
マリーは一生懸命に唇を動かしていた。
どうやら、上手く発音できないようだ。
「せ・い・ぎ」
相川がわかりやすく名前を告げると、
「卑猥な言葉を教えるなよな。けしからん」
羽央は冗談めかしてほくそ笑む。
「卑猥ってなにが……って! んな、わけあるかぁ! 人様の名前をなんだと思ってんだっ」
性技。
言いながら気付いたのか、相川は顔を真っ赤にして唾を撒き散らす。
「落ち着けって、相川」
羽央は虫を払うように手を動かす。
「きったねぇし、うっるせぇし……」
また前方の扉が開いて――
「先生来るし」
入るなり責められた担任は露骨に顔を歪めたのだった。