第16話 猫耳女装野郎が語る男
文字数 3,297文字
ぼそりと、北川は呟いた。
整った隊列は見る影もなく、乱戦状態。女子たちの悲鳴が絶え間なく響き、羽央を始めとした男のゲスい声が蔓延っている。
「北川君、あの二人止めないと」
「おっと、そいつは無理な相談だ!」
「ひぃっ! キモッ、なにこいつ?」
まんま馬面――黒いリボンを身に着けているところから、敵のナイトであろう。他にも二人、大した特徴もない男が後ろに控えていた。
「……おぃ、どう思う?」
「……男? いや、女? いやいや男でもありっちゃあり……かな」
「マジではいてないんじゃないのか……こいつ? あ、上はブラしてるぞ」
「だが、ブラは男性用もあるからな……」
「え?」
「は?」
ナイトの呟きに、取り巻き二人が距離を取った。
「北川君、今の内に……」
変態たちは勝手に盛り上がり、足を完全に止めていた。卑猥な目を向けられたことに南は苛立ちを感じるも、それどころではないと北川の手を掴む。
「って、北川君? 聞いてる?」
「……酷い、なんで……こんな真似ができるんだ……」
北川はぶつぶつと呟いており、言うことを聞いてくれなかった。
「どうする?」
「とりあえず、誰も注目してねぇよな?」
現状、目立っているのはうろんな羽央とキングを追い詰めている二対のルークだけ。他は敵味方も判断つかないほどに入り混じって混沌としていた。
男たちはゆっくりと距離を狭め、射程範囲。囲まれている状況では迂闊に動けないと、南は防御姿勢を取る。
不意に、北川が踏み出した。
倒れ込むように男の一人へと接近し――密着。
すると、男が声にならない声をあげ、倒れ込む。
「……え?」
間抜けな馬面が漏らした。
ゆっくりと、北川が迫る。まるで抱擁でもするかのような動きで近づき、先ほどと同様、鳩尾へと膝を突き立てた。
「……南さん、これ借りるね」
南のカーディガンを勝手に解き、自分の腰に巻くと、北川は残ったポーンを一蹴――豪快な蹴りをお見舞いする。
「ちょ……北川……君?」
急な変貌に南は戸惑いを隠せなかった。
「ごめん……僕、行かなくちゃ。もう、我慢できない。あいつだけは……絶対に許せない」
静止する間もなく、北川は怒りを露わに諸悪の根源へと向かっていった。
羽央は高笑いを浮かべ、楽しそうに女子たちを蹂躙しながらも周囲を警戒していた。
ケンバトにおいて、もっとも恐れるべきは不意打ちである。
死角から攻撃されれば否応なしに重心は崩れ、膝かっくんなどされてしまえばひとたまりもない。
それに比べたら、力任せの蹴りなど恐れるに値しなかった。特に、外部破壊を目的とした蹴りなんて、腹部に直撃しない限り問題ない。
このゲームの本質は相手にダメージを与えることではなく、いかにしてバランスを崩すかである。
ただ、羽央はそこに焦点を当てさせなかった。
本音と建前を入れ代えたり、ストレス発散を謳って思考を誘導していった。
――蹴る。
誰もが、躍起になってその手段を選択する。
そうなるように羽央が仕向けた。
おどけ挑発することで、相手に倒したいではなく蹴りたいと思わせていた。
そういった裏――小細工があるからこそ、羽央は強かった。
「はっ! どうした、もう終わりか? それともなんだ? 今まで倒した女程度じゃ、本気になれないってか?」
挑発とわかっていながらも、敵は乗らずにいられない。
「ひっど!」「サイテー」
「ちょっと男子ー、なんとかしてよぉ!」
「お願い仇を取ってっ!」
女の口はすぐに開き、男たちを追い立てる。
男たちはそれに応えなければ責められるという防衛意識と、異性にいいところを見せたいという本能に苛まれ、覚悟を決めた。
「おっ! 来るか? なら、いいことを教えてやろう。おまえらのクラスの女子、結構エロい身体したのがいたぞ」
どうだ、やる気がでたろ? と挑発の駄目押しに敵は冷静さを手放した。
「てめぇ――!」
わざわざ声で来ることを報せて、左右と正面から襲い掛かってくる。
しかし、大振りの蹴りは絶好の餌食――軌道上、すねに足の裏を置くだけで敵は自滅した。左右も同じ。
足の甲を鍛えている人間はそうはいないので、拳を固めて受けてやれば防御しながらもダメージを与えられる。
蹴るということは、自身のバランスを崩すことに他ならないのだ。
それを理解している羽央は片足でしっかりと地面を噛みしめ、重心を安定させていた。
蹴りは足を振りかぶるのではなく、腰を捻るか、膝を沈ませてから――放つ。
「どうしたどうした? これでしまいか?」
羽央は片足のスピンで周囲を警戒すると同時に、勢いを作りながら敵を牽制していた。
並外れたバランス感覚と柔軟性は前もって用意したもの――神香原を受けると決めた時から、鍛えていたからこそであった。
運動能力というよりは、ケンバトに対する理解の差によって羽央は周囲を圧倒していた。
そのように一方的だった状況を裏返った声が引き裂く。
「いい加減にしろよこの野郎ぉぉぉぉっ!」
羽央が視界に捉えたのは女装少年北川――腰にカーディガンを巻いて、突進してくる。
「いいのか女装野郎、ブラ紐見えてんぞ?」
開口一番の挑発を無視して、北川は跳躍した。片足ではあり得ない高さに目を見張るも、羽央は冷静に逃げる選択をする。
と、敵は着地の隙を見せずに回し蹴りを放ってきた。
先ほど、自分が見せた技だ。羽央は見切り、かわすも追撃は続く。
北川は両手を防御ではなく、バランスを取るのに使っていた。時には軸足を両手で押さえ込んでまで、猛攻を繰り広げる。
「やけに気合い入ってんじゃん。なんだ? 好きな男でもやられたのか?」
「ふざけんな! てめー! バカスカバカスカ……女子を蹴ってんじゃねぇよ!」
男だろうがぁ! と絶叫と共に振り上げられた蹴りを羽央は掌で止め、
「おのれは昭和生まれか?」
そもそも女装した奴の台詞か、と正論を述べる。
「そんなの知ったことかぁ!」
ゼロ距離からの蹴りが、羽央の腕を弾き飛ばした。
「どんな世の中だろうが、男が女を蹴っていいわけあるかぁ!」
主張する北川に、
「言うねぇ。なら、マリー」
羽央は最低の対抗策を取った。
にやにやと顔全体を緩ませ、北川を見やる。
マリーはぴょんぴょんと軽快に跳ねて、羽央の隣にやってきた。
「ひ、卑怯だぞ!」
「今更だろ?」
「ピュッテーンメルド」
マリーの発言に、
「え?」「あ……」
男二人は同時に漏らした。
「羽央、卑怯ダメです」
北川は訳がわからないといった様子で、羽央は状況を理解して。
マリーは日本語が不充分である。断片的にしか聞き取れていないからこそ、今まで卑怯とは思わなかった。
実際問題、羽央はルールに反した行為はしていない。
北川は怒っているも、ケンバトとはそういう競技なのだ。男子が女子を蹴ろうが、咎めるのはお門違いである。
それなのに、北川は卑怯と罵った。
そして、マリーは純粋にその言葉を信じた。
口調からして、彼女は然る場所で日本語を教わっている。
そこで問題になってくるのが『卑怯』という単語をどのように学んだか。
フランス語に限らず、海外には日本語に置き換えられないような罵り文句――スラングが沢山あった。
たとえば、マリーが使っている『ピュテン』や『メルド』は、直訳すれば『売春婦』や『排泄物』――英語でいう『ビッチ』『シット』に当たる。
むろん、彼女はそういった意味で口にはしていない。
状況によっても変わるが、『クソッ』や『舌打ち』と取るべきだろう。なにしろ、日常的に使われている言葉であり、地域によっては感嘆詞であったりもする。
要するに、上手く訳せないのだ。
「……そうだな。卑怯はダメだよな」
羽央は掌を返した。『卑怯』という単語を教えるにしても、正確に伝える自信がなかったからだ。
本来の意味でなら――勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。
しかし、自分がそれに当たるかと言われれば納得がいかなかった。
「仕方ない。俺一人でやるか……」
再び北川に足を向けるも、終了の合図――