第41話 脳を純粋に

文字数 2,662文字

 通常なら、百%の力を出せば、体はズタボロに壊れてしまう。
 だから脳がそうならないよう筋肉に電気信号を送り、力を抑制しているのだ。
 それだけじゃない。
 僕たちが起こす、僕たちに起きる全てに、この脳が関わっているのだ。
 見る、聞く、話す、考える、動く。
 脳は恐ろしく忙しない。
 だが、理科曰く。
 今の金次郎には『宗校長』しか見えていないらしい。
「何をしたんだ?」と、僕が問うと理科は、両乳房を持ち上げ、こう得意気に言い放った。
「金次郎の脳を純粋にした」

 金次郎の動きが格段に上がっている。
 理科の乳頭を口に突っ込まれた金次郎は、始めは驚いていたものの、何かを汲み取ったのか、すぐに腕の力を抜いて、受け入れている様子を見せていた。
 そして、理科が金次郎に何か耳打ちをした瞬間、勢いよく立ち上がり、宗校長に向かっていったのだ。
 一回の跳びで宗校長の顎まで到達し、跳んだ勢いそのままに、金次郎の強烈な右アッパーが宗校長の顎に直撃した。
 後ろに倒れ込んだ宗校長だが、すぐに立ち上がった。
 顎がかなり抉れていたが、再生を始めたのか、段々元の顎の形へと戻っていく。
 金次郎はすかさず追撃を重ねた。
「まさかとは思うが理科、母乳を通して何か薬を投与したんじゃないか?」
 宗校長の呻き声があがる中、僕は理科に訊いた。
「おっ!さすが、私の実験を多く受けているだけあるね。でも、半分正解かな?」
 そう言って理科は、嬉しそうに親指を上げ、それを自身に向けた。
「金次郎君に飲ませたのは、シンプルな母乳。むしろ薬を使ったのは私の方でね、母乳が出るように」
 そして理科は自身の両胸を両手で優しく抑え、不気味な上目遣いを僕に向けてきた。
「今回は私の身を削ったの。だからねしもん、しもんが抱えている私への実験の恨みはこれでチャラよね?」
「んな訳あるか」
 緊張感の無い理科の猫なで声に、思わず僕は緩んでしまう。
 そんな僕を見て、理科は微笑んでいた。
「金次郎に母乳を飲ませたのは究極の脱力のため。その脱力によって、あれこれ考えない赤ちゃんのような純粋な脳になる」
「純粋な脳が何になるってんだ?」
「うん。まずなんだけどね。人体は、百%の力を出すと壊れてしまうっていうのは知ってる?」
「んま、ざっくりと」
「そ、壊れるのね。壊れてしまうから、脳が力を抑制する電気信号を筋肉に送っているの」
「うんうん」
「でも私の母乳によって脱力が極まり、何も考えない純粋な脳になると、そういった電気信号が一切送られなくなる」
「うん」
「その状態になれば、あとは私が指示を出すだけ」
「さっきの耳打ちか」
「そう。宗校長を破壊して、ってね。でもね、意思はちゃんとあるの。やるかやらないかは金次郎が決められる。ただ、やるを選択すれば後先考えない赤子のように、目の前のことに夢中になれる。力を純粋に出せる」
「成程。確かに、考えてみると大の大人が赤子の脳になったら恐ろしいかもな」
「しもん違うわよ。赤子のような、脳ね。ただ脱力しただけなんだから脳が若返るわけではないの。だから指示をちゃんと理解できるの」
「へぇ」
 僕が気圧される程の熱を理科は帯びていた。
 理科はさらに続ける。
「この『母乳薬』は時間も費用もかかったのよ!!!…あっ」
 理科の本性、ここに現る。
「やっぱりな…しかし想定内だ」
「騙してごめんね。今度しもんにも吸わせてあげる」
「いらんわ!!!」
 きっと、良いように言いくるめられるに違いない。
 そんなことを思いながら僕は、宗校長を圧倒している金次郎を見上げた。
 殴る、蹴る、むしる。
 技とは呼べぬが、何せ百%の攻撃だ。
 迫力がある。
 そして、それを見ている理科が、目を輝かせながら、金次郎の様子をバインダーに挟んでいた紙に書き込んでいた。
 僕はふと、先程の理科の言葉を思い出した。
「金次郎の体は平気なのか?」
 そう僕が訊くと理科は、
「平気平気。さっき触れて分かったんだけど、金次郎の筋繊維は異常に強かったから。多分だけど、人生初の筋肉痛を金次郎は経験できそうよ」と淡々と答えたあと、不敵な笑みを浮かべていた。
「そうか…」
 絶対に。
 僕は絶対に理科の乳は吸わないと、心に決めたのであった。

 事実、金次郎は宗校長を圧倒していた。
 だが。
「決定打に欠ける」
 金次郎が攻撃をするたびに宗校長の体は、土が大量に飛び散る程抉れていた。
 ただ、宗校長の体はたちどころに再生している。
「もっと大きな一撃が要る」
「それをしもんが考えるのよ」
 僕の背後にいたこの町の長『校長』がそう言って、僕の肩に手を乗せてきた。
「協力者たちを連れてきた」
 さらに校長の背後に『ガラクタ』『カメラ』『ジュウキ』の姿が見えた。
「大きな一撃を食わせたいんだけど、その前にあのトンネルをどうにかしたいんだよな」
 僕はそう言って、宗校長の胸元を指さした。
「あの中に『国語』がいたんだ」
「え?」
 皆の驚きの声が揃うが、校長だけはひどく落ち着いていた。
「国語どころか、あと二十二人がそれぞれのトンネルに入っている」
「え、知ってるの?」
「えぇ、それが『ヤマ』の呪い。トンネルは二十三あって、それぞれに生贄を入れていけば『ヤマ』の力は強くなっていく」
「生贄…」
 てことは国語はまだ生きているかもしれない。
「まず、トンネルの中にいる人たちを救い出す。ガラクタさん、カメラさん、ジュウキさん」
 すぐさま、僕が三人に指示を出そうとしたそのとき、ガラクタが静かに右手を挙げ、
「あ、私一人でできますねそれ」と言って、自身の人差し指を取り外し始めた。
「一番器用にほじれるユビ『ヒトサシ』だ」
 ガラクタの人差し指がたちまち人の形に変わっていく。
 ヒトサシはまるでやまんばのようだった。
 髪はひどくボサボサで、前髪は顔を覆い、後ろ髪は腰辺りまで伸びていた。
 袖なしのボロボロのワンピースを身に着けていたのだが、そのワンピースの袖から伸びる腕が枝のように細く、また、握られた拳が小石のように小さかった。
 ただ何よりも恐ろしかったのは、ヒトサシの身長だ。
 多分、三メートルはあるだろう。
「でっけー」
 気付けば『オヤユビ』『ナカユビ』『クスリユビ』も姿を現していたのだが、その三人はどこか緊張している様子だった。
 それを見たガラクタは微笑み、ヒトサシを見上げた。
「さぁ、頼んだよ。母さん」
 ヒトサシは静かに頷き、宗校長に向かっていった。
 そしてそれを追うかのようにして、残りのユビたちも一斉に走り出す。
 必死に走るオヤユビの背中を見て僕も、少しだけ、笑ってしまった。
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