第32話 私と
文字数 2,159文字
○過去
誰かの背中が、すぐ目の前にある。
もしこれが、鬼ごっこで、私が鬼だったら、手を伸ばせば勝利となる。
だけど今は、そういうルールじゃない。
追い抜かさないといけないのだが、追い抜かせば勝ちという訳でもない。
重要なのは、このバトンを繋ぐこと。
それだけを考えて、走るつもりだった。
でも。
もう、誰の背中も、見えなくなっていた。
何て気持ちが良いんだ。
このままずっと、走っていたいな。
「こくごー」
トラックのカーブが終わると、しもんが手を挙げて、私を呼んでいた。
私は我に返り、しもんの元へ、真っ直ぐ走った。
しもんは、前を向き始め、目一杯広げた手の平を、私に向ける。
あともう少し。
そして、そのタイミングで走り始めたしもん。
バトンパスは練習していないけど、何故か、息が合った私たち。
「よっしゃぁ!!!」
クラスメートの雄叫びが聞こえてくる。
私は無事に、しもんにバトンを渡すことができ、そして私たちのクラスは見事、一着でゴールすることができたのだった。
水筒を傾ける度に鳴り響く、氷の音と私の喉を激しく通る麦茶の音。
暑さを、忘れられる瞬間である。
「国語さん、良い走りでした」
私は振り返って、その声の正体を確認した。
委員長だ。
恐怖の対象だったが、私はすぐに、委員長の足元にいたしもんに視線が移ってしまった。
委員長は、しもんの体操服の襟を掴んでいた。
「何してるの?しもん」
すると、すかさず委員長が、
「この人は、リレーが終わったからと言って帰ろうとしていました」と、唾を飛ばしながら言ってきた。
「監督不行届ですよ、国語さん」
「え、私?」
委員長は一つ鼻息を鳴らし、しもんを雑に置いて、どこかへ行ってしまった。
ゆっくりと上体を起こすしもん。
その背中には、大量の土が付いていたから、私はそれをはたいて落とした。
「しもん、次は玉入れだよ」
「熱に浮かれてると思い、つい、何も施さず堂々と帰ろうとしてしまった。くっそぅ」
「そもそも帰っちゃダメ」と言おうとしたが、私は、しもんのうなじが白く変色していることに気が付き、言葉を止めた。
そして暫く眺めた。
「国語?どうした?」
しもんが振り返る。
急に、目の前に、しもんの顔が現れるから、私は驚いて後ろに下がってしまった。
「え、あ、何か白くなってたよ。白線の粉か何か?」
「あぁ」
そう言ってしもんは、うなじをさすりながら小さく笑い、そして手の平を私に見せてきた。
「見とけよ国語」
私は再び、しもんとの距離を縮め、言われた通り、しもんの手の平を見た。
すると次の瞬間、しもんの手の平から、茶色い球のようなものが、ぬるっと出てきたのだ。
「うわ気持ち悪っ」
「おい!」
「え、え、え、何これ。手品?」
私の驚き様を見たしもんは、得意気に鼻を擦り始めた。
「まず、僕の体質なんだけどね、日焼けすると僕、白くなるんだ。んで、何故か、この茶色いボールが出てくるんだ」
何を言っているのか、よく分からなかったけど、嘘は一つも付いていない。
「僕の変な体質の一つ。僕はこの球を『メラニンボール』と名付けてね」
しもんは話を続けていたが、私はこの茶色い球が、しもんの手の平から出てきたのが、不思議でたまらなかった。
「それでさー」
しもんはそう言って笑いながら、あるところを指さした。
しもんが指さす方向にいたのは、委員長だ。
「引き摺られている間に、委員長の背中に三個くらい付けてやったよ」
「本当だ」
入場門付近にいた委員長の背中に付いていた三つの『メラニンボール』は、遠くから見ても分かるくらいだった。
「ねぇ、しもん」
「ん?」
しもんが片眉を上げて、私と目を合わせてきた。
「このボールのこと、他に知っている人いるの?」
「んにゃ、国語だけだよ」
その言葉に、私は少しだけ嬉しくなった。
嘘が無かったってこともそうなのだが、私にだけ話してくれたことが何よりも嬉しかったのだ。
「玉入れ頑張ろうね、しもん」
「あまり、気は乗らないがな、まぁ、やるか」
私としもんは、同時に立ち上がり、同時に、お尻に付いていた土を払い、クラスの皆が待機している入場門へと向かった。
○現在
私はそこで、映像を止めるよう、しもんに頼んだ。
しもんは言われた通りに、映像を止めてくれた。
「どうした?国語」
「懐かしいね、しもん」
しかし、しもんは何も言ってくれなかった。
暫く、沈黙が続く。
「早く続きを見ない?」
そう提案するしもん。
「その前に、クイズを出しても良い?」
私の唐突な提案に、しもんは一瞬戸惑っている様子だったが、
「いいよ」と、すぐに受け入れてくれた。
「このあとの玉入れ。実は、しもんのあるズルのお陰で一位を取ることができました。さて、そのズルとは何でしょう」
「メラニンボールを使ったんだよ」
しもんは、決まりが悪そうに答えた。
「正解。では、次のクイズ。その、メラニンボールを大量に忍ばせたのは一体誰でしょうか」
再び、戸惑うしもん。
「何を言っている。僕だよ」
「ぶぶーっ」
「はぁ?」
面倒くさそうにしているしもん。
「クイズには正解してるのよ?でもね、あなたが嘘を吐くから不正解」
しもんの表情が無くなっていく。
「あなたは。しもんじゃない」
そして、口角を目一杯上げ、不気味に笑うしもん。
「あなたは一体、誰?」
誰かの背中が、すぐ目の前にある。
もしこれが、鬼ごっこで、私が鬼だったら、手を伸ばせば勝利となる。
だけど今は、そういうルールじゃない。
追い抜かさないといけないのだが、追い抜かせば勝ちという訳でもない。
重要なのは、このバトンを繋ぐこと。
それだけを考えて、走るつもりだった。
でも。
もう、誰の背中も、見えなくなっていた。
何て気持ちが良いんだ。
このままずっと、走っていたいな。
「こくごー」
トラックのカーブが終わると、しもんが手を挙げて、私を呼んでいた。
私は我に返り、しもんの元へ、真っ直ぐ走った。
しもんは、前を向き始め、目一杯広げた手の平を、私に向ける。
あともう少し。
そして、そのタイミングで走り始めたしもん。
バトンパスは練習していないけど、何故か、息が合った私たち。
「よっしゃぁ!!!」
クラスメートの雄叫びが聞こえてくる。
私は無事に、しもんにバトンを渡すことができ、そして私たちのクラスは見事、一着でゴールすることができたのだった。
水筒を傾ける度に鳴り響く、氷の音と私の喉を激しく通る麦茶の音。
暑さを、忘れられる瞬間である。
「国語さん、良い走りでした」
私は振り返って、その声の正体を確認した。
委員長だ。
恐怖の対象だったが、私はすぐに、委員長の足元にいたしもんに視線が移ってしまった。
委員長は、しもんの体操服の襟を掴んでいた。
「何してるの?しもん」
すると、すかさず委員長が、
「この人は、リレーが終わったからと言って帰ろうとしていました」と、唾を飛ばしながら言ってきた。
「監督不行届ですよ、国語さん」
「え、私?」
委員長は一つ鼻息を鳴らし、しもんを雑に置いて、どこかへ行ってしまった。
ゆっくりと上体を起こすしもん。
その背中には、大量の土が付いていたから、私はそれをはたいて落とした。
「しもん、次は玉入れだよ」
「熱に浮かれてると思い、つい、何も施さず堂々と帰ろうとしてしまった。くっそぅ」
「そもそも帰っちゃダメ」と言おうとしたが、私は、しもんのうなじが白く変色していることに気が付き、言葉を止めた。
そして暫く眺めた。
「国語?どうした?」
しもんが振り返る。
急に、目の前に、しもんの顔が現れるから、私は驚いて後ろに下がってしまった。
「え、あ、何か白くなってたよ。白線の粉か何か?」
「あぁ」
そう言ってしもんは、うなじをさすりながら小さく笑い、そして手の平を私に見せてきた。
「見とけよ国語」
私は再び、しもんとの距離を縮め、言われた通り、しもんの手の平を見た。
すると次の瞬間、しもんの手の平から、茶色い球のようなものが、ぬるっと出てきたのだ。
「うわ気持ち悪っ」
「おい!」
「え、え、え、何これ。手品?」
私の驚き様を見たしもんは、得意気に鼻を擦り始めた。
「まず、僕の体質なんだけどね、日焼けすると僕、白くなるんだ。んで、何故か、この茶色いボールが出てくるんだ」
何を言っているのか、よく分からなかったけど、嘘は一つも付いていない。
「僕の変な体質の一つ。僕はこの球を『メラニンボール』と名付けてね」
しもんは話を続けていたが、私はこの茶色い球が、しもんの手の平から出てきたのが、不思議でたまらなかった。
「それでさー」
しもんはそう言って笑いながら、あるところを指さした。
しもんが指さす方向にいたのは、委員長だ。
「引き摺られている間に、委員長の背中に三個くらい付けてやったよ」
「本当だ」
入場門付近にいた委員長の背中に付いていた三つの『メラニンボール』は、遠くから見ても分かるくらいだった。
「ねぇ、しもん」
「ん?」
しもんが片眉を上げて、私と目を合わせてきた。
「このボールのこと、他に知っている人いるの?」
「んにゃ、国語だけだよ」
その言葉に、私は少しだけ嬉しくなった。
嘘が無かったってこともそうなのだが、私にだけ話してくれたことが何よりも嬉しかったのだ。
「玉入れ頑張ろうね、しもん」
「あまり、気は乗らないがな、まぁ、やるか」
私としもんは、同時に立ち上がり、同時に、お尻に付いていた土を払い、クラスの皆が待機している入場門へと向かった。
○現在
私はそこで、映像を止めるよう、しもんに頼んだ。
しもんは言われた通りに、映像を止めてくれた。
「どうした?国語」
「懐かしいね、しもん」
しかし、しもんは何も言ってくれなかった。
暫く、沈黙が続く。
「早く続きを見ない?」
そう提案するしもん。
「その前に、クイズを出しても良い?」
私の唐突な提案に、しもんは一瞬戸惑っている様子だったが、
「いいよ」と、すぐに受け入れてくれた。
「このあとの玉入れ。実は、しもんのあるズルのお陰で一位を取ることができました。さて、そのズルとは何でしょう」
「メラニンボールを使ったんだよ」
しもんは、決まりが悪そうに答えた。
「正解。では、次のクイズ。その、メラニンボールを大量に忍ばせたのは一体誰でしょうか」
再び、戸惑うしもん。
「何を言っている。僕だよ」
「ぶぶーっ」
「はぁ?」
面倒くさそうにしているしもん。
「クイズには正解してるのよ?でもね、あなたが嘘を吐くから不正解」
しもんの表情が無くなっていく。
「あなたは。しもんじゃない」
そして、口角を目一杯上げ、不気味に笑うしもん。
「あなたは一体、誰?」