第16話 先鋒 コネコvsジュウキ

文字数 3,624文字

 金次郎の怒りは、ほんの一瞬だった。
 すぐに顔色は元通りになり、無表情でマムさんの元へと歩き始めたのだ。
 威嚇しているチームヤマカガを無視し、金次郎はマムさんと向かい合った。
 マムさんは、安心した様子で、金次郎を見上げていた。
「金次郎君、私、ヤマカガ氏の妻なのよ?修羅場はたくさんくぐってきたつもり」
 金次郎は、背後に敵がいるにも関わらず、優しく微笑む。
「知ってる。でも、俺がいる限りは、マムさんは闘わなくて良い」
 僕が今、最も言われたい言葉なのに、マムさんは納得していないみたいだ。
 眉間の皺と噤んだ唇がその証拠だ。
 金次郎は困った様子で、頭をぼりぼり掻き始めた。
「んー、俺は、マムさんが握ったおにぎりが食べたいな」
 マムさんは金次郎の言葉を聞くと、眉間と唇を緩め、ため息を吐いた。
「男に産まれたかったなぁ…」
 それを聞いて、僕は吹き出してしまった。
 金次郎とマムさんは僕を見る。
「知り合いにとんでもない悪医者がいます。多分、玉はいっぱいあるだろうから、付けてもらうよう頼んでみます?」
 当然、冗談のつもりで言ったのだが、マムさんは口を開けて僕を見ていた。
「棒もか」
 頭に衝撃が走った。
 金次郎が、僕の頭を殴ったみたいだ。
「きん、グーはまずい。今から試合だってのに」
「しもん、この人は理科や国語とは違う。そういうのは駄目だ」
「ふふっ」
 優しい笑い声が聞こえてきた。
 マムさんが笑っていたのだ。
「金次郎君、自分のこと何も話さないから、私、すごく嬉しいな。まさか、お友達がいたなんてね」
 金次郎の困った顔が、僕には可笑しくてたまらなかった。
 僕が笑いかけたそのとき、黒くて丸い影が、マムさんの目の前で止まった。
 赤黒く汚れた、硬く丸い拳。猿のものだ。
 そして、その猿の手首を金次郎ががっちり掴んでいた。同じく、硬く分厚い手で。
「試合…だと?」
 猿の目は、血走っていた。
「いけないな、この緊張感の無さ。雑魚三人も緩み切った顔しやがって」
 猿は、カメラ、ジュウキ、ガラクタを睨んだ。
 三人は、一瞬で委縮した。
 すると、金次郎がにやけながら、口を開いた。
「緊張感が足りてないのは、てめぇらのほうだ。動物もどき」
「何?」
「マムさんに噛みつこうなんて、許せねぇって思ったけど、相手がお前らで安心したよ。俺を見た途端、揃いも揃って威嚇なんかしやがって」
 猿は黙って、金次郎を見ていた。
「そんで、ようやく襲い掛かってきたと思ったら、猿一匹だけ、しかもただのパンチ」
 金次郎は、猿の手首を自分の胸元に引き、猿の耳元に口を近づけた。
「がっかりさせんなよ」
「ふんっ、ガキが」
 猿がピンク色の歯茎を剝き出しにした。
 確実に噛みつかれる間合いにいる金次郎だが、お互い、何もしなかった。
 金次郎がゆっくり手を離すと、猿は僕たちに背を向け、ヤマカガの元へ歩いて行った。
「猿」
 僕がそう呼ぶと、猿は振り返らず、その場で立ち止まった。
「正直僕は、何も見えなかった。でも、その手で、あの人たちを殺したんだな?」
 僕は、依頼者が倒れている辺りを指さした。
「どうやら俺の相手は、金次郎にしか務まらないみたいだな」
 猿はそう言って、僕らに背を向けたまま再び歩き出し、ヤマカガチームは全員、入場口へと消えていった。

 対戦の組み合わせが控室のモニターに映し出された。

 一回戦…コネコvsジュウキ
 二回戦…イノシシvsカメラ
 三回戦…イヌvsガラクタ
 四回戦…猿vs金次郎
 五回戦…ヤマカガvsしもん

 ジュウキ、カメラ、ガラクタは、モニターの前で、画面をじっと見つめ、動かなかった。
「逃げてもいいんだぜ?」
 金次郎は無表情で、モニター前の三人に問いかけた。
 ガラクタが振り返り、唾を大きく飲み込み、口を開いた。
「僕たちだって、マムさんが好きだ。マムさんが作るご飯が一番美味しい」
 ガラクタの声に合わせ、他の二人も振り返った。
 三人とも、金次郎の目を真っ直ぐ見ていた。
「金次郎さん、僕らは闘います。マムさんから受けた恩を返したいです!!!」
 金次郎は、小さく笑い、すぐに笑みを消した。
「奴らは、全員もれなく強い。ちゃんと人を殺せる奴らだ」
 三通りの、唾を飲み込む音が同時に聞こえてきた。
「金次郎ちゃんが先程、言った通りじゃ。動物もどき。彼らは元々は通常の人間じゃった」
「分かるのか社会」
 社会は、後ろで手を組み、静かに頷いた。
「着ている服、履いている靴、匂い、歩き方、癖などが、儂の頭の中におる人間らと、それぞれ完全一致しておる」
 社会は、軽快に笑い始めた。
「因みに、理科は一切関わっておらん。人類を獣に変えるなんて、人間ができる業ではない」
 社会は、ジュウキ、カメラ、ガラクタを順に見ていき、
「この町の人間なら、知っておるだろう?『ヤマ』を」
 社会がその名を発した瞬間、ジュウキ、カメラ、ガラクタ、そして金次郎までもが、分かりやすく目を見開いていた。
 僕だけが、『ヤマ』を知らなかった。
「だが、『ハイウェイズ』は、本当に実在するのか?」
 金次郎の表情は、真剣だった。
「恥ずかしい話が、儂もよく知らなんだ。ま、お三方、控室であれこれ考えても仕方がない。とかく、気を付けなされ」
「そ、それだけですか?」
 何故か、ジュウキの目が少し潤んでいる気がした。
 ジュウキの年齢は、四十代後半といったところだろうか。髪の毛は所々白くなっている。腕と肩が中々太いのだが、潤んだ目のお陰で威厳がかなり損なわれていた。
「仮に、相手が『ヤマ』の力で強くなっていたとしても、儂が相手の能力を全て知っていたとしても、戦地に立てば、関係なくなる」
「そうですが…」
「ほっほっほ。簡単な話、攻撃を受けなければ、負けることは無い。逆に、ほんの少しでも、攻撃を当てることが出来れば、勝つ可能性がぐっと上がる」
 それを勿論、金次郎は聞いていた。
「社会の言うとおりだ。ジュウキ、手や足、顎が震えていても良い。汗が止まらずとも、視界がぼやけても、まずは戦地に立て。そこさえクリアすれば、あとは自由だ」
(では一回戦、コネコvsジュウキ!まもなく開戦です!コネコさんは、既に!校庭で待ちわびています!ジュウキさんは、未だ!おトイレから出てきません!)
 観客の笑い声が、控室の中まで聞こえてきた。
「行ってこい。お前のバックには、社会と、しもんと、俺がいる」
 そう言って金次郎は、ジュウキの背中を、手の平で叩いた。
 人間から奏でられたとは思えない程、とても、鈍い音がした。

 コネコとジュウキが、校庭のど真ん中で向き合っていた。
 そして、それを観客たちが見守る。
 控室にいた者は全員、入場口に立ち、ジュウキを見守っていた。
「ジュウキの戦闘スタイルはどんなだ?」
 金次郎以外の三人の誰かが答えられるよう、僕は校庭の真ん中から目を離さずに訊いた。
 答えてくれたのは、社会だった。
「そもそも、戦闘員では無いからの、この三人は」
「何をしていたんだ?」
 社会は、ふぉっふぉと笑った。
「『ミチクサ』とあるように、この三人は、皆により良い道草を食べてもらうよう、努力しておった」
「ふーん」
 もうすぐ試合が始まるのか、ジュウキが構えだした。
 コネコは、不敵な笑みを浮かべ、姿勢に変化はない。
「ジュウキは、どんな努力を?」
「自らの足で、地を踏み固め、道を作り出した」
 僕は振り返り、社会を見た。しかし、それと同時に試合開始のゴングが鳴り響いた。僕は前を向き視線を試合に戻すと、コネコはジュウキに腹を見せ、横たわっていた。

 唖然するジュウキ。
 コネコは横たわりながら、両手を広げ、ジュウキの様子を伺っていた。
「猫同士の喧嘩でよく見るな」
「あぁ、一見、横たわっている方が不利にも見えるが…」
 その次の瞬間、ジュウキがコネコを踏みつけたが、コネコは寝返りを打ち、華麗に避けた。
「戦いに不慣れなジュウキだ。相手が横になれば、困惑し踏みつけてしまうのは当然だ」
 金次郎が腕を組み、そう言った。
 ジュウキは移動したコネコに合わせ、何度も踏みつけを行った。だが当然、全て避けられる。
「そしてコネコ。相手が踏みつけを行うよう、誘導している」
 気付けばコネコは、ジュウキの両足の間にいた。
 コネコは、不敵な笑みを浮かべ、ジュウキの股間を思い切り蹴り上げた。
 ジュウキは、白目を剥き、口を大きく開き、股間を手で押さえながら背中から落ちていった。
 だが、痛々しいのは勿論だったが、今の僕にとっては、さほど重要な問題ではなかった。
 ジュウキが落ちたその瞬間、とても大きな鈍い音とともに、校庭に亀裂が入ったのだ。
「社会、ジュウキは何者なんだ」
 僕はジュウキを指さして、社会に訊いた。
「ジュウキはな、体重がおよそ三トンあるんじゃ」
 僕の驚きを他所に、ジュウキは、すぐにうつ伏せになり、うずくまった。
「タダでは終わらん」
 そう言って社会はニタリと笑い、細かい皺を、頬と目尻に、多く刻んだのであった。
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