第9話 ステキなやつら

文字数 3,848文字

 教頭の身長は推定、百八十五センチくらいか。体重も金次郎と大して変わらないだろう。
「いいね」
 似たような体格が二人。その姿はまるで、ヘラクレスオオカブトとネプチューンオオカブトが向き合っているかのようだ。
 興奮しちゃう。
 何にせよ、そんな二人の戦いを見ることができるんだ。
「余った一人を殺しちゃおうかな」
 なんて冗談も、受け付けないこの空気。とてもじゃないが言えない。
 痺れる。
 依頼来ないかな。金次郎と教頭を殺す、依頼。

 その、次の瞬間だった。
 初っ端のクロスカウンター。金次郎は右拳で、教頭は左掌。だが、打ちを当てることができたのは、教頭だった。金次郎の拳は、躱され、さらに教頭の顎によって、手首をがっちり掴まれていた。そして教頭はそのまま、左腕で金次郎の右腕を上から抑え、金次郎を跪かせた。
 からの教頭の強烈な膝蹴りが、金次郎の顔面を直撃した。
 金次郎の踏み込みが仇となったか。その踏み込みによって、金次郎の背が少し低くなり、金次郎の右腕が教頭の左腕の下を通過してしまったのだ。
 技をかけられ、蹴りを入れられた金次郎の頭部は、勢いのまま後ろに引っ張られるのだが、金次郎の右手は、教頭の胸ぐらをしっかり掴んでいた。
 結果、教頭が投げ飛ばされた。
 攻防戦では無い。攻撃しかしていないのだ。
「濃い~な~、この時間」
 しかも序盤でこれだ。
 蹴られた金次郎と投げられた教頭は、同じタイミングで立ち上がった。金次郎は拳を固く握り、教頭は何も握っていなかった。
 本当の攻防戦が始まる、と僕が悟った刹那、金次郎がワンツーを放ったのだが、教頭は、上半身だけを半歩分後ろに引いて、それを避け、そのまま華麗なバック宙を決めた。
 着地で、このターンの勝敗が決まる。それも、金次郎が着地した教頭を、蹴りで打ちのめす。そう僕は思っていた。しかし、教頭が着地したとき、金次郎は何故か怯んでいたのだ。
 教頭は、ただバック宙をしたのではない。バック宙ついでに金次郎の顎をつま先で蹴り上げていたのか。いや、だとしたら金次郎は何故それを避けられなかったのか。
 再び跪く金次郎。そして教頭は、ようやく拳を固め、がら空きになった金次郎の顔面に、正拳突きを食らわせた。
 金次郎は仰向けで、廊下に倒れこんだ。
「とても良いワンツーだ」
 少しだけ息を切らしながら、教頭はさらに続ける。
「私史上、一番のワンツーだった。だがな、それでも『体育』として教育しなければならないのだ。金次郎君、君は確かに強い。だが、技が無さすぎる」
 金次郎が上体を起こし、ゆっくりと立ち上がる。
 だが僕は、金次郎の足元に転がっている蛍光色のボールに視線が移った。
「スーパーボールだ。ちょっと大きめのね」
 教頭はそう言って、得意気に鼻の下を太い指で擦っていた。
 そんなことが可能なのか。
 空中に置いたスーパーボールを、バック宙で蹴り上げ、反射させて金次郎にヒットさせたのか。
「下から来たぜ、そのボール」
 それも天井と床に反射させて金次郎の顎にヒットさせた。
「計算したのか?」
 僕は思わず、教頭に訊いた。
「勿論。『体育』と名乗るからには、武だけではなく、スポーツや勉学もそれなりにできないとね。大方、今の技は体操とサッカーと空手、そして数学の融合ってとこかな」
 それを聞いた金次郎は、鼻血を大量に垂らしながら、頭をぼりぼり掻き、静かに構えた。
 ワンツーパンチからの左フックと右フック、そして左ボディに右ボディの六連撃。
 ワンステップで、教頭を自分の間合いに入れ、一気に叩きこんだ。
 とても速く、美しい攻撃。だが教頭は、全てを見切り、全てを肘で防いだのだ。
「確かに。喧嘩が強いのも納得だ。この六連撃、武術家でも防ぐのは難しい」
 金次郎は、教頭に構わず、構えを解かぬまま、今度はワンツーパンチの次をボディ二連撃に変え、最後に左フックと右フックにシフトチェンジしたのだが、結果は同じ。
「毎日、毎日、そして何十年と続けたのだな。私には到底出来ぬ技だが、簡単に防げるぞ。いやむしろ、そのために武道があるのだ」
 教頭はそう言って、左ジャブを一つ、金次郎に向かって放った。
 金次郎は構えを顔の前に持っていき、ガードを固めたのだが、教頭は、金次郎のガードの前で寸止めをし、逆手で金次郎の右手首を掴んだ。
 捻る。そして案の定、捻った。反時計回りに。当然、金次郎の体も反時計回りに回るのだが、自ら回ったわけではないようだ。
 紛れもなく回されている。
 さぁどうする、金次郎。僕がそう思ったそのときだ。
 何かの弾けるような音が一つ、聞こえてきた。
 教頭は、そのまま金次郎を床に叩きつけ、金次郎に背を向けて歩き出し、廊下に置いてあったロッカーの前に立った。
 金次郎はすぐに立ち上がる。
「反撃と受け身、どちらも出来なかったのか?」
 僕がそう訊くと、金次郎は、
「空中で顎を叩かれた。一瞬気絶した」と、答えた。
 あの弾けるような音は、教頭の打撃音だったか。
「所詮は喧嘩自慢」
 教頭はそう言って、ロッカーの扉を開けた。
「決着だ」
 教頭は、柄が嫌に太く、嫌に美しく湾曲した箒を一本取り出し、腰に置いた。
 見覚えがある。
「図工の仕込み刀だな?」
 それを聞いた教頭は、初めて僕と目を合わせた。
「そうか、そういえば道徳だったなお前。まだつるんでいたんだな、あの悪ガキ三人組は」
 教頭は、ふふと笑いながら、箒の柄の端を掴み、本身を引き抜き、金次郎と再び向き合った。
「緊張感を持て金次郎。これは喧嘩でも試合でもないぞ」
 金次郎は咄嗟に構えたが、遅かった。いや、教頭が速すぎたのかもしれない。
 教頭はフェンシングの要領で、日本刀を金次郎の左胸に突き刺したのだ。
 こんな使い方をするとは誰も思わない。
 しかし、金次郎の火は消えていなかった。
「…剣が抜けない」
 教頭は刀を引き抜こうとしたのだが、金次郎の大胸筋は異様に膨らみ、刀をしっかり掴んで離さなかった。
 さらに、金次郎は左手を教頭の腰に回し、右腕を教頭の尻に回し、一気に教頭を持ち上げたのだ。
 あとはスープレックスをする。わけでもない。ただ、優しく抱っこしただけ。
 本当に、優しく。やさーしく。
 教頭の、気の抜けた貌(かお)が、金次郎の右肩の上から見えた。
 そして、教頭を抱っこしたまま金次郎は、しばらく廊下を歩き、そっと教頭を床に下ろした。
「何だ、今のは…」
 教頭は、何故か怯えていた。
 僕には一つ心当たりがあった。それは、抱っこされたときの教頭のあの顔。あの顔はまるで、悪いことをして説教部屋に連れていかれる子供のようだった。
 抱っこを外から見ている僕でさえ、子供の頃の怖い記憶を思い出せているんだ。抱っこされた当人は、もっと深い恐怖に陥っているに違いない。
 だけど金次郎ちゃん、それは愛する我が子を対象とした技だぜ?何で、自分よりも強い奴にそれができるんだよ。
 金次郎は大股でゆっくり歩き、教頭の間合いに入ると再び、ワンツーパンチを放った。
 当然、教頭はガードを固めるのだが、金次郎は何故か寸止めをして、攻撃しなかった。
「何のつもりだ…」
 ただただ困惑する教頭。
 すると今度は、左フックと右フックを教頭に放ったのだが、それにも教頭は反応し、ガードをずらして対応した。しかし、またしても寸止め。
 続けて金次郎は、右ボディと左ボディも放つが、結果は同じ。教頭はそれに合わせてガードをずらし、そして金次郎は寸止めだ。
 それの繰り返し。
 ワンツー、左フック、右フック、左ボディ、右ボディ、ワンツー…。
 ガード、ガード、ガード、ガード、ガード、ガード…。
 寸止め、寸止め、寸止め、寸止め、寸止め、寸止め…。
 
 一時間は経ったか。金次郎は、息を一つも乱さず、一定のリズムで寸止めを打ち続けていた。
 先に息が上がったのは、教頭だった。
 そうなると、どうなってしまうのか。
 段々とガードのタイミングがずれていき、やがて、寸止めがガードの前ではなく、ガードの向こう側へと辿り着くようになるのだ。
「決着だ」
 そう言って金次郎は、教頭への攻撃を開始した。
 連撃が全ヒット。
 色々な音がした。
 そうだ、録音して『音楽』に聞かせてあげよう、そう僕は思い立ち、携帯の録音アプリを開き、赤いボタンを押した。
 僕は、金次郎の勝利を確信したのだ。

 金次郎の連撃が止まったのは、録音ボタンを押してからすぐだった。しかし、教頭はまだ立っていた。
「金ちゃん、これ」
 金次郎は、息を一つも切らしていなかった。
「あぁ」
 教頭は立ったまま、気絶していたのだ。

 「どんな稽古を積んだんだ?」
 金次郎が、立ったまま気絶した教頭をゆっくりと床に倒して、すぐの出来事だった。
 教頭の意識は、既に戻っていたのだ。
 金次郎は、教頭の問いに答えた。
「どちらも、じいちゃんが使っていた技でもあり、俺が初めて敗北を味わった技でもあるんだ」
 教頭は目を閉じていた。
「そこから二十年くらいか。毎日、六連撃を繰り返し、毎日、重たい物を持ち続けた。それだけ」
「そうか」
「弱いやつは愛おしい。だけど、強いやつはもっと愛おしい」
 金次郎はそう言って、教頭に背を向けた。
「だから、あんなに優しい抱っこができるわけだ」
 教頭は、深く息を吐いた。
「稽古を積もう」
 教頭の言葉を聞き、どこか安心した様子で金次郎は、走ってこの場を去っていった。

 しもんちゃん、君から話は聞いていたが、ここまでとは思っていなかったよ。

 なんてステキなやつらなんだ。
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