第33話 金次郎

文字数 1,852文字

 何故、俺も猿も眠っていたのか。
 よく分からないが、深く眠っていたからだろうか、俺も猿も、よく動けている。
 互いに打ち鳴らす、スタッカートな攻防。
 猿は、長い腕を鞭のように振り、先端にある固い拳を何度も俺にぶつけてくる。
 それをくぐり、猿の懐に潜り込むことができたとしても、猿は、短い脚をまるで手のように扱い、俺の侵攻を阻んでくる。
 しかし、猿は今、宙に浮いている状態で、俺の重心は猿に傾いている。
 ならば、攻撃を速めればいい。
 手のように扱えてはいても、手には及んでいない。
 俺の拳は、猿の顔面に二回届き、そして俺はそのまま、上半身を左側に落とし、右足で猿を思い切り蹴り飛ばした。
 飛ばされた猿はすぐに立ち上がったが、反撃を仕掛けてこなかった。
「歯が折れた」
 そう言って猿は、口を何度か動かし、粘り気がある赤い液体と共に、尖った歯を吐き出した。
「犬歯か?」
「ふふふ、金次郎。私の歯は全て尖っているのだよ」
 猿は笑ったように口を広げ、血に染まった歯を俺に見せてきた。
「きったね」
 その言葉を皮切りに、猿が再び攻めてきた。
 猿は先程と同様、腕を鞭のように振ってくる。
 俺は飛んでくる拳を、拳で迎えようとしたが、よく見ると、猿の手には何も握られていなかった。
「ビンタ?」
 だが猿は、俺の手首を一瞬掴むと、一瞬にして姿を消したのだった。
 いや違うな。
 猿は、俺のすぐ傍にいる。
 それも、あっちこっちに動きながら。
 全身に感じる、不規則に掴まれる感覚とあらゆる方向に引っ張れる感覚。
 その感覚たちが、高速で動くもんだから、踏ん張ることしか俺にはできなかった。
「いいだろう、これ?」
 どこからともなく、猿の声が聞こえてきた。
 さらに猿の声は続く。
「雲梯と鉄棒を極め、それらを合わせた応用技だ。私は猿だからね」
 俺は何度も反撃の機を伺った。
「要は重心、少しでも重心が傾けば、一気に倒すことができる」
 猿の言う通り、俺は少しも動けなかった。
「でもこの技、攻撃には使えないな」
 すると、軽快な笑い声が聞こえてきた。
「確かに。雲梯しているときに雲梯を攻撃、鉄棒しているときに鉄棒を攻撃は不可能だ。だけどな、生き物は大概この技で倒れるんだよ!お前だけだ、金次郎。倒れないのは。何て体幹してやがる」
 俺を掴んでくる無数の手から、焦りが流れ込んできた。
 駄目だよ、冷静さを欠いちゃ。
 俺は試しに、真上に勢いよく跳んでみることにした。
 重心を傾けないことを意識してね。
 そして、それを行動に移すと猿の技が止まり、猿は俺の腰を掴んだまま、俺と共に空中へと昇っていった。
 だが猿は、その状況を大いに喜んだ。
「あの体勢からここまで高く跳ぶとは」
 次第に、俺と猿の勢いが弱り、やがて、空中で一瞬止まる。
「でも駄目だよ」
 俺の視界が、激しく回り始めた。
「ちゃんと、地に足をつけなきゃ」
 気付けば猿は、俺の上にいて、俺の両手首と両足首を掴んでいた。
「食らえ」
 そう言って猿は、思い切り手足を揺らし、再び、あの四連撃を俺に食らわそうと備えていた。
「あれ…?手応えは?」
 猿の間の抜けた顔が、俺の目にしっかりと映った。
「関節の外し方も付け方も、覚えた」
 俺はそう言って、右手の平で猿の顔をそっと覆った。
 そして、落下しながら猿と上下入れ替わり、何よりも先に、猿の後頭部を地面に到達させた。
 猿の断末魔が、俺の右手の平に沈む。
 そのあと俺は、何度も転がり、自分に伝わってくる衝撃を緩めることに成功した。
 追撃を加えようと、すぐに体を起こしたが、不必要だった。
 猿は完全に、伸びていたからだ。
 しもんとヤマカガが、その横でまだ闘っていたから、俺は猿の元へ近づき、そっと猿を抱きかかえた。
「第一ラウンドでは、猿が勝ち、第二ラウンドでは、俺が勝った…」
 俺が、独り言のように戦績を呟くと、
「へへ…お前の二勝だよ」と、腕の中から声が聞こえてきた。
 気付けば猿は、意識を取り戻していた。
 驚きはしたが、そんなことよりも、今一番に伝えたいことが、一番に俺の口から出てきてくれた。
「またやろう」
 俺は、猿の目を見ずに言ったが、
「そうだな…またやろう」と、聞こえてきたもんだから、思わず猿を見てしまった。
 だけど猿は、何度か瞬きをしたあと、瞼を閉じ、すぐに眠りに落ちた。
 何故だか分からないが、俺はその光景を見て、ある言葉が頭から離れなくなった。
 猿を医務室へ運んでいるときもずっと、口ずさむほどに。



「まばたきふえる、まぶたがおちる」



 金次郎vs猿

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