第45話 嘘も
文字数 3,036文字
小さな希望が大きなものになった瞬間だ。
一日、いや一時間でもいいから、嘘を、嘘と知らないまま過ごしてみたい。
でも今は、そんな時間を永遠に望んでいる。
しもん…。
「僕は正真正銘、しもんだよ」
私の目の前にいる彼は、嘘を吐いていた。
「嘘」
すると目の前の男は勢いよく笑い出した。
「よく分かっているじゃないか。ならば、次を聞かせてあげようかな。注意深く聞きなさい」
男はそう言って、私の目を真っ直ぐ見てきた。
「今しがた、しもんが死んだ」
「え…」
体の奥が冷たく縮こまる。
「もう一度言いなさい」
私の口は勝手に動いていた。
「しもんが死んだ」
気付けば、私は下を向いていて口呼吸をしていた。
情けなく、吐く息が大きく震えている。
「僕が握りつぶしたのだよ。原型をとどめないくらいに」
「もういい!!!」
「いや、良くない。大丈夫、次は彼を誉めるからさ」
男の白い歯が、視界の端に映りこんでくる。
「しもんの発想力は危険だ。私が不死身と分かっていても、想像を超えた攻撃は正直怖い。もしかしたら死んでしまうんじゃないかって」
男の笑い声が、私の心を侵食していく。
(しもんが死んだ)
男の、この嘘偽りの無い言葉。
何度も脳内で鳴り響いてしまう。
鳴り響く度に、心を弱らせる。
私の視界を、曇らせる。
「頃合いか」
その声が聞こえてきた瞬間、私の腹に衝撃が走った。
「うっ」
意図せず声が漏れ、私は膝から崩れ落ちる。
この感覚は記憶にあった。
みぞおちの痛み。
私はようやく、目の前の男を見ることができた。
「あ?何だその目は!!!強さを宿しやがってぇ!!!」
そう言って男が私を押し倒して、私の頬を何度も引っぱたいてきた。
私は咄嗟に顔を両腕で覆うが、男は握り拳に変え、私の両腕を何度も叩いてきた。
痛みで多少目は覚めたが、攻撃が来ると分かるとどうしても目を瞑ってしまう。
(目を瞑っちゃ駄目だ、避けるにも受けるにも、攻撃は最後まで見届けなくちゃ)
痛みの最中、金次郎の言葉が脳に浮かんできた。
私はうっすらと、左目だけを開けた。
「慌ててる?」
私の声が漏れ出ていたのか、男の手が一瞬止まった。
そして男は、私の両手首を乱暴に掴み、顔の前で閉じていた両腕を勢いよくこじ開けてきた。
男の目は、真っ赤に充血していた。
私はそれに気を取られ、腕の力が緩んだのか、男の両手が一瞬で手首から私の首へと移ってきた。
当然、男は躊躇いもなく私の首を絞めてくる。
死を思わせる苦しみが、一瞬で込み上げてくる。
(これはな高圧洗浄機って言うんだ)
ふと見えた私の中の記憶。
大きな機械に、ホースで繋がれたライフルのようなものを金次郎が持っていた。
(トリガーを引けば、勢いよく水が噴射される)
そう言って金次郎は、私にライフルのようなものを渡してきた。
(これでトラックを洗ってるんだ)
私は頷き、右手でトリガーを軽く引いてみた。
(え、固い)
(もしかしたらちょっと力が要るかな?)
金次郎の言葉に私は再び頷き、今度は両手で思い切りトリガーを引いた。
(わっ!!!)
あまりの水の勢いに、私の両腕が頭上に持ってかれる。
宙に舞った水が、私と金次郎に降りかかった。
金次郎は微笑んでいたのだが、近くにいたしもんは大きな声で笑っていた。
(馬鹿にして)
私は噴射口をしもんに向け、トリガーを右手だけで思い切り引いてみた。
感覚を覚えれば片手でも簡単ね。
(ちょ!いった!国語!!!)
逃げ惑うしもんを最後に、今度は私の首を絞めてくるしもんに切り替わった。
きっと走馬灯ね。
もっとましな走馬灯は無かったのかしら。
「え…」
走馬灯は終わった筈だが、私の右手にはある感覚がずっと残っていた。
私はゆっくりと、右手を見える位置まで上げた。
「あ…」
私の手には、高圧洗浄機のライフルのようなものが握られていた。
でもこれが、何だって言うの?
私は、しもんの姿で首を絞めてくる男に視線を戻した。
「ねぇ…教えてよ、しもん」
意識が遠のく中、男の笑みが深くなっていくのが分かった。
「そうだ!!!私はしもんだ!!!さぁ苦しめ!!!しねぇぇぇぇぇ!!!」
男がそう叫んだ次の瞬間だ。
私の右手にあったライフルのようなもののトリガーに、手応えが生じたのだ。
これは確か、高圧洗浄機の電源を入れたときの状態。
私は無意識に、ライフルのようなものの噴射口を男に向け、最後の力を振り絞って、トリガーを力いっぱい握った。
「ぎゃっ!!!」
何かが噴射した感覚とその声と共に、男の体が私から離れていった。
私は咳が止まらず、目には大量の涙を蓄えていたが、何とか男の人影を捉えることができた。
ライフルのようなものを手に持ったまま、その男の元へと歩み寄った。
しかし私は、目を疑った。
そこにあった人影が、全身真っ赤に見えたからだ。
「え?」
私は上を向いて深呼吸をし、息を整え、目を軽く擦った。
晴れた視界でもう一度、人影に視線を戻す。
「何これ」
私の目の前に転がっていたのは、全身が真っ赤に染まっていた人だった。
正体と何故真っ赤なのかはすぐに察しがつき、私は手に持っていたライフルのようなものを視線を移した。
トリガーの下辺りからホースが伸びているところは、金次郎が持っていたものと変わらないのだが、ホースの先に付いていたのは大きな機械ではなく、小さな球体だった。
その球体の中には、微かに赤い液体が残っていた。
きっと、これが赤い液体を噴射したのね。
私は赤く染まった男に視線を戻した。
「毒かしら、死んじゃった?」
私がライフルのようなもので突っつこうとしたそのときだ。
「きゃっ!!!」
突然、その男が垂直に跳ね上がったのだ。
そしてしばらくすると、赤い液体が男の中に染み込んでゆき、普段のしもんの色に戻っていった。
男の目が、ゆっくりと開く。
私は慌てて距離を取った。
男は上体を起こし、私の目を見てきた。
「国語?」
姿はしもんのままだったが、声色が先程とは明らかに違っていた。
私の緊張が少し緩んだことに気付き、すぐに引き締めた。
だって罠の可能性もあるから。
でも私には確かめる方法が一つだけある。
「あなたは誰?」
「え?」
男は戸惑っていた。
その戸惑いが、再び私の緊張を解そうとしてくる。
「えっと…しもんだよ。『諮問s』の」
気付けば私は走り出していて、男を力いっぱい抱き締めていた。
私としもんは抱き合ったまま、言葉を交わしていた。
何度かしもんはハグを解こうとしていたのだが、泣き顔を見られたくなかったから、私は抱き締める力を強くしてそれを拒否した。
でもしもんは私の鼻水をすする音で、私が泣いていたことに気付いていたと思う。
だからしもんは、ハグを解こうとするのを諦めて、私の頭を何度も撫でてくれた。
「みんなが待ってる」
私は黙って頷いた。
私としもんは抱き合ったまま立ち上がり、そして流れるように、しもんが私をお姫様抱っこしてくれた。
あまりに突然の出来事だったから、私の顔がしもんの肩から離れ、しもんと目が合ってしまった。
私の涙がさらに零れそうになる。
しもんは、優しく微笑んでいた。
「国語、行こう」
そう言ってしもんが走り出す。
しもんの視線の先には、トンネルの入り口のような形の黒い穴があった。
しもんはあっという間に黒い穴に辿り着き、跳んでその穴を抜けた。
空の青と山の緑、そしてすくむような高さが、私としもんを迎えてくれたのだった。
一日、いや一時間でもいいから、嘘を、嘘と知らないまま過ごしてみたい。
でも今は、そんな時間を永遠に望んでいる。
しもん…。
「僕は正真正銘、しもんだよ」
私の目の前にいる彼は、嘘を吐いていた。
「嘘」
すると目の前の男は勢いよく笑い出した。
「よく分かっているじゃないか。ならば、次を聞かせてあげようかな。注意深く聞きなさい」
男はそう言って、私の目を真っ直ぐ見てきた。
「今しがた、しもんが死んだ」
「え…」
体の奥が冷たく縮こまる。
「もう一度言いなさい」
私の口は勝手に動いていた。
「しもんが死んだ」
気付けば、私は下を向いていて口呼吸をしていた。
情けなく、吐く息が大きく震えている。
「僕が握りつぶしたのだよ。原型をとどめないくらいに」
「もういい!!!」
「いや、良くない。大丈夫、次は彼を誉めるからさ」
男の白い歯が、視界の端に映りこんでくる。
「しもんの発想力は危険だ。私が不死身と分かっていても、想像を超えた攻撃は正直怖い。もしかしたら死んでしまうんじゃないかって」
男の笑い声が、私の心を侵食していく。
(しもんが死んだ)
男の、この嘘偽りの無い言葉。
何度も脳内で鳴り響いてしまう。
鳴り響く度に、心を弱らせる。
私の視界を、曇らせる。
「頃合いか」
その声が聞こえてきた瞬間、私の腹に衝撃が走った。
「うっ」
意図せず声が漏れ、私は膝から崩れ落ちる。
この感覚は記憶にあった。
みぞおちの痛み。
私はようやく、目の前の男を見ることができた。
「あ?何だその目は!!!強さを宿しやがってぇ!!!」
そう言って男が私を押し倒して、私の頬を何度も引っぱたいてきた。
私は咄嗟に顔を両腕で覆うが、男は握り拳に変え、私の両腕を何度も叩いてきた。
痛みで多少目は覚めたが、攻撃が来ると分かるとどうしても目を瞑ってしまう。
(目を瞑っちゃ駄目だ、避けるにも受けるにも、攻撃は最後まで見届けなくちゃ)
痛みの最中、金次郎の言葉が脳に浮かんできた。
私はうっすらと、左目だけを開けた。
「慌ててる?」
私の声が漏れ出ていたのか、男の手が一瞬止まった。
そして男は、私の両手首を乱暴に掴み、顔の前で閉じていた両腕を勢いよくこじ開けてきた。
男の目は、真っ赤に充血していた。
私はそれに気を取られ、腕の力が緩んだのか、男の両手が一瞬で手首から私の首へと移ってきた。
当然、男は躊躇いもなく私の首を絞めてくる。
死を思わせる苦しみが、一瞬で込み上げてくる。
(これはな高圧洗浄機って言うんだ)
ふと見えた私の中の記憶。
大きな機械に、ホースで繋がれたライフルのようなものを金次郎が持っていた。
(トリガーを引けば、勢いよく水が噴射される)
そう言って金次郎は、私にライフルのようなものを渡してきた。
(これでトラックを洗ってるんだ)
私は頷き、右手でトリガーを軽く引いてみた。
(え、固い)
(もしかしたらちょっと力が要るかな?)
金次郎の言葉に私は再び頷き、今度は両手で思い切りトリガーを引いた。
(わっ!!!)
あまりの水の勢いに、私の両腕が頭上に持ってかれる。
宙に舞った水が、私と金次郎に降りかかった。
金次郎は微笑んでいたのだが、近くにいたしもんは大きな声で笑っていた。
(馬鹿にして)
私は噴射口をしもんに向け、トリガーを右手だけで思い切り引いてみた。
感覚を覚えれば片手でも簡単ね。
(ちょ!いった!国語!!!)
逃げ惑うしもんを最後に、今度は私の首を絞めてくるしもんに切り替わった。
きっと走馬灯ね。
もっとましな走馬灯は無かったのかしら。
「え…」
走馬灯は終わった筈だが、私の右手にはある感覚がずっと残っていた。
私はゆっくりと、右手を見える位置まで上げた。
「あ…」
私の手には、高圧洗浄機のライフルのようなものが握られていた。
でもこれが、何だって言うの?
私は、しもんの姿で首を絞めてくる男に視線を戻した。
「ねぇ…教えてよ、しもん」
意識が遠のく中、男の笑みが深くなっていくのが分かった。
「そうだ!!!私はしもんだ!!!さぁ苦しめ!!!しねぇぇぇぇぇ!!!」
男がそう叫んだ次の瞬間だ。
私の右手にあったライフルのようなもののトリガーに、手応えが生じたのだ。
これは確か、高圧洗浄機の電源を入れたときの状態。
私は無意識に、ライフルのようなものの噴射口を男に向け、最後の力を振り絞って、トリガーを力いっぱい握った。
「ぎゃっ!!!」
何かが噴射した感覚とその声と共に、男の体が私から離れていった。
私は咳が止まらず、目には大量の涙を蓄えていたが、何とか男の人影を捉えることができた。
ライフルのようなものを手に持ったまま、その男の元へと歩み寄った。
しかし私は、目を疑った。
そこにあった人影が、全身真っ赤に見えたからだ。
「え?」
私は上を向いて深呼吸をし、息を整え、目を軽く擦った。
晴れた視界でもう一度、人影に視線を戻す。
「何これ」
私の目の前に転がっていたのは、全身が真っ赤に染まっていた人だった。
正体と何故真っ赤なのかはすぐに察しがつき、私は手に持っていたライフルのようなものを視線を移した。
トリガーの下辺りからホースが伸びているところは、金次郎が持っていたものと変わらないのだが、ホースの先に付いていたのは大きな機械ではなく、小さな球体だった。
その球体の中には、微かに赤い液体が残っていた。
きっと、これが赤い液体を噴射したのね。
私は赤く染まった男に視線を戻した。
「毒かしら、死んじゃった?」
私がライフルのようなもので突っつこうとしたそのときだ。
「きゃっ!!!」
突然、その男が垂直に跳ね上がったのだ。
そしてしばらくすると、赤い液体が男の中に染み込んでゆき、普段のしもんの色に戻っていった。
男の目が、ゆっくりと開く。
私は慌てて距離を取った。
男は上体を起こし、私の目を見てきた。
「国語?」
姿はしもんのままだったが、声色が先程とは明らかに違っていた。
私の緊張が少し緩んだことに気付き、すぐに引き締めた。
だって罠の可能性もあるから。
でも私には確かめる方法が一つだけある。
「あなたは誰?」
「え?」
男は戸惑っていた。
その戸惑いが、再び私の緊張を解そうとしてくる。
「えっと…しもんだよ。『諮問s』の」
気付けば私は走り出していて、男を力いっぱい抱き締めていた。
私としもんは抱き合ったまま、言葉を交わしていた。
何度かしもんはハグを解こうとしていたのだが、泣き顔を見られたくなかったから、私は抱き締める力を強くしてそれを拒否した。
でもしもんは私の鼻水をすする音で、私が泣いていたことに気付いていたと思う。
だからしもんは、ハグを解こうとするのを諦めて、私の頭を何度も撫でてくれた。
「みんなが待ってる」
私は黙って頷いた。
私としもんは抱き合ったまま立ち上がり、そして流れるように、しもんが私をお姫様抱っこしてくれた。
あまりに突然の出来事だったから、私の顔がしもんの肩から離れ、しもんと目が合ってしまった。
私の涙がさらに零れそうになる。
しもんは、優しく微笑んでいた。
「国語、行こう」
そう言ってしもんが走り出す。
しもんの視線の先には、トンネルの入り口のような形の黒い穴があった。
しもんはあっという間に黒い穴に辿り着き、跳んでその穴を抜けた。
空の青と山の緑、そしてすくむような高さが、私としもんを迎えてくれたのだった。