第3話 僕と国語と金次郎

文字数 2,624文字

 満員電車。
 スーツ、私服、作業着。様々な格好をした男達が、電車に揺られている。
 車両の端には女が一人。セーラー服を着ていた。
 電車が激しく揺れ、男の群れが同じ方向に動く。
「来る」と、僕がそう思ったそのとき、女の冷めた声が聞こえてきた。
「あなたは、痴漢ですか?」
僕にとって、この質問は全く不自然ではなかった。しかし、僕以外の男達にとっては、そうではないみたいだった。
沈黙がしばらく続いたが、
「いいえ、違います」
 と、一人の男がそう言うと、他の男達も「私も違います」と矢継ぎ早に否定した。
 女は、否定した男達を一人一人目で追っていた。そして、男達の間を縫って、車両の真ん中に移動し、再び同じ質問をした。
「あなたは、痴漢ですか?」
 残りの乗客も、皆同じように「違う」と否定した。
「だってさ、しもん。ここにいる全員が痴漢だよ」
 そう言って女は、僕の元へ遣って来た。
 当然車内は、ざわつき始めた。
「そうか、盲点だったなー、道理で被害が全く減らないわけだ」
 僕が呆れたようにそう言うと、車両の貫通扉が開き、息を切らした大男が入ってきて、
「あと、一車両か。ここも?全員?」
 そう言って、僕を見てきた。
「そうだ。金次郎、報酬額をあげる。あと、国語も」
「へーい」
 金次郎は、貫通扉を閉め、あろうことか貫通扉のドアノブを複雑にねじり、首と指の関節を鳴らし始めた。
 僕の元へ遣って来た国語は、何かを感じたのか、僕の腕を強く抱きしめてきた。
「あの、ちょっといいですか」
 スーツを着た一人の男が挙手をして、発言した。そして手を下ろし、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを外しながら、金次郎に歩み寄った。
 男は、金次郎を見上げ、
「私は、この組織のリーダーです。あなたは今、他の車両の痴漢達を倒してきたようですが、残念ながら私ほど、武を極めた者など一人もいません。しかし課題も見つかりました。全員に稽古をしてあげないと…関節技のね!!!」
 そう言って男は、右手で金次郎の右手首を掴み、反時計回りに捻った。すると、金次郎の体も反時計回りに回転した。
「金次郎を回しやがった」
 或いは「大男を回しやがった」か。しかし、金次郎という男は、僕や皆にそう思わせる暇を与えなかった。
 金次郎は、天井の真下に足が到達した瞬間、思い切り天井を蹴り上げ、両手の平で着地した。
 男は、あまりの速さに反応できず、金次郎の手首から手を離すことができなかった。
 逆立ちしている金次郎と前屈姿勢の男。
 金次郎の動きに一切の無駄無し。
 滑らかに、そして流れるように足を男側に下ろし、そのまま男の首を両太ももで挟んだ。
 ほんの数秒で、男は倒れた。
 金次郎を回したんじゃない、金次郎自らが回ったんだ。それにしても、天井を蹴るなんて、身長百九十センチメートルだからできる芸当か。羨ましい。
 金次郎は、男の安否を確認せずに、次の対象を見渡した。
 関節技で倒された金次郎をリンチにしようとしていたのか、それとも、金次郎の技を見て白熱したのか、わからないが、車内にいた男達は皆、両拳を握り締めていた。だが、リーダーが倒されると、皆の握り拳の意味が、闘志から緊張へと変わったのが、すぐに見て取れた。
「人生初の全車両トレインジャック」
 その言葉を金次郎が発し、そして車内にいた痴漢達がもれなく全員伸されたこの件は、金次郎伝説の一つとして、永く、永く語り継がれるのであった。

 「お疲れ様です」
 僕は、コンビニの前で待っていた金次郎と国語に、茶封筒を一つずつ渡した。
「十万プラス十万で二十万」
 金次郎は、中身を確認し、国語は、中身を確認せずに、茶色の鞄へ茶封筒をしまった。
 基本給は、一回の諮問につき十万円だ。初めは、資金が無く、よく銀行に金を借りていたのだが、今は人材に恵まれ、依頼も多く来るようになったため、出し惜しみをしなくなった。
 理科も社会も勿論、優秀なのだが、この二人は主に諮問するだけの関係で、金次郎と国語のように、現場に連れて行く専門家もいる。それは、二人の能力に理由があるのだが、簡潔に言うと、金次郎は用心棒で、国語は嘘発見器である。
 二人とは、社会の紹介で出会った。
「よし、二十万確かに受け取った。そんじゃ今から俺、仕事だ」
 そう言って金次郎は、僕に茶封筒を掲げ、軽く会釈し、その場を去っていった。
「国語も?仕事か?」
 国語は、僕の目を真っ直ぐ見て、首を横に振った。
「ううん、今日は休み。しもんは?」
 再び僕の目を真っ直ぐ見る国語。
「僕も、依頼が来るまでは暇かな」
「そう…」
 国語はまだ、僕の目を見ていた。そして、
「事務所行きたい」
 と言って、少しだけ目を輝かせた。
「構わんが、何も無ぇぞ?」
 すると、国語はふふ、と笑った。
「またくだらないものを買ったんでしょ?」
「馬鹿野郎、見てから言いなさい」
 嘘とは、本当に便利なものだ。二人きりの緊張を一気に解きほぐしてくれる。
 僕と国語は、事務所へ向かった。他愛のない言葉を交わしながら。男女の、僕が思う適切な距離を保ちながら。

 事務所に戻り、国語をソファに座らせ、エアコンを点けた。そして僕は、ソファに座らず、デスクに向かい、引き出しの前に置いてあった物を持ち上げ、国語の元へ持っていった。
「国語、これが七輪だ」
「ふーん」
「何だ?嘘は吐いてないぞ?」
「知ってる」
「使いたいのか?」
「また理科が来たわけ?」
 僕は話せる、と思い、嬉しくなって、七輪を床に置いた。
「そうなんだよ!あいつ、また俺で実験しやがった」
「ふーん」
 反応がいまいちなのは、僕のような体質をもっていないからか。
 理科も理科だが、国語も中々分からない。しかし、国語のは、たまにだから、なんてことはない。今日は、そういう日なんだ、と割り切れば良いだけのこと。
 僕は、七輪で椎茸でも焼くか、と思い立ち、準備を始めると、事務所の扉が開いた。
 客だ。
「諮問sへようこそ。是非、お話を聞かせて下さい」
 僕は国語をデスクの椅子に座らせ、客をソファに座らせた。
 鉄瓶に水を張り、七輪の上にのせる。
「ね、風流でしょ?」と国語にアイコンタクト。
「はやく仕事なさい」と国語のアイコンタクト。
 僕は、急いでノートとペンと丸椅子を持って、客の向かい側に座った。
「では、依頼内容をお聞かせ下さい」
 すると、客は下唇を噛み、涙を溢し始めた。そして、
「子供達が危ない。助けてください」
 そう言って、顔を手で覆い、大きな声で泣いてしまった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み