第4話 僕と依頼者

文字数 3,105文字

 客である女は、二十代後半といったところか。髪の毛先が金色で、素人目でも分かるくらい、全体的に髪が痛んでいた。
 国語がいなかったら、どうなっていたことやら。
「大丈夫ですよー、大丈夫」
 国語はそう言って、女の背中をさすっていた。
 僕は、眺めるのみ。いや、女を、ではない。七輪の上に乗せた鉄瓶を、だ。
 口と注ぎ口から立ち昇る湯気。実に良い。
 僕は鉄瓶の取っ手にハンカチを巻き、女に訊いた。
「お茶と紅茶とコーヒー、どれがいいですか?」
 女は僕を見て、数秒の沈黙のあとに、
「紅茶で」と答えてくれた。
 三回目にしてやっと答えてくれた。
「落ち着きましたか?」
「いいえ」
 僕はとりあえず無視し、マグカップを取り出し、紅茶のティーバッグを入れ、お湯をゆっくりと注いでいった。
 紅茶の所作なんて、全くと言っていいほど心得ていないが、それでも鉄瓶で入れるだけで、一流の紅茶職人になった気分だ。
 ティーバッグをお湯に浸して数十秒。僕は天井を仰ぎ見ていた。
 それにしても甘えが過ぎる。
 諮問sの名が広く知れ渡り、依頼が増えた。勿論、嬉しいことではあるが、同時に依頼内容と依頼者の幅が大きく広がった。
 結果、こうなってしまう。悩みを抱え、涙を溢す依頼者に対し、何も出来ない僕。
 国語が諮問sに来てからは、率先して依頼者を慰めてくれたのだが、いつかは僕一人でやらないといけないのだ。
 初めは、純粋に国語に感謝した。
 泣いている依頼者全員を国語に任せよう、なんてことも思った。でも、国語が慰めていく度に、感謝の密度が少しずつ薄くなってしまっていた。
「これでは駄目だ」
 と思い。
「次は僕が」
 とも思った。
しかし、依頼者が泣くときは、決まって事務所に国語がいるのだ。
「一人でやらせてみたら?」
 僕の中にいる、とても小さな母親が国語に叫ぶが、国語には届かない。届く筈がない。
 国語がいなくなったらどうする?
「あ、まただ」
 毎回、この仮定に辿り着き、我に返る。何故なら、そんな時間は今、存在していないからだ。
 今は、国語がいる。
「甘ったれ坊主め、しもん」
 僕はそう呟き、マグカップからティーバッグを取り出した。
 マグカップとティーバッグは二つ用意した。一つは依頼者に、もう一つは、国語だ。
 感謝を込めてね。
 僕は、二つのマグカップを持ち、
「どうぞ」と言って、女と国語の前に置いた。
 国語は訝しげに僕を見ていたが、僕は構わず、女の前に座った。
「では、依頼内容をお聞かせ下さい」
 女は、紅茶を一口啜り、ゆっくりと口を開いた。
「子供達が危ない、校長を止めてください」

 あわよくば、湯の口当たりとか、香りの違いとかを言って欲しかったのだが、女はマグカップを机に置き、依頼内容の続きを話した。
「あたしには、七歳になる息子がいます。今、一年生は夏休みなんですが、息子は入院しています。校長のせいで」
「校長というのは、小学校の校長先生のことですよね?」
 すると女は、馬鹿を見るような目で、僕を見てきた。
「他に誰がいるんですか?」
「ですよねー、すみません。あ、どうぞ。話を続けて下さい」
 女は、眉間に深い皺を刻み、話を続けた。
「息子は、入学式当日に熱を出しました。でも、熱を出したのは、息子だけじゃなかったんです。入学生全員が熱を出したんです」
「ほう!」
 僕は慌てて口を手で覆う。二人の視線が冷たく刺さってきたからだ。
「あたし、思うの!絶対、校長が仕組んで、入学生全員に熱を出させたって!」
「ちなみに息子さんは、この町の病院で入院しているのですか?」
「うん、そうだよ」
「分かりました。それで、何故息子さんは入院することになったのでしょうか」
 僕がそう言うと、女は携帯電話を取り出し、操作してから僕に画面を見せてきた。
「夏休みに入る前に、入学式を執り行うという内容のメールが届いたの。私は、妙だと思ったんだけど、周りの皆は行くって言うし、愛する我が子の晴れの入学式。ママに見せたくて、携帯を持って私も入学式へ行った。でも、保護者は入れないって言われたの!変でしょ!?
 女は机を叩き、僕に迫ってきた。
「た、確かに妙です」
「それで、私達保護者は校内の待合室に案内され、終わるまで待って欲しいって」
 その間に、入学生に何かをして、熱を出させた?
「それで、どうなったのですか?」
 僕がそう訊くと、女の目はより険しくなった。
「体育館にいた全生徒が、熱中症になり、全生徒が病院に運ばれた。死者も出た」
「熱中症…か」
 夏ときて、体育館ときて、校長とくる。思い当たる原因は一つ。
「長話」
 女は、少しだけ眉間の皺を均してくれた。
「うん。驚きだよね。十時の開会の挨拶を昼の一時まで続けてたのよ。それも全員立たせて」
「なるほど。では、依頼内容にあった『校長を止めて』とは?」
「この入学式は何故か、三回に分けて行われるの!全員殺す気なのよ!最初は、警察が動いていたらしいけど、校長に罪は問えなかった。何で!?
 女は声を荒げ、また、机を叩いた。
 あぁ、マグカップ浮いてるじゃん。も、やめてよもう。
「警察は頼れない。だから、あなたに頼んだ。もうあなたしかいないの」
 僕しかいない、か。
 本当に?僕しかいない?
 僕は、その言葉に少しだけ疑問を抱いたが、ま、ありがたい話だ、断る理由もない。
「分かりました。依頼を引き受けましょう」
「お願いね!」
 女はそう言って、ぬるくなった紅茶を一気に飲み干し、事務所から出ていった。
 女が事務所を出るぎりぎりまで待ってみたが、女は結局、紅茶の感想を一言も残してくれなかった。

 もう腹いせに近い。それに比べたら十万円なんて安いものだ。
 僕は、女が帰った後、すぐに国語に茶封筒を渡した。
「女が言ってた嘘を教えて欲しい」
「しもんって、本当分かりやすいよね」
 そう言って国語は、さっき女がいた場所に座った。
「紅茶、美味しかったよ」
 世界一の大馬鹿者は、僕で決まりだ。
「そうか、まぁまぁまぁ、自信は無かったけどね。美味しいならいいか」と嘯いてしまったのだ。
 これには国語も、
「本当、分かりやすい」と笑う始末。
 僕は一つ咳払いをして、改めて国語に訊いた。
「で、女はどうだったんだ?」
「ん、一つ。一つ嘘を吐いていた」
「それは?」
「愛する我が子」
「おぉ、それは実に闇が深そうだ。早速明日、例の小学校へ行こうと思うのだが、来る?」
 僕がそう訊くと、国語は黙って頷いた。

 だが、勝負は一瞬だった。
 僕は、校長にアポを取り、驚くほどスムーズに、校長に会うことができた。
 白髪の七三分けに小太り眼鏡、第一印象はこんなとこだ。
 国語と校長室に入り、ソファに腰掛けるよう促され、自己紹介を受けた。確か『宗』と名乗っていたな。
 その次の瞬間だ。宗は名前を名乗り終えると、校長室から逃げ出したのだ。
 僕の中から大量の「何故」が湧きあがる。少しだけ宗に興味が湧いてしまったのだ。
 僕は、宗を追いかけた。
 宗は意外と足が速かった。
 学校の外に出る。
 宗は、ある踏切を渡る。
 僕も、同じ踏切を渡る。
 宗は、踏切を渡って、立ち止まる。
 僕の右半身に衝撃が走る。
 僕の記憶はそこで途切れてしまった。

 気付けば僕は、病院のベッドで寝ていた。
「そうか、電車に轢かれたんだな」
 すると、金次郎の笑い声が聞こえてきた。
「いたのか、金次郎。僕は見ての通り、体が動かないんだ」
 金次郎は、さらに大声で笑った。そして、
「電車じゃない。人のドロップキックだよ、しもん」
 そう言い放って、また笑いだした。
「え…」
 そう言って僕は、動かない筈だった体を動かし、掛け布団の端の冷たい部分を足で探り、そこへ静かに潜り込んだ。
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