第7話 僕と鬼と逃げる者

文字数 3,843文字

 ぐうの音も出ない。
「入学式を止めて欲しい?君ねぇ、私に我儘を聞いて欲しいなら、まず私の我儘から聞かないとね」
 一撃必殺の正論を振り下ろした宗校長。
 校長の正論は、まだ続く。
「子供じゃないんだからさぁ、一方通行は駄目でしょ」
「これは失礼致しました。では、宗校長の我儘とは」
 すると校長は、
「鬼ごっこで遊ぼうよ」
 そう言って口元だけで笑い、人差し指を真っ直ぐに立てた。
 不気味だ。しかし僕は、遊びと聞くと、どんな心情にも好奇心が勝ってしまう。
「あ、勿論、君たちが鬼ね」
 甘んじるさ。

 宗校長は既に逃げ始めていて、とうとう足音も聞こえなくなってきた。
「しもんちゃん、あの校長は死体に傷が残らないようにって言ってた。僕らを殺す前提で言葉を発していた」
 そう唐突に、道徳は僕に言ってきた。
「宗も、戦いのセンスがあるってことか?」
 僕がそう言うと、道徳は再び、小さく笑みを浮かべた。
「そんなことより道徳。歩きが走りに勝てるのか?」
「勝てるさ。何せ、ここは学校だ。道具には富んでいる」
 そう言って道徳は、辺りを見回しながら、プリペイド式携帯を操作していた。
「僕は、どうしようか」
「んー、そうだなぁ」
 そう言って道徳は、作戦の内容を耳打ちで僕に伝えた。
「へーい」と言って僕は、校長室の扉のドアノブに向かった。
「このままだと、あいつ死ぬけど」
 道徳がへらへらしながら僕に訊いてきた。
 道徳はさらに続ける。
「このままだと、僕があいつを殺すことになる。諮問sの依頼で初めて死人が出るよ?」
「それは、ちょっと考えているところだ」
「しもんちゃんなら、『殺さないで』は、ルール違反じゃないからね」
「殺しの対象じゃないからか?」
「そういうこと」
 道徳は変わらず、へらへらしていた。
「走るなよ。しもんちゃん」
「気を付ける」
 僕は息を大きく吸い、忍び足で校長室を出た。

 一人になった僕。しかしこれは、道徳の指示だから、きちんと職務を全うしている筈だ。
 僕はまず、職員室を探すことにした。あれはきっと職員室にある筈だ。
 僕は階段を上り、職員室を見つけた。そして、
「ビンゴ」
 刺股(さすまた)が、分かりやすい場所に飾ってあった。
 走るという武器には、遠く及ばないが、無いよりかはましだ。幾分、恐怖も和らぐし。
「よし」
 僕は、捜索を続けた。そして目当てのチョークを大量に見つけた。
「よし」
 僕はふと、両手首に付いているリングを見た。
 走ったら爆発、とは言っていたが、このリングがもし、速さを感知して爆発するとしたら、逃げる校長が目の前に現れても、ゆっくり手を動かして、タッチをしないといけないことになる。格闘なんてもってのほかだ。
 とにかく用心しなくては。あの校長のことだから、条件反射を上手く利用して、僕の手足を失くそうとしてくるかもしれないからな。

(しもんの手、好きだよ)

 早すぎる走馬灯か。何故か、あのときの国語の言葉を思い出してしまった。
「怖ぇよぉ……………あ!」
 そんなことより作戦だ。
 僕はチョークが入った箱を持てるだけ持ち、焦る気持ちを必死に抑え、歩いて体育館へと向かった。

 指示通りの追い込み漁。上出来じゃないか?
 僕は体育館で、バレーボールのときに使うネットを探し出し、ありったけを持ってきた。さらに、バレーボールやバスケットボールも、籠ごと全てを持ってきた。
 作戦はこうだ。
 まず廊下に、バスケットボール、バレーボールが入っていた籠を二つ並べて置く。これは通せんぼではなく、道を狭める為のもの。細い抜け道に宗校長を誘導し、行動を制限する。
 そして次の仕掛けで校長を止める。
 まばらに、バスケットボールとバレーボールを置くのだが、そのボールとボールの間に、チョークを寝かせて並べる。このチョークで転倒を狙うのだ。
 籠とボールで、チョークを上手く隠せば、第二の仕掛けは完成だ。
 そして最後の仕掛け。これは至ってシンプルなブービートラップだ。
 バレーのネットを捩り、脛の高さに合わせて、横一直線に張る。それを何本か取り付ければ、第三の仕掛けが完成。もっとも、メインは第二であって、この第三は、いわば保険のようなものである。
 追い込むのは勿論、僕だ。
 教室で待ち伏せをし、校長が仕掛けを前にした瞬間、教室から僕が飛び出し、校長を驚かせ走らせる。きっと全力疾走するに違いないから、転倒したらひとたまりもないだろう。
 僕はそんなことを考えながら、夢中で仕掛けを作り、試行錯誤を繰り返しながら、二時間ほどで完成させた。
 後は、校長が現れるのを待つのみ。
 しかし、校長は中々現れてくれなかった。

 あれから三時間くらいは経ったか。
 もしかして、道徳がもう捕まえたんじゃ、とそう思って教室を出ようとしたそのとき、
「何だこれは」
 という、宗校長の声が聞こえてきたのだ。
(来た!)
 待ちに待った瞬間。僕は、音を立てないよう慎重に、教室のドアをスライドさせた。
 確かに、宗校長。しかも、仕掛けの目の前に立っているじゃないか。
 今が機。
 僕は、急ぐ気持ちを必死に殺し、ゆっくりと宗校長の背後に移動した。そして、
「ダアアアァァァァァァァァ!!!!!!!!!」
 自然に出た一文字。僕は、思い切り叫べた。
 完璧な奇襲、ここから全てが始まる、
 そう思った。
 でも校長は、両肩を一瞬だけ上げ、後ろを振り向いた。だけ。
 校長は何故か、逃げなかった。
「え…」
 困惑する僕。だからなのか、僕は、刺股を握っていない右手で校長をタッチしようとしていた。
 ゆっくりと、ゆっくりと校長に右手を伸ばす。
 それを笑って見守る宗校長。
 あともう少しで、僕の掌が、校長に届く。
「よく眠れたよ」
 そう言って校長は、僕の右手首を掴み、次に左手首を掴んできたのだが、その際、親指で強く押され、痛みで刺股を落としてしまった。
「追加ルール。タッチは掌だけでね」
 今度は僕の耳元でそう囁き、僕のつま先を踏んで伸し掛かってきた。
 僕の後頭部に衝撃が走る。
 意識が一瞬飛び、目が覚めると、校長は股割りをして、僕の両手の甲を踏んでいた。
「年を取るとね、相撲を見てしまうんだよ」
 すると校長は、握り拳から中指を一本取り出し、
「指一本で、どれだけ人を苦しめられるかな」と言って、僕の右鎖骨と左鎖骨の間にある窪みに、中指を置いてきた。
 何て太い手首だ。
 校長の腕は、筋肉の山と谷がしっかりと刻まれていて、重力もあるのか、ぷりぷりの血管がいっぱい浮かんでいた。
「まず一回目」
 校長が中指に体重をかけてきた。
 吐きそうだ。息もできない。
「はい終わりー」
 のどちんこを掴んだときのような感覚が長く続いた。
 下を向きたい。いや、横でも良いや。
「なるべく傷は付けたくないんだ。質の良い死体が欲しくてね」
 ぼんやりとだが、校長の声が聞こえてくる。
「大きな力を得るには、多少の犠牲が必要だ」
 僕は目を閉じていたから、校長の様子が分からなかったが、校長の声はさらに続く。
「だけど子供は、質の良い死体って訳ではなかったみたい」
 僕は何も言わなかった。なのに、まるで会話をしているかのように校長はさらに話を続ける。
「僕、頑張ったのにさ。でも気付くこともあってね。やっぱり僕が一番だってこと。僕の遺伝子を継いだ子でも、女の遺伝子も混ざっているから、結果、出来が悪くなってしまう」
 校長は、不敵な笑い声を発した。
「ムフフ、二回目いくよー」
 あの苦しみがもう一度遣って来る、そう思うと僕はみっともなく叫んでしまった。
 しかしそれが、校長の機嫌を更に良くした。
「あー良い。この機嫌取りめ」
「そうだよ!鋭いね!しもん君!入学式に出席した子は全員我が子!」
 さっきよりも強く、深く中指を押し込んできた。
「腹が立つ。何故君のような小さな者が、僕に刃向かう」
 それが三回、四回、五回と続き、僕の意識はもう、途切れる寸前までいっていた。
「警察ですら僕を諦めたのに…あ、そうか。君にも見せればいいのか」
 校長は何か言っていたが、僕はふと、校長の奥に見えた天井が気になってしまった。
 何か紙が貼ってあったが、暗闇で当然見えない。
「ま、いいか。虫の息だし。はい、ろっかいめー。このまま死んでもらおうかね」
 校長がそう言ったそのときだ。学校の敷地内に、車が一台入ってきた。
「誰だ?」
 校長は、窓の外を見るが、僕は天井から目を離さなかった。
 窓から外は見えないのに、車が来た、と確信した理由。それはヘッドライトだ。
 車は、敷地内で動き続け、そしてある一瞬で、僕が見ていた天井を照らしてくれた。
(スプリンクラーを動かせ 道徳)
「………了解」
 天邪鬼でも、覚悟が決まれば、体は動くものだ。
 僕は、リングが付いた手首足首を高速で揺らした。
「何をしている?」
 校長は、少し焦っていた。
「逃がすかよ」
 僕は尻を持ち上げ、そのまま両足で校長の背後から腰を挟み、校長の腹の前で両足首を固く交差させた。そして両の手は、腕を真っ直ぐ天井に向かって伸ばし、手首を、同じく校長の腹の前で止めた。
 校長の焦りが増していくのが見て取れる。
 でも嫌だな。手足を失うのは。
 でもそうか。死を伴う戦いとはこういうことなんだ。
 等しく、僕にだって死の可能性が出てくる。
 けたたましいアラーム音が鳴り響く。
「後は頼んだぞ、道徳」
 自棄なのか本心なのか。それは僕にも分からない、が、その言葉を発した後、僕が見ている世界が一瞬、白く光り、そして一瞬で、記憶の糸が叩っ切られた。
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