第37話 決戦前

文字数 2,775文字

 全身が痺れる感覚に襲われ、僕は目が覚めた。
 そこは、小さな隙間から光が差し込む、見たこともない薄暗い空間だった。
 僕は急いで体を起こそうとするも、僕の体はどこも動かない。
「メガサメタカ」
 僕の視界の隅に座っていた、茶色くてどでかい人形が機械的な声を発した。
「うわ、喋った」
 すると人形は、何も言わず立ち上がり、いきなり僕の目の前で、床の板を外し始めた。
 人形が動く度に、黒い紐が揺れている。
 そしてその紐は、人形の頭部から僕へと伸びていた。
「僕は縛られているの?」
 辛うじて動かせるのは目と口だけ。
 今は、訊くことしかできない。
「あぁ、縛られている」
 しかし、僕の問いに答えてくれたのは、聞き覚えのある流暢な声だった。
 その声は、さらに続く。
「ついでに俺も、縛られている」
「金次郎か?」
「あぁそうだ」
 これはこれは。
 何と心強い。
「そんなことより、許せん」
 金次郎は、腹を立てているみたいだ。
「何がだ?」
「これ、俺のトラックなんだよ」
 そういえば…そうだな。
 この木製の床の傷みと銀色の壁の傷みは、見覚えがあった。
「金次郎、僕は今動けないんだ」
 すると、背後からもぞもぞと音が聞こえてきた。
「俺は、寝返りが打てるくらいだ」
 おそらく寝返りをやってみせてくれているのだろう。
「この黒い紐から電気が流れている」
「電気か…」
「荷台の床の板を剥がされるのも許せんが、こいつらの頭部にあるもう一本の黒い紐が、キャビンと繋がっているんだ」
 こいつらっていうことは、人形はもう一体いるのか。
「こいつらは、トラックの電気を使っているってことか」
 僕がそう発した次の瞬間だ。
 僕の頭の中にあったある記憶が、急に現れてきた。
 一瞬、それを言葉にしようか悩んだが、僕は言葉にすることに決めた。
「エーシーシー」
 これは『アクセサリー電源』のことだ。
 エンジンはかかっていないが、こいつらは電気を使えている。つまり、アクセサリー電源と連動しているということ。
 では何故僕は、それを言葉にしたのか。
 以前、金次郎のトラックのシガーソケットで携帯を充電していたことがあるのだが、金次郎がエンジンをかけた際、携帯の充電表示が一瞬消え、再び点灯するという出来事があったのだ。
 金次郎がそれを覚えていれば、このトラックにエンジンがかかったときに、黒い紐の電気が一瞬止まるということを伝えられる。
 ただ、危惧していたことは、その言葉の意味を、目の前にいる人形が理解してしまうことだった。
 だが人形は、黙々と作業を続けていた。
「あぁ」
 そして、金次郎の静かな返事だけが、僕の耳に真っ直ぐ届いたのだった。

 作業が終わったのだろう。
 荷台の床の板は綺麗に剥がされ、ちょうど人一人通れるくらいの四角い穴ができあがっていた。
「カハンシンヲケズル」
 人形が、完成した穴を確認し、キャビンがある方向へ歩き出したときに何度も呟いていた言葉だ。
 だが今は、その言葉に思いを巡らせているときではない。
 エーシーシーの終わりは近い。
 僕は、いつかやってくるであろうある瞬間に、全神経を注いでいた。
 きっと、金次郎も同じだ。
 人形の足音が止んだ。
 人形が、荷台の奥の壁に到達したのだろう。
 その壁の向こう側にはキャビンがあり、そして、その中に運転手がいる筈だ。
「カハンシンヲケズル」
 そう言って人形が、目の前にある壁を三回叩いた。
 すると次の瞬間、荷台が小刻みに揺れた。
 僕はありったけの力を全身に込めた。
 だが、僕を縛っていた黒い紐はびくともしなかった。
「金次郎」
「あぁ」
 金次郎の声が聞こえたあと、鉄を思い切り叩いたような音が二回鳴った。
「こいつら固ぇ」
 強いのかこいつら、とそう思っていた矢先、さらに大きくて高い音が二回、荷台に鳴り響く。
 それが静寂だと分かるまで、二、三秒程かかったが、気付けば僕は体を動かせるようになっていた。
「ナイスだ金次郎」
 そして、僕を縛っていた黒い紐が緩み始め、僕は完全に自由の身となった。
 僕は視線を背後に回し、目の前にいた金次郎を確認した。
「こいつら、鉄骨だよ」
 金次郎はそう言って、ある場所を指さした。
 その場所には、同じような人形が二体転がっており、もう一体は首が、もう一体は腰が、大きく捩じり曲がっていた。
「この力持ちが」
 そう言って僕が、金次郎の背中を叩こうとしたのだが、いきなりトラックが動き出し、僕と金次郎は後方に投げ出されてしまった。
 二人して、荷台の観音扉に頭をぶつける。
「半クラッチがまだまだだな」
 そう言って金次郎は、へへへと笑い、僕に手の平を向けてきた。
 僕は「そうだな」と言って、その手の平を思い切り引っぱたいてやった。

 トラックはしばらく走っていた。
 僕と金次郎は、鉄骨人形が空けた四角い穴を眺めていた。
 穴の中では、灰色や黒色のアスファルトが直線を描いて流れていた。
「カハンシンヲケズルってよ、金次郎」
 そう言って僕は、金次郎を見上げた。
 金次郎は少し、考えた素振りを見せ、
「まさか、道路で俺たちを削ろうとしたんじゃないか?」と答えた。
 僕は再び、穴の中を覗いた。
「多分だけど、次にトラックが止まった場所に『宗校長』がいる」
 金次郎は何も言わず、穴の中を覗いていた。
「大仕事だ。諮問だけじゃなく、一緒に闘って欲しい」
「いいぜ」
 金次郎が間髪入れずに答えてくれた。
「ありがとう」
 僕はそれしか言えず、会話がそこで止まった。
 すると金次郎が、
「今は休もう」と言って、荷物を固定する際に使用するラチェット式の『ラッシングベルト』を一本渡してきた。
 場が一気に和んだ気がした。
 僕と金次郎はそれぞれ、ラッシングベルトの両端にある金具を、荷台の側面に伸びている『ラッシングレール』に取り付けて輪っかを作り、その輪っかに体を入れて、ラッシングベルトの中心にある『バックル』のハンドルを握って左右に往復させた。
 ベルトがバックルに巻き取られ、体が締め付けられていく。
 即席のシートベルトだ。
 そして、僕は首を前に折って目を瞑った。
 ほんの数秒で、意識が深く沈んでいった。



 半クラッチが未熟なら、ブレーキも未熟だった。
 僕と金次郎は同時に目が覚め、すぐにラッシングベルトを外した。
 外の足音が、荷台の後方へと向かっていく。
 僕と金次郎は、そっと荷台の奥へと歩き、観音扉を向いて静かに走る姿勢を取った。
 観音扉が少し開く。
 僕と金次郎は一気に走り出し、同時に観音扉を思い切り蹴飛ばした。



 扉を開けようとしていた鉄骨人形が、転がっていく。



 僕は受け身を取りながら着地し、すぐに体勢を立て直した。



「え?」



 僕の目の前にいたのは、大きく見上げる程の巨人だった。



 十メートルはあるか。



「あ、しもん。言い忘れていた」



 何だね、金次郎君。



「宗校長、滅茶苦茶でかくなってるぞ」
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