西日本統合
文字数 496文字
中国・四国・九州をまとめる案があった。かれらは、東京や大阪など大都市部とは距離を持ちたかった。彼等にとっての日常とは、毎日のことではなく、一年のサイクルで出来上がっているものだったからだ。
とはいえ、中国地方は日本海側と瀬戸内側で険悪だった。四国は中国・九州と一緒にされたくないと反発した。九州は福岡・熊本・鹿児島の覇権争いに加え、本州との歴史的軋轢がある。
広島を中心に交渉が続いたが、最後まで抵抗したのは、出雲だった。出雲が出れば、高千穂も譲らない。そうなれば四国も対立する。広島の孤立は目に見えていた。
困った彼等が考え出したのが、出雲方式。本部は出雲に置くが、代表は出ず、事務方のみとした。こうして、毎年、各地方から出雲へ代表が集結することで、西日本支部が出来上がった。ただし岡山と兵庫は双方の希望で関西地区とされた。
西に比べ、東北連合はすぐに決まった。むしろ過疎による影響が深刻で、一番統合を望んでいた。そして、沖縄には今も支部がない。沖縄地区には日常マンがいないからだ。彼等にとっては、市民ひとりひとりがすでに日常マンであり、日々の日常を守る活動をしている。
とはいえ、中国地方は日本海側と瀬戸内側で険悪だった。四国は中国・九州と一緒にされたくないと反発した。九州は福岡・熊本・鹿児島の覇権争いに加え、本州との歴史的軋轢がある。
広島を中心に交渉が続いたが、最後まで抵抗したのは、出雲だった。出雲が出れば、高千穂も譲らない。そうなれば四国も対立する。広島の孤立は目に見えていた。
困った彼等が考え出したのが、出雲方式。本部は出雲に置くが、代表は出ず、事務方のみとした。こうして、毎年、各地方から出雲へ代表が集結することで、西日本支部が出来上がった。ただし岡山と兵庫は双方の希望で関西地区とされた。
西に比べ、東北連合はすぐに決まった。むしろ過疎による影響が深刻で、一番統合を望んでいた。そして、沖縄には今も支部がない。沖縄地区には日常マンがいないからだ。彼等にとっては、市民ひとりひとりがすでに日常マンであり、日々の日常を守る活動をしている。