子供だった頃の守り人・3

文字数 3,089文字

「なかなか帰って来ないと思ったら、新しくお茶を淹れてくれたのですね」
 司祭様はポットを受け取って、少女のカップへ注ぎ始めます。

「もう少し遅かったら、全部そのままで食べちゃうところでした」
 司祭様は、私のカップにも紅茶を。私、飲み終えてから離席したんでしたっけ? 

「あ、そうそう。あなたがなかなか帰って来ないので、冷めた紅茶は勝手ながら頂きました。冷めても美味しかったです」
 成る程、そうきましたか。無駄にするよりは……というか、むしろ新しく淹れたものを飲めるのは嬉しいものです。大方、少女を笑わせる為、私の紅茶を使って何かしらやったのでしょう。

「ほら、早く座って下さい。冷めちゃいますよ?」
 司祭様は、軽くなったポットをテーブルの上に置くと、椅子に座って焼き菓子に手を伸ばしました。さて、私も座りますかね。
 席につき、無意識のうちにジャム瓶を机の上へ置くと、司祭様は微笑みながらその瓶を掴みました。そして、片手に焼き菓子を持ったまま器用に蓋を開けました。

「最初は全体的に塗って染み込ませるんです」
 司祭様は私の手からスプーンを取ると、楽しそうに赤い色のジャムを掬いました。それから、掬ったジャムを焼き菓子に乗せると、スプーンの背でジャムを伸ばしていきます。そして、スプーン一杯のジャムが均一に塗られた時、司祭様は少女の目を見て微笑みました。

「それから、こぼれ無いようにもう一回」
 言いながらジャムを乗せると、使い終わったスプーンを瓶の上に乗せ、甘さを増した焼き菓子は少女の目の前へ差し出されます。すると、少女は焼き菓子を受け取って良いものかと目をしばたかせ、小さな手に力を込めました。

「先ずは、騙されたと思って食べて下さい。ちゃんと手は洗ってますから汚く無いですよ」
 少女の気持ちを知ってか、司祭様は自慢気に大きく頭を振りました。そして、開いている右手で少女の手をそっと掴むと、その手の平へ焼き菓子を乗せるのです。

 少女はと言うと、暫く渡された焼き菓子を見つめてから、その端に口を付けます。彼女は、前歯で小さく齧り取ると、甘い香りをたてる菓子を味わっていました。少女は、何の言葉も発しませんでしたが、微かに変わった目の輝きや頬の色からして、その味を気に入ったことが窺えます。

「どうです? 甘くて美味しいでしょう?」
 司祭様も同じことを感じた様で、他愛ない話を口にします。すると、少女は小さく頷き、ぎこちないながらも笑顔を見せました。

「このイチゴジャムもなかなかですが、マーマレードを付けても美味しいんですよね」
 司祭様は、少女の笑顔に安心したのか、明るい声で続けると、何故か私の顔を見つめてきます。その意図は、甘党な味覚への同意か、マーマレードを買ってこいということか。

「庭にオレンジの木を植えてありますし、作ってみませんか?」
 そちらでしたか。材料が有る分には、作った方が良いかも知れませんが、マーマレードに限らずジャムを作るのは手間です。ここは、さり気なく言葉を濁しますか。司祭様が作って下さるなら手伝いますよ……と。

「では、作る時は声をかけますよ。一人で煮込み続けるのは大変ですから」
 どうやら、司祭様は本気の様です。まあ、イチゴジャムにしても、言い出したのは司祭様でしたし。途中、抜けられない用事が出来て、調理師の誰かに託してしまったとか聞きましたが。とは言え、煮込むのを交代で見張る位なら良いですが。

 私が色々と考えていた頃、司祭様は少女を優しく見つめていました。少女は、既に先程のお菓子を食べ終えており、喉の渇きを潤す為か吹いて冷ましながら紅茶を飲んでいます。

「さて、到着された時よりは落ち着いた様ですし、そろそろ自己紹介といきましょうか」
 司祭様は、場合によっては武器にもなる極上の笑顔を浮かべ、静かに椅子から立ち上がりました。そして、口元に手をあてがって咳払いをすると、背筋を伸ばして口を開きます。

「私の名前は、エーレン。エーレン・ハイリヒカイト・キントハイムです。今は、教会付属孤児院の管理をしています。と、言っても……ずっと、孤児院に居られる訳でも無いのですが」
 聞き取りやすい様ゆっくり話すと、司祭様は恥ずかしそうに微笑みました。後半部分は、言葉だけなら不信感を抱く可能性が有りますが、司祭様独特の雰囲気が見事にそれを打ち消してしまうから不思議です。

 ふと気付くと、司祭様は着席しており、目線は私へ向けられていました。この意味は……やっぱり、私にも自己紹介をやれということですよね。司祭様がやったように、立ち上がって名前を言えば良いですかね。少女が孤児院に入るのなら、自己紹介は改めてやるのでしょうし。

「私の名前はアークです。宜しくお願いしますね」
 当たり障りの無い紹介をいたしましたし、軽くお辞儀をして、座りましょうか。二人の視線のせいか、立っていると、なんとなく恥ずかしいのです。私が恥ずかしさを隠す為に微笑んでいると、司祭様は大きく頷きながら手を叩いていました。

「さて、私達の紹介は終わりましたし、お名前だけでも教えて下さいな」
 司祭様は、目線を少女へと移し、柔らかな笑顔を浮かべています。少女は、小さく頷くとどこかぎこちない笑顔を浮かべ、私達がしたように立ち上がりました。そして、自らの名前を言おうと?

 様子がおかしいです。喋ろうと口を開いたようではありますが、一向に声は聞こえてこない。少女も困った顔をしていますし、不安そうに喉を触っています。まさかとは思いますが、声が出ない?

「無理はしないで下さい。喉の調子が悪いのなら仕方ないことです」
 司祭様もそれに気付いたのか、微笑み優しい声で話し出します。

「手続きの関係から、孤児院に入る際には健康診断を行っております。その時に治して貰えますよ、きっと」
 最後の一文は別にして、確かに健康診断は行っていますね。集団生活をする訳ですから、感染症に罹っていれば治さねばなりませんし。それに、体に不自然な傷が有れば……

「では、早速この子を病院に連れて行ってあげて下さい。ここの片付けは私がしておきますから」
 少女は微かに驚いた表情を浮かべます。それはそうですよね、いきなり病院にいくことになれば誰。

「病院に話はつけてありますし、小一時間もあれば終わりますから」
 ここで、司祭様お得意の笑顔。まあ、こうなることは予想していましたし、行きましょう。幸か不幸か、特に予定も御座いませんから。

 その提案を肯定すると、司祭様は嬉しそうに目を細めて立ち上がりました。

「では、お願い致しますね」
 軽く片目を瞑ると、司祭様は立ち上がり、ティーカップを一所に集め始めます。さて、私も立ち上がって行動を開始しましょうか。

「じゃあ、私達も行きましょう」
 言いながら少女へ手を差し伸べると、少女はおどおどしながら私の顔を見上げて頷きます。そんなに怯えなくても……とは思いますが、それより少女をこんな状態にした環境への怒りの方が大きいです。少女は、私の行動を待っているのか、無言のまま生気の無い眼差しを向けてきました。

 その身長は私より低く、双方が椅子から立ち上がることで見えるようになった脚は細く白くて。まるで、小さな衝撃でも壊れてしまいそうなくらい幼弱で。

「ゆっくり歩くので、着いてきて下さい」
 始めは、伸ばした手を掴んでくれたら……とも思いましたが、怯えた少女に無理させるのも無粋。ここは、様子を見ながら行動するのが無難です。何事においても、無理強いは道義に反します。私が歩き始めたら着いてきてくれましたし、それで良いですよね。
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登場人物紹介

ダーム
 
大体元気なショタっ子。

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