59 小さな語り合い
文字数 4,298文字
その日の夜。
水を飲みに起きたファクトは、男性寮の場内を見回っていたカウスに出会った。
「カウスさん、帰らないんですか?」
「あ、ファクト君。」
カウスがロビーにあるカフェコーナーを指す。この建物にはいくつか休憩所がある。ここはアーツのみんなのいる階で、おそらく寝入っている時間である。静かだ。
「今日は少し全体の様子を見てからにします。ちょっとそこに座りませんか?」
「消灯…」
「大丈夫です。教官が許します。」
そういうとカウスは自販機のお茶を買ってきて机に置く。
「他のが良かったですか?」
「あ、お茶でいいです。」
体が大きいのでソファーだとのめり込むように座るカウスを、うらやましいなと思う。男性ではカウスと数人の教官しか知らないが、リアルファーコックがいる。ちょっとドキドキだ。
「どうですか?ベガス。」
「…めっちゃ楽しいです。」
「どんなところが?」
「主に筋トレとか…剣術とか…クンフーとか…電気伝導とか…あと引っ越し手伝い…とか?この前教えて貰った銃操作も最高でした!」
なぜ筋力、ガテンワークしかない。ご両親である両博士に申し訳なく思うカウス。
「チコのこともびっくりしたでしょ。急に姉って。戸惑ってます?」
「……。どんな関係性かはショックを受けたけど…チコ自体は別に。いい人だと思うよ。」
プライベートなのか、普段はチコと呼び捨てにするのかな?とファクトは気が付いた。カウスは安心したように柔らかく笑った。
「チコのこと…。姉として大切に思ってあげてください。ずっと弟に会えるのを楽しみにしていたんです。」
「………」
「全然笑わない人だったんですけれど…笑ってもぎごちなくて。初めて嬉しそうに笑ったのが、アンタレスに弟がいるって話でした。」
「……俺は全然知りませんでした。」
「会ったことあるって言ってたけどな。」
ファクトは思い出してみるが全く記憶にない。
「…覚えてないです。小さかった頃かな?そこまで人の顔を覚えられないし。母がああいう風だから、父も黙っていたと思うし。」
「かもしれないですね。」
「カウスさんはなんでチコとアーツで仕事しているんですか?世話役なら誰かに任せてもいいと思うけれど。もっと合う仕事ありそうなのに。」
思い切って聞いてみた。
少し考えて口を開いた。
「ここだけの話にしてくださいね。」
顔を寄せるように手招きする。そして小声で言った。
「私の本職はチコ総長の護衛です。」
へ?
「護衛です。交代でしているので何人かいるけれど。なので総長のしたいことをお支えします。私は。」
へ?チコ、護衛要る?しかも何人も?
「なんで護衛なんて。」
…あ、そうか。族長の娘さんだからか。
「チコは…兄の大切な人だったんです。」
んん?それはどういう?好きだったってこと?
趣味思考が小学校中学年男子並みのファクトでも、それくらいは考えてみる。
「だから護衛も買って出ました。」
「兄は亡くなったんですけどね。軍人の兄が連れて来た時、男か女か年齢も分からなくて。兄はまじめな人だったから、しばらく親役になって大切にしていました。最初に会ったときは私たちの方が上官だったんです。それからしばらくの間チコがいなくなって、戻って来た時には私たちはチコに仕える立場になってしまいました。」
あーあ、という感じでカウスが言う。
なるほど。だから呼び捨てなのか。年下だろうしな。
あらゆる経緯がよく分からないが、ファクトはツッコまないことにした。リーブラやモアだったら、根掘り葉掘り聞いて朝になったいただろう。
「兄………、次期家長で長男のクセに最期に残した遺言が、どこの子とも知れない子『チコをよろしく』ですよ。父系家族社会のオミクロンでは衝撃で。多分余裕がなかったのだと思うけれど、それで私の祖父母親世代にチコはずいぶん恨まれていました。」
カウスは笑う。
どこの子とも知れない子って、妾の子とはいえ族長親族にひどい言い方だな。と高校生ファクトはちょっといやな気持になる。
「まあ、正式な遺言書は別に用意してあるのだけれど、母は泣いていました。祖母も伯母たちも泣いていたかな……。」
自分の母ミザルを思いだす。確かに最期の、おそらく戦地からの一言を親でも息子の妻子でもないチコに向けたら、チコはミザルに一生恨まれるだろう。なんとなく想像がつく。
「分かりました。何をしたらいいのか分からないけれど、がんばります!」
「ははは、とりあえず時々チコに会って、元気に育ってくれるだけでいいですよ。高校はちゃんと卒業してくださいね。」
「はい!」
「ファクト君ってつかみどころがないですね。」
「ファクトでいいですよ。それに、俺からしたらカウスさんの方がつかみどころがないですけど。みんなも言っていました。」
そういって席を立つと、ファクトは自室に戻っていく。
カウスは笑顔で見送った。
***
「それでね、こっちとしては儲けたいし、正直そういう事もできるんだけれど、時代的にそうもいかなくなってね。」
藤湾のフォーラム会場で、コンパラス経済クラブの大房会長が仕方なしに言う。
「前時代の計画がやっと形になって来たって感じですか?」
サルガスが資料に目を通して言う。
何の話かというと、要はどう世界を回すかという話だ。
世界は現在、連合国を中心として『半経済主義、半社会主義』の半経済社会を目指している。
前時代から分かっていたことではあるが、経済を回さなければ成り立たない世界は、平等の喪失という以前に資源環境面で限界を迎えていた。資本主義の最大の欠点。資本主義は自由経済という形の身分制度に過ぎず、格差は広がるしかない主義なのである。格差ゆえに教育に差も起こり、結局また環境問題に繋がる。
経済人は自分たちは蓄えていると言っても、地球全体から見れば、経済を回さなければ生きていけない自転車操業状態なのだ。
自転車操業をばかにしている人間もいるが、誰しもが地球に自転車操業を強いているのだ。
地球としてはいつも息切れパンク寸前状態である。
これまでの経営者や富豪たちは、この地球規模の危険に危機感を持っていなかった。
つまり、一時代、一分野を収める者としては優秀だったが、大きな歴史から見れば前時代の経済人たちの多くは非常に浅慮であった。数千億、数兆のお金を持っていても、自分たちの城しか守れなかったのだ。
そして、貧困層や低所得層が人口の大半を占めれば、最後に大変なのは結局自分たちだ。多少したいことをあきらめても、世界を均衡化していくことが前時代終盤の人間たちが行った政策だった。
ただし、まだ世界情勢として危険勢力が多かったため、絶対的有利な力も必要となる。その一環として連合国に前面に押して立てられたのが、SR社のニューロス部門でもある。
核の力は時代の変わり目で飽和していた。
そもそも核実験跡地の放射能処理も大きな課題となって、現時代の人を困らせていた。ニューロス、ロボット社会反対派、ロボットにも人権をというニューロス改革派も、なぜか核処理などのロボット導入には非を言わない。
囲いの中で我が先進国だという時代。誰もが誰かを足蹴にして生きていた前時代。どれももう成り立ちはしない。
小さな部落社会から始まって、クニ、国、大陸、世界…と来てもう完全グローバルに移行する今、これがある意味人類への
今は地球の最後の老年期なのだ。
ここでさらにへそ曲がりになるか、次の新生に向けて今までの概念を一新するか。
もう世界中が自分を囲いあっている時代ではなかったのだ。自分だけきれいな場所で、平等や保守を訴えるのもおかしなことであり、何より不可能なことだった。
なぜなら世界のあらゆる国境や境界は、人間の脳裏にしかないのだ。
自身のきれいさや正しい理屈は、誰かが泥道に浸かりながら、あなたを負ぶって歩いているのだから。
そんな事きれいごとだと言うのは、人間が数万年積み上げてきた思想や歴史自体が、実はほぼ必要なかったのかもしれないという発想をしたことがないからだ。
積みあがった人間の歴史を解するために、ものすごくややこしく書いてあり、多くが難解に解こうとするが、実は聖典に掛かれた真理はそういう単純なものだったりもする。
アンタレス新都市になるベガスミラは、それらを改革していく一連のことが実験しやすかった。
スラムの比較的安全な場所からプレゼン的初動スタート。
南海でミニモデルを実験。
その確立型モデルが、優秀な若者たちを集めたベガスミラだった。
初期から動いていたのは住宅。
アンタレス旧都市の質のいい建造物の基礎をそのまま住居にしていく計画。半行政管理で、一定の秩序を持てると判断された者が住民となれる。リモデリング、建造物の物質的人的管理と限界建造物の処分もそこに住む人々の仕事になる。
そして教育に関しては、高校までは完全無料。
年齢は関係なく受けられ、文化宗教民族の基礎教育を受けることを義務としている。他民族を排斥する者、無下に個人、自身の主義を強く他人に主張する者は、基本住民権が与えられない。移民の場合強制帰国にもなる。
大学もあり、大学も公営、半公営で優秀で所得の低い者、特別な条件の者は無料で受けられるし、多くは公益基金から運営費が出ていたり、大学自身で収益を上げているためそもそもの学費が高くない。
その中で、ただの均衡主義ではなく、実践結果に対する報酬など対価もなくさない世の中を目指している。多少の凸凹はできるが、バランスを取っていくのだ。
これらを拡大していけば、失敗もあるだろうし、モデルにはない多くの問題にもぶち当たるであろう。
その中に、ベガスミラで育った人材も送り込んでいく。
他の大陸や地域にも、既に第2第3のベガスミラとして予定され、人材を待っている国がたくさんあった。
経済人、有能な人間たちは、その能力をどう世界の均衡化に使えるかが大きな課題となっている。
この意識変換に前時代も含め、百年以上の月日が必要であった。
サイコスや霊性の発現時代まで、ほとんどの人類は均衡な世界というのを理解ができなかったからだ。頭で理解できても、日常の輪からは抜け出せなかった。
それを今、変えていく。
サルガスは、他に使えそうな地元の知人たちを思い浮かべた。サルガスは大房の一部に詳しい。とてもベガスには呼べない
大房の区長や自治会長とも話をしている。
分かったことは、見捨てられた地域にも、力の置き所次第でベガスミラと並べる力があるかもしれないという事だ。
タウも多分同じことを考えているだろう。大房以外の知り合いたちも頭に入れながら人選していった。