5 来るか?
文字数 3,804文字
「ファクト!!」
さらに締め上げられそうになる。
うグっ…。
「チコ!チコ!落ち着いて!死んじゃう。その子死んじゃうよ!」
周りも止めに入って、どうやらチコという名のブロンドお姉さんは腕を緩めてくれた。
緩めるとかそうでない、離してくれ。ヒビが入っていないか確認したい。しかも、あれだけ悪態をついていたムギの初の心配声が、女性に絞殺されそうだとは何とも言えない気分になる。絞殺?圧迫死?しかも首でもなく胴を締められ死とは。ラスも心配顔だ。
「ファクト…」
チコはファクトの両腕をつかんだまま、嬉しそうにまた名前を呼んだ。
もう訳が分からない。今日はなぜこんなにも女性率が高いのだ。一般人とは違いそうな人々ばかりの上、この抱擁はLOVEでもなさそうだ。今日1日で人生の女性運を全て使ってしまいそうな勢いである。結婚運だけ残しておいてくれ。
と、とにかくファクトは混乱している。
「あの…どちらで?」
微笑んで聞いてみる。チコはジーと考えて、にやりと笑った。
そしてファクトの頭をポンポン叩くと楽しそうに言った。
「いや、何でもない。」
なんでもない訳がない。
「いえ。人生で最大級に戸惑っているから教えてください。」
「いや、何でもないから。」
ファクトとしては、やっと腕を離してくれたものの、こんなに消化不良な話もない。
すると、ホテル側から走ってくる女性がいた。
「ファクトー!」
母ミザルだ。ファクトの携帯で位置を確認できるため、ここに気が付いたらしい。
「博士!」
ラスも振り向く。
ミザルは一直線にファクトの元に向かってくると、チコからすごい勢いで遠ざけた。
「何をしているの!」
「お久しぶりです。博士。」
知り合いなのか、チコは母に丁寧に挨拶をした。
しかし、ミザルは牽制する。
「ファクトに近づかないで。言ったでしょ!」
ファクトとラスがその反応に驚く。ミザルは完全に怒っていた。
「母さん…」
「黙ってなさい。」
自分の後ろに二人を下がらせると、チコに言い放った。
「関わらないでと言ったでしょ。」
チコは何でもない顔で返した。
「たまたま会って知っただけだ。」
「今日来るなんて聞いていなかったけど。」
「誘われたら行くだろ。ご丁寧にSR社から5回も連絡をいただいた。しかも最後は人まで遣わせて。」
それを聞いてミザルはため息をついた。
「普通に招待に応じればいいのに、突然正面玄関から来るとかどうかしてるの?」
「はあ…。まあいいわ。体調はどうなの?」
「大分いい。」
落ち着いたミザルは仕事の顔に変わった。
「無理をしないで何かあったらいつでも来なさい。そこは遠慮しなくていいから。」
そしてミザルはラスの方を向く。
「ラス、今日は何もお話ができなくてごめんなさい。ファクトとおいしい物を食べてきて。」
「…あ、はい。」
チコは場を悪くして申し訳なさそうに笑う。
「…ミザル。少しだけファクトと話したい。何か言いたいわけじゃない。ただ、元気だったかと…。」
ムギがハッとする。
ミザル?博士?もしかして…その子が…。
「…いいわ。一言だけなら。ファクト、彼女はチコ・ミルク。」
ミザルの了承でチコはもう一度ファクトの前に出た。
「今、何年生だ?」
「高2です。」
「大きくなったな。」
ファクトとしては、誰なのかもどこで出会ったのかも記憶にない。幼少期にかわいがってもらった人だろうか。幾つぐらいなのだろうか。落ち着いているので大人っぽいが、若くも見える。
ラスの方も見た。
「君もね。子供は成長が速いな。ファクトをよろしく。」
「…あ、はい!」
ラスはチコとミザルの間で目を泳がせて返事をする。
チコは背中を見せると歩き出し手を振った。
「じゃあな。」
「あ、はい。さようなら!」
ファクトとラスは慌てて礼をしながら返事をする。なぜか先生に対するような敬語になってしまった。いつも職員室で叱られているからではない、多分。
「さあ、もう行きなさい。私は戻るから。きちんと宿題をしてね。」
「うん。母さんもちゃんと寝るようにね。」
ミザルも背を向けて歩き出した。忙しいらしく、何度か振り向きながらもまたホテルに駆けて行った。
頭が整理できず二人で固まっていると、少し遠くまで行ってしまったチコがこっちを向いた。多分ミザルが去るのを待っていたのだろう。そしてクスっと笑って何か言っている。
―来るか?遊びに―
様々な雑音が一瞬消えて確かにそう聴こえた。
「?」
―『
「!」
自分が波長をとらえたのか、チコが何かをしたのか。
そうはっきり場所が示される。
―西区南海広場―
チコはもう一度こちらに大きくバイバイをすると、迎えのバイクや車に乗り込んで仲間たちと夜の喧騒に消えていった。
「…ファクト。よく分からないけど行こ。」
ラスが言うが自分の中でまだ整理ができない。
『ベガ』?ベガって言ったよな?何のことだ?
ここでその秘密に迫れば、少年の冒険が始まりそうなのだが、なんせ鷹でもトンビでもないジュウシー君のファクト。
「何食べに行く?」
ラスの一言でハッと我に返る。
「ウナギ行こう!ジャミナイとリゲルも呼んで!」
リゲルはジャミナイの親戚で、ジャミナイのようなキチガイさはないが、同じほど
この時代、ウナギは1人前
そして、集合。
ドン引きするラスを尻目に、ジャミナイ含む三人は特大を注文。
高校生&ジャンク屋の宴会は10万円を超えていた。
「ご両親の、研究所の、人類未踏の業績に祝杯を!」
ジャミナイのサイダーの乾杯で宴が始まる。
シリウスに会い興奮したラスの今日の感想や、ウナギ大喜びのジャミナイと盛り上がり、先ほどのことはすっかり忘れ今日を楽しく終えたファクトであった。
***
「シリウスご苦労だった。」
「シャプレー、あなたこそ。」
コロニーのように星の降り注ぐ大窓の下で、シリウスはまた空を見上げる。
「会長も喜んでいた。私はしばらくラボの方に戻ることになる。」
「ええ。」
「今日言っていた子…」
「ああ。ファクトだな。」
「ファクト…」
顔を思い出す。
なぜか彼は、自分を嫌悪した。そして、初めから人間でないと分かっていたようだ。
そのことはこの世界の膨大なデータの中にもなかった。
連合国国民は、出生から全ての情報を行政などで管理されている。
出生、家系と家族情報、遺伝子情報、保健、病院医療関係、教育課程…。シリウスがどこにでもアクセスできるわけではないが、ファクトの事はすぐに分かった。何せ心星博士夫婦の息子だ。
人間の思考も、所詮脳で処理される情報の収集だと言う人もいる。
だが実際に会った彼はデータ上のものとは全然違った。
経験しシリウスの中で処理される情報、きっと今度会ったときはその情報とも違うだろう。
思えばここにいる研究員もそうだ。昨日と今日、明日では違う。同じ人なのだけれど、まさにデータ上のその人物なのだけれど…画像があってもそこに映る姿すら感じることは違う。
もし人が意識やデータ上の世界で生きていけるなら、誰も苦しんだりしない。犯罪なんて犯したりしない。自己精神内やデータ上で満足すればいいだけだ。
むしろ体すら要らない。
食糧問題を解決するなら、新陳代謝の極力要らない体にしてしまえばいいのだ。例えば可能な限りメカニックに全て変えてしまい…感覚のデータや脳波だけ残して。
でも違った。違ったのだ。
体と精神、そして魂…霊性は大きく連動している。
人生の一瞬なら頭の中だけでも満足できるだろう。
でも、長く、いつかは老いる人生はそうもいかない。実体に積み上げたものがなければ、その先が立ち行かない。
この時代は、人間や物質の霊性が見える人もそれなりにいる。人間と動物や植物は持っている霊性や性質自体が違うと彼らは既に知っている。
あの子もそれを見たのだろうか?
でも、そうであっても、私がニューロスだとは見分けるのは難しいはず。
記録を見る限り、ファクトという少年も一般の子と大して違う生き方も特殊な訓練もしていない。エリート、秀才、天才、特殊技能。どの枠にも該当しない。少々不良な友達が多く、あのまじめな学校の中では心配されていることくらいだ。ミザルがそう育てたのか?
「ファクトに会ったことはミザルには言わないでくれ。ミザルが嫌がる。」
シャプレーが厄介事だというようにため息をついた。
「ええ。警備記録にしか残していません。」
迷い込んできたことだけで、誰と会ったのかも残していない。本来ならアンドロイドの変わった動向に記録は必須なのだが、ミザルはニューロスに関するあらゆる情報を知る権限を持っているため内々の内々にに収めた。
ファクトと会った部屋はプライベートルームのため、二重ドアの内側までは防犯カメラにも映っていない。
明日からまた忙しい日々が始める。
イベントの後簡単に体を整えてもらったから、本調整は明日にしてもらった。
他のニューロスと違って自分は疲れるようだ。「疲れる」という事が、「疲れる」という感覚として認識できる。おそらくとしか言えないが。
その疲れが、体なのか、心という情報なのかは分からないけれど。
シリウスは人間と同じようにベッドに横になり目を閉じた。
ニューロスはどんな夢を見るのか。
幾何学模様が延々と続く夢。平気だったのに今は怖い。
温かい夢を観たい。