31 武術解禁
文字数 3,978文字
それからの週明け。
大分疲れがきているが、ジェイ以外の脱退者はいない。
ただ布団の中で泣く者は何人かいた。
みんなそこは触れずにおいてあげたが、さすがに3日以上続くと誰かが慰める。
ヴァーゴが慰めると、さらに泣く奴もいた。
その泣き声にイライラして怒る者もいる。
精神か体が限界に来ているのか、放っておいても大丈夫なのか見極められないので、部屋の班長役はマリアスがカウスに報告はしておく。
個人面談をするものも何人かいた。
「みんな不安定ですね。」
サルガスがカウスに報告した。
「中だるみの前というか。生活がガラッと変わったから、心身ともにきている時期だと思います。」
「え?中だるみする余裕なんてないんすけど。」
みんな死にそうなのだろう。講義の時間眠る者も多い。
男子に対し女子は元気だ。少ない自由時間にベガスの女の子たちとも交流しているらしい。ハウメアに至っては、マリアスに頼んで追加トレーニングまで受けている。
なんだ、そのメンタル。
***
大房の昼過ぎのコンビニ。
外のゴミ収集場に、カートでリサイクルゴミを出しに来るジェイ。
「ようジェイ!」
「……あ、こんちは。」
そこに声を掛けてくる、このコンビニや飲食店アーツで時々見かける知り合いたち。会えばなんとなく一緒にダベっている奴らだ。
「お前、なんか分からないけれど、ボランティアとかやめたのか?」
「はあ、ボランティアじゃないっすけど。」
「お仕事訓練?ハハハハハ!」
馴れ馴れしく肩を組んでくる。
サルガスは多分こいつらには声を掛けていないが、話は広がっているのだろう。
「なんか分からないけれど、まじめそーな団体じゃん。戻ってきてよかった。みんな消えちゃうしさー。洗脳されたかと思った。」
よしよしと頭を叩かれてムカつく。
戻って瓶ゴミも取りに行く。
あいつらがまとわりついてうるさいから早く済ませたい。カートはいったん放置して、駆け足で瓶ゴミを取りに行く。そのまま素手で瓶が入った袋を2つ持ち、小走りで収集場に戻った。
そしてさっさと棄てて、「おい!」とかいうあいつらに軽くさよならをし、カートを持って店に戻る。今日は店長がいるので、奴らも中までは絡んでこないだろう。触られた頭が気持ち悪い。
この店の店長は性格があまり良くないのでバイトが離れやすい。
なので、自分が辞めてもすぐにまた受け入れてくれる。いつもはお金の出どころとしか思えない店長でも、今は少し頼もしく見えた。店長の口も悪いから、やっぱり奴らも店内に入ってこなかった。
ふと気が付く。
そういえば米40キロ袋に瓶が半分以上入った袋2つを運べた。今までだったら持ち上げられても運べはしなかっただろう。
ファクトは今週も大房に来るのだろうか。あれから毎週ここに顔を出す。
まだ昼間だけれど、少し気になった。
***
南海の午後。
久々にチコが現れた。
カウスも教官もいるし、初めて見る人もいる。
「5週間経ったな。先週応急処置、救命、非常事対応、危険物扱い義務も教えたし。…呼吸もできるようになったな。
なので新しいことを教える。」
一同静まり返る。
遂にほふく前進を7種に増やされるのか…。
みんなが息をのむ。
「武術を教える。」
「武術?!!」
一斉に声が出る。
「いったん素手の接近格闘術でいく。が、様子を見て変えていく。」
「そんなの教えてもらえるんですか?!」
「一般用に護身術メインにしたものだ。ただし、護身術以上のこともするから武術習得の登録はいる。既に技術を持っている者は、トレーナーと相談しろ。女子には空手の護身術を教える。」
げっそりする者と、ワクワク顔の差が激しい。
もちろんファクトは楽しそうだ。接近格闘術!自分のゲームキャラ、ファーコックがよりリアルになるだろう。これは期待しかない。
***
そして着々とスケジュールをこなし、1週間後。
またチコが来た。しかもさらに恐ろしいことを言い出す。
「次は銃器の扱い方と、簡単な剣術を教える。」
「おおおーーーーーーーーー!!!!」
練習場にどよめきが起こった。こんなに楽しいことがあるだろうか。
今までにない盛り上がりだ。
「その代わり習ったからと外で使うなよ。逮捕だからな。これも登録がいる。AC、BDチームに分かれて、日替わりでそれぞれの練習場に行け。一週間この日程がある。」
「Eは?」
「Eは自分が入りやすい方に好きに入っていい。見学だけでもいいからな。」
いつになくみんなそわそわ状態だ。
その夜、先発で銃の訓練に行った者によると、ベガスになぜ!というような立派な射撃場があったらしい。
しかも3時限目から、各種小銃、ライフル、機関銃、レーザーガンの基礎操作まで習う。
いいのか、おい。
本当にツッコみどころが分からない。
剣術の方は各種ナイフの使い方から木刀、棒術など学ぶ。俺たちは一体何になるんだ。
戦士か?勇者か?本当は徴兵されるのか?というような基礎を習った。
普通の銃のみであるが、休みの時も射撃場に行っていいらしい。許可する範囲でなら追加で練習もできる。道場も管理人がいる時なら練習しながら使っていい。ただし他の人の邪魔をしないようにとのこと。
この週に知ったが、リングのあるクラブもいくつかあるらしい。
興奮冷めやらぬ一週間であった。
***
ダダダ、ダン!
道場で回し四段蹴りをするのはムギだ。
キックミットが重くも爽やかに音を立てて弾む。
その後も、男相手に全くひるむことなく技を打ち込んでいく。
久しぶりに見たムギ。
格闘技の練習をしたいと思って来たファクト、キロン、ヴァーゴ数名は思わず見とれた。
というか、怖い。
一息ついたムギに姿勢を正す。
「ムギさーん。こんにちはー!」
営業的スマイルで挨拶だ。
しかしムギは少しこちらを見て無言で練習を再開するので、もう一度愛想笑いをしてみた。
「ムギさ~ん?」
もちろん無視だ。
「おい!金魚のフン!」
ヴァーゴが遠慮なく言うと、ムギがファクトの方を見た。
ヴァーゴよ、なぜ怒らせるようなことを言う。
「おい。ファクト、こっち来い。」
ムギが手招きする。
「練習相手になれ。」
「へ?フンって言ったのヴァーゴですけど。」
ザっ。
いきなりムギが懐に入って背負い投げで飛ばす。
「いいいっっっっ!!!」
ファクトは様々なスポーツ、スケボーやダンスをしているのでなんとなく受け身はできるが、危ないことこの上ない。でも、ムギが投げた先には運動用のマットがあり、沈んでうまく立ち上がれなかったもののその分衝撃はない。さっと床に戻る。
「ムカつくからお前でいい。」
「そんな理由ある?!!」
いきなりムギが肩を取ってくきた。
「ちょっ!ムギ、俺、基礎と護身術の初歩しか習ってないんだけど!」
「しゃべる余裕があるだろ!」
サッとかかわすが、何をしたらいいのか分からない。
「足が空いている!」
ムギがそう言って足を引っかける。持ち直し耳横にケリが入ろうとすが、サッと左で受けても体が軽く弾かれる。
もう一発入れてきたので今度はその右足を取ってやろうと思ったが、あれよあれよという間にクルクル床にねじ伏せられ、身動きできない。
「ダっ、うぐ…っ」
手を動かして、どうにかギブアップのサインを送る。
ムギは緩めて、ファクトを離した。
「すげー。」
とりあえず負けたようで周りは反応に困っていた。ムギの軽やかな技を褒めて、それ以上は言わない。呆気なく組み伏された男のプライドを傷つけるわけにもいかないのだ。
ムギの技は空手なのか何なのか。素早くよく回りテコンドーやクンフーっぽい動きでもある。すぐ終わってしまって分からないが、重さのないムギでもファクトは足を取ることができなかった。
道場にいた人々もムギの爽やかな技に拍手をし、ファクトにも声を掛ける。
「君も切れがいいな。始めたばかりなんだって?」
手を出して起こしてくれる。
「は、はあ…」
殺されるかと思った…。
シュンッ!
息を整えて起き上がろうとすると、顔のギリギリに拳を入れられる。
「は?ムギさん?」
終わったんだよね?
ムギは完全に怒って、
「昔、合気道もしていたんだろ?もっとできてもいいのに。とぼけた顔で何年も何をしていたんだ…。」
と吐き捨てた。
「そういえばしていたな。子供の頃!だから、スケボーとかすぐ受け身ができたのか!」
思い出して勝手に納得している。空手でもなく合気道にしたのは、これでエネルギーを使いつつ落ち着きが出ると思ったからだ。かくしてミザルや周りの大人の目的は外れた。
「でも顔面はやめてね。怖いから。」
「大丈夫だ。私の拳はそこまで威力がない。死にはしない」
死ななくても顔が曲がるだろと思う下町ズ。
「ムギはなんでそんなにもファクトが嫌いなんだ。」
ヴァーゴが呆れる。
「存在が気に障る。」
「え?ひどいな。ファクトいいやつだぜ。」
「そこまではっきり言うと清々しいな!嫌いじゃない。」
「まあ、イヤなこともあるだろうけれど、それは誰でも同じだし!」
「仲良くしてあげなよ。」
「良さ気な少年じゃないか!」
道場の皆さんも加わって、みんながささやかにフォローをした。
「ところでムギ。ムギはここでなんで仕事をしているの?何の仕事?いい加減教えてよ。」
先ほどのことなんてなかったように、調子が戻ってファクトは質問する。
全然精神的にダメージを受けていないファクトに、言葉もなくなるムギ。
「………。」
その事実に明らかにショックを受けていた。
「本当にバカだな。」
「え?何が?でも
周りからは無意味に温かい拍手が起こり、すごく嫌そうにムギは引く。
そう、ムギはこいつの鼻を本当にへし折ってやりたかったのだ。なのに全然応えていない。
周りはこの温度差に気が付き、今度はムギに同情する。
「ねえ?ムギは何してるの?護衛?警備?チコの補佐?趣味?」
ギッと睨むがこれ以上言っても無駄だと感じ、ムギはプリプリ怒りながら去っていった。