7 門答を始めよう 神様なぜ完璧人間を造らなかったのですか?
文字数 3,710文字
人類がその初期から、未だ解決できていない3つの問題を知っているだろうか。
一つ目は「人、物質への支配欲」
二つ目は「貧富の差」
三つ目は「性の
牧師やお坊さんたちがそんなことを言っていた。
一番の原因は『個々人の中』にあるそうな。きついことを言うが、人間一人一人の中にそういうものがあるのだ。
それで子供ファクトは言った。
「愛と、慈悲と、憐みの創造主は、なんで初めから救世主レベルに人間を作らなかったんですか?」
ある意味、世界の謎の核心である。
「全知全能なら、みんなメシア並みに立派に作ればよかったでしょ。はじめから救世なんていらないくらい、賢く英知のある人間は作れなかったんですか。戦争なんて考えられないくらい慈悲深くさ。
十字架は人間のそれが集約されたものだし、憎しみや反逆、痛みからしか救いも愛も訪れないなんて創造主の茶番です。」
聖典信仰では、敵すら愛し、人のために命を捧げた主の愛が綱領だからだ。
講堂でそれを言われて、怒り出す人もいれば、大笑いしてもっと話を急かす人もいた。
だってそうじゃないか。
超核心じゃん。
自分たちの主は、人類の罪ゆえに、全ての罪を許し、罪を負って死んでいった。
誰も怨まず。
言いたいことは分かる。子供でも誰かのために死を選ぶことがあるのだ。
それが愛の核心だという。
言いたいことは分かる。それほど愛は尊いのだ。
でも、いつまでもそれを真理であり宇宙の愛の根源だというのか?
それで言ってみる。
「一度誰かを堕とさなきゃ愛も理解できず、平和もできない世界が真理なら、永遠に本当の平安は来ないという事になります。憎しみや悲しみ、怒りがなければ、平和が来ないってことですよね。」
自分よりはるかに頭のいい信仰者たちが、過去に数万人数千万人数億人といただろうに、なぜそれに気が付かないのだ。
とくに牧師。牧師はおかしいのか?なぜ考えが及ばない。
いや、気付いていたのかもしれない。でも、自分のように怒りに晒され打ち消されたり、笑われてあしらわれてきたのだろう。
犠牲がなければ愛も理知も得ることができないなら、神の茶番でしかない。悲劇なんて作らなければいいのに。そっちに全能具合を全振りすればよかったのに。
「犠牲になった
そもそもなぜ悪人がいるのだ。最初からいい人だけにしておいてくれ。」
ブツブツ言っていると、今日の先生は笑っていた。
十字架の愛がどれほど尊かったのかは分かる。自分だったら超復讐劇にしたであろう。許すなんて言えるのも、甘ったれた人生、痛みも苦しみも知らないからだ。
けれど、犠牲の上にしか成り立たない平和。犠牲の上でしか知ることのない真実の愛。そんなの至高の慈悲であり、全知全能なる者の造る世界なのだろうか。
自分が神だったら少なくともそうはしない。まず、自分以上に頭がよく、性格もいい父ポラリス以上の人間を作るであろう。それか、あまり頭が良くない人類にしてずっと低空飛行をさせる。
……
低空飛行…。
ファクトは一旦考えこむと、…そんな世界つまらないな、と思い、それは打ち消した。これではAI貝君どころか丈夫な自転車すら作れないだろう。つまらなさすぎる。
でも、少なくともこの世界の『愛』は、完璧なものでもなく全く持って慈悲でもない。なぜ自分よりも頭のいい人間たちが数千年もそれに気が付かないのだ。
ただ不思議なことに、『全知全能』でありその前に『愛と慈悲』でもあるのだ。
その意味は深いが、「あれるほどの愛を経験したことのない者にはその意味は分からない」と前回牧師は言っていた。議論しているのに議論ではないらしい。あれるほどの愛は、胸が締め付けられるような、胸から泉のように愛があふれてあふれていてもたってもいられないほどのものらしい。そんな経験がないと、本当の愛は分からないのだ。
「その愛が、かつての聖人たちを動かしたんだよ」と。
同じほどの怨みもあるが、愛はその全てを包括すると。
何故なら神の本来の経路はその心によって世界に血管のように行き渡っているからだ。
ふ~ん。知らない。そんなもの。
ゲームで初めてファンタジーの世界に立った時のドキドキ感だろうか。やっと目標の魔法を覚えて無双する時みたいな気持ちよさだろうか。
それでもファクトは手を挙げる。
「人類が欠陥だらけで『全知全能』ってひどすぎます。前時代は地球の自然が壊滅前だったと聞きました。」
その時はまだやはり知らなかったので、「そもそも全知全能ってなんなんだ。あなたの作った人間が世界をぶっ壊しています」くらいの気持ちでいた。
でも、自分と一緒に語る牧師やお坊さんの多くに、超エリートが何人かいたのだ。そういう人たちが「全知全能」を語る意味もまだよく分かっていなかった。
「じゃあファクト。ファクトの中にはもっと崇高な存在はいるのか?」
「そうですね。もっとエネルギーにあふれ、もっと光り輝くものがあります。教会や寺にいるのより、相当でかくて温かいです。」
自信満々に言ったら牧師の答えはこうだった。
「なら、それが『創造主』、大いなるものなんだよ。」
牧師の語るものより、もっと大いなる力を想像して得意になっていた分おもしろくない。
「それよりももっと大きいです!」
「なら、それよりも…」
これを繰り返す。お互い疲れてしまいファクトはその反対を言ってみる。
「なら、めっちゃ小さいのもです。」
「なら『それ』すらも!」
「知っているだろ。あの話。孫悟空が釈迦を出し抜いてやったと思ったら…
それはまだ釈迦の…手の内だったんだ!」
牧師は笑った。
「越えたと思っても、越えたと思っても、ずっと手の内だったんだよ。」
その牧師は、愛や慈悲を想像も出来なかったり、世界は闇だと言う子供たちをたくさん見ていた。反応さえない子供たちも。そのせいか、ああいえばこういうファクトがおもしろくて仕方がなかった。
前時代と違って、この時代は一部の強い民族主義者以外は宗教も垣根がなくなりだいぶ開けていた。第六感が開けてから、似たもの、同じものを違う言ってと争っていたことを、肌で感じる人が多くなってきたからだ。
よくこんな感じで、教会やお寺で議論したが、話し相手になってくれる牧師やお坊さんたちは、だいたいこう最後には言った。
「ファクト。お前が想像してみるんだよ。
自分が愛と、慈悲と、全知全能の創造主だったらどんな世界を作りたいだろうか。
どんな風に作ってみるか。
今こうなってしまった世界を、どういう風に変えたいとかではない。それは後だ。
想像してみるんだ。空と大地を造るところからではない。
無から何を造ってみたい?『心』があるならどんな世界にしたい?」
んー?
「全知全能ならね、お前の想像をも越えるものがあったはずだよ。
君たち若者に託したいものがあったんだ。」
『無』とか言われると、今度は『無』の前には何があって、宇宙の外には何があってその外には…宇宙の前には何があって、その前には何があって…と延々帰れない永遠と幾何学的な世界に迷い込むので…
牧師さんたちへの回答に行きついたことはないのだった。
***
さあ、就活だ。
そうと決まれば話は速い。今日は日曜日。早速、西区南海広場に行くことにした。
その前に進学と言う項目があるのをすっ飛ばして、新しい世界に目覚めるファクト。この時は、大学という選択がすっぽり抜けていた。
一応誰かに連絡をしておくか。
スラム周りは危険だ。かといってラスは、母と同じ保守的な慎重派なので駄目である。
ジャンク屋ジャミナイはよっぱどおいしい話がなければ多分昼は出てこない…。
ジャミナイの名誉のために言っておくと、ウナギの後に彼は3万円出してくれた。断ると「高校生からこれだけの物をおごってもらうのは立場がなさすぎる。」とのことだ。親のご馳走だしいいのに。いつも超安値でいろいろ見てくれるから、本当のところウナギでも足りないくらいだとファクトは申し訳なく思う。
あの日の後に、食事代の清算で母ミザルから大目玉を食らったが、ジャミナイの3万円も出し、「シリウス発表の世紀のお祝い事」という事で許してもらった。母はお金は受け取らず、そのお金でまたみんなにご馳走しなさいと言いながらも、あまり下町の人間と関わらないようと釘を刺された。
というわけでファクトはこれからについて考える。
連れを決めるにしても…
リゲルかな?
リゲルは同級生。
この前のお披露目イベントは試験でいなかったが、ウナギは食いに来ていた。
学校ではラスと自分と3人で一緒にいることが多い。
リゲルも少し高校生離れしたごっつい男だ。スキンヘッドに近い髪は淡いピンクに染め、知らない女子から避けられることが多い。でも、人あたりもいいし授業もまじめに受けるタイプなので、関わった人たちには好かれている。
こいつがほどほどにテキトーな男なので、下町にも一緒に行く。ダンスやスケボーにもよくついて来てくれる。よし、リゲルにしよう。就活相談にもってこいの奴だ。
と、ファクトは脳内で締めくくる。
連絡をすると、ついて行きたいとのこと。
スラム近辺は危ないという事で、下町の大人たちに付き添ってもらうことになり、たまり場のレストランで集合することにした。