33 勇気
文字数 4,088文字
「えー。というわけで、紙資料で渡すのできちんと目を通すように。」
現在ここに集まっているのは、元経営者、経営者、自営業者、ベガスでの公務員希望の者、その他もろもろ。
ファクトも参加を希望する。アーツ以外の青年たちも何人かいて、薄い褐色の肌はユラス人だろう。
話すのは、ベガスの商工会長。
ベガスで仕事をしていく上で必要な話をしている。前回は統一アジアでの法律や決まりなど重要な部分だけ話した。今回は多様な文化への配慮、移住者地域であるベガスでの規則など。重要な部分だけ話して、後は読んどけという感じだ。
もちろんサルガスは参加。今日はリゲルも学校を休んでここに来ている。
意外なのはリーブラだ。仲良くなったファイとイータも一緒だ。
「リーブラ商売事に関心あるの?」
あまりの場違いさにファクトは遠慮なくツッコむ。
「ほら、ここ女性用の小物がバリエーション少ないでしょ。」
「へー。そうなの?」
そうなのか。気にしたこともなかった。
「ギリギリ生活はできるけれど、いろいろ少ないわけ。だから、ここでいろいろ売ったらいいんじゃないかって。」
「ふーん。」
「それで、ベガスの方にもすごくいい香油や天然の化粧水があって、ハンドクリームとかもいいのがいっぱいあるからさ。寮の子たちに見せてもらって。」
「ふーん。でも仮住宅だからそのうち皆引っ越すんじゃない?」
「あのねえ。そうはいっても、これからどんどん街を広げるし、ここにも新しい人が入ってくるんだよ。女はいろいろいるの!生理用品もいろいろいるし。下着も私のサイズがないの!こんなトレーニングしてるから、洗濯も多くて持って来た物で足りないの!ヘアケアだっていろいろいるし。ここで買うと消耗品なのに高いしね。」
「…女の人って大変なんだね。」
そんな話を高校生男子に力説されても困る。
「ちょっとファクト、結婚したら奥さんにそのくらいのこと気い利かせてあげなさいよ!」
男でよかったと思ったのに、女に気を遣いなさいと言われて、どちらにしても大変なんだなと思った。
ついでに言うと、移住者の中にはリーブラより胸や腰が豊満な女性はたくさんいる。ただ、身長や体格そのものが違う。ベガスにも通販は届くのでリーブラたちは利用できるが、着の身着のまま移住してきた人たちには通販の代理をするサービスや実店舗があったら便利であろう。きっと勝手が分からない買い物や商品も多い。
他にも商工会員含む3人1チームでベガス内各店舗を回り、店舗に条例違反はないか確認する仕事も学んだ。
***
ここに来て顕著になってきたことがある。
もともと声を掛けたり、ツィーの名を信頼して寄せ集めで来たメンバー。そして、プー太郎&フリーター。ほとんどはアーツの常連の面々だが、完全にいくつかのスタイルに分かれる。
派閥とかではない。
派閥を作るほどまとまりはない。
何が得意か、何をこなせるか、何がしたいかだ。
プロレベルに運動ができる者は、最初に与えられた筋トレでは全然足りなくて、早い段階で内容を組み直している。武術も基礎だけでなくかなり踏み込み、元公安や兵役をしていた熟練の中年青年たちに混ざっていいた。
逆に追いつけなくて、男子でも体格や状態に合わせて、接近格闘技から空手基礎に変えた者もいた。初歩ならハウメアに頼もうと思ったが、彼女自身はマリアスたちに学びたいという事で生徒に徹している。
ファクトは、この前ムギと組んだ時に会った、道場の青年やおっさんに仲間に入れてもらいトレーニングをしていた。ユラスの半分以上の国に徴兵制度があったため、軍にいた人も多いらしい。どうりでみんな体格がいいわけだ。その他西アジアも含め、昔から肉をよく食べ肉体労働が多かったのも体格がいい理由らしい。
せっかくなので合気道をもう一度きちんと習い直したかったが、ここには経験者も道場もない。
ムギはいくつか道場に通い、キックにはテコンドーも取り入れている。すごく身軽で跳躍力もあるので、たくさんの蹴りを覚えた方がいいという判断だ。大柄な者より打撃がどうしても軽いため、武道を組み合わせて使う事で素早くより重い蹴りを入れる。
では、あの流れるような組み技は何かと聞いたら「知らない」と言っていた。いろいろ習ったから分からないと。
何人かは空手に落ち着き、何人かはテコンドー。元々の基礎、筋力のある者はマリアスに接近格闘術を習う。ボクシングの場合、対人の練習は止められていて、固定されたサンドバッグやミットしか使えない。柔道も指導者がいないところでは禁止である。
見込みがありそうなメンバーはカウスから接近格闘術の指導を直接受けたが、ちょっと目がやばい時があったという。
…カウスさん、絶対に前職は世の一般職じゃない。
キロンは射撃場に通い、女子3人は射撃に加えてクロスボウもしている。ヴァーゴは基礎トレ以外は、南海の整備屋のところに通っていた。かの日のRⅡを思い出して泣けてくる。
そして、あの日を思い出すとファクトも1億7千万も思い出して切なくなるのであっった。
***
そんなある日の朝のことだ。
講堂中がざわめく。
「ジェイ?」
何事もなかったようにジェイが講堂前方の席に座っている。
そして隣には、おどおどし少し太った青年が姿勢を正して同じく座っている。少年にも見えるが青年だろう。学生だったら学校に行く時間だ。
「ジェイ!」
初めに入ってきたキロンの集団が声を掛ける。
「戻ったのか?!」
「…。いや、分からない。」
「分からない?!」
「チコさんにもカウスさんにも何も言っていない。」
「は?!」
タウも入ってきた。
「ジェイ?!お前…。ふざけんな!」
胸倉をつかむ。
「チコさんに何も言わずに出て行ったなら、出てけ!約束だろ!」
「おい、タウ。やめろよ!」
置手紙はしている。
一緒に来た友達は言葉もなく怯えている。
まさかジェイに、こんなマッチョでヤンキーで気が短い上に、陽キャっぽくって口の悪い知り合いがいるとは。あ、ジェイも口は悪いけれど。
「落ち着け。座れ、とりあえず。」
話を聞いて講堂に飛び込んできたサルガスが全員を座らせた。
ヴァーゴは今知る。
「ああ?!ジェイ??戻ってきたのか?!」
高身長で100キロぐらい持ち上げられそうな腕、極悪人面の男に友達はまたもやビビる。タウはまだギリ下町限定イエメン枠だが、ヴァーゴを中心に人相が悪すぎる3人。友達はアソコが縮んでしまう。一番ごっついのが一番弱いと知るのはもう少し先だ。
そこにファクトがやって来た。
「あれ?!ジェイ!来たの?おはよ!!」
「あ、おはよ…。」
「ファクト君!」
僕らの救世主ファクト君だ!と、友達は超安心する。
「ああ!君も来たんだ。」
「えーと…ラムダと言います!」
「ラムダ!そう、ラムダだ!」
この前自己紹介し合ったのにすっかり忘れていた。彼の名はラムダだ。
ファクトは何食わぬ顔で、嬉々と彼の横に着席した。
「朝は毎日各自で15分いろんな経典を読むんだよ。聖典とか。漢字が分かるならお経でもいいってさ。ベガスや他の地域の人と生活や仕事するなら読んでおいた方がいいし。エリスって講師が君たちもっと教養を育てないさってうるさくて。怪しい経典以外なら何でもいいって。黒魔法とかはだめだよ。」
あれこれ話すファクトに、ラムダはとりあえず頷く。黒魔法ってゲーム脳だねと、ツッコむ余裕もない。
「おい、ファクト、お前ジャマすんな。」
襟首をつかまれる。タウが言ったところで、カウスが講堂に入ってくるので、仕方なく一同また席に着いた。
ひいいい。ファクト君。あんなのに襟首をつかまれて、なぜキョトンとしている。自分なら漏らすよ。
教壇に立ったのは、長身で先の3人よりさらに分厚い筋肉を持った兵士のような男。
「起立!」
ジリが言うと、全員がザッと立つ。
「礼!」
ザッと同角度で腰を曲げ、
「直れ!」
で、ザッと腰を戻し、
「着席!」
で、ザッと座る。
さらにラムダは怯えた。
む、昔の任侠映画で見た光景だ…。怯えるしかない。
ただ、座った後の皆さまの姿勢は悪い。姿勢というか態度というか。
一番姿勢がいいのは、一番ヤバそうな目の前の講師だ。
「えーと、おはよう!」
しかも予想に反して、教壇に立ったお兄さんは明るく言った。
「今日の予定は…」
カウスが固まる。
「…。あれ?」
仏頂面の見知った顔が座っている。
「ジェイ君?」
目が合う。
後ろのタウは機嫌が悪そうだ。
「お久しぶりです。」
「あ、お久しぶり…。」
「戻ってきました!」
「はい…。」
「……」
「すみませんでした!戻らせて下さい!!」
ジェイは立ち上がって頭を下げた。室内に静寂が響く。
「えっと、あの…。」
そのまま頭を下げたままだ。
「ジェイ君、いったん、顔を上げて…」
それでも上げない。カウスは少し待つ。
「すみませんでした。いろいろ嫌だったんです。でも…、すみませんでした!」
「勝手に出て行ったらそのまま退場だろ。」
後ろの怖いお兄さんに、ラムダは身の置き所がない。
カウスは前髪をかき分ける。
「分かりました。ジェイ君、私の聖典を貸すので、そのまま読んでいてください。ただこういうことは、初めは必ずリーダーか私たちに伝えるように。一度、総長やエリス様とお話をしてきます。」
「はい…。ごめんなさい。」
「えっと、横の君は?」
「あの、その、ラムダと言います!ジェイの…保護者です!」
付き添いではなく保護者なのか。どう考えてもジェイと同じか年下に見える。
「じゃあ、ラムダ君はジェイ君かファクト君と一緒に読んでて。」
「あ、俺、今日は南無阿弥陀仏なんだけどいい?」
全く変わらない様子でファクトが声を掛ける。
「あのね。寝ちゃう人は音読しろってさ。でも眠いと音読しても寝ちゃうんだけどね。兄さんたち。」
「うん。」
「ガキじゃねーんだから一人で来いよ。」
先から怖いお兄さんの横の、これまた怖そうな男がチッとぼやく。
「……ひぇ…」
もう、ラムダは自分が脅されているかのように心臓が破裂しそうだ。居た堪れない。
これ以上ジェイを責めないでくれ。
ふと心配で横を見ると、ジェイは何も言わずに口だけゆがめる。
静まり返った講堂。
黙読も音読も自由だが、ジェイのすすり泣きが響いていた。