41 大陸の隙間、アクィラェ
文字数 3,653文字
その頃ムギは、アジア、ユラス、メンカルの3地域に挟まれた小さな山里の国、アクィラェに来ていた。
寒さに手がかじみ、久々のこの感覚に目を細める。ここを思うと、アンタレスは空気も柔らかく温かい。
あの頃、自分がこの地を離れるとは思ってもいなかった。兄弟たちも半分はここを離れたが、自分はこの山が好きだったから。
この国は歴史の間に忘れ去られた国。
人口も少数民族かと言えるほど少なく、『大陸の隙間』と言われ、西アジアとユラスに挟まれた山岳地帯。ユラス側は山脈を挟んでいるも、ちょうど山が開ける境目。ギュグニーから大陸南のメンカルまでの垂直地帯『アジアライン』の一部に属する。
人口が少ないのは少数民族というだけでなく、近代化と共に歴史の中で一定数は世界に分散していったからだ。
アクィラェはセイガ大陸のどの地域に属するかが、世界で延々と話し合われている。
近年、北メンカルの侵略にあい国際社会にささやかではあるが認知されてきた。アクィラェとしては世界最大の連合国国家群であるアジアへの加盟を望んでいる。ユラスはまだ不安定過ぎた。本当はどこに属すつもりもなかったが、アジアの後ろ盾がなければあらゆる面で存続が難しかったのだ。
アクィラェと本人の安全のため機密事項になっているが、メンカルの侵入時にアジアに助けを求めたのが当時まだ満9歳ほどのムギだった。
何の後ろ盾もない山岳の小さな農家を営む狩人の娘。
ムギは、族長と共にユラスを通じて西アジアから東アジアに伝達させ軍を間接的に動かした。望んだのはムギだが、実質ユラスがアジアに応援を頼んだという事になる。子供という身軽さを利用して国境を越え、最も信用できるユラスオミクロン軍駐屯地に嘆願に行く。アジア側はまだ溝が深すぎた。
彼女にあったのは、星を見分ける直感だけだ。
サイコスも霊性も大して分からない。
ただ、
涙か、喜びか、安心か、痛みか、残虐性か、公平性か。
そして、その痛みや涙の意味。言葉でない。感覚だ。
それが自分たちを救うのか、失わせるものなのか。
ただそれだけ。
それを見分ける力。
それが本能なのか、サイコスなのか霊性なのかも分からずに、ムギはセイガ大陸でひそかに動く。
当時アジアも含め、国境や地域境は誰が敵か味方かも分からなかった。アジアでもメンカルに近い勢力があったり、ユラスでも何が過激派で何が理性のある武装勢力なのかも見分けが難しかった。
端から見れば占いかというような感覚を信じさせるために、ムギはたった一人で奔走した。
――北のギュグニーが来る。逃げないといけない――
アジアのどこかから来た平和団体たちがそんなわけがないと反対して、移住をさせてもらえない。この民族のことなのに、彼らはなんなのだ。
どうにか彼らを欺き、振り切り、援助を乞い、非戦闘員総数500人以上を安全地域に移動させ、戦闘の終結を待った。そもそもアクィラェには軍というものもない。
あの時は必死で、自分のしたことが最善の道だったのかは分からない。
現在ムギはアジア住民権を持つ移民として連合国に登録されているだけで、データには何の特別な記録も残していない。
今も、故郷や我が家が復旧できるか見に来た一人にすぎなかった。
そして花を添えるために。
この地で亡くなった人々に向けて。
そこには団体職員のカウスの弟も入っていた。
優秀な兵士だった長男に続いて末っ子がなくなった時、カウスの母親や伯母はユラス地方にある軍本部まで押しかけて気が狂ったように叫んだ。チコはユラスの首相でも頭を下げる存在だったが、平手で何度も叩かれ、罵声を浴びた。チコたちもユラスや近隣国に貢献して、二人も息子を亡くした名家に言えることは何もなかった。
その後カウスは無理やり前線から降ろされ、アジアに移される。
アクィラェの死者はゼロ。ユラスやメンカルは民間人含め12人。
ムギや数人の現アクィラェ滞在者は、全員に向けて鮮やかで美しい花と、ユラスの兵が好きだったと教えてもらった食べ物を捧げた。
寒くなった風が胸を冷ましてくれる。
山の空気は天まで思いを届けてくれそうだった。
***
「それで、メンカル側があんな動きをしたのか。」
シェル・ローズ社(SR社)は軍隊ではないが、なぜか物騒な話が展開している。
シャプレーは資料に目を通し、呆れていた。
世でいうニューロス超反対派は、違う勢力に非常にうまく利用されていた。前衛派保守派を弱めるために、表やネットワーク上で他人を利用するよくある手だ。改革派や保守過激派もよくその手を使う。世の中は知らないが、利用していると思っている側が利用され、さらにさているという事はよくある。しかも4重、5重に。
シャプレーとしては誰が利用され、誰が利用していようがどうでもよかった。望む方向にさえ世界が向けば。
「この時代に武力で圧制しようなんて、アジアではユラス、メンカル、ギュグニーぐらいなものだと思ったが。そのユラスですら銃を収めつつあるのに。」
「予想の範囲内です。」
秘書のニューロスアンドロイド、スピカが分析そのままを口にする。紛争が世界アジアユラス以外にない訳ではないが、いまアジアは世界の中心地だ。
実のところ、こちらの半球はまだ理性勢力が多い。善しも悪しきも社会体制が著しく高かった。国際社会はこのモデルを元に、残りの大陸の平準社会構築を狙っている。
「結局は『ユラスの端』が鍵か。」
「ただ、あそこはどこにも属さず、どこにでも属す場所です。」
ムギの故郷、アクィラェのことではない。
『最後の隔離国家』と言われているユラスとアジアの間の不可侵国家『ギュグニー』だ。
そこが近年揺れ動いている。
表向きは連邦国家。どこにも属さないが、もともとはユラスとメンカルの融合する場所で、ギュグニーはややユラス側だった。いつの間にか、世間離れして追い詰められた勢力、無法状態の勢力が最後に固まって、自治が安定しない地域を占領し複数勢力が国を称した囲いを作った。決まった中心を持たず右往左往し、そのままそこは廃墟に近い場所となるが、国民を人質として67年。未だそれなりの力を誇っている。
都会の夜は明るく深い。
シャプレーが側近や客人2人、スピカと共にヘリに乗ろうと屋外に出た時だった。
小型の40、50センチ角の飛行ロボット十数台が、いきなり襲ってくる。
通称ビーというドローンのような羽根つきだ。風も合わせた2つの力で浮く。監視や通常運搬業務などに使われるが、攻撃型に改造されているようだ。ちなみに単純機の場合ドローンはロボットではなく、アナログ機種に分類されるので仲間ではない。
スピカは側近たちの前に出ると両手にソードを構えあっという間に目の前の物を打ち倒す。そのうち数台が小さく爆発する。
しかし、後ろからも数台出て来た。シャプレー1人なら守れるが、側近客人が3人いると動きが制限される。
側近たちが悲鳴を上げることもできない中、後方のビーも突撃してきた。
ひい!
その瞬間シャプレーが側近とビーの間に入り、飛んできたビーを野犬の首を掴むように取り、勢いのままもう1機にぶつけた。同じようにもう1機掴み、飛んできた別の1機にぶつける。どちらもぶつかるたびに小さく爆発音を立てる。
そして、他の1機は蹴って地面に叩きつけ、もう1機は手で地面に押しつぶした。
「ひいいい!」
客人がやっと声をあげる。
シャプレーは手に付いたすすを払い、スーツを整える。
あと数台、別の角度からビーが出て来た時だった。
出入り口からもう1人女性が出て来た。
「危ない!」
と客人が言った瞬間、
その女性とビーの間に円形の緑の光が出て、ビーがショートして落ちた。
女性は後から出て来た人員に、落ちたビーの処理をお願いする。
そして、シャプレーが打ち落とした…ではなく叩きつけた数台、スピカが切り落とした数台を見て呆れる。
「もったいない。回収すればよいのに。」
「相手も捨てるつもりだろう、大した機種ではない。」
「爆発させてしまうと分析がしにくくなります。残った機種にも搭載されていることを祈ります。」
シャプレーがつまらなそうに言った相手は、こちらも無表情な『カペラ』。シリウスに続き、スピカに並ぶ最高機ニューロスアンドロイドである。『判』のない特殊機種だ。
ここはホテルのヘリポート付近。街中だが広い敷地のため警備が全部には届いていない。敷地の端のため外から襲撃の準備ができたのだろう。ビーには接近者のみが怪我をするような、小型爆弾が仕込んであった。
「は、ははは…。」
腰を抜かす客人の手をスピカがとった。
シャプレーを狙ったのか。きちんとした組織ならビーごときでシャプレーに対抗できるとは思わないだろう。ただの牽制か、脅しか、本当に怪我でもさせるつもりだったのか。何かに煽られて一般人や小さな組織が奇襲を繰り返しているのかもしれない。カペラは警察に出す前に、ビーの情報を抜き取る。
素手でロボットを掴み投げたシャプレーを思い出し、客人は自分の手と何度か見比べて震えが止まらなかった。