(4)五翼の最後

文字数 12,968文字


路地裏の一件とほぼ同時刻
協会(ギルド)』総括支部2階――


「相変わらず居心地が悪いな――」

 先ほどまで腰掛けていた一階テーブルの固い椅子と違い、羽毛の生み出す弾力に尻が包み込まれるような感触を味わっているにも関わらず、トッドが苦い声で文句を垂れる。
 腕のいい石工に彫らせたであろう意匠の施された暖炉に美術品として飾られている優美な曲線を描く無地の花瓶。
 神話の一部をモチーフにしたらしい大判の絵画が壁の一面を飾っているのを初めて目にしたときは、訪れたすべての『探索者』がそうであったように感嘆――ではなく口を半開きにして大いに呆れ返った(・・・・・)ものだ(・・・)

 一体どこのお貴族様か、と――。

 とても荒事を主な生業とする者達が集う『協会(ギルド)』支部の一室とは到底思えぬ豪奢な造りと調度品の数々が、実は、例外的に訪れる上客(・・)を迎えるための気遣い(・・・)であることはトッドも知ってはいた。
 それはいまだに『協会(ギルド)』を“ならず者の集まり”と捉える世情に疎い者達(・・・・・・・)が存在しているからであり、その誤解が時に悲劇を生んできた歴史もあって、彼らの自尊心をほどよく満たす品格を持った応接室(・・・・・・・・・)が必要とされた経緯も、無論、トッドは十分理解している。
 だが、それとこれとは別というか。
 苦手なものは苦手なのである。
 脚を伸ばして寝られるほどの長椅子(ソファ)の中央でトッドはひとり所在なげにぽつんと腰掛け、その様子を見守っていた対面の一人掛け椅子に座る初老のご婦人が、呆れ混じりに嘆息を洩らす。

そこまで(・・・・)上り詰めておきながら、まぁだそんなこと云ってるお前もどうかと思うがね」

 小じわどころか大きい皺も目立ちはじめた年嵩とは裏腹に、まだまだ若々しい張りのある声で指摘をされ「そう云われてもな」トッドは頭の後ろで腕を組み、そのまま背もたれに上半身を預けて何とかリラックスしようと試みる。

「レベルが上がっても、生まれが変わるわけじゃないんだぜ?」
「ご尤も。ただ、その名言を口にする前に、そもそも“格上げ”の審査に“相応しい品格・節度”が求められることを思い出して欲しかったねえ」
「……」

 強烈な嫌味で返されて、にやけたまま表情を固めるトッドに「それにあんた――」老婦人がトドメの言葉を突きつける。

「まさか、そんな態度(・・・・・)を貴族の前でしてないだろーね?」
「ギク」
「この馬鹿もんがっ」

 やれやれと首を振る老婦人に「その話しは今度にしてよ、メリルさん」トッドがうんざりした顔で天井を見上げれば、ふいにピシリと膝を叩かれた。

「あ痛ぇ!!」
「何が“メリルさん”だね?! この(ばば)を舐めるンじゃないよ、トッド坊やっ」

 どこに隠し持っていたのやら、老婦人はトスカラの細枝を片手に、(まなじり)を決して睨み付けてくる。
 もちろん、新人の頃から知った仲だ、彼女が何について怒っているかを知りつつも、トッドがこれまで女に接し学び取ってきた女性観という名の一般常識が邪魔をする。

「いやだって、メリルさん(・・・・・)を“婆さん”と呼ぶわけにゃ――」
また(・・)!」

 ぴしり、と。

「あ痛っ……いや、ちょっとそれやめてくれよ?! 意外と痛いんだぜ、それ」
「意外なもんか、痛くしてやってる(・・・・・・・・)んだからね(・・・・・)!」

 ぴしり

()ぁ! 待て、今のは余計じゃね?!」
「文句を云いでないよ。あんたが私を小娘扱い(・・・・)するのがいけないんだろ? ここはありがたく婆の(ムチ)を受け取らんかいっ」

 最後は意地悪げに唇を歪めてみせるのを、トッドは「こりゃたまらん」と身軽に後ろへ宙返りして長椅子の背後に回り込む。
 そのまま野良猫のように警戒心剥き出しで、首だけひょっこり出して自分を覗き見る斥候職に老婦人は鼻を鳴らす。

「――ふん。相変わらずすばしっこい(・・・・・・)。まあ、腕は衰えてないようだね」
「はぁ? 一体何の真似だ――支部長さんよ(・・・・・・)

 そう。
 傍目(はため)には初老に届いたばかり、あるいはまだ四十代にしか見えない彼女だが、実は七十歳を超える大陸でも稀な高齢の『協会(ギルド)』支部長の肩書きを持つ。
 そのやせ細った体躯に荒くれ者もいる『探索者』達をどう御していけるのかと心配にもなってしまうが、トッドとのやりとりを見ての通り、『探索者』の調教に隙はない。
 ポイントはやはり見た目だろう。
 皆、そこに騙される。
 彼女が薄い唇を引き結んでいれば、穏やかな目元にいまだに艶やかできれいに(くしけず)られた銀の髪、背筋が伸びた姿勢とも相まって全体的に気品さを感じさせる。
 それ故、あまり接触のない新人達からは『慈母』のような目で見られているが、実績を積み上げ『二羽』に昇級し会話を交わす機会が増えてきたあたりから、己の未熟さ迂闊さに気付くのだ。

 人は見た目では分からない――と。

 それがベテランともなれば、支部長の当たり(・・・)が一切遠慮がなくなることもあり――ただ相対するだけでヘンな緊張を強いられるようになる。

「俺は『五翼』の連中がきれいに横並びで正座させ(・・・・)られていた(・・・・・)のを見たことがある――」

 という怪談話(?)は特に有名だ。
 そうしてみれば、トッドが先ほどから落ち着けない真の理由が別のトコロにあったと分かるのだが、不幸にもそれを誰かが教えてくれたことはなかったらしい。
 だが、彼女も厳しいばかりではない。
 あるいは厳しくても、そこにはきちんと意味がある。
 今回どういう理由か知らないが、試された(・・・・)と知って、トッドが肩から力を抜き、疲れたような顔を見せれば、眼を細める老婦人――本人の意志を尊重すれば老婆――が案じるような面差しでいることにようやく気付く。
 それが本題であったろう、老婆はこれまでと異なりひどく真剣な声で語りかけてきた。

「……何があったんだい?」
「何って?」
「お城からへんな噂(・・・・)が私の耳に届いてね」

(――どーいう情報網だよ)

 辛うじて表情は動かさなかったはずだ。
 だが、あまりに核心を突きすぎる言葉を、見事に意表を突くタイミングで放たれれば、さすがのトッドも一瞬思考を停止させ、思わず沈黙を生み出してしまう。
 それが悪手と頭では分かっていても。

「……ったく、“お城の噂”と俺に何の関係があるってんだよ。第一、俺はついさっき帰ってきたばっかなんだけど?」
「最後の台詞は“言い訳”っぽいね。わざわざ云う必要があったかい?」
「うっわ、ずいぶんと攻めてくんな……」

 思い切り嫌そうな顔をして、トッドは「たまらんな」と頬を掻く。

「そんなヘンな疑いを持たれちゃ、言い訳もしたくなるだろ? あんたにかかっちゃ、みんな素人同然、俺だっておたつくぜ(・・・・・)

 内心ドギマギさせながら、トッドは『白羽級』の経験を総動員して平静さを保とうと努力する。それをどこまで見透かしているのか、その成長をこれまで見守り続けてきた老支部長は、孫でも案じるような眼を向けたまま、小さくため息をついた。

「そうかい……。お前さん達が関わってないなら、それでいい。キナ臭い話しだ、できれば『協会(あたしら)』も距離を置きたいからね」
「そうしとけ。何か知らんが、ヤバい話しに近寄らないのが賢い渡世術ってもんさ……ちなみにどんな話しか聞いても?」
「あ? 距離を置く、と云わなかったかい」

 ひゅんとトスカラの細枝をしならせる老支部長に、「云った、確かに云った!」と両掌を押し出してトッドが懸命に制止する。
 これまで危険生物の毒牙や怪物の猛撃を受け、耐えてきた『探索者』が、やせ細った老婆の振るう小枝に怯えているのだから、何とも奇妙な光景だ。
 躾の厳しい祖母に悪さばかりの孫といったやりとりの後、何気ない感じで老支部長が話題を変える。

「それで。他の連中はどうしたね?」
「死んだよ」
「そうかい」

 実にあっさりと。
 まるで手近にある物を取ってと頼まれ、「はいよ」と手渡すくらいの自然なやりとりで、トッドは事実のみを端的に報告し、老婆は自然と受け入れた。
 その後、しばらく続いた沈黙は、重苦しくもなければ哀しみに湿ることもなく。
 ただ、不思議なほど平素と変わらぬ自然体で互いに向き合っていただけである。
 トッドから語りかけることも支部長が何かを受け止めるような素振りもなく、ただ波風立てることなく自然と刻が流れただけであった。

「あいつらは大丈夫かね(・・・・・)……」

 それが死した者の魂を案じてのものと気づいて、トッドは心配ないと応じる。

「ああ。やりきった(・・・・・)。死ぬってのに、これまでで一番イイ顔していたぜ」

 その返事に確信という名の裏付けからくる、かぎりない誠意をたっぷりと込めて。
 どこか羨望すら滲ませるトッドの瞳を老支部長はどう受け止めたのか。少なくとも、その瞳に『五翼』の最後がしっかと焼き付けられていることだけは、気付いたはずであった。

         *****

「お前ってやつは――ルルン!!」

 前衛に立つべき戦士が勝手に退いたことよりも、他の誰もが対応できぬ絶体絶命の窮地を、彼の思わぬ機転で救われたことにトッドは驚愕し、得も言われぬ感動に震えてしまっていた。
 だが、そんな仲間の称賛を当人はさらりと聞き流す。

「……エルネ様を連れていくんだ、トッド」
「それより怪我を見せろ。お前が戻らねえとゼオール達じゃ凌ぎきれないぜ」

 得られたのは良い結果ばかりじゃない。
 慌てて駆け寄っていくトッドに「聞いてくれ」と金髪の戦士は懐に抱いた少女のみを優しく立たせながら仲間に願う。

「エンセイ殿とお前がいれば、何とかできる。俺たちが足止めしている間に、エルネ様を連れてこの場を離れるんだ」
「冗談じゃねえ、それじゃ戦力が半減するだろ?!」

 今や遺跡の奥で出没するような『巨人族』に大蜘蛛が複数入り乱れる狂騒の場と化している。例え公国トップクラスのパーティといえど、制するのが困難な状況でさらに人数を別けるなど、正気の沙汰とは思えない。
 トッドの叫びに近い抗議は当然であったが、しかし、班長であるルルンはすでに取るべき行動を決定していた。
 だからなのであろう。
 少し身体を震わせながらも流れるように片膝立ちの姿勢を取り、頭ひとつ高くなった少女をルルンが恭しく見上げる。
 そして『探索者』としての己とこの国で最高位に身を置く相手との絶対的な身分差を承知しているからこそなのか、それとも――まるで剣を捧げる騎士のごとく、白き鎧の胸に拳をあてがい、澄み切った声でしっかと告げた。

「……先をお急ぎください、エルネ様。後塵の払いは我ら『五翼』にお任せを」
「ですが――」

 口にしかけた言葉を、だが、少女はすぐに呑み込んだ。
 代わりに、軽く目を閉じいくばくか――己の裡で某かの折り合いをつけたのだろう――すぐに目を開くや別れを告げた。

「ご武運を――ルルン殿」

 その短い言葉にかぎりない敬意と感謝を込めて。
 同時に、それしか今の自分にできることがない悔しさを窺わせながら。
 だが感慨に浸っている余裕はない。
 すぐにルルンから視線を外すと、少女は躊躇なく背を向け、素早く歩き出していた。その背を「エンセイ殿!」ルルンに呼ばれた老剣士が即座に状況を察して、足早に追いかけはじめる。

「さあ、トッド――」

 拒否を許さぬ力強いその声に、もはや抗う気持ちなどトッドにはなく。

「分かったから、せめて傷を――」

 慌てふためきつつトッドが腰のポーチに手を突っ込むのも構わずに、ルルンはゆっくりと『深緑の(フォレスト・)巨人(ジャイアント)』の方へ――トッドに対し背を向ける。そこで初めて気がついた。
 同時に、すべてに合点がいく。

「お前、それ(・・)――」

 トッドが思わず絶句したのも無理はない。
 銀色の微光を放つ白き胸当て鎧(ブレスト・メイル)では守られぬ腰のあたりに大きく抉られた傷があり、そこから止めどもなく血が流れ落ちているのを目にすれば。
 “公女の窮地”を救うにはそれだけの代償が必要だとでもいうのか、脈打つように流れ出る血の多さにトッドは知らず唇を震わせる。

 長くはもたない――

 すぐさま止血し、高レベルの自分達だからこそ持っている秘蔵の薬瓶(ポーション)を使わねば手遅れになる。
 いや正直、助かる見込みは限りなく薄い。
 治療の術士がおらず、必然的に応急手当の腕が上がったトッドだが、こんなもの(・・・・・)を何とかできる自信などあるはずがない。
 それでも今すぐ安静にさせなければ、どれほど小さくとも助かる可能性すら奪われることになるのは誰の目にも明らかだ。

「ルルン――」
「しっかりしろ。どこにそんな余裕がある?」

 仲間の云わんとすることを、その声のみで感じ取ったのか、逆に叱咤してくるその冷静振りにトッドは感嘆を禁じ得ない。無論――

 分かってるとも。
 でも、だから見捨てろ(・・・・・・・)と?
 職業柄、世の中を(はす)に見るようになり性根も曲がっちまった俺だとて、幼馴染み(・・・・)を見殺しにするほど腐ったわけじゃないっ。

 トッドが憤りさえ感じる中、ルルンの背越しに、鉄球を振り翳した仲間が巨人の一撃で吹き飛ばされたのが目に映る。同時にざわりとルルンの金髪が怒りに揺らめくのも。

 ――くそったれがっ

 あまりに最悪のタイミング。
 戦線を支えていた一画が崩れたことで、ルルンの見立てを覆す材料が失われたと知り、トッドは悔しげに歯噛みする。
 もはや絶望的な一択。
 なぜに今日、こんなところで、運命の女神は仲間の命を欲するというのか。
 公国至上の『銀翼級』に到達した者ならば、もっと相応しき場が用意されるものではないのか?

(こいつは絶体、“英雄”と呼ばれる者に成り得たはずなのにっ)

 人々に称賛され、祝福されて永く冒険譚が語り継がれる存在に。あわよくば自分もその末席に、名を残せる栄誉を(あずか)りながら。
 なのに。
 思わず胸が苦しくなるトッドにルルンの言葉が耳に届く。

「“姫を守る白馬の騎士になる”」
「?」
俺は(・・)、姫を守る白馬の騎士になる――」

 それは駆け出しの頃から、ルルンが口癖のように話していた夢だ。
 はじめは着の身着のまま、二人で村を抜け出した道の途中で。
 あるいは見習い試験に二度も落ちて『探索者』を目指すのを諦めかけたときや魔術師結社の虜囚となって処刑されかけたときなど、ルルンはいつも夢を口にして、己を奮い立たせてきた。
 それだけでなく、安宿の狭い小部屋で、場末の酒場の片隅で……明日の天気を話すように気軽に口にしていたこともある。
 その都度“芸が無い”とからかわれた手垢の付いた夢を、他の誰よりも実はトッドが笑い飛ばしてきた馬鹿馬鹿しい与太話を、だがルルンは純粋に色褪せることなく追い求めてきた。

 姫を守る白馬の騎士に――

 それをモチベーションに何度も何度もあらゆる苦難を乗り越え、絶望的な状況を覆して――希望を持って歩むその背を、思えば、いつから羨望の眼差し(・・・・・・)()見ていたのだろうか。
 ただ、いつもそばで見ていたからこそ分かることがある。

その魔術(・・・・)は、もう効かねえよ」
「……」

 分かってるはずだ。
 お前の肉体が限界であることは。
 避けられぬ友の死に、トッドはただただ憤慨し、混乱し見事なまでに動揺していた。
 そして、だからさらに余計なことを口走ってしまうのだろう。

「なあ、俺も姫さんは好きだけど……何もここまで義理立てする必要は……いっそ“逃げる”って手も――」
「馬鹿云うな」

 怒られる覚悟で告げた言葉を、その底に込められた気持ちに気付いたからこそなのか、ルルンは優しく、しかしながら断固と否定した。
 そうして不思議なほど爽やかな口調でトッドを諭す。

「踏み止まるのは、姫を護るため――夢を前にして(・・・・・・)、逃げ出すわけにいかないだろ?」

 無論、気付いていた。
 先ほどの、大仰すぎる“礼”の意味を。
 十代の少女でさえ、その瞳に宿る真摯な意志の光に気付いて、ルルンの意志を尊重したことも。
 夢にまでみた姫との対話に、彼がどれほどの思いを込めていたのかを。
 それに付き合って、自分の命を賭けることに不満を持つ者など仲間内にいるはずもなく。
 そうして今また――


 幼馴染みの俺には、何もないのか――?


 気付けば独り残されて。
 去りゆく背を“立ち向かう背”だと気付きながらも。
 歯を食い縛り、眼に痛いほどの力を込めながら、トッドもまた一言もかけることができずに立ち尽くす。
 もはや力が入らなくなっているはずなのに、ルルンは確かな足取りで生涯最後の戦場へと踏み込んでゆく。
 風を巻くほどであったその速度は見る影もなく。
 それでも怪物に“危険な存在”と感知させる何かをその身より立ち上らせて。


 グゴォオオオア……


 『深緑の巨人』が鈍重そうな見た目以上の速さで巨拳を振り回すのを、「せいっ!!」と怒声を張り上げゼオールが大型戦斧(グレート・アックス)で迎え撃つ。
 地面を踏み抜く勢いで己の右足を叩きつけ、その力を腰の回転力に活かして振り回された斧刃の先に途方もない力が収斂される。
 無論、巨人の剛力に挑む以上、単なる振り回しであるはずもなく――金色の帯を引く打撃は彼の持つ最大最強の威力を持つ重撃斧術(スキル)『城砦崩し』。


 ズグァ――――!!!!!


 重量級同士がぶつかり合う重低音が大気を振るわせ、その波動が見守るトッドの全身を打った。

「ぐぅっ」

 身体の前面をまさに巨人の平手で叩かれたような衝撃と痛みに、ならば直接相対した者はどれほどの目にあうかと寒気を覚えれば。
 斧の切っ先が巨人の拳に触れた刹那、膨大な力がゼオールに襲い掛かり、その圧力に耐えられぬ体中の血管があっさり破れ裂いていた。

 ぱんっ

 と破裂音を幻聴させるほどの鮮やかさで、ゼオールの耳や目、鼻腔から血が飛び散り、全身の肌からも真紅の血が滲み出る。
 よく目をこらせば、あるいは全身を検めれば、鬱血した肌の不気味な色合いにも気づけるはずだ。
 巨人が放つ渾身の一撃を受け止める――その奇跡的な行為を成し遂げた代償にゼオールはたったの一撃で即死していた。
 (まなじり)を吊り上げ、食い縛った歯を剥き出しにした凄絶なる形相のままで。
 だが、だからこそ、動きが鈍ったルルンの一撃がそこに届くのだ。


「ぅぉおおおおおお!!!!!」


 ゼオールが防ぎ、確保してくれた巨人の足下という絶好の領域で、ルルンの声量が上がるに比して、その手に持つ槍の穂先が白く輝き出す。
 相反するようにルルンの金髪が見る間に白くなってゆき、よく見れば顔色も手足の肌色も、そして彼の身体に漲っていた溢れんばかりの精気も急激に色褪せてゆく。

 まるで己のすべてを、いや命までを槍の穂先へ注ぎ込むように。

 その白き輝きが最高潮に達したところで、ルルンはゆるやかに最も基本的な型どおりに槍を突き入れていた。


 覚醒槍術(スキル)――死絶――『魂穂突き(ソウラル・ジャベリン)


 ゆるやかな突き込みに、巨人の掌が微妙に間に合うが小指を弾き飛ばされ、そのまま輝く穂先が巨人の脇腹へ吸い込まれてゆく。
 脇腹の表面を覆う植物の鎧も広範囲で消し飛ばした上で、決定的かと思える一撃が巨人を襲った。

 ビシィ――ッ

 根元まで突き込まれた脇腹を中心に、八方へヒビが走り、まるでその痛みを振り払うように巨人の手が動いて槍を容易くへし折る。
 それも無駄な足掻きとなるはずであったものを。

「……そんな……」

 トッドが呻いたのは、穂先を残した岩肌のような巨人の脇腹を、植物のツタや枝葉が蠢いて覆い隠してしまったため。
 まるで何事もなかったかのように。
 確かに、すでに余力を失っていたルルンの一撃は純粋に命によるものだけの威力に限られていた。それだけに威力不足を招いたと冷静に分析することは可能だろう。
 ただ、納得などできようはずもない。
 すでにゼオールは凄絶な憤死を遂げておりルルンの命もその一滴まで絞り使いきっている。
 それでもまだ足りないというのか?
 あの命懸けの行為が無駄に終わるとでも?

「――いいえ、おかげで術は成った(・・・・・)

 まるでトッドの胸中の苦鳴を聴き取ったかのように。
 それが『五翼』が誇る稀代の精霊術士の声であるとトッドが気付くのに少し刻を要する。まさか重傷を負っていたはずの彼が、実は、時間をかけて自身が持てる最高の術を練り上げていたとは露知らず。

「……そうか、お前……はは」

 立て続けに起こる驚きの展開に、トッドの気持ちはもはや麻痺しかけているものの、それでももたらされた最後の望みに思わず祈りを捧げる。

「頼むっ、頼むからこれで決めてくれ!!」

 その時、いくつかの赤熱点が――あるいは黄色や青色の点もありながら――巨人の足下から全身にまでぱぱぱと広がり点在した途端、ぼうっと音を立てて火炎が炸裂した。

 バチバチバチ……

 巨人を覆う植物が枝折れするような音を立て、燃え上がる様は物語に聞く冥界を貫く天炎柱というものか。
 その勢いは凄まじく、熱い炎風に炙られて、思わずトッドは顔を背けてしまう。当然、巨人だけでなく大蜘蛛もまた同様に、怒れる炎に焼かれて見る間に脚を縮込ませ、香ばしい臭いを辺りに漂わせはじめる。

「おい、よくやったな……」

 自分以外にただひとり生き残った仲間へ労うべく視線を向ければ、樹木に身体を預けるようにして事切れている精霊術士の姿があった。
 己の成し得たことを知るかのように、トッドの思い違いでなければ、達成感に満ちた表情で。
 それでも。

「…………」

 こんなことがあるのか?
 つい昨日まで、“魔境”に対する恐れはあっても誰かが欠けることなんて、死ぬコトなんて誰一人考えていなかったものを。ましてひとりや二人でなく、パーティ丸ごとほぼ全滅になってしまうなど。
 呆然と立ち尽くすトッドは、しばらく何も考えることができなくなっていた。

         *****

 トッドの回想はわずかな時間であり、またその内容を口にすることはなかった。
 だが、無言であったトッドの瞳は老支部長に言葉以上の大事な何かを語り伝えていたのだろう。
 知りたかったことを知り得たというように。

「こんな稼業だ……ちゃんと旅立てるなら(・・・・・・・・・・)、それで十分ってものさね」
「けど、(おく)るにしても……形見(プレート)を持ち帰れなくってな」
「必要なら――」
「いい」

 『探索者』という職業柄、ほとんどが危険な任務である以上、探索の途上で命を散らした仲間をその場で弔い、状況によっては埋葬できずに放棄することはよくある話しだ。
 そうなれば遺骸どころか遺品だけでも持ち帰れば御の字で、たいていは形見替わりに『教会(ギルド)』交付の『称号板(プレート)』を持ち帰り、人によっては墓の下へ遺骨替わりに埋めることもある。
 だが、それすら持ち帰れず、命からがら逃げ延びた者も少なからずおり、低下した戦力で形見の回収もできず途方に暮れる者達も出てくる。
 そうした『称号板(プレート)』の回収作業を依頼として掲示板に張り出す手法があることを老支部長は伝え、トッドははっきりと断ったのだ。
 その真意は何なのか?

「落ち着いたら、俺の手で必ず捜し出す」
「落ち着いたら?」

 そこで余計なことを云ったとトッドは気付くが後の祭りだ。それでも何とかしようと思いつくままに弁明する。

「……天下の『五翼』が解散だぞ? やらなきゃいけないことはたくさんあるんだよ」
「そうかい。まあ、できることがあれば云いな。都の功労者に多少の支援をしたからと誰も文句は言わないだろうさ」
「ありがとよ」
「それにしても……」

 老支部長は疲れたように呟く。

「近頃は、大公様が流行病に伏せ、都も少し物騒になってきた……『五翼(あんたら)』を失ったのは誰にとってもあまりに大きい痛手だね」
「大公様の話しは聞いていたが……物騒てのは?」
「タチの悪い野良犬だよ」
「『俗物軍団(グレムリン)』か」

 救国の英雄という栄誉に胡座をかく傍若無人ぶりは、以前からそのケがあったものの特に酷くなったのはここ最近のことである。
 確証がなくて断罪できなかった件も含めれば、陰惨な事件が目立つこともあり、都民の気持ちはすでに離れてしまっていたが、恐れのために声を大にする者はいないというのが現状だ。

「刃傷沙汰の何割かは、“連中絡みだ”なんてまことしやかに云われてるくらいだ」
「それが本当なら、影響力が大きすぎる(・・・・・・・・・)
「ああ、だから裏組織の動きを見張らせてるんだけどねえ」

 すでに手を打っているのはさすがだが、歯切れの悪さにトッドが「どうした?」と目顔で問えば。

やけに大人しい(・・・・・・・)
「……まさか、掌握されてる(・・・・・・)と云いたいのか?」

 さすがにそれはあるまいと思っていた考えを覆されて、目を(みは)るトッドに老支部長はキレイに首を縦に振る。

「無論、すべてじゃないだろうがね。どう思う?」

 曖昧な問いかけにも関わらず、トッドは淀みなく考えを述べる。

「刃傷沙汰に連中が絡むのは、裏組織を掌握するための動きによるもの」
「あるいは、裏組織を掌握したはずの連中が刃傷沙汰をなぜ起こすのか、という“謎かけ”はどうだい」

 老支部長が定義しなかった以上、どちらも間違いではない。
 読み取り方はそれぞれであり、ただし興味を引くのは“解釈”ではなく“謎かけ”の方なのは間違いない。

「時系列は調べたんだな?」
「当然だよ。裏組織の抗争がいつもより静かになった前後に、件数の明確な差は開いてないね」

 つまり老支部長が提示した“謎かけ”それ自体が成立するかしないか微妙なところのようだ。そういう疑問の持ち方もある、というレベル。
 それでも、トッドにとっては目の前の老婆が見込んだ(・・・・)ことで、根拠は十分であった。

「最近の事件を詳しく調べる必要があるな」
「簡単にいうね。この街でどれだけの喧嘩が毎晩起きてると思ってるんだい?」
「……星の数?」

 ひゅん!

 思い出したようにトスカラの細枝を振り上げる老支部長に「ひぇ!」とトッドが長椅子(ソファ)の影に首を引っ込める――そういえばまだ、そんな格好で会話していたのも実にシュールな光景である。
 届くはずのないムチに反射的に怯えるほど怖いなら、憎まれ口などきかなければいいものをと、老支部長が呆れた視線をトッドへ向けながら。

警備兵が動かない(・・・・・・・・)以上は地道にやるしかないんだよ……お前にも手伝ってもらおうかね」
「連中に“貴族が肩入れしてる”ってのは、本当だったのか」

 さりげない依頼要請をきれいに聞き流して、トッドが噂は真実であったかと老支部長の顔色を窺う。

「爵位は低いがね。それでも数は馬鹿にならない」

 それが答えだと。

「金で吊ったか?」
「貴族がどこまで金食い虫か知ってるのかい? そこまでの資金は連中にないよ」
「ならば脅し?」

 はじめから期待してないトッドの声に老支部長はあっさりネタをバラす。

「そんな直裁的な暴力じゃない。連中を擁護する貴族の大半が、次男や三男坊など本来当主に成り得なかった者ばかり。それ以上の説明は不要だね?」
「――そういうことか」

 話の内容が内容だけに、自然と二人の声は低くなってゆく。
 驚くべきは、貴族社会のあらゆる情報を老支部長がどこから仕入れてきたかということだ。それなりの人脈(パイプ)を持つだけでなく、召使いなどを含めて幅広い情報網を構築しなければ得られないものではなかろうか。
 付き合いが長いはずの老婆が別人に見えて、トッドの視線は知らず鋭くなってゆく。

「しかし戦闘が得意な連中が、積極的に裏の仕事をこなすとは思えないな」
「だから裏組織なのだろうさ」

 それですべてが繋がった。
 どれもが憶測の積み上げでしかないものの、二人の表情には疑念ではなく確信しか読み取れない。

「信頼という点で仕事を任せるかな?」
「つまりひとつは確固たる組織を手にしているんだろうよ。将来的な展望もあれば、絶体に裏切らない汚れ仕事を請け負う組織は必ず必要だろう」

 そう述べる老支部長の方が怖いくらいだ。もしやすれば『協会(ギルド)』にも? そんな疑念を抱かせるほどに。

「なるほどね……タメになったよ」

 しばらくして、立ち上がったトッドが扉へと向かう。話すべきことはすべて話したとすっきりしたようなその姿が語る。

「何だい、これからじゃないのか?」
「要するに、『俗物軍団(グレムリン)』が知らぬ間に根固めしてるって話しだろ。一介の『探索者』としては、別にどうもしようのない話しさ」

 それは『協会(ギルド)』も同じだと暗に告げたも同然だ。
 『探索者』は依頼を受けて、こなす――それを滞りなく回す役目が『協会(ギルド)』の務めであり、街の治安維持はその本分に含まれてはいないと。

「……公女様がお隠れになった」

 扉口で、ぴたりとトッドの足が止められる。

「城から流れてくる噂だよ。この街で、いやこの国で何が起きようとしてるんだい……?」

 それに「お前はどうするんだい?」続けて尋ねたかった言葉を老支部長が呑み込んだことなどトッドが知ることもない。
 窓外に目をやる老支部長の穏やかな問いに、「滅多なことを口にするもんじゃないぜ」トッドは逡巡することなくはっきりと答える。

「そんな凄い話し、それこそ一介の『探索者』に答えようもないだろ」

 開けられた扉が心地よい音を響かせて閉められた。
 ベテラン斥候が退室する足音に、目指すべき目的がある者の力強さを感じ取り、老支部長は少しだけ安堵する。

「……信じてるんだね、そうすべきだと」

 真っ直ぐな歩みであった。
 そこに怒りや恨みといった過剰な力みは感じられず、面と向かったその瞳に昏い翳り(・・・・)もなかったと老支部長は見定める。
 何か胸に秘めているのは確かだが、それを抑止する必要はなさそうだ。
 これまで見守ってきたように――例え騒動を起こすようなことがあったとしても――本当に間違った(・・・・・・・)こと(・・)をしでかすわけではないとトッドを信じる。
 そうとも。
 ずっと見てきたのだ。
 『五翼』の中で一番手の掛かる男の子であったことを老支部長は思い出す。
 常に数歩だけ仲間から離れた位置で。
 そのくせ、皆の背を一番の年長者としていつも見守っていたのを思い出す。
 ルルンが不器用ながらも皆を導くなら、トッドははぐれ、遅れそうな者の背や尻を叩いて補助する役目を自然と担っていた。

 いいパーティだった――。

 もはや四人ともいなくなったというのに。
 弔いよりも先にやることがあるというのなら。
 『五翼』としてつけねばならぬケジメがあるということだ。
 願わくば――

「フォローできる程度に暴れてほしいね……」

 口にした言葉とは裏腹に「婆をこれ以上哀しませるな」その表情がそう告げていたのを本人は気付くことなく。
 暗躍する者達の不穏な動きや老婆の憂いなど素知らぬげに、憎々しいほどに午後の陽射しはまぶしく街を包み込んでいた――。

         *****

 また一人、無言で酒の入ったコップを置いて立ち去る者をトッドは視線を向けることなく無言で見送った。
 ただひとり席に着く丸テーブルの上には、たくさんのコップが所狭しと置かれて、誰にも乾してもらうことなく辺りに酒気を漂わせていた。
 それは『探索者』である同僚達からの手向け替わりだ。
 誰から聞いたのか、『五翼』の訃報は自然と広まって、気付けばトッドのいる席にひとつまたひとつと彼らが訪れて置いていった。
 『探索者』にとって死は身近なものであり、だからこそ、常にこのような見送りが為されるわけではない。
 故にこれこそが、同僚達にとって『五翼』がどういう存在であったかの証であった。
 それだけに、正直、トッドも驚き内心戸惑ってもいた。

「これならもう少し、可愛い娘に声かけときゃよかったな」

 軽口をたたいても、すかさず揶揄する声が飛んでこないのが、少し寂しくもある。そしてあらためて痛切に実感するのだ。
 みんながいなくなってしまったことを。
 それでも自分は自分の意志で、思い出の詰まったこの地へ痛みが増すことを承知の上で、戻ってきたのだ。
 もちろん、老支部長に会ってきちんと報告したかったこともあるが、それだけではない。
 当然、ミケランや諏訪の侍達からの要請に答えたのも報酬なんかのためじゃない。その気になれば、いつでも足を洗える蓄えはあったのだから。

「……逝くのが速すぎたぜ、ルルン。未だに姫さんは危険なままだ」

 ルルンが唯一好んで呑んでいた酒入りのミルクが入ったコップをトッドは掲げる。

「だが安心しな……ケツ持ちは(・・・・・)俺の得意とするところだからよ」

 我ながら冴えないがな、と付け加えながらもその表情は真剣に決意を紡ぐ。

 姫を守る――

 白馬に跨がらず、騎士ではなくともルルンの夢と仲間達が紡いだものは自分が最後まできっちり成し遂げてみせる。
 煽ったコップをタンと小気味よくテーブルに叩きつけるトッドの双眸には、凄愴とも言える意気込みが漲っていた。
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