(1)霞の本陣

文字数 9,008文字

夜半過ぎ
羽倉城周縁の森
 諏訪軍『城外陣営』――


「――いかがなされました?」

 側付きの気遣う声に、頬に横一文字の古傷を残す初老の指揮官は「うむ――」と重々しく応じて、右手の平から視線を外す。

「もそっと、こよね(・・・)を可愛がっておれば、とな」
「また、そのような」

 何を深刻げに云うかと思えば。
 真面目に聞かねばよかったと、呆れ交じりに嘆息する側付きへ「ぬしはよいのか?」と逆に初老の指揮官が問い返す。
 その真剣な声音に「夫婦仲を案じて?」と思わせるが、悪戯気(いたずらっけ)のある黒瞳を見るまでもなく、単なる下世話な好奇心であることは間違いない。
 それを承知しているからであろう。
 神経質そうに頬を引き攣らせつつも、「心配ご無用」と側付きは努めて平静を装う。

「常に、形見(・・)となるものを預けることにしておりますれば」

 すまし顔で、武士としての心構えを示せば、「嫁にか?」と何故かその指揮官――篠ノ女(しののめ) 万雷(ばんらい)が軽い驚きを露わにし、あまつさえ、苦笑を漏らした。
 当然、面白くない側付きが仏頂面になる。

「無論です」
律儀(・・)なことだが、それでは出先で女を買いにくかろう」
「は――?」

 真面目が、と揶揄する指揮官にそれは遺憾だと側付きが眉尻をわずかに持ち上げる。

「誰もが貴方様と一緒ではありませぬ」
「ふっ――云うてくれる」

 むっつりと言い返す生意気な側近に万雷が思わず口の端をゆるませた。
 ふと脳裏に浮かぶのは、嫁をとった時のこと。
 豪傑である者の(さが)と云うべきか、四十も離れた年の差に「女好きが高じた」と誰もが呆れ半分嫉妬半分で陰口を叩く中、いの一番に祝辞を述べに駆けつけたのが彼――(さかき) 左馬之助(さまのすけ)であったと思い出す。
 ただその時も、こよりに会うなり開口一番「この方はひとりの女子(おなご)で満足しませぬぞ?」と生真面目に告げたのには驚かされたが。

(くく……あの時、蹴飛ばしてやったのを根に持っておらぬとよいが)

 気づけば、馴染みの者の大半を“病”か“戦”によって死に別れていた。もはや、このように気兼ねなく話し合える者も貴重なのかもしれぬと万雷は思う。

「いずれまた、こうして共に(いくさ)参陣()ると思うていたが……ぬしが『赤堀衆』とはな」

 馴染み(・・・)という意味であれば、もはや古参の類に足を突っ込んでいる榊だが、細身で非力そうな印象どおり、これまで戦場で槍を振るう姿を一度も目にした記憶がない。それを本人も自覚していたのだろう。

「『軍神』の(そば)におらんとすれば、多少の槍捌(やりさば)きは必要かと思いまして」

 仮にも大将付きの護衛兵だ、“多少の”では済まされぬ武力を『赤堀衆』では求められる。そこに座すことを許されたならば、榊がどれほど痩身にむち打ち、己を磨いた結果かは想像に難くない。とはいえ、

「殊勝な心掛けだが、ぬしを『副将』に推挙したは、槍働きを期待してのものでなければ、以前のような帳面務めに腐心させるためでもないぞ?」

 そう万雷が念を押すのに、「心得ております」と榊はしっかり頷き返す。

「こたびの策では、これまで以上に部隊同士の緊密な連繋が要となるは必定。なれば、拙者に求められるは大将と各隊の間に立ち、“使番(つかいばん)のまとめ役”としての手腕を発揮すること――」
「うむ」
「こうして、『副将』に推挙していただいたご恩に報いるためにも、この榊、全身全霊で務めさせていただく所存」

 あらたまって平身低頭する側近を、万雷は頼もしげに見やりつつ、ここでようやく途切れさせていた(・・・・・・・・)話題(・・)に向き直る。

「――して、ぬしはこの状況を(・・・・・)どうみる?」
「正に、それをご相談したかったところで」

 何とも和やかに語る二人であったが、その足下には、五体を斬られ砕かれた、幾つもの小さき屍が草むらに横たわっていた。
 それは敵同盟軍の雑兵でもなければ、そもそも人であるかすら疑わしい生き物だ。

 腰布一枚きりの身なりに、異様に突き出た腹。
 ぎょろつく目玉に、尖り歯を剥き出しにした鬼気迫る死に顔。
 木漏れ日のような月明かりでは判別しにくいが、肌の色合いが悪病に冒されたかのように黒ずんでいる。

 確かに目鼻立ちの造形や手足を有すること、それに二足歩行のつくりは人そのものだが、あまりに異質すぎる見た目に困惑せざるを得ない。
 まして、人語と思えぬ奇声を発し、獰猛に襲いくる姿が獣のそれであったとするならば。
 醜悪なる屍に視線を落とし、不快さと悩ましさに眉をひそめる榊がぽつりとこぼす。

「人……とは思えませぬが」
「どちらでもいい」

 獣であれ、人であれ。
 切って捨てる万雷の気懸かりは別にあった。

「この森に、いるはずのないモノがいる――その意味するところが問題だ」
「これが同盟軍による仕掛けだと?」
 
 鋭敏に察する副将に万雷は物憂げに呟く。

「……これで凌いだ、となればよいが」

 森特有の草いきれに混じり、むっとするような血臭が鼻を突くのは、生い茂る草葉に隠れるたくさんの屍があるせいだ。
 似た状況は、二人の周囲でも起きていた。
 樹林に隠れて見えないが、大将万雷を中心に三十名の『赤堀衆』が潜伏しており、不届きな襲撃者共が現れると同時に、瞬く間に血祭りに上げていた。

 味方における重篤あるいは死傷者なし――。

 物の怪の類いを相手取ったとすれば、実に驚くべき軽微な損耗であったが、万雷は当然として流しきる。むしろ気懸かりなのは、敵同盟軍にこのような“異形の策”が他にもあるのかどうか。
 さらにもうひとつの懸案について、榊が気難しげに応じる。

「先ほど放った伝者が戻れば、各隊の状況も掴めましょう。さすれば、先ほどの奇襲に対し、各隊からの報せがなかった原因も分かるかと」

 原因が分かれば、敵の第二波があっても備えられる。ただそれは、吉報を期待させると同時に、現時点で万雷達が後手を踏んでいる事実(・・・・・・・・・・)を物語ってもいた。

 今の状況を整理するならば。
 まず、『軍代』として子飼いの将を引き連れ討って出た万雷は、この『防御林』において『虎口』と呼ばれる東の林野奥に、自軍を深く沈ませていた。
 その配置は本隊を中心に、前方東の『虎口』に二隊、南・北・後方西に一隊づつ。
 各隊が網を張るように物見を放っていることから、(くだん)の狂人共が監視の目をくぐり抜けて本陣を襲撃することなど、あり得ないはずだ。
 しかし現実に起こった。
 それも本陣を狙い撃たれるとは。

「……やつらが現れたのは、前から(・・・)であったな」

 ぽつりと洩れた万雷の言葉に、またも察した榊がそれはないと表情を厳しくする。

「前方東は暮林に宇城の二隊が詰めております。当たれば騒ぎになりますし、また、抜けるはずがありませぬ」
「“靄”に紛れたら、どうだ?」
「靄、ですか――」

 確かに狂人共の襲撃前、どこからともなく靄が溢れ出し、一時林内は暗色の綿雲に呑み込まれたことがあった。
 ただでさえ、樹冠を縫って注がれる月明かりは心許なく、視界はあまりにも悪すぎた。そこへ濃密な靄だ。獣のごとき素早さならば、監視の目をくぐり抜ける可能性はなくもない。
 否定できずに黙り込む榊へ、万雷はさらにとんでもないことを口にする。

「ついでに云えば、あの“靄”もやつらの仕業であったとすれば、辻褄も合う」
「それは――」

 さすがにない、と榊が深い疑念を呈す。

「あれは煙臭くもなければ、ただのまやかし(・・・・)とも思えませぬ」
「ならば『呪術』というのは、どうだ」
「『呪術』……?」
「京の『陰陽師』よ――」

 口元に笑みを浮かべる万雷の瞳は、真剣そのもの。
 榊が痩せた頬を一瞬ひきつらせたのは、その考えをわざと脳裏から捨てていたためだ。

「……あれはお伽噺にすぎませぬ。いえ、仮に実力が本物だったとして、都の術師がわざわざ陸奥(みちのく)という北方の田舎にまで参られましょうか」
「金を積めばな」

 万雷の答えはひどく世俗的だ。

「貴族が幅を利かせた昔ならともかく、この乱世の時代に奴らの居場所などない。だが、噂に聞く“禁術”の存在が真であるならば、使い所がある。そこに『白狐』が目を付け、協力関係を結び、此度の同盟軍を興すに至った――なくはあるまい?」
「ならば、このケダモノも“禁術”で産み出したとでも?」
「おう、そういう考えもあるな」 
「ご冗談を――」

 激しく首を振る榊が異形の屍を睨みつける。
 これから血で血を洗う、生々しい戦いが始まるというのに、術だ(まじな)いだと、酔狂にもほどがあると苛立ちを覚えても無理はない。
 今は諏訪の存亡が懸かっているのだと。
 納得できぬ副将の胸中を察するからであろう。

「――なら、これは何だ(・・・・・)?」

 いつの間に腰の短刀を抜いていたのか。
 万雷が手近の太枝に短刀で縫い付けたのは、体長が半尺(約15㎝)はある甲蟲だった。

「うっ……なんと、大きな……」

 狐目を軽く見開く榊。
 万雷は顔を正面に向けたまま、得体の知れぬ甲蟲を視界の端で捉えつつ、周囲の様子を油断なく窺う。

「ムカデなら、これ以上の大きさ、なくはない。だがこの手の蟲では初めて見る大きさだ。それにあそこに咲いている花は何だ?」

 万雷が指差すのは、夜だというのに開きかけた花弁の群生。さらに、それもこれもと万雷は些細な森の変事を見出し指を差してゆく。

「背にする樹木や踏みつける雑草……儂らのよく知るものに混じり、この森で見かけぬ(・・・・・・・・)ものが(・・・)、やけに目に付く」
「それなら……」

 何か思い当たったように、ある方へ視線を走らせた榊が言いかけるも口をつぐむ。眉間をきつく寄せる榊には分かっていたのだろう。

「目で見て、手で触れた――これ以上の論議が必要か? 認めるしかあるまい、現実であると。ならばいかなる(わざ)がそうさせた? 忍びの術すら色褪せる人外の(わざ)を誰が行える――」
「……それが『陰陽師』だと」

 口の中で噛んで含める榊の様子を、「無論、証拠などない」と万雷も己が推測の不備を認めはする。

「ただし、一連の出来事が同盟軍の仕業であった場合、早めに手を打たぬと手遅れになる(・・・・・・)
「それはどういう……」

 訝しむ榊に万雷は視線を落とす。

「このケダモノ。手強くはあるが、本陣を落とす戦力としては弱すぎる」
「では、やはり第二波が……いえ、何度攻めてこようが返り討ちにするまで。なら、何のために……」

 懸命に考える榊の視線が万雷のそれと合う。

「もしや、これらが“陽動”だと……?」
「うむ。ケダモノの襲撃で攪乱し、その隙に主力を進軍させる。もし前方に動きがなければ、もっと大(・・・・)がかりな(・・・・)搦め手(・・・)の存在(・・・)を疑う必要がある」
「つまり、敵が……『尾口』の存在に気付いていると」

 やはり文官でなく武官かと。 
 血の気が引いた榊の表情を、万雷が好もしげに見ていることなど、当人に気付けるはずもなく。
 まして、こうして武略に聡いところが、大将付きとして目を掛けてもらえる理由だなどと聞かされることもない。
 今はまだ学ぶ時。

「相手はあの『白狐』だ。何が露見していても不思議はない」
「ならば、伝者の戻りを待ってはいられませぬ。まずは『尾口』に蓋をするべきですっ」

 榊が切迫した表情で告げるのは、敵が『尾口』を利用すれば、“城攻め”も本陣への“挟撃”も思うがままとなるためだ。

「先の報せでは、敵陣に欠けた部隊の話しはありませぬ。つまりは、数の差異を誤魔化せる、少数の精鋭部隊が送られたと考えられます。逆に言えば、敵も『尾口』の詳細な位置までは、掴めておらぬ証左かと」

 だから少数を送り出すだけで、軍をふたつに別けるほどの“賭け”には出られないのだろうと。
 あくまで東の林野からの総攻撃を前提に、別働隊による強襲で諏訪軍に揺さぶりをかける。敵からすれば、それで十分な効果が得られると。
 自信を持って話す榊に万雷は満足げに頷き、もうひとつの可能性も示唆しておく。

「あるいは“城攻め”でなく、あくまで我らの攪乱が目的だから、少数でよいのかもしれぬ」
 
 いずれにせよ、諏訪勢にとって痛烈な一手であることは間違いない。

「それでは、『尾口』に碓氷(うすい)殿を向かわせましょう」
「いや、秋水(しゅうすい)に行かせろ」
「しかし、南に伏せている碓氷殿の方が――」

 近い、と考える榊に万雷は首を振る。

「南の部隊を動かすと敵に気取られるやもしれぬ。それにな……こういう時に使ってやらぬと、秋水(あれ)はすぐにさぼりよる(・・・・・)

 苦笑をまぎらせる万雷に、榊は微妙な表情を浮かべながらも頭を垂れて受命した。実は、不安要素があるからこそ、彼は碓氷を推したのかもしれない。

「誰か!!」

 榊が素早く伝者を呼ぶ。
 草木にまぎれて見えないが、『赤堀衆』以外にも別の側付きや伝者などが、本陣付きとしてきっちり張り付いている。
 林野を主な戦地とする諏訪だからこそ、通常見られる陣張りの構成品などが削り取られているために、本陣らしくないだけである。
 だが、これでいい。
 敵に本陣の位置を悟られにくく、手早く場所も変えられ、どの軍よりも迅速に行動ができるのだから。
 当然のように大将のための床几(しょうぎ)もなく、万雷は雑兵のように地べたに腰を落ち着け、背を大樹に預けていた。
 
「――よいな、急ぎ秋水殿へ伝えよっ」
「はっ」

 細かく打ち合わせしなくとも、榊は他の必要な連絡もとってゆく。だから万雷は、いくつかの行動方針を組み立てることに集中できる。それを物見がもたらす情報に照らし合わせて、素早く最適な決定を下せるように。
 そうして思索に耽る中。
 万雷の耳がぴくりと動いた。遠くで響く笛の音を捉えたためだ。

「榊」
「交戦の合図。この方向は――宇城殿の部隊かと」

 伝者に指示する最中でも、しっかり聞こえていたらしい榊が即座に応じる。

「存外、素直に正面から当ててきましたな」
「そうではない」

 低められた万雷の声に榊が眉をひそめ、続く言葉に顔を引き締めた。

「――早すぎる(・・・・)

 そうだ。
 前衛に配置した二隊は、扇状になっている疎林より外側に伏せておいた。それも正面奥にでなく、横側に、だ。
 敵が進軍しやすい区域に踏み込むなら、よほど奥まで食い込んでこないかぎり、交戦することなど起こり得ないのだ。
 なにより、敵が森外の陣から発したという報せをまだ受けていない。
 なのに。
 榊が何か口にするより先に、万雷が吼えた。

「碓氷に援護させよっ。機を見て宇城と共に下がらせる!」

 不快げに、好戦的なはずの万雷が、檄を飛ばすどころか撤退を指示する。気に食わん、と鼻を鳴らすのは戦場で生きてきた者特有の直感が働いたためだ。

「では暮林(くればやし)殿にも――」
「奴なら命じずとも、動いておる。それより、森外の様子を詳しく探らせろ」
「同盟軍の布陣を確かめる、と」

 宇城隊の存在は途中で感付かれたのか、はじめから狙い撃たれたのか。
 いずれにせよ、奴らの攻め方が気に掛かる。それにはまず、敵の陣容を知ることが先決だ。

「せめて、森の変容ぶりを確認しておきたかったが――」

 わずかな悔やみが万雷の双眸を険しくさせた。各隊が張っている現地の様子を把握せぬまま、命令を出すことの危険性を彼は誰よりも知っている。だが今は配下の力量を信じるしかない。
 その焦慮を知る榊も、もうひとつのことを気に懸けていた。

「これでは、『尾口』も間に合いませぬか」
「それはいい」

 捨て置けと万雷が口にするのは確信があるためだ。自ら引き抜いた、秋水であれば何とかするだろうと。それよりも。
 大型獣のごとき眼光を森の奥へ向けながら万雷がゆるりと立ち上がった。

「動くので?」
「笛の音が、な」

 歴戦の将だからこそ“音律の符号”以外にも音色から感じとれるのだ。万雷はそれを“焦燥”と捉えた。

「嫌な感じがする。直に見極めるしかあるまい」

 歩き出す万雷を止めもせず、榊は黙って付き従う。
 こうなった時の指揮官が進言に耳を貸さず、また存外に従った方がよい結果を生むことを幾度も経験しているからなのだろう。

 己が敬愛する指揮官はこと戦場において非常に鼻が利く(・・・・)のだと。

 二人の動きに、申し合わせたように周囲から約三十名の気配が湧き上がり、一定の距離を保ちながら移動を開始する。

 まるで森を住処とする獣の群れのように。

 誰もが甲冑を身に着けているのに最小限の音しかしない。無論、甲冑は林野戦を想定し、軽量化を主眼に装甲の重点箇所を絞り、擦り音を立てぬ特殊な工夫を精緻な細工で施すことにより、音が出るのを抑えている。
 だが、それだけで為せる歩法ではなく、その背景に尋常ならざる修練を感じさせる。
 森林を音もなく移動し捕捉するのが困難故に敵から呼ばれた“霞の本陣”が、ゆっくりと接敵したであろう宇城隊に近づいていった。

 ◇◇◇        

「申し上げますっ」

 気づけば前方の茂みに、伝者が片膝立ちで本陣を待っていた。

「宇城隊の使番(つかいばん)、佐々木にございます。宇城隊、接敵したことをご報告申し上げます!」
「ご苦労」

 腹に響くような声で万雷が労い、そのまま無造作に伝者に近づき脇を通り抜ける。すかさず身を(ひるがえ)す伝者が、三歩後ろに付き従う。

「――して、戦況は? 敵の数は? そもそも、どのような形で戦いが始まった」
「敵数はおよそ百。こちらの想定と異なり、敵は南より現れ、背後を討たれる形に。されど、かち合ったのは敵の先遣隊。それを速やかに打ち破り、続く敵の本隊と乱戦に入った次第」

 歩速をゆるめることなく、矢継ぎ早に質問を投げる万雷に、伝者は慣れた様子できびきびと応じる。その身のこなしは軽く、草ずれの音が最小限に抑えられており、行軍中の会話にも支障はない。

「しかるに、敵本隊が非常に手強く、途中より暮林隊の援護も受け、何とか持ち堪えているところにござりまするっ」
「何、暮林隊が? いやそれよりも、二部隊連合で打ち勝てぬというかっ」

 思わず榊が横やりを入れたのも無理はない。
 暮林隊の兵数は現状の軍内で最多の足軽二百。敵百をひと当てで蹴散らせる戦力差を考えれば、あまりに不甲斐ない結果である。
 声に非難が混じるのを敏感に察したのだろう、伝者は苦しげに首を振る。

「恐れながら。敵の奇っ怪な鎧武者の守りは非常に堅く、容易に倒せぬために、二隊で抑え込むのが手一杯にございます」
「鎧武者だと? 『白縫(しらぬい)』め、またぞろ奇矯な兵装を生み出しよったか」

 眉をひそめる万雷に榊が首をかしげる。

「あそこは常に新しき兵器を生み出しますからな。されど、いちいち惑わされぬよう『(からす)』を忍ばせておりますが、左様な事は耳にしておりませぬ」
「いや、これだけの一大侵攻。我らに悟らせぬ秘中の秘があっても不思議はあるまい。そもそも、この侵略さえ秘匿してみせておる」

 真剣な眼差しの万雷に悪気はなかったろうが、痛烈な皮肉と受け止める榊からすれば、素直に納得できず、伝者に詰問気味の声をかけてしまう。

「“奇っ怪な”と申したが鎧武者とはどのようなものだ」
「それが拙者が見聞したこともない、鉄に覆われた鎧を着ております」
「鉄だと?」
「はっ。見た目はむしろ人型の箱といった様相。全身を鉄で覆い、その上、“鉄の盾”と“太い両刃の刀”で武装しております。それ故、槍で突いても刀で斬っても擦り傷しか残せず、矢も跳ね返される始末」
「なんと」

 万雷共々唸りを上げる。
 確かに鉄板を厚くするほど頑丈な鎧はできるだろう。だが、これまでに制作されなかったのは、重すぎて身動きがとれない、量産するに資材の調達から金も時間もかかりすぎるなど、看過できぬ欠点があるからだ。それを承知で取り組み実用化するとは酔狂にもほどがある。それも馬上で戦うならいざしらず、森林内で戦闘を行うなど敵将のおつむを疑いたくなる。
 敵の軍団を“脅威”でなく“くみ易し”と見極めて、論外とばかりに榊が嘲笑した。

「相変わらず森を(あなど)りよる……これは四半刻(約30分)も持ちませぬな。まっこと愚かなり」

 わずかに緊張感を弛緩させる副将とは違い、気を張り詰めたままの万雷が、さらに伝者に問う。

「先ほど、南より敵が現れたと云うたな。なぜにそのようなことが起きた? そう勝手にうろつけぬからこその『虎口』の仕掛けであろう。もしや……森が変じたからではあるまいな?」
「……は?」

 聞き返す伝者の表情は“心当たりがある者”のそれ。故に万雷は言葉を濁さずたたみ掛ける。

「少し前、靄が出たであろう。その後、森の様子が変わった――そうではないか? 見かけない木々に草花、化け物みたいに大きな虫など、何かおかしなものを見たはずだ」

 それは尋ねるというよりも確認だ。万雷のあまりに真剣な眼差しに、気圧された伝者がどもりながら答える。

「た、確かに、いつもと違うとは思うておりました。……それに、『虎口』の林野も様変わりしてしまい、宇城様も戸惑っておられました。しかし、夜のせいかと」

 常識的に捉えればそうなる。
 宇城が子飼いの旧篠ノ女軍の者であれば、また違った判断をしたであろうが。

「ふん」

 万雷の歩みが速くなる。遅れず寄り添う榊があるじの胸中を代弁する。

「『虎口(・・)の効き(・・・)が失せましたな」
「ああ。しかも今の状況……敵の側に立てば、一部隊で二部隊を引きつけたことになる。いや、この本陣もか」

 言われて榊がはっとする。

「では、やはり『尾口』にも――」
「別働隊を送り込んでいる。狙いは“挟撃”だ」

 万雷の明言に、しかし榊は動揺するどころか自信ありげに頷いた。

「敵がいかなる部隊を差し向けてこようと、もはや背後の憂いはありませぬ。我らはただ、前面の敵に集中し、蹴散らすまで」
「当然だ。どういうつもりか知らぬが、敵は重たい鎧武者で攻めてきた。ならば森の奥へ引き込んで、歩き疲れたところを叩くまで。『虎口』の細工なぞなくとも、儂らは十分に戦える」
「では、碓氷殿への命を取りやめに」

 大将の言葉を受けて、榊が別の伝者を呼びかける。その間に万雷は佐々木と名乗る伝者に「そういうわけだ」と声をかけた。

「宇城と暮林の両名に、ここはあえて押され(・・・・・・)、敵を歩かせ体力を奪えと伝えよ。その上で、こちらの本陣と力合わせ、一気に敵を叩くとな。行けぃ」
「はっ」

 最上と思える手は打った。
 だが伝者が去った後の万雷の様子に、副将である榊は違和感を覚えていた。
 奇怪な敵兵相手に、策を高じてなお、しっくりとこない何かを感じているのではあるまいか。

 それは“不安”かあるいは――。

 いずれにしても『軍神』にはあり得ない心情だと榊は脳裏から“妄想”を追い出す。だが、それが的を得てると言わんばかりに、万雷の歩みは一段と早くなるのであった。
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