(1)エルネの望み

文字数 8,692文字

ある日の晩
 『シュレーベン城』――


 気遣いの中にも切迫したものを感じさせる呼びかけで、穏やかな安らぎを邪魔された少女は嫌がるように寝返りを打った。
 シーツや毛布が乱れ、甘い香りがゆるやかに漂い空気に混じる。ほんのりとではあるが、少女とは思えぬ妙な艶めかしさがあり、同い年の男の子なら思わず顔色どころか耳まで朱に染めて心臓の鼓動を早めてしまうだろう。
 さらに数度の呼びかけで少女はぼんやりと目をあけ、碧い瞳に暗がりの天蓋を映して、まだ朝の訪れには早いのだと気づき、苛立ちを覚える。そのせいで意識がさらにはっきりとし、もはや心地よい微睡(まどろ)みに戻れぬと悟って、少女はようやく覚悟を決めて上半身を起こした。
 ちょっとした襟元の乱れから見える首筋にも女の色気が感じられ、十代よりも二十代の青年貴族に人気があるのが男ならば理解できようというものだ。

「……何なのよ、もう」
「お休みのところ申し訳ございません、お嬢様(・・・)

 城内でそう呼ぶのはただひとり――ベッドのすぐ傍で慇懃に謝意を示す人影が顔馴染みのメイドでないと知って少女は訝しむ。さらにその人影の正体が執事のヨアンとみとめて、まだ夢見心地だった頭からきれいすっきり眠気が拭い去られていた。

「何かあったの?」

 即座の一声が十代はじめとは思えぬ彼女の明晰さを窺わせる。だが当主の側近として腕を振るう執事は、有無を言わせぬ語気の強さで隣に立つメイドを指し示す。

「こちらにお召し替えていただく合間に、説明させていただきます」

 今度こそ顔馴染みのメイドが一歩進み出て、抱える服を丁重に差し出してきた。慌てるような素振りで靴音が高くなり、いつもの悪戯猫のような瞳に笑みはなく、緊張感だけが感じ取れる。
 一体どうしたと思いながら、それでも少女は素直に着替えを始めた。
 さすがに執事は下がって背を向ける気遣いを見せてくれるが、一端退室する素振りもないのが事の異常さを物語っていた。
 それは執事が告げる深夜の訪問理由にも表れている。

「ドイネスト様からの言伝をお伝えさせていただきますので、落ち着いて、お聞き下さい」
「お父様から?」

 思わず手を止めた少女をメイドが急かすように服の片袖を膨らませて差し出し、腕を差し込めと促してくる。
 煩わしげに少女が視線を尖らせれば、メイドは懇願するような目を向けてきて、協力せざるを得なくなる。
 そんなやりとりを知らぬ執事は、与えられた職務を着実に全うすべく、主人からの伝言を素早く丁寧に少女へ聞かせた。

「危険が迫っている。念のため、急ぎ城を出ろ――以上でございます」
「それだけ?」

 あまりに呆気ないメッセージに思わず聞き返すのは当然だろう。

「どういうことよ、“危険”て……衛兵は? 常備兵で不足なら、緊急招集すればいいじゃない。それに、お父様はどうされたの?」

 かえって困惑が深まる少女をどう思っているのか、背中を向けたままの執事の表情は窺えず、ただ口調は変わらず淡々と矢継ぎ早に投げかけられる質問に答えていく。

「ドイネスト様は執務室に残っておいでです。あの方には当主としてすべき事がございますから。それよりも今の状況についてですが……。
 正直、私にも何が起きているのか判断がつきかねます。ただ、城内のあちこちで争いが起こっているのは明らかです」
「賊が入ったのね――」

 ようやく合点がいったとの思いを言葉に込める少女に、だが、執事はきっぱりと否定する。

「残念ながら違います。少なくともここへ来る途中、中庭で争っているのを見かけましたが、どちらも(・・・・)衛兵でした(・・・・・)ので」
「はあ?」

 少女のきめ細かな白い肌の眉間に小さな皺が寄った。年配の女性がやるのと違い、そんな仕草でも可愛らしく見えると、やはり子供なのだと思わせる。

「どうして仲間同士で……」
「支度ができました、ヨアン様」

 メイドが少女に厚手の外套を着せたところで、執事にはきはきとした感じで声をかけた。
 すでに準備していたらしい肩掛けの荷物と少女のものであろう手持ちの荷物を両手に足を肩幅に広げて立ち、気合いの入った表情で「どんとこい」とばかりに指示を待つ。
 腰も腕も細い割には、「こう見えて、力自慢なの」と日頃から豪語していただけあって、大きな荷物を物ともせず仁王立ちするメイドの立ち姿は勇ましくもあった。

「まずは城を出て、それからケンプファー家へ向かいます」
「あの方のところへ……」

 脳裏に浮かんだ人物で違いないという風に執事は軽く頷き、選定理由も解き明かす。

「“力”と“誠実さ”という点では申し分ありません。雲行きが良くなるまで匿ってくれるはずです」
「では、お父様もそこへ?」
「いいえ。これは私の案ですから、ドイネスト様は存じておりません。ですが、私が必ずお伝えするとお約束します」

 そこにわずかな悲壮感さえ漂わせて請け合う初老の執事に、察しの良い少女は気づいてしまう。

「貴方は一緒に行かないと?」
「もちろん、途中まではご一緒させていただきます。秘密の通路をドイネスト様から教えていただいておりますので、入口までは私が責任を持ってご案内致します」
「その後、戻るのね」

 少女が自分を気遣っての不安を抱いてると知り、執事はそこで初めて彫像のごとき固い相貌を破顔させた。

「ご心配には及びません。敵軍が押し寄せたならばともかく、城を落とすことなど容易には起こり得ませんから」
「分かっているわ。念のための避難だというのでしょ?」

 逆に安心させるように少女は軽く笑顔を見せる。胸の内では「起こり得ない事が起きそう(・・・・)だからこそ(・・・・・)、城の脱出を急かすのだろう」と思いながら。父親をはじめ、城の中心人物達に気兼ねなく仕事をさせるのが大事なのだと自分に言い聞かせ、父親に会って話したい想いを少女は胸の奥にしまい込む。

「さあ、案内してちょうだい」
「はい。では私に続いて下さい」

 途中、警備長と合流する旨を聞かされながら、少女達は薄暗い廊下へと出て行く。
 今思えば、警備長までが一緒に城を出ると分かった時点で、状況がどれほど切迫しているのかを気づくべきであった。無論、気づいたからと十二歳の少女に何ができるわけでもないのだが。

「――けれども、最後までお父様と一緒にいれば、せめてお側にいられたら……もしかすると、もう二度と……」

 これまで忌避すべき想像を何度も抑え込んできたのだろう。だが何度脳裏から振り払っても、嫌な想像はその度に湧き上がってくるものだ。不安を格好の餌に、想像力の泉を源泉として。
 そうして俯き、言葉を途切らせた少女――エルネにかける言葉は、その場にいる誰にも見つけられず気休めの言葉さえ口にすることができなかった。
 大粒の涙を流すことも、すすり泣くこともないその姿に、かえって悲壮感がいや増して、忠義に厚いと思われたミケランさえも言葉に詰まらせているようだ。
 エルネが疲労で倒れてから丸三日。
 四日目の朝に目覚めた彼女は、ちょっとだけ頬が痩せたような見た目以上に、顔色は優れず疲弊感が著しく、小柄な身体がさらに一回り小さくなったように見えた。
 付き添いの者が云うには、眠り込んだ三日目あたりにひどいうなされ方をしていたらしい。おそらく今し方聞かせてくれた、後悔に責め(さいな)まれるような追体験を繰り返し夢に見ていたからであろう。

「城を出た後、ケンプファー邸――エンセイ殿の下に身を寄せながら、私は腹心の部下を頼って密かに城内の様子を探り続けていました――」

 言葉に詰まったエルネに代わり、ミケランがその後の状況を侍達に語って聞かせる。
 あの夜、城で何が起き、そしていつならば城に戻れるのか――最大の関心事に的を絞り、ミケランは情報の収集に細心の注意を払ったと語る。

「秘匿性を重視し、一度にやりとりできる情報量を絞り込んだため、おおよその状況しか掴めませんが……まず今回の一件を“エルネ姫の誘拐事件”として処理されていることを知って驚きました。
 しかも追い打ちをかけるように、“陛下が流行病に倒れられた”という(にわか)には信じがたい話しまで」
「それは、また……何とも」

 白髯の無庵が言葉を濁すのは、エルネ姫達の話しを信じる限り、城内の状況があまりにきな臭い(・・・・)感じになっていると云わざるを得ないからだ。当然、当事者であるミケランにおいては、その疑念はどれほど深いものであったか。

「正直、耳を疑う話しです。姫の誘拐だなどと……例え陛下が誰かに伝えられぬ状態であったとしても、執事から事情を聞いていれば、そんな馬鹿げた見解が、まかり通るはずがないものを。いやそれよりも、陛下が急に病を患ったなど……そんな徴候が少しも見受けられなかったことは、あの夜、執事と共に謁見した私が誰よりもよく知っているのですっ。
 何よりも真っ先に姫の身を案じ、守れと命じられたお声には、病に蝕まれた者の翳りなど微塵も感じられなかったことを。それを看破するのに、異能(アビリティ)など不要というもの」

 自身が見たものに確信を持つからこそ、何もかもがおかしいと、なぜにそのようなことになっているのかとミケランは疑念の声を大にする。

「失礼ながら、いくつかよろしいですかな?」
「なにか……?」

 気になる点を整理しておきたいと慎重な姿勢をみせるのは白髯の無庵だ。

「貴殿の云うとおり、執事とやらにさえ確認すれば“事件”扱いなどせぬであろうが、現実はそうでないという。では、その執事殿はどうなったのでしょうな。仮に騒動に巻き込まれて凶刃に倒れていれば、あなた方の事情を知る者がいないと思われるのだが」
「城内の判断はやむを得ない、と……?」
「そこまでは。ただ“場合による”というだけのこと」

 あくまで客観的に見極めたいとする白髯の無庵にミケランは憤るどころか理解を示して小さく頷いた。

「確かに冷静な検証は必要でしょう。だが、残念なことに消息は分かりません」
「分からぬ?」

 思わぬ回答に白髯の無庵が眉尻を上げるが、ミケランも沈鬱な声で応じるのみ。

「城内で姿を見なくなったという意味では、私を除けばエルネ様とお付きのメイド、執事以外には面会謝絶となった陛下も含まれます」

 加えて騒動による死傷者も出たと告げられる。その死傷者に執事はいないということが付け加えられる。

「行方が分からぬこと――それ自体が異常だと思われませんか?」
「ふむ。では騒動の際、仲間同士で争っていた(・・・・・・・・・・)との話しがあったかと。勅命を受け、姫達と合流するまでに、そのあたりの情報を得る機会はありませんでしたかな?」

 もはや、その場にいる者の代表といった感じで白髯の無庵が質問を続ける。ある程度の知りたいことをうまく聞いてくれるせいか、皆も余計な口を挟まず、聞き役に徹しているようだ。
 そして事実、二つ目の質問こそが“本命”というべき事件の核心を突いたものであった。
 
「まさに、それこそが今回の忌むべきところ――」

 今まで最も深刻そうな表情でミケランは話を続ける。

「真っ直ぐ自室に向かい、身支度を整え、エルネ様との合流地点を目指す間、騒動が波紋のように城内に広がってゆくのに強烈な疑念が沸き上がりました。どう考えても、ここまで広範囲に敵の潜入を許すなど考えられないからです。
 しかし、衛兵同士で争うのを目にして、ようやくことの重大さに初めて気づいたのです。敵が襲ってきたのではなく、潜伏(・・)していた(・・・・)という事実――それが意味するところを。騒動がすっかり広まってからでは、あまりに遅すぎましたが。
 いえ、あの時点で対処が間に合わなかったと思えば、陛下の判断こそがやはり正しかったというべきでしょう。
 ただ、自責の念は禁じ得ませんが。
 追い込まれた状況になってようやく、陛下の危機感を本当の意味で共有することができたのですから」

 “事を起こさせぬのが警備隊”――。
 初代隊長が発した訓示を体現すべく、普段から厳格な警備であることをその言動でもって内外に知らしめ、無謀な振る舞いを起こさせぬようにしてきたはずであった。
 それがまさか、このような屈辱的な形で(・・・・・・)崩されるとは。
 拳をきつく握りしめ、悔恨をその顔に刻むミケランを「悔いるは筋違いというもの」と明瞭に告げる者がいる。これまで黙していた弦矢だ。

「勅命を優先し、果たしてのけた貴殿を責めるものはなにもない。その時、できもしない事(・・・・・・・)を勝手に背負うはいかがなものか」
「……」
「それとも、騒動の対処に手を伸ばし、勅命を(おろそ)かにすればよかったと?」
「そのようなことはっ」
「なら、悔いて、後ろばかり気にしてはならん」

 覇気が薄れ、その大柄な身を心なしか縮こませるミケランに弦矢は穏やかに語りかける。

「貴殿はエンセイ殿の下へ姫を送り届けた。敵に悟らせず情報を収集し、姫が今後を見据えて動く判断をするための一助ともなった。
 そして此度は危険な森を踏破して、姫の警護を見事勤め上げてみせたではないか。儂は思うのだが。貴殿の主ならば、よくやったと労ってくれるはず――そうではないかな?」
「はい。陛下ならば――」

 そうしてしばし胸の内を見つめるミケランに、急かすことなく落ち着くまで、皆は静かに待っていた。
 ミケランが見聞きしたものは、十中八九、謀反が起きたことを示している。
 まだ彼の話は途中であったが、城を追われた姫君が望むものは、“城の奪還”や“父君の救出”、要するに奪われた公国を取り戻すことにあるだろう。
 それ即ち、大名相当の権力者との戦い――
 やはり、そうなるかと分かっていたことなれど、誰もが自然と表情を強張らせ、気持ちをいくぶん沈ませるのは無理もない。それでも、諏訪として決めた方針に添って立ち向かうならば、知らねばならない問題がいくつかある。

 その筆頭は“誰が謀反を起こしたか”。そして“協力者はどれだけいるか”であろう。

 二つ目は、“よるぐ・すたん”の頂点に座すエルネの父の安否。彼女の手前、その生死について口にしていないが、勝利条件を左右する要素なため、白黒はっきりさせるのが喫緊の課題である。

「……失礼を。きちんと答えていませんね」

 心を落ち着け、居住まいを正したミケランが誰もが確信している考えをはっきりと言葉にする。

「明らかに謀反を企てた者がいます。それが誰かも城の状況を知れば自ずと答えが得られます」
「城主の代理となった者ですな――」

 白髯の無庵が話しやすいように合いの手を入れれば、ミケランは否定せずに城の状況を話し始める。

「一夜にして、公国を揺るがす二つの大事件が起きましたが、たまたま城内に居合わせたルストラン(・・・・・)殿下(・・)が陣頭指揮をとってくれたことによって、大きな混乱もなく早期に収束できたのを暁光と言うべきかどうか――」

 その者の名を口にするとき、ミケランの声には隠せぬ失望と憂いがあった。そしていまだ拭えぬ強い疑念も。
 そして皆に聞かせる。
 公国の頂点に君臨するのがスタン家であり、先の戦争で、今や親族含めた血筋の者が兄弟二人きりになってしまったということを。
 ルストランはエルネの叔父にあたり、大公にとっては実の弟であるのだとも。
 大公としてドイネストが公国を統括すれば、都市長として公都キルグスタンを治めるのがルストランであり、互いに支え合う、本当に仲の良い兄弟なのだと言葉に熱が籠もるミケランの眼には、羨望と敬愛の念しか見受けられなかった。

「さらに数日かけて、城内の状況はより明瞭に捉えることができました。
 殿下はまず、本来は独立した指揮系統にある城内警備隊を特例で第一軍団の直下に置き、城内警備の増強と共に賊とエルネ姫の捜索隊を取り仕切ることにしたようです。
 同時に誰も近づかぬよう城内深くにて陛下を厳重に(・・・)御守りし(・・・・)、政治の混乱を避けるため――重臣達からの要請もあったとか――あくまで臨時の措置として、しばらく大公代理を務めることになったということです」
「――それが表向きの理由であることはいうまでもない」

 ミケランの言葉をエンセイが繋ぐ。

「正直、すぐさま城に戻って対峙することも考えたが、冷静に考えればそうもいかないとすぐに気づいた」
「なぜかね?」

 白髯の無庵が問えば、エンセイは「単純な事だ」と哀しげな笑みを浮かべる。

「今や城内の掌握は済んでいる。実権を握る(・・・・・)殿下がこうだ(・・・)と決めれば、それまでだ。そんな処へのこのこと顔を出せば……最悪、私やミケラン卿が、誘拐犯として(・・・・・・)捕らえられても不思議ではない」
「例え姫が訴えても、同じ事と」

 白髯の無庵が例を挙げれば、そのとおりとエンセイは黙って首肯する。

「なるほど。おおよその流れは掴めましたが」

 そこで言葉を切った白髯の無庵が、その場にいる者へ視線を巡らせ、最後に当主の弦矢を見やる。老いてなお枯れぬ双眸の強い光に「口火を切るぞ」との意図を込めながら。

「そうなれば、あらためてもう一度、姫様が我らに望まれることをお聞かせ願いたい。もちろん、今すぐにとは申しません。お身体をしっかり休められた上で、あらためて場を設けさせていただきましょう」
「――叔父様の真意を」

 姫にというよりは、供であるミケラン達に伝えた白髯の無庵であったが、予想だにしない声を耳にしてわずかに目を見開いた。
 ぽつりと言葉を零したエルネ姫は、生気を細らせ声が消え入りそうであっても、はっきりと自分の気持ちをその言葉に込めていた。

「叔父様がどうしてこのようなことを為されたのか、その真意を知りたいの。そしてお父様を……本当は(・・・)、どうされたのかを」
「姫の叔父御を討ちたい(・・・・)わけではない(・・・・・・)と?」

 そうはっきりと尋ねたのは弦矢だ。一瞬の躊躇いなく肯定する少女を弦矢はじっと見つめる。

「姫が都を離れたのは、命の危険があるから(・・・・・・・・・)ではないのかな?」
「……」
「我らの“力”を欲したのも、叔父御がしっかりと城内を掌握した(・・・・・・・)からでは?」
「……」
「話し合いなど叶わぬと確信している(・・・・・・)からこそ(・・・・)、この場にいるのではないかと見受けられたのだが」

 冷たくも優しくもなく、されど淡々というのでもなく、弦矢は丁寧に大事なところをエルネ姫に問い重ねてゆく。
 もう一度、己の考えを、心の内を確認させるかのように。
 責めることも励ますこともなく。
 否定することも肯定することもなく。
 ただ、自らが何を求めているかをしっかりと(あらた)めさせる。

「その真意を知るために、よ」

 やがてエルネは顔を上げ、その澄んだ碧き瞳をまっすぐに弦矢の黒瞳へと重ねた。

「“力”なくば、叔父様と対等の立場にならなければ、その真意をお聞かせいただくことはできないのよ」
「失礼ながら、相手は国を動かせる人物であると、それがいかなる意味か承知しておるかな? 対等となるには、姫ご自身が、その資格を(・・・・・)持っていなければならぬことを?」
「ゲンヤ殿っ」

 思わずミケランが声に非難を込めるのを、「いいの」とエルネが制止する。それがいつもの彼女(・・・・・・)だと気づいたミケランが即座に自制し非礼を詫びた。

「確かに私は成人もしてない小娘よ。でも、もはや三人しかいないスタン家のひとりなの。場合によっては……最後の一人に」

 後がない――。
 順当に寿命を全うするならば、この先自らの成長に関係なく、すべての重責を否応なしに、その細く華奢な身で背負うことになる。それは若輩であることを配慮されることなく、スタン家である者が日頃から受け続ける“10万人の命”という圧力だ。
 普通の人間が精神的に耐えられるものではない。
 厳しい教育によって育まれ、実務という体験で培われ、生涯を通して血肉に刻まれたものが血筋によって受け継がれ、やがてはスタン家の魂になったからこそ耐えられるものだとエルネの父は説いていた。
 その血統であることを十二歳にして自覚している少女の言葉が、瞳が、小柄なはずの身体が弦矢に力強く訴えていた。
 自分の知る覚悟を少女の身から感じ取り、弦矢もまた力強く言葉で返す。

「先日申し上げたことを、あらためてエルネ姫にお伝えする」

 凜としたその声に、場にいる諏訪侍はもちろんのこと、ミケラン達まで居住まいを正す。

「姫が“求める場”に至るまで、我らはその身を護持する天下無双の刃となろう。そして諏訪の侍共よ、とくと心得よ――これは我らが諏訪と将来共に歩むことになる同盟国への助勢でもある」
「「「御意っ」」」

 一斉に両拳を畳に立て、低頭する侍の声が谺する。

「感謝します――スワの御当主殿」

 姫が病床で会釈するのを弦矢は静かに頷いた。
 互いに手を組む方針は数日前と変わりはない。
 だがある意味、思ってた以上に困難な道のりになることが判明したというだけだ。
 ここから公都まで密かに潜行するだけでなく、敵の手の内となった城内奥深くまで辿り着き、スタン家血縁同士の対面をお膳立てする。それには、エルネ姫の父君の安否も探る必要もあろう。
 まともに計画しても無謀すぎる試みだ。
 敵の手駒を含めた戦力分析も必要だ。そもそもこの世界に関する知識も――これからやらねばならぬことに思いを馳せれば、変心などあり得ぬことなれど、それでも先の気概が萎えそうになるのを否応にも実感しつつ、弦矢は無理矢理口角を吊り上げてみせる。

「弦矢殿、お加減でも……?」

 若干血色が悪くなった当主にエルネ姫が気遣わしげに眉をひそめる。そして、ぽんぽんと布団を叩きながら何気に口にした。

「弦矢殿も休まれては……?」
「へ?」

 皆の視線が布団を叩く小さな手に釘付けになるのを「(たわ)けっ」とばかり白髯の無庵が「こほん」と冷静に咳払いで(いさ)めた。
 その口元に小さな苦笑を、そしてなぜか瞳に隠しようのない寂しさを(たた)えながら。
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