(7)トッドの秘薬

文字数 7,398文字

「少しは落ち着いたらどうだね」

 エンセイの穏やかな口調にトッドは「何が?」と不思議そうに応じ、すぐに壮年剣士の視線に添って足下を見たところで、小刻みに貧乏揺すりをしている自分の左足に気づく。

「これは、その……ずいぶんと狭苦しい部屋に押し込めやがるから、苛立ってよぅ。ったく、椅子くらい置いとけってんだ」

 口調までおかしくなってあからさまに動揺を示すトッドを揶揄することなく、エンセイはあらためて室内に目を配りながら生真面目に応じる。

「確かにやや狭い造りだが……恐らく彼らにとってはちょうどよいサイズなのではないかな? ここまで見た限りでは、小柄な者が多かったように思えてね」
「それはいえるな」

 二人の会話にさりげなく合流したのは鎧騎士の男――ミケランだ。先ほどの板の間とは違う何かの草を編んだような風変わりな敷物がある部屋を物珍しげに眺めながら、「恐らく草原族(ハーフリング)のように種族的な特徴じゃないか?」と見解を述べる。その事に誰もが異論を唱えないのは、外の雑地で異人達に取り囲まれた際、誰もが屈強ではあるが目線を若干下げる必要があったことを思い出し、また、ここにくるまでの城門、玄関口、通路そしてこの部屋――すべての建築物を通して身長190㎝に迫るミケランが常に頭を下げて窮屈そうに歩いてきているのを見ていたこともあったろう。

草原族(ハーフリング)? まあ、確かに俺たちとはすこーし毛色が違うというか……」
「顔の造形から黒髪黒目、肌の色も薄く日焼けしている感じで我らとは“人種”が違うのは間違いあるまいが、それ以上の違いもあるのかもしれんな」

 相違点をすらすらと挙げ連ねるエンセイは異人の正体に好奇心以上の考えを抱いていたのだろう。いずれにせよ、魔境で生き抜いてきた者達だ。見た目以上の“何か”があるのはむしろ当然と見るべきだった。

「差し当たって、今思いつけるのは、それ(・・)が椅子の変わりではないか、ということくらいかな?」

 目線で示されたものは、それぞれの足下に置かれたクッションだ。ただし彼らの知るクッションの厚みは今目にしているものの実に3倍はあるのだけれども。

「床に座れってか? しかもこんな薄っぺらいクッション一枚で。奴らの考え(・・・・・)がはっきりしたな」
「そうとも限らん」

 あくまで冷静に異を唱えるのはエンセイだ。

「よく見たまえ。見た目だけでなく手触りでも粗とならぬよう縫い目を隠す工夫は確かな裁縫の技術と心配りの表れであり、所々に金糸をさりげなく織り込んでいるところなど拘りさえ感じられる。無論、使われる布地も悪くないし濃淡に偏りを出さぬようきれいに染色された手仕事には職人の面影さえ見えるようだよ」
「逸品だというのか?」
「君にはそう見えないのかね?」

 トッドが「はん」と目線を反らすのは認めるからこその誤魔化しだ。
 盗賊系の基本技能を収めている彼がある程度の“目利き”をできないはずもなく、むしろ、その点を暗に突いたのがエンセイの一言だった。

「旦那は教養がないと云うけど、この手のことになるとやけに目敏いよな」
「剣士にとって“観察力”は大事な要素でね」

 そういうものか? トッドの顔がそう告げていたが「それこそ盗賊なんて……」とばつが悪そうにぶつぶつ呟く。
 そんな調子で、彼らが沈黙と苛立ち紛れのやりとりとを交互にすること幾度目か。

「――お待たせした」
「容態は?」

 現れた白髯の男にミケランが食ってかかるように迫るのをエンセイが肩に手を止め自制を促す。
 己より頭ひとつは優に高い大男に迫られても白髯の男はわずかも身を退くことなく、目線をしっかと合わせて穏やかに請け合う。

「心配ござらん。過度の疲労によるもの――きちんと養生すれば回復するとのことだ」

 白髯の回答に「そっか――」どっかと音を立てて腰を落としたトッドが大仰に声を洩らした。それを合図に白髯が皆を促して腰を落ち着けさせ――やはり薄いクッションが椅子替わりであったらしい。ただ椅子ではないため、実際にどう腰を落ち着ければよいのか戸惑ったが。特に鎧を着込んだままのミケランは大いに四苦八苦した――埃でも立ちそうな慌ただしさが沈静化したところで、あらためて話を続ける。

「ただ、意識はまだ戻られてはおらん。このままぐっすりと眠りに就かせておくべきだろう」
「せめてお顔を拝見したいのだが」

 今すぐ立ち上がりかねない様子のミケランに、「後でご案内いたす」と白髯は快く頷いて、それから雰囲気を少し緊張感のあるものに切り替える。

「あらためて、ご挨拶申し上げる。(それがし)は諏訪家で家宰を勤めさせて頂いておる真行寺(しんぎょうじ)無庵(むあん)と申す。以後お見知り置きを」
「これは丁寧に。私はエンセイ。微力ながら旅の助っ人として同行しておるものです。そして――」

 壮年剣士に任せず、上部の鎧を脱いだミケランが座しているのに直立不動を思わす調子で、胸を張って名乗る。

「私はミケランダル・アウール・スケルディア。エルネ様の専属警護を仰せつかっております」
「トッド」

 後ろでぼそりと声を上げたのは皮鎧の男だ。他の面子は主立った者が名乗れば十分と割愛前提で沈黙しており、白髯の無庵も当然のように触れずに流す。

「さて。残念ながら、会談については延期せざるを得ないことはご承知頂けるかと存ずる。ただ、そうなれば互いの信頼を高めようがないというのもまた事実。……城には大勢いるのでな」

 ミケランが眉をひそめるのを、逆に無庵の意図をきれいに汲み取ったエンセイがすかさず同意を示す。

「我らもエルネ様が心配で、あまり表に出ることもないかと考える」
「心中お察しする。それでは、こちらで御用聞きとして人を付けるようにいたそう。何かあればその者に申しつけくだされ」

 妙案を得たとばかりに無庵が気遣いを示せば、申し出を受けるとばかりエンセイが軽く顎を引く。

「ご配慮感謝する。とはいえ、我らとて旅の精神的疲労も濃く気分転換も必要とする。職業柄、あまり閉じこもっていては力を持て余し気味(・・・・・・・・)となるのも(・・・・・)よろしくはない……なので、予め散策できるところを教えて頂けると助かるのだが」
「散策……ふむ」

 無庵とエンセイの一見笑みを含んだような他愛のないやりとりを、トッドだけは影で嫌な緊張感(・・・・・)を味わいながら聞いていた。

(譲歩したんだから、このくらい認めろってか? 旦那も意外に駆け引きするねえ)

 城主の宣言があるものの、会談で明確になるはずだったエルネ達の立場は、現実的には宙に浮いた状態だ。家臣達がよそ者に城内を勝手に歩き回られたくないと思うのは当然であったろう。だからといって、エンセイ達としてもあまり厳しい軟禁を受け入れたくないのも心情だ。
 今のわずかな会話のやりとりは、互いの思惑を見透かした上での“交渉”であり、エンセイの要求を無庵は正確に理解してくれたらしい。
 少しだけ白髯を手でしごきつつ思案したところで「無論、構いませんとも」と応じる。

(見られてよい範囲を示せということか……)

 エンセイが素直に主導権を渡してくる譲歩ぶりに、「ならば」と検討し始めたところで無庵は「誘導された」ことに気づき、内心苦笑する。

(ふふ……一本取られたな)

 細められた眼がエンセイの評価を改めたことを物語っていた。

「疲労の度合いにもよるが、一日二日は眠り込んでも不思議ではないようだ。姫様の付き人には女子(おなご)をあて、我らの医者も同性であるから、しばらくは安心してお任せ願いたい」

 ミケランの胸中には様々な思いが渦巻いているようだが、無庵達に害意があるなら初めの時点で血をみている。ここまできて疑うことに利があるとはさすがに思えず、異論がないことを沈黙で答える。

「そこで、しばらくは退屈凌ぎと云えば語弊があるかもしれぬが、我らだけで懇談できればよいかと考えておる。親交を深めるためならば、お国の姫様も許してくださるのではないかな?」
「勿論、エルネ様はお心が広い方ですからっ」

 勢い込んで同意したのはミケランだ。エンセイがわずかに眉を動かしたのを彼が気づくことはなく、「城を見てもそうだが、あなた方の世界観に非情に興味が湧いております」と逆にエンセイでは口にできぬ内容をあっさりと言ってのける。

「世界観……?」
「ええ。この城から感じる厳粛な空気といえばよいでしょうか。身の引き締まるような思いがするのです」

 まっすぐに目を見て真摯に述べるミケランの口ぶりに、無庵の頬や目元がかすかに弛んだような気がした。

(ほう……)

 剣士としての観察眼故に見抜いた、相手の態度のわずかな軟化に、エンセイも己の立ち位置とミケランに対する評価並びに扱い方について改めるところがあると感じるのだった。

「それでは今宵、我らだけのささやかな席を設けましょう。愉しみにしております」
「待ってくれないか?」

 立ち上がりかけた無庵に声を掛けたのはトッドであった。腰のポーチからオレンジ色の液体が入った小瓶を取り出し、無庵へと差し出してくる。

体力回復の(ポーション・オブ・リカバリー)薬瓶(・ヘルス)だ」

 黙って不思議な色合いの小瓶を見つめる無庵に、理由を問われた気になったのだろう。トッドは云いにくそうに一度は視線を反らし、すぐに目線を合わせてはっきりと告げる。

「あんた方を信用しないわけじゃない。ただ……姫さんに呑ませてやってくれないか?」
「……お預かりさせていただく」

 トッドの眼に何かを見たのだろう。しっかりと受けて、今度こそ無庵が退出する。
 ほぼ同時にそそくさと後ろへ下がるトッドにあえて仲間達は声を掛けずそっとしておく。視線は白髯の初老へ向けたまま。
 この短い会話は成功だったのか失敗だったのか。そんなことを思わされる白髯の所作に意識が向けられていたせいもある。
 ゆるりと礼をとり、去り行く無庵の余裕ある姿に彼の目的が満足のゆくレベルで達成されたことを物語っていただけに。

「……腹の探り合いは苦手なんだが」

 呟くエンセイにミケランがほっとしたように息をつく。

「優しい御仁であったな」
「君は少し“会話”を(たしな)むべきだよ」
「?」

 ミケランの疑念にエンセイがいちいち説明することはない。少しだけ胸に引っ掛かりを覚えることに思考を切り替えていたこともある。
 あの薬瓶(ポーション)を渡したのはよかったのだろうかと。

         *****

これ(・・)を分家の奴めに持って行け」
「よろしいので?」
「恐らくこの世界を知るための重要な物品だ。きっちり調べ上げろと伝えよ。姫に呑ませる分量をきちんと残すなら、少しくらい別けても構わん」

 補佐職の男へ小瓶を手渡す無庵の仕草は、まるで国宝級の茶器を扱うように殊のほか慎重だ。手渡される方も思わず両手を掲げて恐る恐る受け取る感じになる。

「それにしても、器も見事なら、中身も実にきれいな色合いの飲み薬でございますね」

 沈む夕陽の見事さに感涙する詩人のごとく透明な瓶をしげしげと見つめて、補佐職はため息のようなものをそっと吐く。
 熟した柿にも鮮やかな蜜柑にも似た色合いだが、実際にはもっと澄んだ神々しささえ感じられ、これこそが伝承に聞く神薬と云われれば、疑いもせずに納得できよう。

「……呑むなよ?」
「も、勿論でございます」

 「舐めるのも許さぬ」と心臓をどきりとさせることを念押す上司に「しかと、しかと」補佐職は首筋を汗で濡らしながら何度も首を振るのだった。

         *****

「申し上げますっ。後陣の碓氷隊、交戦開始!」
「またか……これで三度目か?」

 万雷が交戦開始の伝達に苦い声を洩らすと「前陣の暮林隊、化け物を撃退。進軍を再開っ」すぐに別の報告が上がってくる。
 万雷が指揮を執る場合に限り、戦況の慌ただしさに応じて伝達にかける言語の数を調整するようにしている。
 特に泥沼の激戦ともなれば、矢継ぎ早に入出する情報に処理が滞ることが頻繁に起こるからだ。それは致命的な戦術の遅れを生み出し、戦の流れを決めてしまう要素となる。
 故に万雷は、重要な単語のみを組み合わせて短文による報告を無礼とせずに赦し、むしろ奨励していた。逆に言えば、伝達の短さで戦況を知ることもできる。
 受けた伝達の切り詰め具合で戦況を感じつつ、万雷の声は一層苦みを増す。

「朝から頻繁に戦っている……それも相手が化け物だなどと」
「先の二件は“二足の獣”とか……丹生様が刃を交えた“蟲”とは違いますな」

 付き従う『赤堀衆』の側侍が話しの手を取る。

「次は狐か天狗か? 地獄の釜でも倒したか……」
「例え物の怪が相手であっても、『赤堀衆(われら)』が、万雷様には指一本触れさせませぬ」
「頼もしいが、むしろ少しは遊ばせてほしいものだな」

 太い笑みを浮かべる大将に「さもあらん」と承知していたように側侍は驚きもなければ小言も口にしない。

「戦でもないのに兵を損耗させるわけにいかん。暮林に通達っ」
「はっ」
「我らより先行し、城までの道を切り拓け。次に宇城隊へ通達っ」
「はっ」
「暮林の後に続き、城に到着次第、本陣の出迎えを整えよ」

 順次通達を発し、万雷は最後に第四部隊の碓氷に通達を発する。

「あまり遊ぶな」
「…………以上でよろしいので?」

 まさか本当にそれだけかと思わず目が点となる側侍が聞き返すのは当然だ。亡き副将榊であれば「いつものこと」と何も云わずに受けたのだろうが。

「単騎の戦力としてならば『雷四つ』切っての武辺者ぞ? むしろ、化け物狩りに夢中になり、兵を危地に追いやらぬかが心配だ」

 「あそこは暮林隊とは別の意味で好戦的だからな」と不安げに語る大将に側侍も「確かに」と大きく同意する。
 とはいえ、特命で隊を離れた秋水の部隊を碓氷隊に編入させ、軍内最高の戦力に膨れ上がっている。万一など起きるはずもないことは万雷も承知していよう。

「皆に伝えいっ。できる限り交戦を避け、城に戻ることを優先せよと」
「ははっ」

 伝者を走らせながら、万雷は筋肉の力加減を調整しながら肉体の具合を確かめた。朝起きて、昨夜あれほど受けた損耗が嘘のように軽くなっているのに驚いていたのだ。傷さえ塞がりかけている回復力に異常なものを感じてもいる。それは部下達も同じだ。

(昨夜から何かが狂っている)

 城に戻ったところでどうなることやら。いや、城に戻ることができるのか?
 手元に“相棒”がいない現状に珍しく心許なく感じるのは、知らず、胸奥に不安を抱くからか。

「急報っ。そちらに――」

 左手奥から警告が上がった時には、万雷始め全員の耳が地響きのような音を捉えていた。さらに万雷だけは足裏にわずかな振動も感じ取っている。

(三十貫(約100㎏)――猪の類いか)

 そう判じたところで、藪を蹴散らし現れた黒い物体はまさに猪――異常に鋭く突き出した牙は四本あり、怒り狂った激情を表すように全身の体毛が逆立ち、針のむしろを形成している。
 焦げ茶どころか漆塗りの如き漆黒の体毛に血走った赤い眼――妖異なる姿は脚力も異常なのか、あまりの速さにそばにいた『赤堀衆』が反応しきれず跳ね飛ばされる。
 重さ三十貫の突進力は力士の体当たりさえ凌ぐ威力を持って、激突された『赤堀衆』の身体は一瞬で皆の視界から消え去っていた。

「「「――――!!」」」

 だが、最悪なのは進行方向に大将がいること。無双をもたらす槍持たぬ大将を馬鹿げた突進力を見せつける化け物猪が狙っている――それに気づいても対処できる者はおらず。
 細い樹木程度であればへし折って、遮るものなき荒野を行くように、化け物猪が真っ直ぐに万雷へ向かって突進してきた。
 まるで肉親の仇と怒れるような怒濤の勢いで。

「「「万雷様――!!」」」

 届かぬ無念をこめた悲痛な叫び。
 だが口の端を思い切り吊り上げ、鬼面を思わす嗤いを形作る万雷に逃げる素振りはない。
 やり合うつもりだ――化け物と。その気迫に当てられたように、化け物猪の首が下がって牙を水平に突き出し激突に備える。

((逃げてくだされっ))

 刹那の中で側侍達の思いはひとつ。目を血走らせ、反応できぬ不甲斐ない己の力に歯噛みする。
 そんな彼らの一念を微風と流して、万雷が足を広げて腰を落とし、両腕を高く掲げて「来よ」と待ち侘びる。そして――

「ふんっっ」
 ズドン――

 凄まじい地響きに視界が一瞬ぶれて、側侍達は肝心の瞬間を見逃すことになった。

「え?」
「あ……」

 視界がはっきりしたときに目にしたのは、頭を土に打ち付け、なぜか逆さまになっている化け物猪の巨体とその頭部に組んだ両腕を打ち下ろしていたらしい大将の姿。
 ずしりと黒い巨体が横倒しになり、そのまま辺りが静まり返る。

「……ぅお……お」

 ぶるりと震えた身体を側侍は抱きしめた。何だったのか今目にしたものは。いや、肝心なところは目にしていないが結果だけを見れば明らかだ。

 あんなことができるのか、人の身で――?!

 『赤堀衆』に上り詰めた強者だからこそ、伝わる強さがある。今のが正にそれだ。昨夜瀕死の重傷を負っていた者が為せる仕業ではない。それができるからこその篠ノ女万雷か。

「……殿……」

 軽く息を吐いて振り返った万雷を側侍の一人が労おうとして言葉をなくす。実際、何を云っていいのか分からなかったからだ。

「できうるなら、あとで取りに戻りたいな」
「?」
猪鍋(ししなべ)を皆に振る舞える分量があろう?」

 どこかすっきりした感じで飯を気にしている大将に「印を……印を付けておきましょう」と側侍は何とかそれだけを答えるのだった。
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