(3)次郎丸の奮戦

文字数 6,066文字

夜半過ぎ
羽倉城周縁の森
 諏訪軍『暮林隊(殿(しんがり))』――


 正直、次郎丸には策も何もなかった。
 それを無様と言ってもいい。
 だが軍団の先手として常に戦の前線――地獄の釜で戦ってきた次郎丸にとって、戦に“華”など求めてはいない。戦場ではただ、

 無慈悲に射られ、
 無慈悲に突かれ、
 無慈悲に斬り捨てられるのだ。

 集団の中で血飛沫かせ、糞尿をまき散らし、肉塊となるまで敵と貪り合う。
 負ければどうなるか、互いに知り尽くしているために。

 小さな田畑を荒らされ――
 僅かな食扶持(くいぶち)を奪われ――
 女房を犯され――
 子供は売りに出され――
 すべてを失うのだ――無惨な仕打ちをたっぷりと受けた後で。

 故に、“手段”に構っていられる余裕など次郎丸にはない。

 とにかく生き残ればいい。

 できれば仲間と共に生き残ること――無事に帰って酒を飲み、女を抱き、あるいは愛する家族と過ごすことができれば“必要なこと”は何だってやってやる。

 何だって“良し”とする。

 敵鎧武者たちの足を止められるなら、森にあるものは何だって武器にする。
 それ故、次郎丸は近くの手頃な樹木(・・・・・)を切り倒して即席の『破城槌』を作り出し、それを四、五人一組で抱え上げさせたところで、一斉に突撃させた。

退()け、退けぇい!!!」
「な、何だ?!」

 突然、背中を叩く勇ましい掛け声に、何も知らされていない味方の兵が、驚き戸惑うのも無理はない。だが、それでも突撃隊は足を止めるわけにはいかなかった。

「構うな、突っ込めぇ!!」
「ばっ……」
「恨んでくれるなっ」
「ぅ、ぉあああぁあ――っ」

 敵に圧力を掛け続ける必要があるため、上品に隊列運用などやっていられるはずもなく、次郎丸達二番槍隊は、味方の背後から強引に押し退けるようにして吶喊(とっかん)をかける。
 当然、敵よりもむしろ味方の軍が混乱に陥るものの、それを承知で逸早く突撃をかけねばならぬほど、宇城・暮林の二隊は追い込まれていた。
 実は部隊が壊滅するかどうかの分水嶺だったのである。



「おっごおおおっ!!」



 意味不明なわめき声を上げながら、味方をある程度巻き込みつつ、荒削りな尖端を前にした太めの樹木が敵の最前列に突っ込んだ。
 鉄と樹木の鈍い激突音に、逃げ遅れた味方が押し潰される“ごじゅっ”あるいは“にゅじっ”などという気色の悪い音が重なる。

 それがひとつ。

 ふたつ。

 怒声や罵声をまき散らしながら、次々と不格好な“(くさび)”が打ち込まれていく。

 途端に鉄人形の前線が乱れた。

 だが、大盾で怪我を軽傷で済ませたらしい敵鎧武者の反撃をそこかしこで受ける。
 斧のような一撃を乱打させて不細工な破城槌もどきを壊し、あるいは槌を抱える兵の頭を砕き、果ては大盾を投げ捨て突出してくる鎧武者もいる。

(これでよい――)

 味方の死を受け止めながら、次郎丸は部隊本隊が離脱しはじめたのを目の端で捉える。このまま続ければ、目的は遂げられると確信する。だから怯まず次郎丸は声を張り上げた。

「もう一丁!」
「「「応っっっ」」」

 血相を変えた味方が転がるように逃げ惑うのを尻目に、不格好な破槌槌を抱えた吶喊部隊が素早く退き、疲労で足をもつれさせながらも必死の形相で再度の突撃を行う。

「もう一丁!」
「「「応っっっ」」」

 まだまだ、と次郎丸が号令を繰り返す。だが、そう何度も素直に喰らうほど敵も愚鈍ではない。

「****!!」

 さすがに鎧武者の一群から、初めて必死さが窺えるような号令が放たれ、一斉に大盾の下部を杭のように地面に打ち立て始めた。
 叩きつけ、さらに大盾を二段に重ねて即席の“城壁”を構成しようとするが、壊され放置された破城槌や多くの死体が邪魔になってうまく形成できない。
 もたつく間に次郎丸達の二撃目がぶちかまされた。

 ごずんっ――

 ぶづっ――

 今度こそ確実に前線が崩れる。

「――よしっ」

 次郎丸が胸中の熱を吐き出し、敵の軍団を睨みつける。背には味方部隊が遠ざかる気配――首尾よく事が運んでいるのは間違いない。

 戦局に変化が生じていた。

 こうした変化を次郎丸は戦場で度々感じたことがある。
 戦の流れは炎とも川とも表現されるが、次郎丸は別のものとして捉える。揺るぎない強固な部隊を岩のように見、産まれた隙を“亀裂”が入ったと捉えるのだ。
 眼前の敵部隊はこれまでにない頑強な岩であり、今まさにその強固な岩塊に“亀裂”が入ったのを感じ取っていた。

(ここだ――)

 前線が崩れることで、敵による一方的な殺戮だった“流れ”が停滞している。
 次の“流れ”は決まっていない。
 誰が先に、何を仕掛けるかに掛かっている。ならば、



退()けぇ!!!!」



 次郎丸が先に号令を発した。
 敵の動きが停まった今だからこそ、躊躇いなく退却する。
 撤退を告げる銅鑼はない。決死隊である殿(しんがり)の隊に用立てるはずもなく、なくとも戦場の喧騒に負けぬ次郎丸の大音声に、皆、遅滞なく反応する。
 “遅れるは死”など言わずもがな。
 留まるほどに(まと)にされ易く、的にされれば死ぬだけなのは、嫌と言うほど戦場で味わってきたから当然だ。

「ぬぉおおお!!」
「……ぐぅ!!」
「ぁ……っ」

 もはや退却というより敗走だった。
 両手足を千切れんばかりに動かし、脇目も振らずに無我夢中で走り抜く。
 あるいは敵の矢か大刀か、背に受けぬよう必死で祈りながら。
 だが、退きすぎては駄目だ。敵を誘い込めとの命がある。数名に矢を射かけさせ、無視できぬ形を取りながら退かねばならない。
 逃走本隊に追いつかせず、かつ、追ってこさせるという無茶を実現するために、次郎丸が急造したのは“誘いの弓隊”と“戦う意志を示す槍隊”の二部編制。
 そして、実はここからが次郎丸達にとって、殿として務めを果たすべき本番となる。

「ここまでじゃあっ――!!」

 思わず何名かが行き過ぎそうになるほどの勢いを、先頭切って走っていた次郎丸が振り返り、小柄な全身を目一杯に使った号令で、力任せに押し留める。
 狂騒する馬すら竿立ちで止まらせたという次郎丸の覇気を浴びて、隊員らが我に返ったように立ち止まる。
 大木ではないにせよ、樹木を抱えての吶喊に全力の疾走――短い時間ながらも体力を搾り取る労働に、誰もが汗でずぶ濡れになり、ほとんどの兵が膝を小刻みに震わせていた。
 立ち止まると同時に自然と膝をつく者がいたのは当然だろう。
 だが、どれほど消耗が激しくても、“これで本番前”という状況は初めてのことではない。
 だからこその二番槍隊。

「堪えろっ。槍を持って二人一組になれ。一息つくのはそれからだ」

 次郎丸は予め備えておいた武器を手に取り、疲弊する隊員に鞭を打つ。

「おい、尻は着くなよ」
「よく足を揉んでおけ」

 時に助言をし、時に竹筒の水を分けてやりながら、自身は休息をとることなく隊員の様子を見て回る。

「気を弛めるなっ。槍に集中するんだ。いいか、互いに息を合わせて突きかかるんだぞ」
「卒長」

 その時、兵の切迫した呼びかけを次郎丸は背に受けた。

「奴らが――」
「――みたいだな」

 夜で見通しが悪くても、鎧武者軍団が近づく鉄擦れの進軍音ははっきりと聞こえている。それも思ったより近い。
 敵に無視されぬ程度にしか距離をとっていないから仕方ない。それでも思ったより早く追いつかれたことに次郎丸は内心愕然とする。敵はあれだけの鉄を身に着けながら、平地並みの速さで歩けるらしい。

「畜生、もう少し休ませてくれ――」

 隊員の嘆きには少なからぬ敵への畏怖が込められている。そう察した次郎丸が隊員の背を叩く。

「臆するなっ」

 檄を飛ばしたのは隊員にか、はたまた己にか。次郎丸が手にしているのは、馴染んでいるとはいえ、いつもの武器であり、戦果を挙げた先の破城槌はもう手元にない。
 あとは槍使いの工夫で何とかするだけであったが、練習もなくぶっつけ本番でやるだけに、うまくいくか自信はない。

(いや、信じるしかないっ)

 次郎丸は隊員が手にする武器を見やる。
 現在の足軽における兵装の主流は、全長三間(約5.4m)に達する長槍だが、林野を舞台とするならば、戦いや移動で不利になることが多く、それ故『諏訪』においては取り回し可能な短槍を主装備としている。
 ただ今回に限っては、直前まで引きつけないと攻撃できない“間合いの短所”がよくよく悔やまれた。それほどに敵鎧武者の戦闘力は圧倒的で、激戦に慣れているはずの暮林勢に恐怖を植え付けてもいた。
 とはいえ、恐怖に屈すれば、案じた策による成功の可能性さえ露と消える。

「敵に臆せず互いに合力すれば、必ずや戦果は挙げられるっ」

 自らを奮い立たせるように次郎丸が言い放つ。

「刃でやるな、“石突き”を用いよ。よいか、息を合わせるんだぞっ」

 鉄の防具を刃で抜くよりも、衝撃で相手を怯ませることに全力を注ぐ。その前段に、できるだけ樹林が密集している場所を攻撃地点として選んでいた。
 樹木を支障物や盾として用い、敵の組織力を低減させ、かつ、剣を振るう相手に対し槍で突く優位性を際立たせることも狙う。
 歴戦の強者である次郎丸は、相手の強さがどこにあるかを見極め、最善の策を彼なりに見出していたのだ。
 
「いいか、立つ位置も考えろ。樹木を使って敵を分散させる。鎧武者がばらばらに樹間を抜けてきたところを、“槍組”が叩く」

 次郎丸は作戦を声に出し、何度も繰り返して念を押す。

「奴らに隙ができれば、刃も通せる。“留め刺し”の役は、いつでも跳びかかれるように気を弛めるなよっ」
「「応っ」」

 そろそろか。
 誘いの弓隊が姿を見せた。ひとりが血相を変えて次郎丸に近づいてくる。

「や、やつら怪しげな術を――」
「分かっておるっ。いいから下がれ!」

 腕を掴んでくる弓士を後方へ突き飛ばし、次郎丸は他の弓士にも下がれと手を振る。確かに弓隊の人数が減っていたが、敵の怖ろしさは百も承知。今さら怯んではいられない。

「構えっ」

 一層気を引き締めた次郎丸が部下を横列に並べて槍を構えさせる。指揮官の気合いはただ“為すべき事”に集中させ、兵の恐怖を振り払う。
 それを知るからこそ声を張り上げる。

「思い切り突いたらすぐに離脱しろっ。離れて再度繰り返す。何度でもだ!!」
「「応っ」」

「へそから声を出せっ。皆で合力すれば、必ずや鎧武者を突き倒せるぞ!!」
「「応っ」」

「二人でだめなら三人でやれっ。忘れるな、息を合わせるんだぞ。いいか。えい、おう、でいくぞっ」

 まくし立てる次郎丸こそが一番興奮していた。攻撃の段取りをくどいくらいに繰り返し、隊員の間を周りながら肩や背をばんばん叩いていく。
 やってやると隊員の士気が高揚する。
 使命感だけではない。
 怖いのだ。何かに乗っからないと叫び出したくなるほどに。

「ふっ、ふっ」

 荒い息づかい。隣の戦友かと思えば自身のだったりする。生き延びた日の宴会で、お互いがそうだったと気づかされる。
 敵はもう目と鼻の先だ。
 樹木の隙間を通して姿が見える。月明かりで鉄の鎧が鈍い光を放っている。

「ぶっ倒してやるっ」
「やったる。やったるぞ!!」

 念仏のように何度も罵声を吐き出し、頬を張り、構えた槍をしきりにしごく兵たち。息を整え、一度は手ぬぐいで拭き取ったはずなのに、再び額や首筋に汗の珠を光らせている。
 此度の戦は今までと違う。
 戦慣れたはずの彼らでさえ、異常に緊張を高ぶらせる未知なる敵。

「――うわ、なんだこりゃ?!」
「さっきも――」
「ひ、人魂だっ」

 唐突に、周囲がぱぁっと明るくなり、大きなどよめきが隊内に上がる。その“人魂”が、前方からすぅっと近づいてくるのを次郎丸だけはしっかり目で捉えていた。


 
「敵のまやかしだっ、馬鹿されんじゃねえ!!」



 次郎丸の一喝が、気を動転させる隊員の頬を張り飛ばし、一瞬、呆けさせる。

「奴らなら、こんくらいやるっ。隙を見せると、殺られるぞっ」

 先ほどの戦いでも、人魂は宙に浮いていた。
 武器として使うのでなく、松明変わりの品物であることを次郎丸は見極めていた。奴らは自分達ほど、夜目が利かないということに。
 騒ぎになっている間に、すぐ近くから、樹木に大盾や鎧がぶつかる音が響いてきた。視界の悪そうな鎧だ。下生えで足を捕られもするから当然だろう。

「――――来るっ」

 次郎丸が鋭く発し、動揺していた隊員達が我に返って槍を構えた。
 樹皮に金属が擦れる音。
 樹木が密集しているため、これまでで一番敵軍の足音が乱れる。

「鋭っ――」

 想定していた密集帯より鎧武者の姿が現れた刹那、次郎丸の裂帛の気合いが迸り、



「「「―――応っ!!!」」」



 槍組の咆哮が辺りに爆発した。
 物凄い打突音が大気を振るわし、大きく体をよろめかせるだけでなく、胸部を凹ませながら幾人かの鎧武者が倒れる。

 手応えありっ

 次郎丸の全身がぶるりと震える。
 『破城槌』を除けば、初めて攻撃が通った手応えに鳥肌が立つ。さすがに鎧武者全員を突き倒すことはできなかったが十分な成果だ。


「っおおおおおおおぉお――っ!!!」


 全身を震わし喉の奥から咆哮した。それは周囲の兵たちも同じだった。

「やっ――た!!」
「うぉらああっっ」

 ただの一撃でこれほど歓喜を表すことなどない。
結果だけ見れば敵のほとんどが死んだわけではなく、単に足止めしただけにすぎないのだから。
 それでも、今の今まで為す術なくやられていたことを思えば歓喜を抑えられるはずがない。
 たいがいは大盾で阻まれたが、中には、槍を受け止めた大盾が衝撃で横に流れたのをすかさず二撃目を放ち、突き倒した豪の組もいたようだ。

 だが語るべきは次郎丸だ。

 一人、二、三歩ほど助走をつけて猛烈な打突を放っていたのだ。
 踏み込んだ位置を見れば、地に大きく足形が穿たれているほどに。しかも得物は彼が憧れる『軍神』を真似て鉄芯を入れた特注の手槍。
 本来ならば鉄を剥き身の状態にしたいが「身を弁えぬ」と“咎め”を受けぬように木材で包んで、下級兵士に相応しい見た目へと細工していた。
 実は見た目以上に“強き武器”を“猛烈な一撃”で叩き込んだ結果、鎧武者の頭が歪な角度で折れ曲がり、突き殺してしまっていた。

「なっ――」
「あれ、卒長が……?!」
「**っ」
「***?!」

 敵も味方も。
 その瞬間を見た者はいないが、ひときわ高い衝撃音に目を向け、結果だけを近場の数名が目撃し、衝撃を受ける。
 しかしどれほどの戦果を挙げようと、次郎丸は一人しか居らず、これは百人単位で戦う戦であった。

「それ、退却じゃ!」

 当の本人は結果をろくに見もせず、素早く身を翻している。同じく掛け声に応じて、気持ちがいいほど追撃に未練もみせず撤退する兵たち。

「――よぉし、ここに並べぃっ」

 同じく樹木の密集帯を見つけると、また、先ほどのように横一列に布陣する。
 手応えは掴んだ。これをうまく繰り返せれば味方の退却をきっちり援護できるはずだ。

「頼むぞ忠助。後は万雷様ならば、必ずや――」

 前方を睨み据えたまま、次郎丸は背後の退却しているであろう幼なじみへ思いを託すのだった。
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