(10)朝露に濡れるのは

文字数 10,468文字


とある林
 パユと小鬼達――


「(頑張って捜したんだが、この辺りには、あんまりアブねえモンはいねえみたいだな)」

 そう不満そうな言葉を口にするグルカの足下には、推定100㎏は軽く超える『牙猪(レッド・ボア)』の大きな首がデンとふたつ並べられており、おそらく麻痺毒を持つ『森鼠(フォレスト・ラット)』であろう動物の遺骸が4匹、吊るし首のように腰からぶら下げられている。
 いずれも森林エリアでは“危険生物”とカテゴライズされる生き物であり、狩猟を生業とする者ならば、これが一日とかからずに挙げた成果と知れば畏敬の念を抱かずにはいられまい。
 当の本人もその偉業(?)を自覚しているのか、不満げな言葉とは裏腹に、腕を組んで仁王立ちする姿はどう見ても「自慢」しているようにしか思えなかった。

「(それで、グナイの方は?)」
「(あまりよくない。少し足を伸ばしたが、これといった気配がない)」

 変則十字仮面のグナイが担いでいた木の枝を前に差し出すと、そこに縛り付けられていたのは、蛇と『藪猫(ブッシュ・キャット)』の遺骸だ。
 特に猫の方は藪に溶け込むような毛皮の模様による見つけにくさと異常な素早さが相まって、狩人が捕獲困難なトップ3に名を挙げる狩猟界の珍獣である。渋い猟果と告げる割に、こちらも狩人泣かせな玄人働きなのは間違いない。
 それでも己の偉業を揺るがすことはないと判断したか、グルカの自慢げな態度は崩れることなく、さらに余裕を持った感じで渦巻き仮面の仲間へと報告を促す。

「(グクワは? まあ、どうやら俺たちが獲りつくしてしまった感があるから、めぼしいものがなくても仕方ないだろうが……)」
「(いや、それなり(・・・・)には)」
「(なに?!)」

 ぴくりと肩を動かすグルカとグナイの驚きを他所に、小柄な仲間は己の戦果を下草に紛れないよう丁寧に並べてみせる。その作業を眺めるうちに不機嫌な空気を漂わせはじめたグルカは最後まで待つこともできずに、たっぷりと疑念の込もる口調で指摘した。

「(なんだ、それは?)」
「(なんだとは? ああ……これは“アザミ”、これは“スリの根”、“ヤマウコギ”、“ホウヨウ”、そっちのは“クグユの葉”。昨夜、パユが採ってきたものを呑んだから覚えてるだろ? で、こっちが……)」
「(いやいやいや)」

 質問の意図を汲み取ってくれない仲間に、グルカが両手を振りつつ声を荒げる。

「(まずは、このヘンの危険なものを排除するって話し合ったよな? 掃除だよ、掃除。なんでお前だけ、食事の添え物集めしてんだよっ)」
「(…………お前達で十分だったから?)」
「(せめて頭ん中で決めてから声に出せよ)」

 反省の色がないグクワに「だめだこりゃ」とグルカがあからさまに肩を落とす。これまでの長い付き合いでグクワがどういうヤツか知っているはずなのに、相変わらずのやりとりを見せた後、「まあ、いいだろ」と気持ちを切り替えられたのは、それでも己が一番の猟果を挙げたという事実が揺らがなかったためだろう。グルカもグルカである。

「(ふう……で、グドゥ、外の様子はどうだった?)」

 彼に狩猟の成果を求めなかったのは、昨夜の一件に関して、別の重要任務を自ら買って出ていたからだ。
 あの後当然のことながら、運送チームの未到着を不審に思ったのだろう、連中の仲間が捜しに来て大騒ぎになり、トラブル発生の報告をすべく隠れ家(アジト)に戻ろうとする後をつけ、小鬼達は早期に“ひとまずの目標”を達成することができていた。
 その後、別の仲間に知らせるためと思われる伝者が出発するのを林の外まで追いかけ、ある建物に向かっていると察した時点で速やかにご退場願った(・・・・・・)のだ。それがパユから聞いていた“倉庫”というものであることは、人気の無い建物の様子から小鬼達も知ることができた。
 そうして今朝、あらためて人語が分かるパユを連れ、グドゥが“現場検証”に向かったのである。

「(パユが云うには、林の外は“果樹園”というものになっているそうだ)」
「(果樹園?)」
「(“木の実が生る樹木”だけをたくさん集めて育てるトコロ、とでも思ってもらえばいいわ。人間は何かを専門的に育てて、それをお金に換えて暮らしている人がいるのよ)」

 これまで黙って小鬼達のやりとりを聞いていたパユが、自分の出番を察して会話に割り込んでくる。その説明はうまくいったらしく、グルカはそれなら知っていると頷いた。

「(“金”か。人間が命よりも大事にしているモノだな? 食えもしないモノにむしゃぶりつくお前達の感覚は分からんが)」

 侮蔑さえこもるグルカの言い草に、「(別に単純な話しだろ)」さらりと云うのはグクワだ。

「(俺たちだって食べられもしない『狩猟のネックレス』を後生大事に首からぶら下げているし、さっきからお前が拘っている“猟果の一番”も腹も膨れぬただの自己満足だ)」
「(む……)」

 グクワの遠慮のない指摘に痛いところを突かれたグルカが言葉を詰まらせる。

「(責めてないぞ? 何を大事にするかは種族によって違うと云いたいだけだ)」
「(人間の場合はそれが“金”だと?)」
「(そういうことだ)」
「(むう……)」

 「何か違う」とパユが言いたそうに口を開け閉めするものの、どう言葉にしたらいいか分からず結局は困った顔で黙り込む。
 その無意味に哲学的な方向へ脱線した話を馴れた感じで強引に路線を戻してグドゥは先を続ける。

「(とにかく、その“果樹園”には恐らく管理者のものと思われる住居と倉庫があって、倉庫の方が、パユが連れてこられた建物で間違いないようだ)」
「(管理者? いやいい。それより、何か役立つ情報があったのか?)」

 グルカの声に期待はない。余計な新手が来ないことが分かれば話しとしてはそれまでだ。あとは連中の隠れ家(アジト)攻略に専念することができるので、はっきりさせたいだけである。

「(果樹園の管理人は連中の仲間だろう。だが、伝者を黙らせたから何も知らず、気になる動きも当然ない。しばらくは大丈夫だ)」
「(ならば念のため、そいつらも排除した方がよくないか?)」

 グナイの提案をグドゥは「(だめだ)」と却下する。

「(“果樹園”は明らかに人間のテリトリーだ。侵せば人間全体を敵に回すような話しに発展しかねない)」

 そこで四人の注意が自分に向けられ、つまりは意見を求められていると気付いたパユが慌てて頭を働かせ始める。
 右のこめかみに人差し指をあてがい、目を上向かせながら「えーと」と唸るのは、そこに少女の“知恵の源泉”があり、刺激すれば湯水のごとくアイディアが沸いてくる――からではない。
 単なるクセである。
 不思議そうにグクワが真似をしているのが視界に入り、パユはやりずらそうに顔を横向けながらも何とか考えをまとめ上げる。

「(そう、ね……林の中にある“『隠れ家(アジト)』を失う話し”と“住居が襲われた話し”では意味合いが違うと思う。それに……あの老夫婦は組織とは大した関係がなさそう。実際は倉庫を貸してるだけかもしれないし、そうなれば、心配する隣人とか身内とかが……)」
「(ああ、わかったわかった)」

 思うままに言葉を連ねるパユに、話の途中でグルカが手を振って制止した。

「(グドゥが云うならそうだろうよ)」
「え、そっち?」

 目を(すが)めるパユには気にも留めず、グルカが納得したところで「(メシにすっか)」と狩猟の成果を見回す。もちろん、そのために狩りをしたわけではないのだが、ついでに(・・・・)食料とすることは悪くない考えだ。

「(ああ、そうだった)」

 メシの言葉が切っ掛けになったのだろう。ふと思い出したようにグドゥが背負っていたモノを降ろして「(土産だ)」と差し出した。
 まるで鋸のような犬歯の歯並びに、黒い獄炎を思わす堅い剛毛に覆われたいかにも獰猛そうな四足獣。それをひと目見るなりグルカが唸る。

 『屍肉喰らい(ハイエナ・コープス)』――
 自らは争わず、常に屍肉を求めて大陸中をさまよう自然界の掃除屋的存在であり、骨も残さずきれいに平らげてしまうため、結果的に『徘徊する遺骸(リビング・デッド)』の発生軽減に一役買っていることから、その禍々しい姿とは裏腹に益獣と見なす人達も多い。
 「屍肉こそが奴らにとっての熟成肉なのだ」と(うそぶ)くさる美食家のトンデモ見解は置いておくものとして、家族単位で徘徊することから、気に入らない『探索班』に対し“屍肉班(コープス・パーティ)”と皮肉る者もいたりする。その話しはともかく、『協会(ギルド)』での格付けが“群れ”の単位で設定されていることを理解しておくことは重要であろう。
 なぜなら、奴らによる被害発生件数がとても少ない安全率とは裏腹に、起こってしまった場合の死傷率は実に8割にも達する凶悪な実態があるからだ。
 基本的に誰も襲わず近寄らず無害なのは確かだが、唯一の例外が、“食事中の遭遇”である。
 ようやく手にした獲物を奪われると認識した途端、奴らは内に秘めた凶暴性を発現させ、あらゆる死骸を咬みきる強靱な咬合力と広範囲をカバーする健脚力が類い希な戦闘力になることを、襲われたものは身を以て知ることになる。
 ちなみに美食家にとっては知る人ぞ知る珍味であることが知られているのだが、土産と嘯いたグドゥもその味の良さを知っていたようだ。
 当然、味だけでなくその捕獲の難しさを彼の仲間が知らぬはずもなく――

「(…………ちっ)」

 思い切り舌打ちしたグルカが苛立たしげにそっぽを向く。

「(グドゥの勝ちだな)」
「(だな)」
「(ちっっ)」

 もう一度、さらに大きく舌打ちしたグルカが、その場にどかりと腰を下ろして、不機嫌さを隠そうともせず荒々しく獲物の解体を始める。その雑に鉈を振るう姿を見ながら、パユは内心呆れ返っていた。

(何で拗ねるわけ? こんだけの猟果を得るのがどれだけ凄いか分かってるのかしら……)

 あれだけ立派な果樹園が近くにあるということは、大きな町が近くにあるということ。それは即ち、この周辺一帯が、一定レベルの危険生物を人の手によってあらかた排除した安全な地域であることを示している。
 そういう地域で得られるのは、天敵が少ない好環境の下、爆発的に繁殖した通常の獣がほとんど。なのに滅多に見ることのなくなった、これだけの危険生物を短期間で捜し出し、あっさり仕留めてみせる小鬼達の実力に村育ちのパユだからこそ理解し、驚かずにはいられなかったのだ。
 間違いない。
 並の猟師や『探索者』を歯牙にも掛けぬ力を彼らが持っているのは明らかだ。それも自分が知る小鬼よりもずっと上だと確信するほどの力を。

(やっぱりこの小鬼達にお願いしてよかった。これだけ強いなら……)

 助けられるはずだと。
 早くに両親を亡くし、厳しいひとり暮らしの自分をいつも支えてくれた隣のお姉さんを思う。

(ジーリさん……今度は私が助ける番よっ)

 これまで「会えるかもしれない」という期待だけであったものが、「救出できるかもしれない」という具体的な手応えを感じたせいか、パユの胸に急がねばと焦りが沸き上がってくるから現金なものだ。
 まだ相手の力も知らぬ状況に変わりなく、焦って事がうまく運んだ試しがないことくらい、経験上知っているはずなのに。

「(まだ機は熟していない)」
「え? ……ええ」

 そうねと頷きつつ、グドゥの気遣いに感謝する。きっと焦りが顔に出ていたのだろう。『狩猟のブレスレット』を持っているとはいえ、ここまで気に懸けてくれるとは、本当に妙な小鬼だ。
 だが、相手に求めるだけの甘さを村暮らしの少女が持つはずもなく、「何かしなくちゃ」とパユは小さな握り拳をつくる。

「(よしっ。次は何をする?)」
「(メシだ)」

 気合いを入れ直したパユが元気に声を発すれば、グルカの不機嫌な声が叩きつけられ彼女は思わず身を竦めた。
 「(聞いてなかったのか?)」と云いつつ鉈を振り下ろし、ズダンと肉をぶつ切りにする彼の迫力にパユは気圧され「(お、お肉ばんざい!)」と拳を振り上げる。

「(絶体メシだかんな!)」

 今度こそ譲らぬとばかり、鉈を握る手をぷるぷると振るわせ、“涙目の子供”を連想させるグルカの苛立たしげな声が、どこか切なく林内に響き渡るのだった。

         *****

『ヴァル・バ・ドゥレの森』
   羽倉城周辺――


「敵襲っ。例の“赤毛”だ!」

 急を告げる誰かの声に、「樹木の影へ!」と間髪置かずに周囲にいた兵達が近場の樹木へと身を寄せる。
 躊躇のない行動には自信が漲り、恐怖を御するほどよい緊張感が兵達の表情に表れていた。

「右だ!」
「落ち着いて槍を構えろっ」

 異様に牙が伸びた赤毛の猪が、自分に向かってくる姿には鬼気迫るモノがあるが、それに決して気圧されることなく、兵達は冷静にその行き先を見極め互いに声を掛け合い対処する。
 樹木の太い幹を盾替わりにして猪の突進を巧みに回避し、あるいは声を荒げてわざと呼び寄せたりして森の暴れん坊を翻弄する。
 これまでに相当痛い目をみてきたのか、猪最大の攻撃である“突進”を見事に封じ込めつつ、兵達はすぐさま退治のための仕上げにかかった。

「喜三郎、そちらへ行ったぞっ」

 兵達に振り回され、興奮状態が極限に達した猪が誘導されたとも知らずにある要所へ向かって駆け抜ける。
 その先にいるのは五つの人影。

「よし、集合っ」

 喜三郎と呼ばれた兵が声を掛け、ばらついていた四人がそのそばへと集まり始める。その動きは猪が近づくのに合わせた絶妙な速さを保ち、相手に異変を察知させずに自然な流れで、その実、喜三郎の下へと確実に誘い込む。
 そうして賽子(さいころ)の“伍”を(かたど)る隊形で密集し、ある者は立ち、ある者は座り込んで細かな調整を終える頃には、赤毛の猪はわずか十歩のところまで迫ってきていた。そこで――

「『松毬(ちちり)』――!!」

 号令一下、同時に五人の手槍が前方に向けて槍衾を形成し、合わせたように突っ込んできた猪は当然ながら避けることなどできなかった。


 ブギィ――――ッ


 見事に深々と突き刺さった槍もあれば、何本かは折れ、曲がり、勢いを受け止めきれずに数名が猪(もろ)(とも)に地を転がる。だがさすがは野性か、すぐさま起き上がったのは赤毛の猪であり、咄嗟に反応できない喜三郎達を他所にとっとと逃げ出しにかかる。
 けれどもその速さは大幅に削ぎ落とされ、近くにいた別の兵達に容易に取り囲まれてしまう。

「もはや突進はないっ。怖れず突き殺せ!」
「左だ、逃がすなよっ」

 多人数でやっとと云うなかれ。
 野性の獣と人間とでは、地力の差がありすぎて一対一ではまず勝負にならない。それを罠を用いず、重傷者も出さずに手槍で仕留めるのがどれほどのものか。
 よく見れば、彼らはすでに満身創痍であり息もだいぶ上がっている。今日一日だけで、この激闘を何度も繰り返してきたためであるが、だからこそ得られたモノがある。

「……だいぶやれる(・・・)ようになってきたな」

 肩を押さえつつ、起き上がった喜三郎の土だらけの顔には満足げな笑みが浮かんでいた。
 その様子を少し離れた位置で見ていた若武者もまた、満足そうに薄い唇をゆるめる。

「碓氷様が考案為された『松毬(ちちり)』の防御陣もだいぶ板についてきたようですな」
「それどころか、あれ(・・)を為すために磨き上げた連繋が兵達の力を飛躍的に高めていることにこそ、値千金の価値があろうかと」
「然り。すでに“四つ足”に“人形(ひとがた)”、いずれの化け物にも対処できるようになってきたのがその証」

 そばに控えていた供の者達の感想に、若武者碓氷は「まだまだこれからです」と冷静に応じる。

「先日、親父殿が仕留めた“四つの牙”の例もあります。しりす殿の話しでは、むしろあれくらい(・・・・・)の化け物がこの森では“普通”だとか」
「……」
「私はね……さっさとこのあたりを制圧して、もっと深く(・・)まで行きたいのです」

 もっと手強い敵を求めて。
 そしてそれを打ち倒す喜びを欲して。
 それが何を根源としたものかを知る側近達は、同時に「望むところ」と不敵な笑みを浮かべる。

「“突撃狂い”の暮林隊も相当に鍛え上げておると耳にしておりますが……」
「それならば、彼の“碩学の武士”丹生様の部隊も独自の兵装を生み出して無傷の連勝を積み重ねているとか……」

 二人が口にしたのは懸念ではない。精強でなる二隊ですら我らに届かぬと豪語するための、言わば“踏み台”に他ならない。だからこそ三人目が「否っ」と力強く撥ね付けてみせるのだ。

「儂ら“会敵撃破”の碓氷隊こそが、『雷四つ』の最強部隊よ」

 三人が強烈な自負をその強面(こわもて)に縁取れば、「勝手に盛り上がってるとこ悪いけど」と中心人物たる碓氷が冷ややかに水を差す。

「うちの隊、まだ“普通”すら互する力がないからね」
「「「……」」」

 その後、鬼気迫る三人の側近達に兵達が夕暮れ時までしごかれたのは言うまでもない。

         *****

 時を少し遡る
  公都までの道程『トッド一行』――


「あの時はありがとう」

 朝露で濡れる丘陵地を見つめながら、長身の影が差し込んできたところでグリュネはそう礼を述べた。

「……俺の気紛れをいちいち真に受けていては疲れるぞ」

 不意打ちのような彼女の台詞も、さほど戸惑いをみせずに答えた秋水が、グリュネの脇をすり抜け、周囲に散乱するものを二、三拾い上げて戻ってくる。

「それ、どうする気?」
「焼く」

 グリュネの前で赤々と燃える焚き火を秋水は目で差し、いつの間に拾っていたのか、小枝に魚をひょいひょいと通して地面に突き立てる。
 堅い鱗で守られた怪魚だが、エラか胴に空けられた穴に枝を差し込むだけだから何の手間もかからない。
 ただその行為を不思議そうにグリュネは見やる。

「これが珍味って知ってたのね?」
「いや――せっかく魚が手に入るんだ。食うのが当然だろう」

 鉄色のごわごわした感じの鱗にぎょろりとした目玉、刺々しいヒレなどを見れば、まさに“怪魚”に相応しい様相であり、どう褒めたところで「食欲をそそる」とは言い難い。
 美的感覚のあまりな相違にグリュネが苦笑いを浮かべるのは当然だろう。
 手っ取り早く朝食の支度を済ませた秋水が焚き火を挟んで二人が向かい合う形で腰を落ち着ける。
 ぱちぱちと(たきが)が爆ぜる音。
 近くの草むらで名も知らぬ小鳥のさえずりが耳に心地よく、うっすらと漂いはじめた朝靄がなければ晴れ晴れとした早朝といったところか。
 しばらく、グロテスクな怪魚が火に炙られる様子を見つめていたところで、ふと、グリュネが懐から何かを取り出した。

これ(・・)はね、高みを目指す術士にとって、とても大切なものなのよ」

 大振りの琥珀を頂きに据えた極上の短杖(ワンド)を愛おしげに撫でる。
 森での去り際に、秋水が届けてくれた例の短杖だ。
 それの真の値打ちを知らずとも、拾ったらそのまま店に売りに行くのが当然の行いであり、十人中十人が間違いなくそうするだろう。
 何をするにも生きるに窮する時代であり、少しでもチャンスがあれば暮らしの糧にする。
 ただ生きてゆくために。
 だから同じ精霊術士でもない限り、無視するどころか拾い上げ、わざわざ持ち主に届けるなど決してあり得ない行いだ。なのに。

「……気紛れにしても、お人好しすぎるわ」

 独り言のつもりだったか、ぽつりと洩らしたグリュネに「早計だな」と秋水がすかさず指摘する。

「そうかしら」
「下心があると思わんのか?」
「そうなの?」

 そこで秋水へ顔を向けるグリュネのくすんだ灰色の瞳と彼のそれがかち合って。
 「嘘おっしゃい」と秋水の言葉をまったく信じてない真摯な瞳に彼の方が耐えられず反らしてしまう。そのまま誤魔化すように咳払いを一発かまし、気難しげにのたまった。

「……中には下心があるヤツもいるから、気をつけないといかん」
「そうね」

 秋水を立ててくれたのか、笑みを含んだ相づちに彼の唇は面白くなさそうにへの字に結ばれる。何だかもうやぶ蛇だ。
 そうしてしばし、秋水だけが気まずいままの時を過ごして。

「あの後、森の外で騎士団に助けられてね」
「……」
「なぜか蛮族のことを聞かれたんだけど、そんなの知らないと答えたわ」
「……」
「だって、私が森で会ったのは“ただのお人好し”――野蛮人じゃなかったし」

 そうしてグリュネが視線を向ければ、その表情をばきばきに強張らせ、天を仰いでいる秋水が。

(……いじめたつもりはないんだけど)

 どうやら人に褒められるのが苦手とするタイプらしい。
 困ったようにそっと苦笑を洩らし、グリュネはこの件に触れるのを諦める。
 明らかに何かの事情があるらしい彼に、他意あるならば、とうにソルドレイの町で然るべき措置をとっている。
 そこにあえて触れるつもりがないからこそ、謝意を表すことが何よりの目的であったからこそ、人前で声を掛けず、こうしたチャンスを狙っていたのだ。
 思いを示せれただけで良しとして、彼女は何の憂いも見せずに次の話題へと切り替える。

「ところで、森で貴方が倒した『徘徊する遺骸(リビング・デッド)』の遺留品(ドロップ・アイテム)なんだけど」
「?」
「本来、『探索者』の規定では、倒した人あるいはその協力者との間で分配すべきものなの」
「それだったら――」

 「いらない」と言いかけた秋水をグリュネがだめだと遮る。『探索者』となる以上、“利益の分配”はきちんと学んでおき、そして適正に処理することを肝に命じろと。

「私は『引き裂くもの(ティアリング・ソード)』を貰ってきたわ。ある事件の証拠品になるからなんだけど……もし事件が片付いて、それでも役人に押収されなかったら、貴方に返したいと思って」
「別に、いつでもいいさ」
「押収された場合でも、相応しい金額で返すから」

 誓うような真剣さで口にするグリュネへ秋水も「分かった」と真剣な面持ちで応じる。それが高段位でもある『探索者』としての“教え”なら真摯に受け止めなければならないからだ。

「特殊武具の大半が“切れ味”、“耐久性”の素地が普通のそれを上回り、その上で特殊効果が発現されるから、その価値が計り知れないものであることをよく覚えておくといいわ」

 効果の永続化を刻み込む技術は、とうの昔に失われ、今では『遺失技術(ロスト・テクノロジー)』としてその存在を知るばかりである。
 現存する『錬金術師』に受け継がれているのは、薬の調合や『魔導具』の開発技術のみであり、地位の復権と夢の術理を追い求めた者は数多いが、いまだ成し遂げた話しは噂にも上らない。

「私はその技術が『黄金郷(エル・ドラド)』に眠っていると考えてるの」
「えるどらど?」
「『探索者』ならば誰もが夢見る、すべてが黄金でつくられた幻の地――大陸で最も有名な話しなんだけどね」

 秋水の無知ぶりを非難するでもなく彼女はただ口元に笑みを浮かべる。

「もっと力をつけて、いつか探索の旅に出ようとカターシャとよく話したわ」

 もう追いかけることのない夢だけど、とグリュネは寂しげに洩らす。

「私のパーティ『水鳥』は、もう飛ぶことができないから」
「“羽根はなくとも足がある”」
「……念のために聞くけど、それ誰の言葉?」
「俺だ――いやどっかの“歌詠み”だ」
「何で言い換えるのよ……まあいいけど」

 そこでグリュネはかすかにため息ついて。

「それで、その詩人さんに聞きたいんだけど、どういう意味かしら」
「簡単さ。あんたは人間だから、飛べなくても気に病む必要はない」

 うまいこと云ったつもりだろうか。だがグリュネはその真意を探らんと眉をひそめて考え込む。

「飛ぶのでなく――歩く程度に、理想を掲げすぎるなと?」
「ふむ……まあ、そういう意味でもいい」
「……それで慰めてるつもり?」
「ああ」

 なぜか自信を持って大まじめに頷く秋水を眉根を寄せて睨んでいたグリュネだが、すぐに根負けしてしまう。

「ぶふっ」
「噴き出すほどか?」
「……やめてっ。そんなに眉を寄せないで」

 「あーん?」と怒り眉で顔を近づけてくる秋水にげたげたとグリュネが腹を抱えて笑い始める。無理矢理か心の底からかは置いといて。
 笑えば心のひだがほぐれるのは確かだろう。

「故人を悼む気持ちがあるのなら、故人と描いた夢を勝手に断てば、後から苦しくなるかもな」
「え?」
「つまりあんたはもう、仲間の夢も背負ってる、てことさ」

 それは思わぬ指摘だったのだろう。口を半開きにしたまま、グリュネが身を強張らせる。

「繰り返し、仲間との語らいを思い出すんだろ?」

 それは仲間への負い目が見せる“痛み”だと秋水は説く。終わらせようとすればするほど、記憶は頭にこびりつき、しかも痛みへと変わってしまうのだと。

「その痛みは、あんたが本心では納得してないことの表れでもある」
「それは当然――」
「他者のせいである限り、自分自身が何もしてない限り、納得できないのは当然だ。当然だから、癒やす方法はひとつしかない」

 今の状況であっても、夢に挑んでみるしかないのだと。その過程で仲間の死を受け入れてゆき、足掻いてなおどうなるかは分からないが、挑んだ末の結論ならば、今よりずっと楽になれるはずだと。
 何の補償もない話しを秋水は本気でグリュネに語る。だが彼女にとっては、とぼけた言動を垣間見せたとしても『銀翼級』の強さを感じる人物からの至言である。
 時折、孤高を感じさせる空気には、彼にしか分からぬ境地での厳しい体験があってこそと思われ、だからグリュネもその言葉に真摯に耳を傾けるのだ。

「……いずれ、俺も手伝ってやる」
「え?」
「俺にも事情がある。だから約束まではできないが、機会がくれば、その時は手伝ってやる」

 なぜそんなことを?
 信じられないものを見つめるようなグリュネの眼差しに秋水は真面目な顔で付け加えた。

「下心があるからな」
「……ほんとにお人好しね」

 どんだけ照れ屋だというのか。
 いちいち茶化す秋水の言葉に惑わされることはなく、グリュネの顔には真摯な謝意が表れている。
 また居ずらくなったのか「散歩に出かける」と立ち上がる秋水をグリュネはまぶしそうに目を細めて見送る。
 雨上がりの快晴で陽射しは強く、朝露に濡れた丘陵地の照り返しですべてがきらきらと輝いて見える。それはグリュネの両眼がきらめいて見える理由と同じものに違いなかった――。
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