(2)一角獣の僧侶2

文字数 13,511文字

公都『キルグスタン』

        ――『協会(ギルド)』総括支部




「これはどうした状況です、オクスカルさん?」

 ギルドの呼び出しに応じたロンデルは不信感たっぷりに眉をひそめ、面前の顔ぶれを順に見やった。
 滅多に入れぬ二階の応接室に通されたこともさることながら、話し相手に受付頭の筋肉親父だけでなく、依頼審査の部門長に支部長まで顔を並べるとあっては、さすがに警戒心を煽られるというもの。
 ついでに云えば、自分の両脇に座る二人の娘が、膝頭をきちんと揃えてやけに畏まってるように見えるのも腑に落ちない。
 何となく二人の目線が背筋を伸ばした老婦人の顔色を窺うようにおど(・・)おど(・・)と向けられているのも気のせいだろうか。
 そんないつもと勝手の違うぎこちない空気の中で筋肉親父はあくまで何気ない感じで用件を告げる。

「なに、先日届け出された『再審査』の件でな」
「……何か不備でも?」
「いや」
「ならば、再審査の結果をこういう形で(・・・・・・)……?」

 「そこまで大仰にせん」と軽い口調で首を振るオクスカルだが、その目は真剣そのもので、あまりいい話でないことは明らかだ。一層警戒感を強めるロンデルに筋肉親父は彼らしくもない言い訳がましい言葉を口にする。

「お前達の受けた失踪者捜しの依頼(クエスト)と同様の依頼が他にもあることは、当然こちらでも知っていたんだが、さすがに関連付けはしてなかった――だがあらためて統括的に調べ直してみるとな」

 その後を依頼審査の部門長――実はロンデル達も初めて面会したのだが――子供と勘違いしかねぬ小柄な体躯のボーリィが「実に興味深いことが分かったよ」と話しを繋ぐ。

「興味深いとは?」
「知りたい?」

 ふいに前のめりで聞いてくるボーリィ。

「ほんとに知りたい? すっごく?」
「え、ええ――もちろん」

 何です、この人? という視線を筋肉親父にちらと向けつつロンデルはとりあえず首肯する。

「じゃあ、教えてあげよう」
「……」

 満面の笑顔で応じるボーリィ。
 何かやりにくいとロンデル。
 確か年齢はロンデルよりもずっと上のはずなのに、まん丸でつぶらな瞳を輝かせ「知りたい? ねえ知りたい?」と質問を繰り返すその様は、“子供じみた”ではなく本当に子供では、と疑りたくなってくる。
 いや、実際彼は草原族(ハーフリング)という小柄で多感な種族の一員ではあるのだが。

「では――」

 ボーリィはもったいつけるように一拍置き、やけに芝居がかった笑みを浮かべてみせて。

「『協会(われわれ)』に依頼があったものもそうでないものも含め――痕跡のない失踪事件(・・・・・・・・・)で、なおかつ、失踪者が女性との条件で絞り込むと、該当する事件は14件あるんだ。
 これが都市という人口規模において、多いか普通か少ないのかは事例不足で適切に判断するのが不可能であり、今後の研究・検証が大いに望まれるところであるけれども……」

 そこでボーリィは一呼吸置いて、ロンデル含めた三人を試すように見やった。

「もちろん、興味深いのは14件という数じゃない――その位置関係だよ(・・・・・・・・)
「位置……」
「そう。ところで――」

 そこでふいに話しを切り替えるボーリィが人差し指をくるりと回してみせる。こうしたトリッキーな言動は草原族(ハーフリング)共通のもはや種族特性みたいなものだ。
 苦手意識を表すようにロンデルの唇の端に苦笑いが滲む。

「今は“御大”が病に倒れられ、公都が不安定になっている時期――その治安維持に協力すべく『協会(われわれ)』が国と協定を結んだのは知っているよね?」
「そりゃ、話題にはなりましたから」

 国と一組織の関係が近づきすぎることの善し悪しは誰もが承知していることである。だからこそ、互いに普段付き合いを極力抑えるようにして、かつ接するにしても、あえて事務的に処理してきた経過があった。

 ただし現実は理想の輝く時など一瞬もなく、商人の組合を筆頭に利権やら何やら絡まって公私混同を免れないのが一般的な組織の在り方であり、現実でもあった。

 しかし『深奥の探索協会』においては、そのしがらみとは驚くほど無縁であり、何より『協会(ギルド)』自身が金銭・権力の欲望よりもその孤高の独立性を重んじる、他組織と比べれば崇高と云ってよい“志”を維持していたのは特筆すべきことであったろう。

 それは余人が決して味わうことのない富を得る機会と修羅場をくぐる機会、そして世界の深奥を垣間見る機会を得た者達を筆頭とする特異な集団だからであったろうか。

 少なくとも、他に互することのない“力”を持つからこそ、保てた“志”であると識者の見解は総じて共通している。

 事実、彼の覇王ドルヴォイでさえ――それが脅威故か敬意故かは定かでないが――その胸中において『協会(ギルド)』とは不戦不可侵の誓いを立てていたと、(まこと)しやかな噂話を耳にする。

 そうした気概を示す組織だからこそ、会員である探索者も己を卑下することなく誇り高くあれる、という部分もそれなりにはあった。

 故に。

 緊急事態の特例とはいえ、さらには書面による規定を設けるとはいっても、国と『協会(ギルド)』が直接的に手を組むというのはちょっとした事件であった。

 そもそもどうやって本部の承諾を得たのか、あるいは支部長の独断か、好奇心が疼くものの触らぬ神になんとやらだ。

 何より肝心なことは、“公都の情勢を安定させるため”との立派な建前を掲げられれば、少なくとも表立って不満の声を上げるのは得策でなく、また、真実の一部でもあるのなら、ほとんどの会員が組織の判断を支持するだろうということだ。

 まして“純真を護る”を是とする一角教の徒として、ロンデルに否やがあろうはずもない。

 問われたのは班代表であるロンデルだが、隣の二人娘も一緒になってこくりと首を振る。同時にその協定がどうしたとの疑念の表情を浮かべて。

「国がそうであるように『協会(われわれ)』もそれほど回せる人員がいるわけじゃない。未知の領域や遺跡などに旅立つ探索者もいれば、護衛や資材採取で都を離れる者もいるからね」

 大半がそうだというのが正解か。
 だから治安維持関連の仕事――即ち協定に基づき『協会(ギルド)』が依頼者となって掲示する依頼(クエスト)――に手を挙げる者はそれほど多くはないと。

「だから『協会(われわれ)』としては、効率的に人員を活用する意図も含めて、工夫をしていることがあるんだ」

 それが事件等があった場所を公都の地図に落とし込む作業だとボーリィは告げる。
 こうした位置情報を集約し公都で起きている事案を俯瞰的に見ることで治安の悪化した地域(・・・・・・)や現在進行形で悪化している地域(・・・・・・・・)などが分かるようになり、やがては悪化しそうな地域(・・・・・・・・)までが予測できるようになるのだと得意げに説明する。

「……なるほど、よく考えている」
「だろう?」

 低く唸るロンデルの心からの感嘆に、ボーリィはヘソが見えるほどに膨らんだ立派なお腹をぽんと叩いてみせる。それが自慢している時の彼のクセなのだろう。

「それでね、ここでようやく先ほどの話しに繋がるわけだ」

 そうして手元にあった自身の倍は長さのある丸めた紙を卓上に広げてみせる。あまりにデカいので、卓上からはみ出した分を皆で膝の上に置く格好になるのがどことなく頬笑ましい。
 「会議室にすればよかったな」と筋肉親父がちょっぴり腹立たしげにぼやくのは、事前に調整してくれないボーリィへの当てつけだろう。そして老支部長が細い銀眉をひそませるのは、紙の落書き(・・・)を目にしたせいに違いない。
 それ(・・)はかなり貴重で値が張るはずの公都の地図で、あろうことか朱色の墨で無造作に“番号”と“印”――それどころか“おいしいものの情報”など私的なカキコミまでが乱雑に付けられてしまっていた。後でこの惨状を『保管庫』の岩窟族(ドワーフ)が知ったときの、泡を吹いて白目を剥く様子が目に浮かぶ。
 しでかした(・・・・・)当人でもないロンデルでさえ、ひと目見て脇の下に嫌な汗をかいたくらいの罪業だ。
 これぞ草原族の真骨頂――当のボーリィだけは己の犯罪行為(・・・・)を察することなく、子供が自慢の宝を見せびらかすようにむしろ得意げな顔でロンデル達を見やる。

(いや俺たちの前に隣をみろよ!!)

 ロンデル達の悲鳴は残念ながら草原族(ハーフリング)の部門長には届かない。
 だが、そっとため息を洩らす老支部長の仕草を目敏く捉えたらしく、隣のミンシアがはっきりと安堵に気を弛めたのを感じ取る。心なしか高まっていた場の緊張感も和らいだ気も。
 実に心臓に悪い草原族(ハーフリング)だ。
 ロンデル達三人が無意識のうちに額や首筋の汗をぬぐうのを知らぬげに、ぷっくり膨らんだ指先が届かぬ地図の上を指し示す。

「よおく見てごらん。朱色が問題の事件、他は別の事件と思ってもらえばいい」
「…………やはり『東街区』に集中してますね」
「そう。今回の失踪事件――いや“人攫(ひとさら)い”と思って間違いないだろう。その攫う側の視点で見れば、治安の悪い『裏街』なら拉致するのは容易い。けど――」

 そう反意しようとしたボーリィの台詞をミンシアがするりと分け入り横取りする。その台詞は自分にこそ相応しいものと。

「『裏街』で痕跡を残さない(・・・・・・・)ってのは、むしろ他のエリアより難しいんだ。連中は(・・・)挨拶もなく勝手に縄張りを荒らす者を決して赦さないからね」

 つまり、イメージに反して『裏街(・・)での犯行こそ(・・・・・・)困難だ(・・・)と。
 陰者(シャドウ・フット)の言葉だからこそ、説得力が違うし、彼女の見解は正しいのだろう。

「でも何の情報もないんだろ? そして失踪事件は間違いなく起きている」

 それもどこよりも、とロンデルが不審の声を上げれば、「だから(・・・)興味深いんだろ」とミンシアが小太りの要人へ視線を向ける。

「そのとおりだよ!」

 分かってもらえてなによりだと嬉しそうに手を叩くボーリィ。小太りで肌が突っ張っている(・・・・・・・)ために若く見えてしまうが、こうして笑えば目尻に年相応のシワが寄り、子供じみた仕草とは裏腹な中年らしさが醸し出されるから、見ていて妙な違和感を抱く。
 種族特性とはいえ“大人げない中年”にやはり好きになれぬとの思いが眉をしかめさせるロンデルをよそに、話しは勝手に進んでゆく。

「だからボクはピンときたんだ。この『裏街』における朱書きが多いエリアこそ、この事件を読み解くための“鍵”じゃないかって」
「“鍵”……ですか」

 ふぅむと唸るロンデルの隣で「見過ごすはずのない連中が見過ごす場所……?」とリンデルも一緒に悩んでいるのが耳に届く。
 その矛盾を浮き彫りにした言い回しで「そうか」とロンデルは気付いてしまう。
 実に当たり前のことに。

「これって――単純に、誘拐犯とここの連中がグル(・・)ということなのでは?」

 攫う作業が熟練の域に達しているとか、何らかの魔術を駆使したとか理屈の上では他にも考えられよう。
 だが、わざわざ難易度を高めなくとも、もっとシンプルな答えが存在し、そのことについてしっかり検証すべきではないのかと。
 無論、最初から除外されていたのはミンシアの情報収集能力を絶体のものとしていたからだが。

「待てよ。あたしだってちゃんと調べたぞ。“人買い”も“売春”も“情婦”の線もまったく出てこなかった――」
「そこだよ」
「え?」

 指摘したのはボーリィ。責めるでなく、むしろ気づけた自分が優秀なだけだと慰めるように。

「人を攫う目的が別にあったらどう?」
「別……?」
「それが善意か悪意かはどちらでもいい。とにかくまったく別の意図であれば、君が調べた線上で何も浮かんでこないのは当然といえない? そもそも組織内でも人攫いの関係者を極力絞り込み、ひた隠しにしようと情報統制すればそう簡単に外部には漏れない……調査の方向が違えば、なおさら気付くことは無理だろう」
「それでもひとつ問題があるだろ」

 素直に納得できぬミンシアが「大小いくつもの組織がある『裏街』で、そんな情報統制なんてできるはずない」と指摘する。
 しかし、「その問題は心配しなくていいんだ」とボーリィは悪戯っけたっぷりに唇を吊り上げてみせる。

「実は今見出した有力な憶測(・・・・・)を念頭に置いて、この朱書きの多いエリアを眺めていたら……以前から『協会(われわれ)』が探っていた『クレイトン一家』の縄張り(テリトリー)とほぼ重なることに気付いたんだ」

 ――なるほど。
 ひとつの組織の縄張りに限定するならば、情報統制は確かに容易だろう。そしてその事実は“憶測”にすぎなかった与太話が“推測”という真実味のある話しへと格上げする材料になる。

「そこからさらに掘り下げると、時系列的に『クレイトン一家』の縄張りが拡大するに従い、誘拐事件が起きているような関連性まで見えてきてね」
「それはつまり――」

 ロンデルが何かの答えを見出し眼を細めればボーリィは笑みを深めて肯定する。

「そう。誘拐事件のために(・・・・・・・・)、縄張りを拡大していると解釈できる」
「馬鹿なっ」

 思わずと叫んだのは筋肉親父だ。老支部長まで驚きに見開いた眼を向けているのは、二人とも初耳の見解だったからに違いない。
 事実、してやったりの得意満面な表情でボーリィは小鼻を膨らませているが、なおさら筋肉親父の憤りは収まるはずもない。

「一家の狙いが“裏街の覇権”なのは知っているだろうっ。それに焚きつけた連中も(・・・・・・・・)裏社会の支配が目的で、人攫いなぞ興味も無いはず。それがなんだって――」
「だから“彼らがやった”とは云ってないよ」

 ちゃんと聞いてよねとボーリィは笑み返す。

「何かの理由があって、人攫いと手を組んだ(・・・・・)と考えるのが自然だろうね」
「何かの理由だと……?」
「勢力拡大に“軍資金”は必要でしょ。“効果的な武器や道具”も同様だね。要するに一家側にとってそうした“見返り(メリット)”が提示されたからこそ、受け入れたのだとボクは思う」

 目的を異にする者達の実利で結ばれた異色の協同犯罪だと。
 その考えを補強するように、ヨーヴァル商会で起きた騒動の一件も材料になるとボーリィは付け加える。
 その騒動では、女の戦士が失踪しており、騒動の流れから考えるに一家の“直接的な関与を肯定しかね(・・・・・)る証言(・・・)”があったのだ。

「それについては俺から話そう」

 依頼案件として『協会(ギルド)』が関わっており、かつ依頼の事後処理を自分が担当したから詳しいと筋肉親父が教えてくれる。

「そもそもは単純な“見張りの任務”でトラブルも起きそうにない低レベルの依頼として設定されてた案件でな。それが蓋を開けたら実際に襲撃事件が起き、しかもその仕掛け人が『クレイトン一家』だったというわけだ――」

 その一件は現在公都にいる探索者なら誰もが一度は耳にしているちょっとした有名な事件であった。
 今や『裏街』を賑わす新興勢力が関わっている一件だということの他に、襲撃者の顔ぶれには『耳狩り』や『退屈』などの凶悪な手練れ(タレント)が含まれていたのだ。
 驚くべきは皆殺し必至の悪状況で、商会側の警備陣が生き延びただけでなく、凶悪な襲撃者側を撃退してのけたという信じられぬ大金星の成果だ。

探索者(おれたち)の間でも噂にはなってます。ヨーヴァル商会の私兵とやらはどれほど腕が立つのかというのが専らの関心事で、逆に“相手が弱すぎて『退屈』がやる気をなくしたんだろう”という予測や“そんな状況で生き延びた【見習い】を褒めるべきだ”とかいう大人な意見もあって」
「その当人達は傷のせいで途中離脱したらしく、任務失敗だと殊勝にも自己申告してきたよ」

 それを耳にしたロンデルが「何だそれ?!」とおかしな顔つきをする。信じられんと軽く首を振りながら皮肉げに。

「ほんとに殊勝ですね。そこは“やむを得ぬ離脱で任務を放棄したわけじゃないっ”と食い下がるべきところですが」

 ロンデルが「謙虚でメシは食えない」と探索者ならば当たり前の考えを示せば、筋肉親父も同感だと頷く。だが好ましくはあると。

「確かに――嫌いにはなれませんね」

 それにはロンデルも同意する。
 胸があればねと小さな声で真剣に付け加えるのを隣で聞きつけたミンシアに肘で小突かれたが。

「だが幸運にも、商会側からは依頼の達成認定が出されてな。“うちの虎の子の警備兵(・・・・・・・)とよく連携して撃退してくれた”と感謝を示されたくらいだ。彼らによろしく伝えてくれと」
「――ほう」

 “虎の子”と警備兵の強さをさりげなく自慢する言い回しの割に、よろしくとの彼らを買っているようなアプローチのちぐはぐさ。
 何かあると感じたロンデルだが、他人の依頼案件に口出しするのは御法度であり、それがマナーでもある。ことさら触れずに聞き流す。

「それで肝心の失踪関連だが、見習達の話しでは、失踪が確認された後に襲撃が起きたらしい。
 こちらの調べでは、倉庫には“強制労働”の刑を科された囚人達が一時的に滞在していたようで、そこから考えるに、一家が囚人の脱獄を計っていたのは明らかだ」
「その脱獄計画のついでに(・・・・)人攫いをするとはちょっと考えられませんね」
「そういうことだ」

 だから一家の直接的な関与は考えられないと推測したわけだ。

「ただ、たまたま(・・・・)“人攫い”と“襲撃事件”の二つの事件が重なったというよりは、邪魔だった見張り役が女だったので拉致した(・・・・・・・・・・)と受け止めた方が、より自然に感じられるのは穿ちすぎでしょうか?」

 そう洩らすロンデルの考えに、筋肉親父が目を細め、ボーリィは愉しげに目を輝かせ、老支部長だけが微動だにぜす受け止めた。

「……確かに」
「いや悪くない考えだよ」

 ボーリィは「いいねいいね」と椅子の上で身体を弾ませる。

「まあ、直接だろうが何だろうが、一家との関連性があるのは間違いなさそうだね」
「後は肝心の手を組んでる相手ですが……ここまで考えを詰めているということは、『協会(ギルド)』では何かの当たりをつけているのですか? 先ほども一家に探りを入れてるらしい話しをされていたように聞き覚えていますが」
「……その辺も含めて今回の本題さね」

 そこでようやく口を開いたのは、先ほどから萎れることなく背筋を美しく伸ばし続ける老支部長だ。
 筋肉親父どころかボーリィまで居住まいを正し、素直に上司の言葉に耳を傾ける。当然のようにロンデルの両脇で大人しくしていた二人娘もあらためて居住まいを正していた。

「まず、はじめに云っておくよ。『再設定』による本件の依頼レベルは3――けれども条件によっては4にも5にも跳ね上がる。最大でレベル6にはなろうかね」
「「「6?!」」」

 思わず三人の声が裏返ってしまうのも当然だ。
 レベル3でも現役トップクラスといえる難易度なのに、それを倍まで変化するなんてデタラメにも程がある。
 しかもレベル6とは『怪物』なら【上層】級――大鬼(オグル)など“一匹で村を滅ぼし三匹で街を落とす”といわれる非常に強力な怪物を相手にする場合の難易度を差す。
 一体何がどうなれば『市街地冒険(シティ・アドベンチャー)』でそれほどの難易度設定となる状況・舞台が出来上がるというのか。
 「まあ、信じられないのが当然だね」と老支部長も自身が与えたインパクトの強さを自覚してはいるようだ。

「けれども、これ(・・)はそれほどの案件であり、お前達にはそれだけの覚悟をしてもらう必要があるんだよ」

 ごくりと唾を飲み込んだのは二人娘だ。まるでこうなることを予期していたように「きたよ」と気持ちを強く持とうとする力みのようなものが、両隣からロンデルに伝わってくる。
 ならば状況に呑まれぬよう、聞き役に徹せず、あえてこちらから口を出してゆくことは気勢を保つための大事な交渉術のひとつである。

「武闘派組織とは聞いていましたが、『クレイトン一家』とはそれほどヤバい連中ですか?」
「聞くまでもないだろう? こと戦闘となれば『退屈』を筆頭に手練れだらけのタレント集団さ。レベル3というのも謙遜しすぎて心苦しいくらいだね」

 だから報酬は通常の“レベル3報酬”の2倍にすると老支部長は奮発する。二人の幹部が黙っているところをみるにすでに決定事項のようだ。
 そこで目の色を変えるのは二人娘だ。だが金銭欲で脳内を曇らせることなく「ちなみにどういう条件で依頼レベルが跳ね上がるの?」と冷静に危険度の確認を入れる。

「その前に、“覚悟”はできるのかい?」

 聞いてしまえば引き返せないよと。
 声音は変わらず、草花のような細身から発せられるとは思えぬその息苦しくなるような圧力で、他言無用の秘事に触れるのだとロンデル達は理解する。

「正直、最精鋭の『五翼』や『水鳥』も失った今、めぼしい連中は遠征に出かけているし、この支部での現状最高戦力はお前達になるんだよ」

 「誠に不本意ではあるがね」と本音も隠さぬ老支部長に「え?!」と三人が驚きの声を上げる。

「だって俺たちまだ『二羽』ですよ?」
潜在能力(ポテンシャル)は『三羽』だろう」
「そんな無茶な!」
「なら他の班と協力すればいい」
「いや普通にベテランに任せた方が……俺たちは素直に引き下がりますんで」

 動揺にすっかり地を出すロンデルがしごく真っ当な見解を示せば「私はお前達を買ってるんだがね」と老支部長ががっかりしたように息を吐く。

「それに失踪したのは女ばかりだよ(・・・・・・)?」
「(ピク)」
「ミレーヌは“木枯らし通り”のメロン(・・・)と呼ばれていたそうだね」
「(ピクピク)」
「心優しいヨヒテは慈愛がその胸にたくさん詰まっ(・・・・・・・)ている(・・・)と慕われていたし、シンシアはカボチャを(・・・・・)抱えているみたい(・・・・・・・・)と北街区の奥様達の羨望を集めていたとか……」
「(ピククク……)」

 他にもあるよと謎のメッセージだか合い言葉を口にする老支部長に誰もが不審の目を向ける中、「くむぅ」と唸るロンデルだけは、その意味するところを正確無比に捉えていたようだ。

「何と壮観な(・・・)……まさかそのような逸材(・・・・・・・)……これは、受けぬわけにもいかないか」
「「おっぱいか!」」

 すかさず立ち上がり、苦慮の末と覚悟を決めるダメ僧兵に二人娘がツッコんだ。
 さすがに要人の前でひっぱたく行為はギリギリ抑え込んだものの、叫び声だけは我慢することができなかったらしい。いやする必要は無いだろう。蹴ってしまえ。

「いや良い心掛けだと思うがね。“か弱き乙女を助ける”だったかね」
「「いえ、それ変態(ロンデル)の戯言ですよ?!」」

 それも二人同時にハモって訂正し、「というかそのネタどこから仕入れてきたんですか?」とすぐに首を捻る。おそらくその答えを知ることはないだろうが。
 「とにかく覚悟があるならそれでいい」と二人娘の異論を無視して老支部長は話を進めてしまう。

「そもそも国から協定の話しを持ちかけられた頃から、『協会(うちら)』なりに公都の情勢は調べていてね……『クレイトン一家』の勢力拡大が治安悪化の原因であることはすぐに知るところとなった」

 だが、その原因を国でも分かっていたのかもしれないね、と。

「実は“騒動の一件”でおまえたちに伏せていた情報がある」
「何です?」
見習達(ひよっこ)が遭遇したと云っていた中に『俗物軍団(グレムリン)』がいたらしい。それも幹部筆頭の実力者が」

「「「――――!!」」」

 人間衝撃がすぎると思考が停止するものらしい。
 そもそも“救国の英雄”である軍団の名がどうして出てくるのかロンデル達には理解できなかった。
 話しの流れ的には“敵”として語られているからだ。
 そう、敵として。


 あの連中を相手にしろと――?


 近年、彼の軍団によからぬ噂(・・・・・)が立っていることはさすがに知っている。だから関わりたくないと思ってもいた。
 女性が酷い目に遭ったというのも胸くその悪くなる噂であり、そう感じるのも彼我の戦闘力の差を理解してるためだ。
 つまり、助けることなどできないから。
 だからやきもき(・・・・)し、胸くそも悪くなる。
 実際、レベル2の弱小探索者にどうせよというのか?
 外軍の一般兵ならやりようもある。『一級戦士』独りなら策を弄して三人で囲えば、可能性も見出せる――たぶん。
 だが噂の『幹部(クアドリ)』など出てこられた日には、どう足掻いても殺されるイメージしか浮かんでこない。
 あれ(・・)は化け物の類いなのだから。

「……間違いありませんか? その“見習い”は田舎から出てきたばかりの者と聞きましたが」

 そんな田舎者がなぜ、筆頭幹部までを認識できるのかと。知らずロンデルは否定するための材料を捜してしまう。

「本人が名乗ったらしい」
「本人が?」
「“フォルム”と」
「合っているので?」

 軽く頷く老支部長にロンデルは唸る。有名人の名前くらい調べることはできよう。だが正直、そのあたりのことはどうでもよく、見習達に嘘をつく必要などないという時点で信じるにたる情報といえた。そして正しい情報だからこそ、唸るのだ。
 『俗物軍団(グレムリン)』という超有名人(ビッグネーム)の介入に戦慄して。

「何も連中とやり合えと云ってるんじゃない」

 だから依頼レベル3だと。それが何の慰めにもならないことは老支部長も承知しているはずだ。それでも彼女の立場が言葉を紡がせずにはいられないのだろう。

「遭遇すれば必ず殺されるわけじゃない。現に見習達は生き延びている」

 それに軍外とはいえ正式な公国軍の末席に連ねる立場が連中にはあるのだと。故にそう無茶はしまいと。それがどの程度の“鎖”なのか、“鎖”たり得るのか、あるいは頑丈でも自由に動けるほど(・・・・・・・・)長い鎖では意味もないのだが。

「それでも“鎖は鎖”だろ?」
「うまいこといっても安心できません」

 そこはさすがのロンデルもジト目(・・・)で応じる。だが容易に懐柔できぬ難儀な探索者であっても、老支部長からすれば慈しんできた我が子達であり、その愛が深い故に何でもお見通しである。当然、効果的な攻め手はいくつも心得ており、やむなく使う場合もあった。

「彼女らを助けないのかい?」
助けたい(・・・・)です」
「でも?」
「死にたいわけじゃありません」

 それは情けなくとも紛う事なき本音でもある。

「残念だね。あんたの活躍を楽しみにしてる娘もいるのに。といっても私の秘書だがね」

 薄く笑ったところで「咽が渇いたね」と卓上の図面をボーリィに片付けさせ、手を叩く。
 老支部長の合図で、まるで待っていたかのように「失礼します」と入ってきたのは少し田舎臭さの抜けない女性だ。ただし――

「お茶をどうぞ」
「(こくり)」

 彼女の愛想笑いへ一瞥もくれずに頷きで返し、卓上にコップを置くため前屈みになった際、胸元からこぼれそうになるずっしりした果実の量感にロンデルは釘付けになった。
 そして息を呑む。

(なんだ、この凶器(・・)は――?)

 “重量感”という分野の競技会(コンペティション)があれば、さぞめざましい活躍をしただろう。
その実に意味不明な感慨に耽る幼馴染みをどういうわけか察知してのけたミンシアが、肘で小突くが効きもしない。
 彼は今、豊胸崇敬(フェティシズム)という男が進むべき造形美と崇高精神の世界探求に絶賛邁進しているからだ。
 かくあるべし、と。

「はい、どうぞ」
「どうも」

 順番に客達へお茶をもてなすたび、自然と(・・・)揺すられる凶器のそのあざとさに(・・・・・)、「何たる恫喝、いや示威行動か……?」とぶつくさ分析しつつも顔は老支部長へ向けたまま、目線だけを器用に追跡(トレース)させるロンデルの表情にはありありと苦悩が浮かび上がる。
 それは“田舎臭さ”と“豊満”というこれまでにない一種崩れた組み合わせに、某かの対立命題(アンチテーゼ)を見出したから――ではない。
 ただ我欲に溺れるわけでなく、今回だけはその先にある確かな危機あるを承知し、進むか否かの葛藤を苦痛として表情に出ているのだ。
 もちろん、おっぱいと命を天秤にかける感覚は常人には理解し得ない。すべての、ではなくある程度の男達にとっては命題以外の何物でもなかったろうが。

「「「「「…………」」」」」

 興味深げに見守るボーリィと一定の理解を示す眼差しの筋肉親父、そして既に答えを知り諦めとほぼ同義の達観した表情を見せる二人娘達。
 それぞれの思いを胸に、固唾を呑んで見守る周囲の予想通りというかデキレースというか、あまりに当然至極な結論をロンデルはやけに低く重々しく、そして明瞭簡潔に口にした。


「――――受けよう」
「「おっぱいか!!」」


 今度こそ二人娘が手を出した瞬間は、『協会(ギルド)』の要人達も目を閉じていたので事なきを得た。
 仕掛けた側とはいえ、目の前で欲望に忠実な男の醜悪なというべきか無様なというべきか、あるいはむしろ天晴れとでもいうべき姿を見てしまうと、依頼の件とは別に“正義は為されるべき”と思ってしまったのは無理もない。
 実際、これによって誰の目にもすっきりした清涼感さえ漂っているし、何よりロンデル当人がその瞬間の記憶が飛んで覚えていないのだから良いではないか。いや大団円だ。
 あとは「何かとても衝撃的なことが……」そう眉間を揉むロンデルに、別の道を示して上げればケリがつく。

「いいかい。一家に付けた監視役と連携して、手を組んだ相手が誰かを探るんだ。危険だが、一家と繋がっている『俗物軍団(グレムリン)』の橋渡し役も明らかにしておく必要があるだろうね」

 よくお聞きとロンデルの注意を向けさせながら、老支部長が依頼の遂行方針を簡潔に伝えてくる。

「グレムリンのね……そっちは“できる限り”ですよ?」
「それでいい。クドいようだが、闘えと云ってるんじゃない。人気のない場所へ追跡するハメになったら、その時点で方向だけ覚えて断念してもいい」
「有り難いですが、ずいぶんと慎重ですね」
「当然さ。実のところ、この依頼を受けるのはお前達が初めてじゃない」

 これは複数契約だと?
 それとも短期間で二つ目を送り出すことになったとでも?
 大いに不審がるロンデルに何とも言えぬ表情で老支部長は告白する。

「その前任者はヒューデリカ。最近連絡がとれなくなってどう対応すべきか考えてたところだったんだよ」
「「「ええっ?!」」」

 “前任者”がいたことに驚いたのではない。
 “その人物”さえ失踪したことに驚いたのだ。


 『真紅の薬師』、『激情のヒューデリカ』――
 およそ探索者に相応しくない専門後衛職といえる『薬師』を“武闘派”と同義語で認識させる唯一のソロ探索者。

 公都で次代の『銀翼』と最も期待された新星(ホープ)でもあり、公国のみならず大陸でも単独(ソロ)でレベル6の『双翼』級に上り詰めた人物は彼女ただひとり。

 だが誰が格付けしたものか『怪奇十傑』とはそういう異形の存在をこそ称えたもの。
 並み居る剣豪を押し退けて旅商人が最強の名をほしいままにし、女の薬師が『怪物』を蹴倒し、軍の一部隊を殲滅させるなど十傑に名を連ねる者達ならばごく当たり前の帰結。

 その彼女が手がけて消息を絶つなど信じられぬ話しであり、万一にも『俗物軍団(グレムリン)』をはじめ何者かの手によって返り討ちにあったというのなら、今回の一件はもはや誰も手を出せない領域にあるということになる。
 放心状態の三人へ老支部長が淡々と付け加える。

「トッドと組むがいい」
「……あ、え?」
「『五翼』の生き残りだよ。今は面白い連中と組んでいるがね」

 実はもう話が付いていると。それに信じられない話しを付け加える。

「正直話半分だが、これでお前達が安心するなら話しておこうかね……。トッドがいうには、その連中――云ってしまえば騒動の一件に絡んでた見習いなんだが――あの『俗物軍団(グレムリン)』と対等にやり合えるほど腕が立つらしい」
「……」

 何を云ってるのだろう。
 宥めるにしても、せめて信憑性のある話しをしてくれないと、こちらとしても気持ちの乗せようがないというに。
 よりによって“見習い”が、堕ちたりといえ救国の英雄と対等だなどと……もはやお伽噺にしても成立しない。

「……もしかしたら、敵はあの『真紅』を倒したかもしれないんですよね? そんな化け物と同等?」
「けど、もう一度例の騒動を考えてみな。私兵の警備が襲撃者を撃退した話しは事実だ。そしてその襲撃者側には幹部筆頭がいたとも云ったろう。
 どうだ、おかしくはないかい? 単なる警備の私兵に本当に『俗物軍団(グレムリン)』の幹部筆頭を撃退できるとお思いかい? その他一家の手練れ諸共に?」

 自分は『五翼』でもあったトッドを信じると老支部長は云う。

「別にすべてを信じる必要はないさ。ただ見習達が生き延びたのだけは事実だし、見習い制度だって、審査を受ける者が“ド素人でなければならない”と定められているわけじゃない」

 思わぬ手練れが入り込んでいても不思議ではないと。奇蹟でもなく、珍しくはあっても起こり得る話しだと。


「…………まあ、いいでしょう」


 思いの外、ロンデルの立ち直りが早かったのには理由がある。

「後のことは、おっ――秘書さんとお食事でもしながら詰めることにします」
「残念だね。あの娘は今夜は残業だよ」
「では明日に――」
「明日も明後日も。こんな状況だからしばらく続くだろうね。時間を作らせるから、そのうちこちらか連絡するとしよう」

 「むぅ、残念ですね」と項垂れるロンデルをミンシアが何とも言えぬ表情で見ていたが何も云わなかった。「馬鹿に付ける薬はない」と少女弓士の呟きを耳にしたからでもある。



 ようやく長い会談を終え『一角獣』のパーティが帰ったところで、老支部長は珍しく深いため息を吐いた。

「不安かな?」

 古き友人の草原族に「それもある」と老支部長は応じる。

「もう少しじっくり育てるべきなのに、この段階で危地に送り込むんだからね。だが信じているよ。いつだって探索者の世界は、次々と綺羅星のごとく有望な新人が現れてきて、常にこっちの想像以上のことを成し遂げてしまうのだから」
「君の旦那がそうだったようにね」
「旦那じゃない」

 少しだけ苦しげに否定する老支部長を悪戯っけを排した目でボーリィは告げる。そこに彼にしては珍しい深い優しさを込めて。

「君以外のみんなが、彼を君の伴侶だと認めているよ。無論、彼自身も含めて(・・・・・・・)

 老支部長は何も応じてくれなかったが、その表情を見れば、ボーリィには十分であった。だから明るく告げるのだ。

「さあ期待しようじゃないか。新たな新星(ホープ)達に!」
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