(11)深まる混戦

文字数 16,395文字


“倉”襲撃の少し前
 『クレイトン一家』のアジト――


 小剣に手斧とそれぞれが得意の得物を腰に差し込んで、念入りに研いだナイフを足首や懐に忍ばせる。
 仲間が呷った酒瓶をひったくり、己も景気付けに咽を潤し別の仲間へ放り投げ、あるいは服の下に着込んだ鎖帷子を自慢げに見せびらかし、それを誰かがからかって笑いを誘う。
 入念な備えと適度な緊張感。
 出入り(・・・)前の空気としては最高の状態。いや、目的はあくまでクレイトン家の“隠し資産”の奪還(・・)であり、戦うことが目的ではない。
 それでも、邪魔立てする者がいればこれ幸いと叩き潰す腹づもりであり、ボスがそれをこそ望んでいることは、選ばれた面子の顔ぶれをみれば誰もが気づけることであり、また当人達も重々承知しているはずであった。

「“七人殺し”のヨミルに“耳狩り”のローランか。お前さんも同行するたぁ思わなかったな……“退屈”のゼイレよ」

 ひげ面親父に睨まれてもゼイレと呼ばれた長躯(ガリア)族の男は返事もせずに重戦斧(バトル・アックス)の刃を磨き続ける。
 種族特有の圧倒的リーチと膂力の強さで、まともに相手できる者がおらず愚痴ばかりこぼしていたその口癖から“退屈”と呼ばれた一家で最強の男。もはや戦いに興味がなくなったかと思われていたが、真実はむしろ真逆であったらしい。
 無心に刃を研ぎ続ける姿に煮えたぎる熱湯のごとき闘争心を懸命に抑えつけているのだと気付いて、ひげ面親父は会心の笑みを浮かべた。
 他にクセのある連中も含めて幹部は全部で五人同行し、さらには用心棒として組織で抱える『荒事師』を数名連れていく計画となっている。
 彼らは部屋隅の別テーブルでとっくに出立の準備を済ませており、今は静かに席に着いて出発の時を待っていた。
 供された上物の酒には一切手を付けていない。荒事に馴れている彼らからすれば、酒気で気を紛らわす必要など何もなく、むしろ血に混じり込んだ酒精で手指が鈍るのを嫌うのは当然のこと。
 その場馴れした態度を頼もしげに見やりながらひげ面親父が気合いを掛ける。

「分かってるな、ジグァット」
「これまでいい思いをさせてもらった――望みの結果を持ち帰るとも」

 ざんばら髪に無精髭――見た目は酷いが腕は立つ用心棒頭のジグァットが濁った瞳に覚悟の程を偲ばせる。それだけでひげ面の親父だけでなく、ゼイレまでが視線をちらとでも向けたのだから、当然ただの『荒事師』であるはずがなかった。

 俗に“裏の探索者”とも呼ばれる『荒事師』であったが、実は公的に認められた正規の職業ではなく、『深淵の探求協会(ギルド)』のような大陸全土を網羅する強力な後ろ盾があるわけでもない。
 ただ、光あれば影ができるように、『探索者』の手が届かぬ裏社会という隙間に『荒事師』を求める需要が生まれたのは自然の成り行き。
 当然、その仕切り(・・・)はどこの国や地域であっても『裏街』が担うことになり、だからこそ、その存在価値は“暴力”に秀でてこそ意味がある。
 基本、街単位で存在する狭き業界ではあるものの、それでも確かな階層(ヒエラルキー)が存在し、一段格上と見られるたびに、『一指』、『二指』と死神の指になぞらえられて呼ばれるようになっていた。
 だからといって、『探索者』のように何段階も階級分けするようなまどろっこしい(・・・・・・・)真似はしない。裏の住人にとって肝腎なのは“強い”か“弱い”かだけであり、大雑把に区分けしているため、たった一段違いで強さに大きな差が生まれることになる。指の一本格付けされるだけでも組織では別格の扱いだ。
 当然、用心棒で“頭”の役目を負うジグアットともなれば。

「頼むぜ、おい。公都でも貴重な『一指』の実力を存分に振るってくれねぇと、な」
「……分かってる」

 彼がボスの声かけに、あろうことか生返事をしてしまったのは、先ほどから自分を注視し続けているぼろ切れ覆面が近づいてくるのに気付いたからだろう。

「噂は聞いてるよ、ジグァットさん」
「……」

 陽気な挨拶にジグァットは無言で会釈を返す。実は初顔合わせの二人だが、ぼろ切れ覆面をひと目見るなり、彼が息を呑んだのはひげ面親父もぼろ切れ覆面も気付いているだろう。
 それが昔、彼が酒場で見たある人物(・・・・)と物腰や口調が非常に似ていたからだとまでは分からなくても。脳裏に呼び起こされたのは『俗物軍団(グレムリン)』の幹部だったという確かな記憶。
 そんな大物が裏の組織に関わるきな臭さ(・・・・)がどれほど危険なことかジグアットは経験と本能で察したのだ。

「……どうしたの? 驚くほどのものじゃないと思うけど」

 顔に巻いた布きれを触る覆面に「驚いたわけではない」と相手の不興を買わぬよう口調に気をつけながら彼は誤解を解く。
 もちろん、ぼろ切れ覆面にとっては小物(・・)の心境など気に留めるものではない。

「まあ、いいけど。それにしても、こんなに人手を割くと逆にアジトの防備が心配にならない?」
「ふん。ヤツ(・・)が来るってか? だから俺が残るんだろ。幹部も半分程度は残すし、一声かけりゃ四つのグループが駆け込んでこれるよう、近くに(ねぐら)までつくらせたんだ。文句なんか云わせねえぜ?」

 指摘されたひげ面親父が忌々しげに告げるのは、誰よりも先頭切って乗り込みたかった自分が“お留守番”をさせられる不満からだ。
 恨みがましい視線を向けられ、ぼろ切れ覆面は実に心外だと抗議する。

「勘違いしないでほしいね。むしろ残った方がデカい“祭り”に参加できるかもしれないんだ。実に公平な二択と云ったろ? まあ、もし、本当にヤツが来たら――」
「血を見るのはあっちの方だ」

 自信たっぷりにひげ面親父はにたりと嗤う。
 心配など無用だと。
 蒐集家(コレクター)だろうが嗜好家(マニア)だろうが、アジトにのこのこ顔を出せばどうなるか。

「せっかく準備したんだ、ほんとに来てくれた方が嬉しいんだがな」
「いいね、その意気だ」
「けっ。乗せられて(・・・・・)やるさ」

 その代わり、とひげ面親父の目が互いの実力差など意にも介さず脅し(・・)をかけてくる。

「仕留めた時ぁ、こっちに害がないよううまくやってくれや。そうでなきゃ、あんたらがどれほどの“力”を持っていようが関係ねえ。“契り”を結んだ以上は『裏街(おれたち)』を裏切るのだけは許さねえぜ?」
「心配性だな」
「用心深いと云ってほしいね」

 睨むように返事を待つひげ面親父にぼろ切れ覆面は「任せな」と気安く請け合う。

「“一家の悲願”も託したぜ?」
「重いねえ。ま、それも問題ないけど。同時に作業(・・・・・)をこなすから(・・・・・・)、今夜は仲間も来てくれるんだ」
「例の奴か?」
「もっと凄い奴さ。……悔しいけど、この俺も彼にはまだ届かない(・・・・・・)
「!」

 それは実力が、という意味だろう。だからこそ、ひげ面親父はぼろ切れ覆面の台詞にド肝を抜かされる。
 このふざけた男が異常な強さを持っているのは周知の事実だが、その男をして「届かない」と言わしめる人物とはどれほどの強さを持つ者なのか。
 いや、だからこその英雄かとボスであるひげ面親父だけはその正体を知るからこそ納得する。

(組織の拡大に手を貸すとか、そうかと思えば銅貨一枚の得にもならねえ犯罪をやらされたりとか、ほんとにこいつら何がしたいんだ……)

 これまで何度も湧いた疑念をいつも通りに頭を振って外に追いやる。
 命あっての物種だ。下手に逆らって買い戻しも効かぬ大損をするくらいならば、せめて利用するだけ利用しない手はない。

(おかげで、一家の悲願が叶えられるんだ)

 目先の利に集中すべく、ひげ面親父はぼろ切れ覆面に笑顔を向けた。

「そいつぁ、頼もしいな。なら、派手な宴会の準備でもして待ってるぜ!!」

         *****

再び
公都到着より四日目<夜>
 ヨーヴァル商会“倉”――


 ひとつの作業は無難に終えた。
 だが今ひとつはのっけから(・・・・・)段取りに狂いが生じて、ぼろ切れ覆面に軽い苛立ちと悦びを感じさせた。
 当てが外れたのはふたつほど。
 そこにいるべき(・・・・・・・)案内役の不在。
 そしているはずのない(・・・・・・・)見張りの立て籠もり。
 しかも見張りのうち一人は、つい先日、自分と対等に渡り合ってみせた腕前の持ち主。仮に敵となれば、さらなる段取りの狂いをもたらす実に意地の悪い巡り合わせ。
 なのに、隣にいた者が訝しげな視線を向けてくるほど「ハラハラさせてくれる」と嬉しげな声が洩れてしまう。

 計画と実行は別のもの。
 いやむしろ、そうでなくっちゃ面白くない!

 そんな昂揚感に心躍らせるぼろ切れ覆面を(いさ)めるかのように。

「どうする……?」

 興醒めするほど冷静な声で判断を仰いでくる用心棒筆頭のジグァットへ、ぼろ切れ覆面は予定通りの展開を指示するだけだ。
 迷う要素などない。
 三下(・・)ばかりの前回とは違い、今夜は上質の駒が揃ってる。
 自分と対等が何だ?
 いきなり長躯(ガリア)族のゼイレをぶち当てその隙を突くもよし、あるいは連携巧者のジグァット達に揺さぶりを掛けさせても、ヤツを葬るは容易いとほくそ笑む。
 さていずれの攻め手がよかろうかと、ぼろ切れ覆面が甘い夢想に耽るわずかな間に、まさか待望の男(・・・・)がこの地に舞い降りる。

(――もう来たのか)

 その姿に絶体の安心感が身を包むのを感じつつ、同時に、もはや自分が討ち取るチャンスがなくなったと確信してわずかな無念を胸に抱く。
 邪魔者は今や“倉”の中。
 そこに奴らの逃げ場はなく、防備を固めるだけの資材や人材もないことは調べが付いており、もはや()けしかけた(・・・・・)時点で片が付く。
 そこからの展開は実にスムーズであった。
 誰が教えずとも、まるで猟犬のように獲物の匂いを嗅ぎ当てたのか、()はまっすぐ“倉”へと歩を進めて屋内へと消えてゆく。
 そこからいかほども経つことなく。

「――!」

 夜陰に塗り込められた戸口から、人影が後ろ向き(・・・・)()跳び退ってくるのを目にしたとき、ぼろ切れ覆面は疑念を抱いた。
 立て籠もる二人を倒したならそんな戻り方をするはずもなく、さりとて“押し返された”というのはあり得ない話し。
 ならば何か不測の事態でも起きたのか。

「――どうしました?」

 意図的なものか否か、はじめに降り立った(・・・・・・・・・)位置で(・・・)寸分違わず足を止めた人影に、ぼろ切れ覆面は声をかける。

「もう少し周りの連中をどかしてくれ」
「?」
遊戯(ゲーム)だよ」
「ゲーム?」
「久しぶりなんだ。――私と遊べるヤツなんて」

 その声を耳にした途端、わけもなくゾワリと全身に鳥肌が立っていた。

 嗤った――?

 普段は言葉遣いや仕草などでその喜怒哀楽を表すのだが、実際にはいかなる感情の温度もその言動から感じさせることはない。
 まるで腕の悪い職人が造った人形のように。
 だが本当に稀に、彼が少しでも感情を発露させたことはあり、もしそうなれば、周りにいる者は寒気や呼吸の乱れ、あるいは発汗などの諸症状に見舞われることがあった。
 それが「彼の異能(アビリティ)だ」と断じる仲間もいるが定かではない。
 肝腎なのは、例え『幹部(クアドリ)』といえども、その辺の木っ端同様、『抵抗(レジスト)』もできずにいとも容易く異常状態(バッドステータス)に陥ってしまう事実。
 それはぼろ切れ覆面にとって、()と自分との明らかな“力の差”を思い知らされる不愉快な一事。
 “強者の側”に立ったはずの自分が、所詮は小物だと、有象無象と一緒くた(・・・・)にされる耐え難い屈辱であった。
 それでも黙って歯を食い縛らねばならぬ確かな“差”を自覚しており、自分達が彼の感情を揺さぶることができなかったのも、紛れもない事実なのだ。
 逆に言えば、()に興味を惹かせるほどの者が屋内にいる(・・・・・)ということになる。

あの男か(・・・・)……いや」

 センマと名乗る異人を脳裏に描き、すぐにそれを否定した。むしろもう一人の異人の方ではないかと。だが、その答えはすぐに分かるものと、ぼろ切れ覆面は()の要請に応え舞台のセッティングに集中する。

「みんなどけろっ。もっと輪を広げるんだ!」

 建物の出入口に注意を払いつつ、出された指示に従い襲撃者達の輪がさらに広がった。
 誰が()の気を惹いたにせよ、正直、ぼろ切れ覆面に興味はない。

(ゲームに興じたいなら、興じればいい)

 むしろこれを幸いに、特等席で高みの見物を決め込みながら、じっくりと()の戦いぶりを見極めるつもりになっていた。
 仲間でありながら、組織の将来的な不安材料になりかねない――根拠もないのにどうしてもそう思わせる“何か”を()に感じるために。
 それは強さに対する単なる嫉妬からくるものか、あるいは暴力に身を染めた者が持つ生存本能からの警鐘なのか。
 少なくとも、同様の危機感を他の幹部も共有しているのは事実であり、何よりもはっきりしていることがある。

(味方であれ敵であれ、越えるべき者(・・・・・・)なのは確かだ……)

 我が居場所たる『俗物軍団(グレムリン)』を守る――それは建前でなく本音であったが、ぼろ切れ覆面の根本にあるものは、「強くあれ」という妄執だ。
 虐げられてきた者なら、誰もが骨身に染みている弱者であることの失望、恐怖、嫌悪などの強烈な裏返し。

(俺は必ず、あんたを越えてみせるよ……)

 そのような妄念を胸の奥に抱いていると。

「いいかい、手出しは無用だよ、テオ(・・)
「ああ――って、ちょっと?!」

 思わぬ暴露(・・)にぼろ切れ覆面が咎めるどころか驚きに目を剥けば。
 『俗物軍団(グレムリン)』の名実ともに№2であるその人影――フォルムは「気にすることないさ。必要なら何とかするから(・・・・・・・)」そう平然と請け合う。

「何とかって……」

 それが“全員廃棄”を意味するだけに、思わずぼろ切れ覆面――同じく『俗物軍団(グレムリン)』の『幹部(クアドリ)』であるテオティオは襲撃者の一団をちらりと見やった。
 その目に込められるは“物を惜しむ感情”。
 ここまで手懐けてきた労力を思えば、それも市井では上位に位置する強者達であることを考えれば、そう簡単に育てたり入手できる人材ではなく、勿体ないと思うのはしごく当然の心の動き。
 こちらも常識から外れたテオティオの感傷は、だが建物から新たに飛び出してきた人影によって打ち消されてしまう。

「なっ?! あ、ぐ……くそ!!」

 一瞬、テオティオ達見知らぬ侵入者を目にして面食らったものの、どれほどの恐怖がその背を突き動かすのか、すぐに石段から飛び降りてきたのは警備の男だ。

「――あぎっ?!」

 慌てすぎて着地に失敗し、無様に転んでもなお、何かから逃れようとするかのように夢中で身体を起こし這い進もうと足掻く。
 背後の建物から、いやもっと奥に潜む何者かの影(・・・・・)から一歩でも離れようと。
 そのばたつく(・・・・)動きがぱたりと止められた。

 すとん、と。

 必死でもがく警備の男に皆の視線が集中する中、何の前触れもなく男の首が地に落ち、転がった。

「「「?!」」」

 テオティオはもちろん、他数名だけは辛うじて何があったか理解したはずだ。少なくともフォルムの腕が素早く振るわれた事実だけを認識できれば、何が凶器となり今の結果を生み出したのかくらい想像に難くない。

「邪魔をするなと云ったんだがね。ところで誰なんだ、こいつは?」

 行動と質問が逆だ、と誰もが思ったろうが指摘する者はいない。それより注意を払うべき何かが――男が必死に逃げていた元凶が(・・・)、今や深淵の入口を思わせる戸口より、姿を現すのを見逃すわけにはいかなかったからだ。果たして――

「いやいや一度引っ込めた顔をお見せするのは、何とも恥ずかしいかぎり。でも手ぶら(・・・)でないのでご安心を」
「?」

 石段の頂きに立つ青年が、屋内から顔を出すなりそう告げた。何を云っているのかとフォルムも含めて誰もが疑念を抱けば、さらに続けて建物からもう一人が後退りながら出てきて「ちょ……何なんだ、あれ?!」と叫ぶ。

 どうも様子がおかしい。

 警戒も(あら)わに建物の奥を睨む姿に、その場にいる全員の視線が吸い付けられる中、そいつ(・・・)はゆっくりと現れた。
 まるで黄泉の洞穴から這い出てきた亡者のように。
 いや事実、それは亡者であった。

「ガルフ!!」
「……そんな、『徘徊する遺骸(リビング・デッド)』だと?」

 誰の声かは分からない。だが『探索者』でなくとも有名な怪物の存在はほとんどの者が知っており、初めて目にしたとしても、一目で納得できたはずだ。
 かつて仲間であったはずの男の顔が、月夜の下であっても克明に分かるほど血の気を失い白ちゃけていることに。
 その上、身体を三本の弓で射抜かれながら、手にした血塗れの斧を持ち、誰かの返り血を浴びた姿やその足取りがすでに生ける者のそれでないことくらい容易に察することができるだろう。
 命の奪い合いを経験している猛者だからこそ、ここにいる連中なら誰もが看破する。
 ガルフは既に死んでいると。
 死してなお、動き続けているのだと。
 だが。

「どうして、『徘徊する遺骸(リビング・デッド)』に……?」

 当然の質問だ。
 むしろあり得ぬ事態に思考停止せず、疑念を口にしただけでも大したもの。そして普通ならば問いかけのみで、痛いほどの沈黙が場を包み込んで終わるはずなのに。

「おそらく……『嗜好の部屋(ヴァンダー・カンマー)』だ」

 答えたのはジグァット――元『三羽』の『探索者』という経歴を持つ彼には、今も現役に負けぬ知識と経験がその身に宿っている。

「昔の貴族には、金に飽かせて珍奇な物品を蒐集する行為とそれらを隠す罠塗れの施設をこさえる(・・・・)ご高尚な趣味があったのさ」

 特に一部の貴族には、貴重品の蒐集よりも陰険で凶悪な罠の構築に夢中になる者がおり、“芸術”と称える者まで現れるようになったという。
 そうした貴族の異常性癖を知れば、ジグァットの声に嘲りが含まれるのも当然だろう。
 ある意味、揶揄する意図もあってか、(こだわ)りの仕掛けが施された施設を誰が言い出したのか『嗜好の部屋(ヴァンダー・カンマー)』と呼んでいるらしい。

「昔、仲間からえげつない(・・・・・)罠の話しを聞いたことを思い出した」
「……」
「失伝された『魔術陣』とやらを用いて、人為的に亡者を産み出す醜悪な罠を。たいていはまともに機能しないと聞いたが、まさかそんなものの成功例が現存してるとはな」

 出来すぎた話だ。
 だが死人がそこにいるのは紛れもない事実。

「……やっぱ、貴族を好きにはなれねえな」

 だみ声で、唾を吐き棄てるのは“七人殺し”のヨミル。単純な殺しの数はもっと多いが、“一度に”という条件が付くことにその呼び名の意味がある。
 彼が『クレイトン一家』に吸収される前の小さなグループを率いていた折、ガルフとは何度も仕事をした仲であり、現組織では付き合いが最も長いと知れば、その心中は察してあまりある。 
 無法者だから、あるいは無法者が皆、情が薄いとは限らない。逆に仲間意識が高く、繋がりを重んじる者もいる――誰よりも殺しに長けた、ヨミルのように。
 無言は怒りを表し、その荒ぶる感情のままに小剣を力強く抜き放てば、その鞘走る音が静まり返っていた場に再び活気を取り戻す。

「ザマぁねえな。……せめて、きっちり眠らせてやるぜ、ガルフ」

 その呼びかけに呼応するかのように、亡者のガルフが石段を降りはじめるのへ、勝手に防陣の輪を外れたヨミルがフォルムすら無視して「自分がやるぞ」と相対する。
 そこへ加わるもうひとつの影。

「あいつは強かった。助っ人は必要だ」
「……」

 その申し出を固辞することなく受け入れて、ヨミル達が臨戦態勢を整えれば。
 まさかそこへ、不意打ちどころか己の存在感を隠す素振りもなく、威風堂々と足音すら立てながら、新手の集団が現れるとは。

「――ほう。これはどういった状況だ?」

 ハスキーな声につられて皆の視線が別方へ移る。
 そこにいたのはどう見てもヨーヴァル側の警備の者達に思えぬ不審なフードの集団。

「こっちこそ聞きたい……何だあの連中は?」

 不審を口にしながら、テオティオは覆面の下で眉をひそめる。いよいよ混沌としてきた情勢が、果たして幸運なのか凶事なのか、考えあぐねて。
 しっかり状況を見極め、場合によっては自分だけでも宝を奪りに行く――そんな方策も織り込んでおく必要があるだろう。

「……もっと戦力を厚くすべきだったか?」

 してもしょうがない後悔の苦みをテオティオは感じるのだった。

         *****

 そのフード集団は明らかに日雇いや商人が子飼いとするレベルのそれを上回る存在感があった。
 全員が暗い外套を身に纏い、きれいに隊列を整えているところは正規の訓練を受けた公的機関の警備兵か軍隊のそれを思わせる。
 その佇まいを目にしただけで、ジグァットがさりげなく身構えただけの武力を全員が有しているのは間違いない。その中で明らかに別格の気配を放つ者が一歩前に出た。

「屍人にヤクザ者……何の祭り(・・)か知らんが、他人の敷地で好き勝手できる法はこの公都(まち)にはない。
 ましてそれだけの人数に武器まで揃えて乗り込んできたとなると、言い訳は出来んぞ?」

 その物言いは、やはり公都の警備兵か?
 ただ、それにしては彼ら自身が私有地に立ち入っている理由が分からない。まるで今夜の襲撃を予期して張り込んでいたようにも思えるが、そのような情報は潜入者から伝わっていなかったからだ。
 いや――いつもと違って屋内警備の者まで休憩をとるように言われたことがそうだったのか(・・・・・・・)
 他にも、わざと追い詰めるような言葉のチョイスに引っ掛かりを覚えなくもない。まるで相手が反抗するのを待ち望んでいる節さえ感じられるのは気のせいか。
 ただ、手を出させたい思惑があるのなら、目深にかぶったフードを下げて顔を晒すのは逆効果であったろう。
 色素が抜け落ちた白髪に、特徴的なしゃがれ声。
 例え直接の接点はなかったとしてもその噂は巷に流布しており、誰でもそいつの正体に気付くことが可能であったから。
 そして知ってしまえば大抵の犯罪者は抗う意志を放棄するはずであった。

「!」
「ぅお?!」
「……『蒐集家(コレクター)』」

 そこにいるはずのない者。
 低く低く呻いたジグァットは何を思うのか。
 競争相手の後ろ盾(・・・)は当然彼らも心得ており、だからこそ現れた集団の正体が大公直轄の騎士団であることの意味などまったく理解できなかったはずだ。
 ルブラン伯の私兵ならば、いざ知らず。
 しかも、“三剣士”という絶体強者を目の当たりにすれば、たじろぐのは当然、むしろ戦意を保つのさえ容易ではない。
 その当惑をたっぷり利かせた場の空気を平然と乱す者がただひとり。いや一人と表現するには桁違いの存在感。

当たり(・・・)か――」

 一方で、迫る亡者の脅威があるのをきれいに無視して、常人には御しきれぬ重量級の武器を抱えた長身の体躯がのっそりと進み出る。
 その口元と声にまぎれもない歓喜を込めて、“一家最強”長躯族のゼイレは、“三剣士”の一角――バルデア卿の前に堂々と立つ。

「あんたなら、俺の“退屈”を取り払ってくれると思っていたよ」
「……ゼイレか」
「へえ。俺を知ってるのか?」

 嬉しげに無骨な顔を歪める長躯族に、負けず劣らぬ憮然たる表情でバルデア卿は事も無げに言う。それもまた、らしからぬ(・・・・・)挑発的な言葉で。

「裏社会ではそれなりに立つ(・・)と」
それなり(・・・・)?」

 癇に障ったらしいゼイレの裡からわずかに殺気が洩れるのを“明確な戦意”と受け止めたか、白面を微も動かさぬバルデアが淡々と応じる。

「私は手加減ができん。無駄に命を散らす必要はあるまい」

 それにあくまで他意はなかろうとも、言われた側にとっては紛うことなき挑発であり侮辱。
 途端、ゼイレの瞳から笑みが消え、通常のサイズを一回り大きくした特注の重戦斧(バトル・アックス)が高々と持ち上げられる。

「無駄かどうかは――」

 その口端から“苛立ち”による熱気を洩らしつつ、ぎちりと重戦斧の柄を握りしめ、ゼイレは腹の底から瞬時に煮詰めた感情を爆発させた。

「――俺が決める!!」

 突然、颶風が生まれて白髪の騎士がいた空間を分厚い刃が薙ぎ払う。まるで長剣を振るうがごとき斧の速度に、ゼイレの並外れた膂力が窺われる。
 ゴウという唸りと共に、騎士が肩口から斜めに断ち切られたと見えたのは、あまりの迫力が故。
 実は寸でのところで避けていたと気付いた時には、いつの間にか振り上げられていた重戦斧が二撃目を放っていた。


 ガィン――!!


 鈍重な音が重なり合って、あろうことか、バルデアの長剣がゼイレの重量武器を力尽くで(・・・・)打ち落とす。

「――お前っ」

 腕力で長躯族に互するとは。
 その信じられぬ結果を目の当たりにして、何をやったかとゼイレがギロリと睨みを利かせた。いや、その原因はあまりに有名なためすぐに気付く。

 『大鬼を宿す腕輪(ポゼッション・オブ・オグルパワー)』――。
 怪物の中でも桁外れな膂力を持つ大鬼のそれを宿すと云われ、装着者の筋力(ストレングス)を大幅に増強させる貴重な秘具。
 効能は単純にして明快。
 でもだからこそ、誰もが欲する人気アイテムであり、しかしながら、稀少度(レアリティ)が非常に高いため、闇のオークションでも滅多に出回らぬ逸品である。
 実際、人並み外れた腕力自慢の長躯族(ゼイレ)の一撃をただ一剣――力で制圧してみせたのだから、噂に違わぬとんでもない能力だ。
 もちろん厳密には、技と力の融合であり、正真正銘腕力のみで対等だったわけではなかったが、ゼイレからすれば些末な違い。

 ひ弱なはずの人族ごときに(・・・・・・)腕力の拮抗で矜持(プライド)を傷つけられ、一瞬、怒りを滲ませたゼイレの視線がふっと弛められる。

「大した秘具(おもちゃ)だな。だがそのくらいでないと面白くない」
「なら別の秘具(おもちゃ)はどうだ?」

 憮然たる白面はそのまま、揶揄する言葉と共にバルデアの長剣がゼイレの太い首を狙う。それが右から切りつける寸前で、滑らかに反転、鋭き弧を描いて真逆の(・・・)左側から滑り込む。

 避け――いや間に合わないっ。

 完璧に裏を突かれ、首に触れる刃の冷たさを感じた刹那、ゼイレの双眸が裂けんばかりに見開かれた。

「かあっ」

 子供の頭を呑み込めるほどの大口を開き、裂帛の気合いを放ったその猪首に、刃が触れ――皮膚を裂き、肉に食い込み、しかし浅い位置でぴたりと止められる。

 種族特性技能『剛体』――
 持ち前の筋力に物を言わせて、瞬間的に最大筋力で筋肉を引き締めることにより、鋼鉄のように肉体剛化を促す体術系スキルに属する技のひとつ。
 だが云うほど容易な技術でなく、半端な習熟レベルで使えば容易く肉離れ――悪ければ筋断裂や血管の破れを引き起こして身体を痛めるのが関の山。
 しかしながら長躯族は持って生まれた本能で、成人する頃には誰もが肉体剛化の技を使いこなせるようになっている。
 それも磨けば磨くほど剛体強度は強くなり――故に個人差は大きくなるも――はじめ皮鎧程度のものが、やがては鋼鉄相当の強度にまで至るという。

 それでも首筋の強力な締めで、『魔術工芸品(マジック・クラフト)』によって威力強化されたバルデアの刃を止めるなど出鱈目もいいところ。
 例え、バルデアの放った斬撃が“威力”より“命中”を優先させた曲技であったとしても同じ事。

 こちらもまた、噂に違わぬ超人だ。
 ある種ゼイレらしい剛胆で馬鹿げた防御法にバルデアは呑まれることなく、冷静に長剣へ両手を添えてしっかと引き抜き、一定の距離をとった。

(今の妙な剣の動き……)

 それを剣技と云われても相手が相手だけに信じるが、先にバルデアの放った「別の秘具(おもちゃ)」という言葉が引っかかる。
 つまり技倆というより秘具の効能によって可能となった技ではなかったかと。
 事実、あてはまる噂を耳にしていたはずだ。

 『小人細工師の御業(シュプリーム・オブ・ノーム・クラフトマン)』――
 岩窟族(ドワーフ)が造り、草原族(ハーフリング)の秘宝として細工師の名家に代々伝えられてきたものが闇市に流れたというのは有名な話しだ。
 どういった経緯でバルデアの元に流れ着いたかは別として、肝腎なのはその効能だ。  
 装着者の器用さ(デクスタリティ)を達人レベルにまで引き上げるという眉唾な噂があるのだが、ゼイレが目にした剣筋は、人間業とは思えぬ軌道を描いていたのは紛れもない事実。
 しかし細工だけでなく剣にまで通用するならば、技術というものが必要となるあらゆる分野において、比類無き技倆を与えることになる。
 もうひとつの秘具よりも、実は桁違いの秘宝なのではないだろうか?
 そして、そんなものをまだ他にも所有しているはずのバルデアは、単純な戦闘力というのであれば、一体どれほどの高みにいるというのか――。
 考えただけで、震えがくるようなその事実にゼイレが抱く感想は実にシンプルであった。

「いいぜ、あんた」

 首筋からの血はほぼ流れていない。
 筋肉を締めて血止めするくらい彼にとっては造作もない稚芸。
 何事もなかったかのごとく、石臼のような歯並びを剥き出しにして嗤うゼイレにバルデアは素っ気ない態度を崩さない。

「悪いが、愉しむために来たわけじゃない」
「あ?」

 バルデアの意図を察した背後の者達が、一斉に抜剣し前へと滑り出てきた。
 一対一の腕比べに興味など示さず。
 言葉どおり、相手を制する手段に躊躇いはなく、平然と配下をけしかけるバルデアの顔色に微細な変化も起こらない。

「はっ……お前らも(・・・・)同意見か」

 騎士の矜持はどこへやら、ボスがボスなら配下も異論はないらしい。そもフードをめくっている時点で正体を隠すつもりがなく、戦いに全力を尽くす意思表示でもあったろう。
 それは騎士というよりも戦士の気構え。
 逆にそこまで割り切れるというのなら、残る問題は戦力たり得るかどうかだ。
 さすがに板金鎧(プレートメイル)は身に付けてなくとも、鎖帷子(チェインメイル)くらいの装備はしていそうだ。練度に相応しい一級の装備があるならば、彼ら一人一人も侮れぬ相手には違いない。
 事実、彼らの足捌きを見ただけで「粒ぞろいだな」ゼイレの目が嬉しげに細められた。

「も少し堪能してからでもいいだろうに。まあ乱戦だって嫌いじゃない――」

 「ぜっ」と唐突にゼイレの身体が霞む。
 そう見えたのは凄まじい回転のせいだ。


 斧技(スキル)『豪裂陣』――


 颶風を纏う黄金の軌跡が空気を裂いて、一人が胴を両断され、今一人が剣を叩き折られながら真横に吹き飛ばされた。
 重戦斧(バトル・アックス)のような重量系武器には、威力は凄いが“技の起こり”が遅いという明瞭な欠点がある。だが、今のは鍛え抜かれた騎士でも反応できぬほど、発動は一瞬で速さも並ではなかった。
 重戦斧さえ軽量扱いする剛力こそが、長躯族の真骨頂。いや、ここまで“筋力の強さ”を己の武器として練り込んだ長躯族はそうはいまい。
 だからこそ、ゼイレは一家最強なのだろう。

「いい反応しやがる――」

 戦技(スキル)を使ったとはいえ、一撃で二人の騎士を戦闘不能に陥らせながら、ゼイレは相手の力を素直に称賛する。
 彼は二人目について、剣で防御させる(・・・・・)つもりがなかったからだ。しかしながら実際には剣を叩き折らされた(・・・・・・・)――その事実を認めぬわけにはいかなかったらしい。
 場の片隅で、吹き飛ばされたはずの者が立ち上がろうとしている。必殺の戦技(スキル)を駆使しながら結局仕留めたのは一人きり。
 配下の者でさえこうなのだ。
 ならばバルデアと連携をとりはじめればどうなるか。
 さらに新手が寄せてくるのを視界に捉えつつ、それでもゼイレが怯むどころか舌舐めづりをする。

「――今夜はぐっすり眠れそうだ」
「永遠にな」
「あ゛?」

 十分な間を空け、隣に並ぶジグァットに一瞥くれてゼイレが凄む。言葉だけでなく何の真似だ、との抗議も含めて。

「今のは奴らの油断だ。今度はそうもいくまい」
変わるもんかよ(・・・・・・・)
「それでも、バルデア以外は任せてもらうっ」

 迫る相手にジグァットが躍りかかっていた。
 初撃を餌に相手の右脇へ回り込み、遅れて寄せた仲間が注意の反れた相手を真っ正面から斬り伏せる。途中で鎖帷子に阻まれながらも肩口から深く断ち割った時点で勝負は決していた。

「ちっ、好きにしろ」

 鮮やかなジグァット達の連携を見せつけられて、ゼイレが舌打ちひとつで気持ちを切り替える。大物に集中できるのは、それはそれで悪くないからだ。

「こっちはこっちでやらせてもらう――」

 加熱する彼らの戦いを、ある意味不思議なくらい止める者はいなかった。特に襲撃者の陣営からすれば、相手が相手だけにもっと慎重に期すべきところだが、作戦指揮がテオティオに委ねられていた時点で当然の成り行きであったのかもしれない。
 互いの背後関係を知るだけに、ここで相手の戦力を削り取っておくのが重要と気付いたはずであろうから。
 後で振り返ってみれば、これが互いに激突した最初の争いであったことを知ることになる――。

         *****

 “倉”の襲撃者達に蘇った死体。極めつけはヨーヴァル商会の者と思えない新手のフード集団。
 具材の分からぬ鍋のような状態に扇間は大いに戸惑わせられていた。

「……これは好機とみて、いいのかな?」
「本来なら、でしょうね」

 鬼灯が否定するのは、その視線の先にいるフォルムと名乗る人外のせいだ。
 それほど広いと言えぬ敷地に人がひしめき、敵味方入り乱れ混戦模様になりながらも、それでいて呼気と剣戟の鋭い音しか聞こえぬ、見ようによっては静かな戦いの場にあって、フォルムだけは微動だにせずこちらを注視し続けている。
 その見えない視線の呪縛に、二人は脱出の機会を図りかねていた。
 視線を外し、背を向ければ一足飛びで斬り伏せられるという確信――それも決断を躊躇わせる材料のひとつだ。その上、唯一の逃げ道には新手の集団が陣取っており、その反対方向に逃れてきてしまった二人としては、このまま行く手を阻む者を突破しても袋小路に閉じ込められるだけ。
 何か状況を変えないと、脱出の糸口さえ掴めない。

「……これ、結構まずくない?」
「完全に当て(・・)が外れましたからね」
「やっぱり、あいつ(・・・)を何とかするしかないか」
「そういう意味では結論に変わりはありません」

 結局振り出しに戻る。
 ふうとため息をついたのは扇間だ。あれよあれよと状況が勝手に悪化してしまいさすがに混乱してしまったが、やるべきことがはっきりしただけだいぶ気が紛れるというもの。
 フォルムを鬼灯に任せるとして、ならば己の役割はと、行く手を塞ぐ者達を視界に捉える。

「こっちに来るのは勧めないねえ……」

 異様に長い舌を垂らすのは“耳狩り”と呼ばれるローランだが、扇間は無論、彼のことは噂すら耳にしていない。
 その首にぶら下げるのは、たくさんの黒い干涸らびた何か。乾し椎茸のように見えるのが人間の耳であるとはさすがに気付くはずもない。
 しかし、その異様な首飾りを見るまでもなく、常人とはかけ離れた精神構造の歪さを、扇間は纏う空気から確実に感じ取ることができていた。

「ま、あっちに行くのも勧められないけど」

 ちょうどゼイレが戦技(スキル)で騎士二人を豪快にぶちのめしたのを差して、ローランは嫌らしい笑みを浮かべる。

「教えてもらってなんだけど……」

 扇間は何でもないように「どちらにしたって変わらないよ」とさらりと返す。

「まったくだねえ」
「ああ、まったくさ」

 さ、と口にしたところでローランと扇間の距離が詰められていた。

「!」

 目をクワッと驚きに見開きながらもローランの左手は扇間の脇腹手前に突きつけられ、同じく扇間の左手がローランの首筋にうっすらと浮かぶ太い血管の真上にひたりと当てられていた。
 どちらの手にもナイフ、または手裏剣が握られている。

「……なぜ止めたんだい?」

 扇間の囁き声にローランも「そちらこそ」と質問で返す。
 扇間の理由は“相手に殺意がなく虚偽だ”と見抜いたからであり、ローランの理由は“殺す前に話をしたかったから”だと、そんなふざけた理由であったとは扇間も想像できまい。
 ただ、これは彼にとっては儀式のようなもの。そうすることで殺しに躊躇いがなくなり、身体の動きにキレが生まれて、誰よりも優れた殺傷技術を披露することができるのだ。
 誰よりも優れた、殺しの動き(・・・・・)が。

「あんたは俺より殺しているねえ」
「……」
「たくさん殺したら覚えていられないんじゃないかい?」

 扇間が何を云ってるんだ? と眉根を潜ませればローランは愛おしげに首飾りを弄ぶ。

「俺はこうして、いつでも思い出せるようにしているんだ。どんな人間の、どんな生活を踏みにじり、その分、どれだけこの俺が強くなったかを」

 それは戦果(トロフィ)ではなかったのかもしれない。むしろ強くならなければ、“何のための殺しであったのか”という罪悪感からくる強迫観念。それを抑え込むために、“耳”という見て直に触れて実感できるものがローランには必要だったというだけのこと。
 だがそんな相手の心理など分かるはずのない扇間は、ただ、冷めた眼差しで見つめるだけだ。

「そんなので強くなれるはずないだろ」
「なれるさ」

 確信する者の力強さでローランは断言する。

「心の解放が、肉の強張りをほぐし、何に縛られることのない“真の自由”を与えてくれるんだよ。あんたも感じたはずだ……その時、誰よりも早く動けていただろう?」
「それは縛りじゃない。殺しを躊躇う(・・・・・・)のは、人として正しい在り方だよ。それを断ち切ってしまった(それがし)たちは……ただの獣だ」

 だから、と続けるはずだった言葉を扇間は最後まで言わせてもらうことはできなかった。

「くあ! ダセえこというなよ、先輩(・・)。着飾ろうがすまし顔でいようが、貧乏だろうが王族だろうが、人間なんてのぁ、ちょっとばかし“気取った獣”なんだよ。そうだろ?!
 もっとマシなこと聞かせてくれねえと、あんたの耳を手に入れても満足できねえだろうがっ」
「耳? ……なるほど、それで死人から耳を奪ってるのか」

 それを「違う」とローランが訂正する。

「死人じゃなくて生きてるうちに(・・・・・・・)、だ。その方が魂が宿ってていい。そうじゃなく死体を切り刻むのは……とんでもねえ変態の仕業だ」

 ひどく生真面目に講釈をたれる凶人の戯言(たわごと)を聞かされて、扇間は軽く目を閉じ、開いた。まるでその一瞬に犠牲者へ黙祷を捧げたかのように。
 いや、沸き上がった怒りを抑え込み、冷ますためにか。だから続く言葉は心からの感慨だった。

「いいね――倒すのに躊躇わなくて済むのは」
「強がるなよっ」

 ローランが左手を突き込むも、ぴたりと脇腹手前で止められたまま――いや、どうしてそれを見極められたのか、扇間が同じ距離だけ身を退いたからにすぎないっ。それを理解できぬまま、ローランの首だけびゅうと血を飛沫あげていた。

「かっ……」

 たまらずローランが傷口を抑え込みながら、たたらを踏む。その返り血を浴びぬよう器用に避けながら扇間はすでに別の者へ手裏剣を放ち、さらにもう一人へと腕を振るっていた。

「こ、こんなっ」

 瞬く間に二人を倒され、自身も傷口を抑えた手の隙間からどくどくと血を流しつつローランが絶句する。こんな手慣れた殺し(・・・・・・)など自分にも無理な話しだと。
 気合いを入れ、喚くこともなく実に自然と人を殺したらしめる。

 こいつも化け物か――っ

 だがそれを知るには遅すぎた。
 血の気を失い、力が入らなくなった膝から折れて自然とへたり込む。
 裏社会にあっても、誰からも怖れられ、ボスからも忌われていたヨミルは実にあっけなくこの世から去った。

「……云っただろ、殺しの数なんかで強くはならないって」

 場馴れすることは大事な要素だ。
 持ってるモノを十割出せるか否かでは確かに違いがある。たいがいの者は己の力を十全に発揮することなどできないものだから。
 だが、その十割が相手に比肩してはじめて意味があるというのを忘れてはならない。そもそも足りていなければ、いくら場数を踏んだところで、限度はしれている。
 いや、それもこれもすべては常人からみて数段上にいる扇間が相手だからこその話しであったろうか。そうでなければローランの理屈は決して間違ってはいないのだ。
 ただ相手が悪すぎた。
 磨きに磨いて辿り着いた高みは、ローランが十割に倍する力を発揮したところで、歯牙にもかけぬ領域にあるのだから。

「さて、お膳立てはしたけれど……」

 挟撃になるを避けるため、一方の敵勢力を排除したところで舞台は整えられた。そう思い相棒に声を掛けようとしたところで扇間は驚くべき光景を目にした。
 いや、その状況は十分あり得る話しだった。
 後ろ姿を見るだけで、劣勢と判じれる鬼灯に扇間の目は鋭く細められる。
 増えた切り傷の程度は、破れ血に汚れた服の損傷から即座に窺い知ることができ、乱れる金髪と首筋に光る汗が月の下でも鬼灯の激しい疲労を感じさせた。
 この短い合間にどのようなせめぎ合い(・・・・・)があったのか想像に難くない。
 彼らはこの場にいる誰もが理解し得ない領域で極限の戦いを繰り広げていたのだから。

「――こんな時に」

 扇間が気付いたのは、一番厄介になると感じたぼろ切れ覆面の姿が見えなくなったことだ。
 この戦局を左右するだけの力を持つはずの彼が、持ち場を離れるなどあまりに想定外で不可解な事であったが、あのような人物であれば、それもあり得る話しだったろうかと扇間は考え直す。
 いずれにせよ。

「碌な事にならなきゃいいけど……」

 念のため、厄介者の姿を捜すべく、扇間は混沌と化した広場の隅々へ目を凝らすのであった。
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