(3)“魔境”の洗礼

文字数 10,881文字

 とうに分かっていたことなのに、あらためて森の外に広がる景色を目の当たりにして、秋水含めた三人はしばらく沈黙の中、立ち尽くすこととなった。
 自分達の見知った羽倉郷のそれとはまったく違う情景に、本当に自分達はどうなってしまったのか、あるいはこれからどうすればよいのかと、一時とは言え、大事な使命を脳裏から失念してしまう。
 無理もない。
 そこにあったはずの村落が忽然と消え、暮らしの象徴であり、村人が草むしりや開墾に汗を流す大切な畑地さえ幻であったかのごとく見る影もないとすれば。
 見渡す限り、ただ、森林と草原が縄張りを主張し合うだけの味気ない景色に、唯一救いとなるのは、右手に流れる見知らぬ小川の存在のみ。
 そうした景色をある程度の範囲で一望できるのも、多少の高低差が生まれるだけの、ここが丘陵地だからなのだと三人は初めて気づかされる。
 それもまた、記憶にない地形の相違であったが。

「――だろうな」

 さも「想定内だ」と云わんばかりのあっさりした秋水の感想に、捨丸と拾丸がちょっぴり呆れたような表情をみせる。
 確かに“森の異変”を踏まえればそうであろうが、否定したくなるのが人情というもの――これ(・・)は常々教示される“心の有り様”というよりも、持って生まれた性分であろうと確信するが故に、二人ともこの件について触れるつもりはないようだ。
 代わりに互いに感想を述べ合うことになる。

「幻覚……ではないか?」
「むしろ、そうでなければ何なのであろうな」

 拾丸の言葉こそ事実としたいと捨丸も頬を引き攣らせる。これこそがまともな人間の反応だ。

「“神隠し”……かもな」

 何気なく洩らした秋水に二人が怪訝な目を向けるのは、先ほどと違って“らしくない”台詞であったからだ。

 “神隠し”――
 近くで遊んでいたはずの童がいなくなった。
 摘んだ山菜を篭に残して爺様だけが消えた。
 日ノ本中、どこででも起きている理由のない突然の失踪は、そのほとんどを“山の神”に(かどわ)かされたためと信じられてきた。 
 むしろ、五穀豊穣、無病息災あるいは災難を避ける意味でも率先して人身御供を捧げる風習もあるくらいだ。
 だが、捨丸と拾丸が修行で習うことは、超実践主義の(ことわり)であり、そこに怪異の話しが入り込む余地など微塵もない。
 特に己らが師事する秋水は、“神”を否定こそしないが、「迷わぬ“心の有り様”を得るために、“芯”となるものを求めて」という印象が強かった。

 己の真ん中に“神”を置くことで、絶体に揺るがぬ心を築いている――

 実利的な面を重視しているというのが、二人のみならず、秋水に師事する他の高弟達も含めて一致した見解であったのだ。

 その秋水が、まさか怪異の最たるものである“神隠し”などを引き合いに出すことに二人が困惑するのも当然と言えよう。
 それを承知しているのかいないのか、秋水は淡々と話を続ける。

「思ったことはないか? そも“神隠し”にあった者はどこに行ったのだろうと」
「それがここ(・・)だと?」

 云わんとすることにすぐに気づき、捨丸が問い返すも、さすがに「そうだ」という回答が返されるはずもない。

「云えるのは、この目で見極めたものであれば、それがどれほど馬鹿げていても目を反らしてはならないってことだ」

 “安易に乗る危険”がある。
 同時に“囚われすぎる危険”もある。
 その見極めはとても難しく、故に、秋水が言えるのはひとつだけだ。

「今は、己の使命を果たすことのみに集中すればいい」

 二人は無言で頷く。
 槍を持ち去った者を追い、ここまで来たのだ。まずは使命を果たし、大将の下へ槍を持ち帰るのが先であり、後のことはその時に考えればよい。敵の力や化け物のことを思えば、味方の戦力確保が重大事案であることは間違いないのだから。
 そうして、あらためて己達の使命に向き合うべく、さらに歩を進めたところで。

「……やはり、『犬豪』や『白縫』の兵はおりませぬな」

 拾丸の言葉に他の二人が口にすべきものはない。
 森の端より手前の茂みの中、“外”から気づかれぬ位置で三人は立ち止まり、草原となってなだらかに下った二町先にある敵の“陣張り”らしきものの様子を窺っていた。
 草原に孤立した林を背にするように、三方を杭丸太を組んだ即席の馬防柵で囲い込み、その内側に草葺きの代わりに布を張ったらしい(いおり)をいくつも設営し、大規模集落のような拠点を築き上げていた。

「……布で庵をつくるとは面白い」

 秋水が今日初めて口元に笑みを含めれば、「あれならば持ち運びも容易そうですな」と拾丸も物珍しげに目を細める。

「しかも人の出入りからすれば、一張り五人は過ごせましょう」
「ふむ。雨風を凌げるだけでも十分、兵の英気が養えるのは魅力だな」

 思わぬ掘り出し物でも見つけたように秋水の声は明るい。そこで何かに気づいた捨丸が顎をしゃくる。

「それ、あの一際(ひときわ)大きい小屋のようなものに親玉がいるのかもしれませぬ」

 三人がいる位置からだと、わずかに斜め上から俯瞰する形になり、辛うじて陣張りの状況が掴めるのだが、中央に位置する特に大きな簡易小屋が敵将の寝床であるのは間違いあるまい。
 陣張りの三方に空けられた出入口近くに馬の待機所が設けられ、逆に兵糧であろう輜重の荷車群は布製の庵より内側で大事に保護されている。その傍で白煙を立ち上らせているのは炊事場であったろうか。
 出入口の三箇所のみに立つ見張りを除けば、そこかしこに見られる人はさすがに兜や籠手、脛当て等を脱いでいるものの、多くが例の胴鎧だけは身に付けていた。
 ざっと眺めただけではあるものの、自軍が遭遇した敵部隊の五つ分は軽く越える規模の陣容であり、肝心なのは、そのすべてが例の鉄鎧で構成されているということだ。
 諏訪の現状戦力から推し量れば、「脅威」以外の言葉はない。
 いずれにせよ事ここに至れば、周囲の景色共々、今回敵対した軍は秋水達の知る白山由来の侵略軍とはまったく関係のないものだと云わざるを得まい。
 ここは真に異境の地なのだ。

「まあ、“神隠し”にあったのだとすれば、奴らがあそこにいぬのは当然であろうよ」

 秋水の代わりに捨丸がしたり顔で頷き「見ろ、髪の色を」と拠点に散見される人影を差す。

黄金(こがね)の髪など初めて目にする。獣どころか人さえまとも(・・・)でない……ここ(・・)が異境の地であることの証ではないか?」
「そうとも限らん」

 そう否定したのは秋水だ。

「異人には“紅毛”もいれば“黄金”もいると聞いたことがある。碧い瞳とやらも。つまりは侵略軍には異人の部隊が参戦している――いや、まあ、あり得ぬか」

 自分で否定しておきながら、途中であっさり(ひるがえ)して自己完結してしまう。仮に侵略軍に属しているなら、彼らも(・・・)“神隠し”にあったことになるのだが、そうした際の混乱や動揺があの拠点からは一切感じられないからだ。
 一部の布製小屋の周囲が慌ただしいが、それが帰還したばかりの部隊受け入れによる喧噪であれば特別なことでもない。

「いずれにせよ、最初の想定と何も変わっておらん。敵の鎧武者部隊がひしめく陣内から槍を奪還するという話しがな」
「そう考えれば、我らにとって喜ばしいことがありますな」
「何がだ?」

 秋水の問いに捨丸が口元をゆるめる。

「陣払いする様子が見えぬ以上、せめて一晩は槍を奪還する機会が得られるかと」
「なら、夜までにじっくりと観させてもらうとするか」

 秋水達は一度森奥へ退き、“外”から完全に見えぬ区域を移動した。敵拠点に対し、できるかぎり風上にならぬ位置取りとするために。
 見たところ、馬防柵用の材木を隣接する林からではなく、わざわざ森から切り出していた。そうした手間をかけるのは、林を利用した用兵が念頭にあってのことかもしれないが、秋水達にとっても好都合である。
 三方が草深いとはいえ、見通しのよい草原に守られている状況では、唯一の“隙”でもあるからだ。近くを流れる小川からもほどよく離れているので、やはり潜入経路として当てにはできない。

「夜、迂回してあの林から近寄るしかないでしょうな」
「森から林に至るまでが勝負、というわけか」

 捨丸の提言に拾丸も異論はないようだ。当然、承知しているはずの敵も見張りを厳にしていることだろう。

「ただ、“槍がどこにあるか”だが」

 顔を曇らせる捨丸に「進入路の吟味も含めて、調べる時間があればな」と拾丸も顔をしかめる。だが、

「あるかもしれぬ」

 秋水の思わぬ言葉に二人が「え?」とわずかに目を見開く。

「あの部隊が“なぜここにいるか”と考えてみろ」
「奴らの目的でございますか」
「そうだ」

 云われてみればと捨丸が唸る。たまたま起こった“神隠し”で想定外の戦いをすることになったのは、何も自分達だけとは限らない。相手もそうだと考えれば、では彼らはそもそも何をしに森に踏み(・・・・・・・・)入ってきたのか(・・・・・・・)――?

「どうみても五百は軽く越える部隊が、たっぷりの兵糧を携え拠点まで設けた以上、ある程度の期間は居座る腹づもりだ」

 小規模部隊での遠征は考えられないため、そう遠くない場所に帰還すべき地があると考えられる。その上で、見える範囲での兵糧から算出すれば、まだ滞在できるだけの余力があろうと思われた。
 そして昨夜の戦いで部隊を撤退させた以上、彼らの目的が達成してないのは明白であり、その事も踏まえて考えれば、すぐさま帰還することにはなるまいとの考えに至る。

「すべては憶測の範疇を出ないが」
「いえ、秋水様のお考え通りかと。それに、輜重(しちょう)隊を連れてるということは、本来の拠点までは最低でも一日以上の距離があると考えてもよいのでは。つまり即座に移動をはじめたとしても、今晩以外にもう一夜の機会があろうかと」
「なら、今夜は調べるだけと?」

 拾丸の確認に秋水は「決め打ちはせぬ」と首を振る。

「手順は守るが後はその場の流れだ……本当に刻があるかは分からぬからな。まずは、見張りの位置や行動、敵の陣容を把握することから始める」

 そこで目を光らせるのは拾丸だ。

「では敵陣に“隙”があれば?」
「躊躇うな――それで万一、敵陣内でどうにもならぬ状況が起きたら、火を使って攪乱しろ」

 結局は成り行き任せだなと思いつつ、秋水は二人に自重よりも果断な行動を促す。
 いずれにせよ、潜入しないと調べられないことがあり、それならば退却してきた部隊の戦後処理で多少なりとも敵陣がごたついて(・・・・・)いるうちが良いという考えもあるからだ。
 “臨機応変”は秋水が好むものである。

「……あの化け物をけしかけられるのなら面白いんだがな」

 顎の無精髭をこすりながら、とんでもない発想を口にする秋水に「やれてしまいそうだ」と二人は目線を交わし合うのだった。

          *****

「どうなってんだ?! 何でいきなり……」

 前線で壁役となっていた戦士が、同時に幾つもの斬撃を浴びてついに力尽きたとき、ポルトフはいまだに悪夢としか言えぬ状況に混乱し動揺を抑えることができずにいた。

「ダスター!!!」
「“壁”が崩れた、班長(リーダー)どうするよ?」

 それが自分のことだと気づくのにポルトフは時間を要する。周囲を敵に囲まれ、“死”の冷たい息づかいを首筋に感じて、信じられぬ現実を否定するのに必死だったからだ。

(俺は『百羽級(ハンドレッド)』の『探索者』だぞ?!)

(こんな浅い区域(ゾーン)で苦戦するはずがないだろっ)

 苦戦どころか戦線の崩壊がはじまった状況で、そんな寝言をほざいてる暇はないのだが、勝ち取った栄光がポルトフの思考を内向きにさせ、状況判断を狂わせる。
 確かに、自負するだけの“力”が彼にはあった。そして“力”に相応しい努力も重ねてきたのは事実だ。
 厳しい試験をパスして『探索者』になり、新参者とは思えぬほど地道に仕事をこなし――その間も、同期が酒場で馬鹿騒ぎしている時間を座学と訓練に費やして――達成件数を山ほど積み上げ、ついには『遺跡』の発見と探索も成し遂げてみせたのだ。

 共に支え合う仲間がいて。
 手を差し伸べてくれる先輩達がいて。
 受けた以上のものを皆に恩返しして。

 同僚の誰もが自分に一目置き、『協会(ギルド)』が昇格という形で称えてくれたのだ。

 町では三年振りの四段階到達者だと――。

 例え非才の身であっても、生き長らえ経験を重ねてゆけば、誰もがいずれは三段階目の『三羽』に辿り着くことができよう。
 けれども『百羽』とは文字通り、数打ちの“羽もの級”とは圧倒的な隔たりがある高み――町でも一握りしか届かない“本物”の『探索者』しか立てぬ高層なのだ。

 なのに、挑むことさえ許されないのか?

 例え“魔境”とはいえ、腕試しに足を踏み入れることくらい構わないではないか。
 この日のために、できる限り情報を集め、金を惜しまず装備を整えた。そして万一に備え、自分達だけでなく他の班との連繋も図ったのだ。それも自分をさらに越える『片翼』のグリュネが率いる『水鳥』のグループを口説いて。
 彼女らに認めさせるのにも、幾つもの試練をくぐりぬけ、おかげでグループ内の『百羽』が三人になり想定以上の戦力を増強することができたのだ。
 そうして万全の態勢を整え、意気揚々と挑んでみれば――

「ポルトフ、“道”は私が作ります」
「は、え?」

 いきなり肩を掴まれ強引に振り向かされると、見知った女が真剣な目で見つめてきた。くすんだ灰色の瞳は冴えないが、まるで作ったような長いまつげが切れ長の目によく似合っている――こんなときだというのに心臓をドギマギさせて、おかげで意識が現状をはっきりと認識する。

「作るって、どうやって……?」
「それより、前線を何とか保たせてっ」

 ほぼ同時にダスターの断末魔に心臓を鷲掴みにされて、無駄口を叩いてる暇がないのを強引に理解させられる。
 すぐにポルトフは戦線を確認し、

「ここまで下がれ!!」

 夢中で叫べば、命令を待っていたのであろう、両翼を支えていた仲間が間髪入れずにバックステップして撤退に移る。それを追いかけるように、壁のような人垣がぐい、と縮まり圧をかけてきた。

「俺たちで(こら)えるぞっ」

 負けじとポルトフが気迫を前方へぶつければ、

「おうよっ」
「わーった」

 説明などなくても分かってくれる――信頼できる仲間の頼もしさと、まだまだ気力が乗った返事にポルトフは勇気づけられ、確かな手応えを感じ取る。

「うらうらぁ!!」

 わざと喚いて剣を振り回し、二人が戦列を整えるまで時間を稼ぐ。正直、剣技(スキル)で牽制するのが効果的だが、ここ一発のため無駄にするわけにはいかず、地味に相手を威嚇する。
 それでも、ダスターの倒れた“穴”から敵が雪崩を打ってくるのを、下がってきた仲間と共にあらたな“城壁”を形成し、戦線の崩壊を辛うじて食い止めることができた。

(城壁じゃなくて柵だな……)

 重量級のダスターと違い、軽装備の戦士がメインの頼りなさに、思わず気弱になるのを誤魔化すべくポルトフは無理に苦笑を浮かべた。そうでなくても、眼前の敵に身が(すく)む思いなのだから。

 オオォオオオオ……

 神に仕える『執行官(エンフォーサー)』や『精霊術』などの術者、あるいは勘の鋭い者であれば、あたりに満ちる“声なき声”を耳にし、不快に顔を歪めるだろう。

 ある意味、夜の森に相応しい怨嗟と嘆きに満ちたその声に。

 しかも、ゆらゆらと揺れながら迫る連中は肉が腐り、あるいは骨と皮ばかりとなっているにも関わらず、二本の足で(・・・・・)近づいてくるのだ。

 それは人間か? いや、()人間だ。

 背中をぞわぞわと這い回る不快な感触の音源は、声帯が腐り、あるいは一欠片もなくなった咽であり、確かにそこから発せられている。

 (ねた)ましい、と。
        殺してくれ、と。
 こちらへおいで、と。
        助けてくれ、と。

 生命への嫉妬と救済への渇望がとぐろを巻いて、意識が混濁した魂が、ただ欲するままに生者を求めて近づいてくる。

 ゆらゆらと。
 だが、以外にも普通の歩みと変わらぬ速さで。
 草むらの深さなど、障害などあってもなくてもまったく変わらぬ一定の速さで。

 その様に、こちらへの(・・・・・)凄まじい執着ぶりを肌で感じて、初めて相対した者は――それが軍人であれ、『探索者』であれ――酷いときには深い精神的外傷(トラウマ)を抱えることになってしまう。
 俗に『徘徊する遺骸(リビング・デッド)』と呼ばれる怪物の恐ろしさのひとつだ。

「……絶体に生きて帰ってやる」

 だからこそ、初見であっても屈せず気炎を上げるポルトフは、確かに一流の端くれではあったのだ。
 ひゅん、と唸る剣撃を盾で反らして「ちいっ」とポルトフは舌打ちをした。カウンターで繰り出すつもりの攻撃が、今の防御で態勢を崩され不発(キャンセル)になったからだ。

「なんて重い……骸骨が出せる一撃じゃないだろ」

 『百羽』の自分がこれなのだ。仲間は大丈夫かと思えば、一人は逆に押し勝っており、即座に状況を把握する。

(強さにムラがある……?)

 奴らが“生前の強さ”に左右されることを『怪物図鑑』に記載されていたとポルトフは思い出していた。そして、それこそがもうひとつの『徘徊する遺骸(リビング・デッド)』の恐ろしさでもあると。
 特に“魔境”に取り憑いているタイプは、そのほとんどが『探索者』のなれの果てであり、当然、その探索レベルに挑もうとするだけの強さを生前に有していた。
 不思議とゆるやかな歩行速度を除けば、高位レベル相当の『探索者』を相手にするようなものだけに、手強いなんてものじゃない。
 結果的に己を含めてパーティの強さを見誤っていたポルトフ達にとっては、“数の差”がそのまま戦力差になってしまうだけに。
 
「ぐぅ……」

 『斥候』職の仲間が傷を負ったのだろう。個々の戦力にそれほどの差異がなければ、数の差で結果が出るのは必然であり、想定通りの結果にすぎない。

「グリュネさん、まだか?!」

 少しの綻びが均衡をあっさり壊してしまう状況に、ポルトフは苛立ち焦るが返事はない。連中を相手に火精霊の術ならば効果もあるが、彼女の得意分野は土精霊――突破口を開くのに大技を練り込むとなれば相応の集中が必要だ。
 ポルトフの行為は邪魔にしかならない。

「んなこと、分かってるんだが……」
「……っ」
 
 また別の仲間が片腕をやられて一瞬蹲る。

(マズイ――っ)

 二人の傷を負ったタイミングの悪さにポルトフは即座に覚悟を決めた。
 あえて先の押し勝てた敵が隣接するような位置取りを念頭に、戦列を離れて一息に死体の群れに飛び込んだ。そして――

 剣技『満月陣』――

 瞬間、周囲の景色が色を失い、ポルトフの視界は白黒の濃淡で描く色褪せた世界に切り替わる。
 恐怖に早鐘を打っていたはずの心臓の鼓動は平常を保ち、頭に昇っていたはずの血は圧力を失い、思考が澄み渡る。

 気づけば、利き足を軸に身体が渦を巻き、抜き放たれた剣が、まるく黄金色の刃線を描いて天夜に浮かぶ満月をその場に顕現させていた。

 同心円上にいた幾つもの人影が、乾いた音や鈍い音を腐葉土の上で響かせ(くずお)れる。
 
班長(リーダー)……」
「すまねえな」

 羨望を込め勇気づけられたらしい仲間とは裏腹にポルトフの表情は暗かった。
 少ない切り札を切っても倒したのは数体ばかり。
 これで敵の士気が落ちれば救われもするが、気勢とは無縁の死体が相手では、そんな特殊効果は期待できるはずもない。
 一体、どの程度時間が稼げるというのか。

「……まったく」

 たった今築いたばかりの殺戮エリアへ躊躇うことなく足を踏み入れる死体の群れにポルトフは疲労の濃いため息をつく。
 つくづく感情というものは生者だけの特権であるらしい。いや、“負の感情”ならば、奴らもありあまるほど持っているではないか。
 ひたすら暗い井戸の底を思わす眼窩に、青白い燐光がぽうと灯り、そこだけが唯一活力を感じさせる。
 “星幽界の力”とでもいうべき活力を。

 完全白骨化したものが“魂縛の骸骨(スケルトン・オブ・ソウルトラップ)”――
 腐肉付きが“魂縛の遺体(ボディ・オブ・ソウルトラップ)”――

 違いは見た目の通りだが、骨だけの場合とは異なり肉が残ってる方は魂の鮮度がよいらしく、生前身に付けていればスキルや魔術さえも行使する。
 見ようによっては、これは『共闘』を組んだ『探索者』班同士の集団戦なのだ。

「カターシャ!!」

 ふいに背後で響いたグリュネの声が仲間への合図と察して、ポルトフがちらと一瞥をくれる。
 周囲が淡い琥珀色に照らされた。
 グリュネの手にある短杖(ワンド)が放つ光だと気づいた時には、視界の端でカターシャと呼ばれた女戦士が両手剣(バスタードソード)をぶん回して死体の群れを押し下げていた。
 圧力を下げさせたタイミングで女戦士が脇へ避け、間髪入れずにグリュネが地面へ向けて短杖(ワンド)を振るう。

「『王蚯蚓の通り道(パス・オブ・ワームキング)』――」

 まるで謳うような響きと共に、短杖(ワンド)が指し示す方角に向かって、彼女の足下から琥珀の光が稲妻状に走り抜けた。
 それは地中から迸るような輝きを放ち、事実、光の圧力に押されるようにモコモコと腐葉土が盛り上がって幅三メートル、高さが最大で二メートルの傾斜の着いた盛土を直線で三十メートルほど形成した。
 直上にいた死体は腐葉土の盛り上がりに従い両脇に転がり落ちて、ポルトフ達への包囲網を完全に分断されてしまう。

「おお?!」
「すげぇ……」

 思わず洩らしたポルトフの台詞に仲間の声が重なった。どうにも気になって確認したくなったのだろう。ただ、戦闘中によそ見とは、非常に不用心でマズイ行為なのだが。

「ポルトフ、先に行って!」
「何を云ってる?! ケツ持ちは戦士の役目だ」

 『百羽』であることの矜持と好意を持てる女性の前とあってポルトフに正義感を目覚めさせる。だが、グリュネは彼女からすればまだ青臭い優秀な『探索者』の背中を押す。

「カッコ付けるのは私に並んでからにして」
「そんなつもりは――」
「いいから。貴方には手負いの仲間達を導く役目があるわ」

 そうして気高き召喚道士はポルトフの脇をすり抜ける。

「おい、待て」
「――任せろって云ってるんだよ」

 耳元をくすぐるような艶のある声に、びくりとポルトフが肩を震わせると、すぐそばで女戦士が唇を三日月に象っていた。
 何かを託すような視線にポルトフが口を開きかけたところで、彼女はグリュネを追って走り出していた。さらに追随する『水鳥』のメンバー達。

「走れ、班長(リーダー)!」
「俺たちじゃ足手まといだ」

 『斥候』に肩を押されて、よろめくようにポルトフは盛土に足をかける。撤退を決意させたのは、悲壮感漂う『弓士』の表情に、姿の見えぬ二人の仲間までもが亡きダスターの後を追ったのだと悟ったためだ。
 これ以上、仲間を失うわけにはいかないと。

「先陣は切らせてもらうっ。早く来いよ!」

 圧力を増す死体の群れへと躍りかかる『水鳥』の面々にエール代わりの声を投げて、ポルトフは今度こそ、力強く駆けだした。

(だけどジリ貧だ……)

 仲間には足をやられ、あるいは体力の限界で満足に走れぬ者もいる。幸い、連中は歩く速さがさほどでないため、付かず離れずの距離を保持することは可能だ。ただ、それでは距離を稼ぐとができず、連中を煙に巻くことができない。

「くそっ……“体力勝負”じゃ負け確定だろ」

 つまり自分が動けるうちに、何らかの打開策を見出さねばならぬ。

(やるしかない――)

 盛土の尾根を小走りしながら、群がる死体共を巧みに蹴散らしつつ、ポルトフは祈るような気持ちで森の出口を目指した。

          *****

「グリュネ、下がれっ」

 足下が弱点であることを見抜いた召喚道士が、地面の形状を巧みに起伏させて死体共を転がしているところへ、追いついた女戦士が肩を並べる。
 一瞬のアイコンタクトで相棒の意図を汲み取ったグリュネが軽やかなステップで距離を取った。対して女戦士は死体の群れに向けてさらに一歩を踏み込んでゆく。

「ひゅ――」

 鋭く呼気を吐いて女戦士が身を屈め、同時に特徴的な犬歯を覗かせた好戦的な表情がふいに無表情となる。

 剣技『満月陣』――

 闇夜に黄金色の刃線が弧を描き、半円を過ぎたところで、別の半円が逆向きにぶつかり互いに打ち消し合った。
 パキンという乾いた音と共に、鋭い衝撃波の欠片が女戦士の日焼けした頬に朱線を入れる。

「なに?!」

 女戦士が猫のような双眸を見開いたのは、紛れもなく敵が描いた半円が“銀灰色”をしていたためだ。

 黄金色が生者の為す奇蹟ならば、銀灰色は真逆の奇蹟。

 それを放ったであろう、ゆらりと進み出た人影は片手にだらりと剣を下げ、それほど腐敗も進んでおらぬ肌に斑模様が見え隠れしている。
 死んで間もないだけに、生前の強さを色濃く残すのは当然であったろう。

「ちっ。剣技(スキル)を使う死体かよ……」
「貴方は……!」

 だが、もっと驚いたのはグリュネの方であったらしい。顔色さえ変わってるであろうと思わせる声音と息を呑む様子がはっきりと感じれる。

「知ってるのか?」
「ええ……いえ、貴女も(・・・)知ってるはずよ」
「は?」

 怪訝そうに眉間に皺を寄せる相棒にグリュネは隠すことなく答えを与える。

「だってあの人は……『銀の五翼』の……」
「!!!!」

 『片翼』の高位に到達したグリュネが、最後まで言葉にできなかったのは、自らの運命をその時点で悟ってしまったからに他ならない。
 やがて森に響いた激しい戦いの音は、さほどの時間を要することなく終わりを告げた。
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