【幕間】魔術学園都市

文字数 13,648文字


ガルハラン帝国某所
 魔術学園都市の中心部
    学園中央校門前――


 右も左も、果てなく連なる学園校舎の『内輪壁』。
 城門のごとき見上げるほどの校門をくぐり抜け、それでもまだ遠目に見える建築物の巨影を「あれが校舎だ」と先輩に教えられ、エゥーレは思わずぽかんと口を開け呆気にとられてしまった。

 噂通りじゃないか(・・・・・・・・)、と。

 てっきり高すぎる入学志望の倍率を恣意的に調整せんとする学園側の策謀か、そうでなければお伽噺(・・・)の類いだと思っていたのに。

「さほど広くはないけど、森を抜ける(・・・・・)必要があってね。しばらく歩くよ」
「……」

 驚き、戸惑い、呆れ……そんな新入生の反応を見慣れているのか、わずかに苦笑を浮かべる先輩が、幅広い石畳の道を真っ直ぐ指差し校舎の配置を教えてくれる。

「正面奥が講師達のいる『導きの塔』。左斜めの丘に建てられているのが二回生の校舎。君たち一回生は馴れてないから(・・・・・・・)、『導きの塔』の右隣にある『洗礼講堂』が最初の学び舎になる」

 ちょっと引っかかる説明があったものの、エゥーレが口を開く前に先輩の話しはテンポ良く先へと進んでゆく。

「『新入生説明会(エントリー・ガイダンス)』で聞いてると思うけど、この学園には四つの建物を中心に他三つの建物がどこかに(・・・・)あって(・・・)、全部で七つの建物が僕たちの学び舎になっているんだ」
「あの、すんません!」
「――何だい?」
「その、“どこかに”ってドコに……?」

 今度こそ聞き逃してなるものかとエゥーレが勢い込んで口を挟むと、先輩はちょっとだけ老け顔を驚かせ、すぐに「さあね」とあっさり首を振った。

「恥ずかしながら、僕もまだ知らないんだ(・・・・・・)。通い始めて一年経つというのにね」
「え? それってどういう……」
「この“中央通り”を見て気付かない?」

 藪から棒に、自分達が歩いている幅広の道へ先輩が無精髭の生えた顎をしゃくってみせる。見てみなよと。それが今の質問とどう関係あるのか分からずに、エゥーレは戸惑いつつもあらためて立派な石畳の大道をじっくり観察してみることにする。

「んー……とにかく広い、ですね……?」
「いや、それでいい」

 あまりに芸のない感想を「方向性は間違ってない」と先輩は大まじめに受け入れる。「僕なんか田舎の出だから、初めて見たときはほんっとにびっくりしてね」

 立ち尽くしてたら馬車に轢かれそうになったと恥ずかしそうに笑う。それは実に無邪気な笑顔で、どんなに大人びて見えても、同じ学生なのだと親近感を抱かせるものだ。

(そうか。この人だって一年前は新入生……)

 ならば今こうして目にする先輩の姿に、学園で過ごした一年間が垣間見えるような気がする。少し大仰かもしれないが、そんな風にエゥーレには思われたのだ。そこに少しの羨望と淡い期待を抱きながら。

「……この“中央通り”はね。二頭馬車が十五台は並んで走れるほど広い道幅になっている――学園渉外部広報一課が出版してる公式『学園案内書(ガイドブック)』があるから、読んでみるといい」

 他にも生徒達の放課後活動で取り組んでいる『学園探索部』発行の『学園畢竟秘境ガイド』や『学園観光同好会』発行の『学園紀行書“愛でる”』などの正統派案内書をはじめ、あらゆる団体で数百冊の案内書が刊行されていると先輩は語る。

「正直、正統派以外は興味本位や金儲け、愛が深す(・・・・)ぎるもの(・・・・)など怪しげな案内書が多すぎてね」

 同人誌感覚の可愛げのあるものはよいとして、小手先を変えただけのパクり本、正々堂々のパクり本、我こそが本家あるいは元祖・神祖・元素(?)だと謳うパクり本も、実はまだ許せる範囲――暗黒面(ダークサイド)に堕ちた者の手による案内書などは手にした者が呪われるという実害もあり、大概は学園渉外部か学生によって運営される『学園図書館』で取り締まる対象(・・・・・・・)にまでなっているらしい。
 ちなみに変わり種では『学園恋愛妄想研究会』が重度愛好者にだけ発刊している学園指定禁書『愛の逃避行、死の絶景推薦紀行』なるものまであるぞ、となぜか得意げに説明してくれた。
 何気に“学園通”なお人のようだ。
 まあ、そうでもなければ、見知らぬ新入生に声をかけ、こうして登校がてら案内まで買って出てくれるはずもないのだろうが。

「はじめはここまで広くなかったらしいけど、少しづつ拡張されてきた歴史があるんだって。――見てごらん」
「ああ、表面の模様が」

 確かに切り出した際にできる切削模様が異なる石畳の列がある。よおく見回してみれば、数メートルおきに違っており、数度に渡って拡張された経緯が見た目に明らかであった。

「刻が経つほどに生徒数が増えてきているのが、こんなところからも偲ばれる――他の学校では味わえない歴史ある学園に、君はこれから通うことになるんだよ」
「……はい」

 博識を披露する老け顔の先輩が感慨深げにそう告げれば、さすがに妙な説得力がある。
 学園に通える幸運――いや、掴み取った努力が報われるような想いまで感じるのはエゥーレの過ぎた感傷だろうか。
 こうして話している間にも、大道の中央を様々な紋章が記された大小の馬車――窓際に生徒の姿が見えたのは貴族階級の子息だろう!――が頻繁に行き交い、道の両側には、紺色に赤の線が入った学園オリジナルの外套を羽織る生徒がたくさん登校しており朝の学園に相応しい活気に満ちている。
 そこには、肌の黒い人や黄色の人、あるいは巨漢の長躯族に胸までの高さしかない草原族(ハーフリング)など、種族部族の垣根を越えて、争いもなくこうして同じ学び舎に通えるのも、学園が積み重ねてきた歴史の成果かと勝手に納得してしまう。
 ただ戸惑うのは、あちこちの道端で大道芸(?)やシーツを広げた物売りが少ないながらも人を集め、あまつさえ飲食店の屋台がひしめきあって、朝食でも採るかのように買い食いしている生徒や講師らしき者まで見かけることだ。
 およそ学園のイメージからほど遠い、まるで“大都市の大通り”を彷彿とさせる別な意味での活況ぶりに、エゥーレは一瞬、自分が何をしにここへ来ているのか見失ってしまいそうになる。と同時に、この学園につけられた数ある異名の中のひとつを遅まきながらも思い出していた。

「さすがに“巨大学園”って感じですね。やけに生徒が多くて……賑やかで(・・・・)
「まさにそう。公式生徒数は千名なんて公表されてるけど笑っちゃうよね。どうみたってそれ以上だ。留年者はどんどん増え続けていて、“生徒外生徒”なんてのも結構多いのに」
「何ですか、その“生徒外生徒”って?」

 大した事じゃないよと先輩は肩をすくめる。

「この学園って入学試験は厳しいかもしれないけど、一度入ってしまえば“学ぼうとする者は拒まず、学ばない者は引き留めず”の精神だからね。講義ではいちいち生徒の出欠確認をしないんだ」
「つまりサボり放題だと?」
「逆だよ逆。生徒だろうが何だろうが、講義に参加(・・)し放題(・・・)――いやむしろ生徒になりほーだい(・・・・・・・・・)、かな」
「え? え? ちょっと意味が」

 ――分からない。
 軽い口調で先輩は笑うが、聞かされたエゥーレは頬を引き攣らせる。何言ってるんだ? 生徒になりたい放題? 学生でないのに学生に? そんなデタラメあるはずない。あったら、あの地獄の責め苦みたいな入学試験は一体何だったんだ、と声を荒げたくなってくる。
 無性に腹が立ち、いやいや先輩の悪い冗談かと思い直したりして、頭の中がかき乱され何だか眩暈まで感じるような……。

「案ずるな、少年よ――」

 どこか悲壮さを滲ませるエゥーレになぜか芝居がかった台詞で先輩はよしよしと頭を撫でてくる。小柄で童顔なエゥーレからすれば、実に不愉快な絵面であるが。

「例え非合法がまかり通ったとしても、“学生である”という権利の有無は、学園生活に大きな影響をもたらすことになる。そう――住民権の有無が暮らしの豊かさに直結する“街”のように――云ってることは分かるよね?」
「……もちろんっ」

 頭に置かれた先輩の手を払いのけ、入試突破者を舐めるなよと、エゥーレが力強く頷いてみせる。心持ち爪先立ちしたりして。精一杯背伸びする後輩の抵抗を知らぬげに、頬を緩ませる他意なき先輩の笑顔が憎らしい。

「ちなみにどう違いますか?」
「色々あるよ……例えば『学生食堂』は生徒である証の『金時計』がないと利用できないし……まあその辺の屋台で済ませれば問題ないかもしれないけど。あと『記憶の図書館』もそう……まあこれも危険だから、近寄らなくて正解か」

 などと例えを挙げる端から、やっぱり無用だと認めるのを幾度か繰り返し。

「……ええと」
「なんか、もういいですっ」

 先輩のネタが尽きたところで、エゥーレは新たな憤りを滲ませつつ強引に話しを閉じらせる。
 いくら“学生である”ことの権利や優遇措置があったとしても、それに負けない非公式・不正・違法等のサービスがあったのでは何にもならない。
 むしろ、そちらの方がお得な場合もあるというから(先輩は好んで利用するそうだ)、聞けば聞くほど腹立たしくなるし、そもそもなんで、そのような行為がまかり通ってしまうのか。

「いや、それがこの学園だから」

 何だよ、その呪文は。先輩のすまし顔が本当に腹立たしい。

(結局、入試なんて受けないで、勝手に入り込めば(・・・・・・・・)いいということじゃないかっ。あー、考えただけでも腹立つぅ)

 まさか、そんな堂々たる裏口からの入学(?)があるだなんて……眩暈を覚えそうになりつつも、エゥーレは「努力に無駄なんてない」と何かの本で読んだ名言を呪文のように唱えつつ、萎えそうになる己の心を必死になって鼓舞する。

「がんばれ、オレ! がんばれ、オレ!!!!」
「お、なんか初々しいね」

 誰のせいで落ち込んでいるのかとエゥーレに睨まれても先輩の笑顔は崩れない。「ところで話しの続きだけど」としれっとした口調で“生徒外生徒”の実状を話し出す。

「まあ賛否両論(?)あるものの、正直やむを得ない事情もあってね」

 思わせぶりに先輩が無精髭の生える顎をしごきつつ。

「学園としては、広く才ある者を求めたい。同時に才の有無や貧富に年齢なぞ一切問うことなく、すべての人々に『魔術』の門を広げたい三代目学園長の思いがある。
 けれど、学びの門戸を広げようとすれば、当然ながら故郷から離れて暮らす者や家族連れに介護連れなど、色々な事情を抱えた生徒が学園に入ってくることになる――」

 だから、子持ちの学生が子供と一緒に受講したり、授業参観を兼ねて友人知人を連れてきたり、他校の生徒が見学にきたりは日常的に起こり得、可愛げが無いものでは、卒業したのに居残る生徒とか入試や推薦を受けていない、または不合格となった者による偽装生徒(・・・・)、果ては逃亡犯(・・・)に飲食物販を画策する愉快(・・)()(学園側の認識ではそうらしい)なども闖入(ちんにゅう)し、学園活動者数の実態が公式生徒数を遙かに超えるという話しは、もはや学園関係者なら誰もが知る事実であった。

「仮・偽生徒も含めれば、少なく見積もっても一万人は下らないだろうね……要するに、それだけこの学園を気に入ってしまった人や入学を諦めきれない人がいるってことさ」

 随分前向きに先輩は受け止めているようだが、それだけの生徒数や難題(いや犯罪もだ!)を許容してしまう学園側もどうかという話しだ。
 主旨が立派であることは認めるが、間口の広さと脇の甘さをごっちゃにしているきらいはある。学園の運営者は一体どう考えているのだろう。いや、どのゆな人達が学園を運営しているのだろう。
 実際のところ、受け入れるために(・・・・・・・・)“巨大学園”に成長してしまったのか、あるいは“巨大学園”が故に見過ごされている(・・・・・・・・)だけなのか興味深いところでもある。

「……はぁ――……」

 そこまで悶々と考えて、エゥーレの口から大きく長い嘆息が自然と漏れた。
 少なくとも、エゥーレには何となく分かってきたことがある。そのくらい受け入れられないと、ここではやっていけない(・・・・・・・)のだろうと。
 そして、これまで参考としてきた数冊の『入試突破必勝本』に共通の“体力・根性・生存術は必修である”という謎の助言が本気であったことを、ようやく理解できたような気がした。
 それだけ色んな生徒が在校するならば、トラブル百連発くらいは覚悟し、すべてに備えねばならぬというのも尤もな話だと。

「……無事に卒業できるかな……」
「うん、少しは(・・・)この学園がどういうところか分かってきたみたいだね」
「ええ、まあ……知りたくなかったですけど」
「無駄無駄。目をつぶっても聞こえてくるし、耳を塞いでも空からトラブルが降ってくるのがこの学園(・・・・)()

 そうにこやかに“例の呪文”を先輩が口にして、ここにきてようやく話しを元に戻す。

「まあ、だいぶ脱線しちゃったけど、とにかくそれだけ大きい学園だから、普通に勉学に励んでいる分には“利用しない校舎”も当然出てくるってことだよ」
「ん、え?」

 一瞬、何の話しをされたかと呆けたエゥーレがすぐにそもそもの話題を思い出す。

「……あー……だから“場所を知らない”と?」

 それだったら、先ほどの案内本や紀行書に書いてないのだろうか? その拭えない疑念が顔に出ていたのか先輩は意味ありげに笑う。

「君も馴れてきたら(・・・・・・)試してみるといい。ただ“辿り着けない校舎”だけは関わらない方がいいと思うけどね」
「?」
「教えておくよ。寄り道せず(・・・・・)、普通に勉強だけしていれば、無事に卒業できるから。まずはこの学園の面白さ(・・・)に馴れることだね。これは“7回生”に聞かされたとっておきの“教え”だ」
「な、“7回生”……ですか」
「ああ。彼は“24回生”から教えを受けたそうだけどね」

 どんだけ留年してるのか。いや強制退学の規定がない学園がやはり凄すぎるというべきか。
 もはやぎこちなく笑うしかないエゥーレに、ふと気付いたように先輩は「ところで」と尋ねてくる。

「今日最初の講義は何だい? いや、講義はどこでやるのかな?」
「最初、ですか? 確か『北の大講堂』ですね」
「そうなんだ。なら急いだ方がいいね」

 先ほどからちらちら視線を周囲へ投げながら先輩はアドバイスをくれる。目で追っているのは走っている生徒のようだが……?

「増改築を繰り返した結果だという噂だけど、五百人収容の『大講堂』は縦に長い構造となってしまっていてね」
「それって! 後ろの席になったら講義が分からないってことですよね?!」

 これでも熾烈な入試難関を突破してきた力はある。エゥーレがすぐに先輩の云わんとする事を察して色めき立てば、「そこじゃない」と彼は深刻そうに否定した。

「まず知っててほしいのは、生徒間で、大講堂の広大な座席区域を“三つの区域”に別けて呼んでいるということだ」

 専用の特大黒板と木杭のような白墨を備えた大講堂は、視界の確保を考慮して階段状の座席になっている。
 それを生徒達が区域別に呼称するのは、勉強するのか遊ぶのか――そも二択である意味がエゥーレには理解できないが――それを明確にするためという意図がひとつ。
 その他にもうひとつ――安全圏(・・・)を明らかにするためだと先輩はなぜか声を潜めて教えてくれた。

 まず、講師の声が聞こえるまっとうな(・・・・・)前段区域を“修学エリア”。
 次に、講師の声が聞こえずとも時事ネタに趣味ネタに最新遊戯の攻略情報、あるいは色恋話にゴシップネタなど生徒の私語が飛び交う“放任エリア”。
 そして最後に、講師の声や目も届かぬ替わりに、罵声に奇声、嬌声に喘ぎ声(・・・)まで生徒と生徒らしくない者と果ては何の生き物かさえ不明の声が飛び交う無法地帯となった後段区域を“遊戯エリア”。 
 以上、三つの区域に分けているという。

「正直、座席が“遊戯エリア”しか空いてなかったら、もう勉強は諦めた方がいい」

 「ここ学園ですよね?」とのエゥーレの声は無視され、先輩の声はいっそう潜められ、無駄な抵抗を諦めたエゥーレが、あらためて前のめりになって耳をそばだてる。

「――そこでは、区域の呼び名通りに賭博行為を含めた古今東西の様々な遊戯が催されているだけでなく、移動飲食店で稼ぐ者に女娼や男娼、酒、薬など勉学以外の誘惑が多すぎて、座席利用者の実に七割以上が、そのまま学園での落伍者になってしまうと統計が出されているんだ」

 冗談にしか聞こえない与太話だが。
 いっそ、欠席してしまうのも「あり」だと先輩はあくまで真剣な目付きで助言する。エゥーレがどれほど必死に目を凝らしてみても、先輩の頬や鼻に笑いを必死に堪える独特の痙攣を目にすることはできない。
 どうやら本気で言っているらしい。そう察すれば、逆に心底案じているらしい先輩の声音に、気付けば場の空気に呑まれて、エゥーレも思わず唾を呑む。
 そしてここぞとばかり、先輩が秘事を打ち明けるがごとく囁きかける。

「だが本当に危険なのは――」

         *****

(どうしてこうなったんだ……?)

 先輩の言葉に急き立てられ煽られ(感化され?)、とにかく安全圏の座席確保が第一とエゥーレが駆け足で大講堂に向かったまではよかったのだが。
 どこから情報を聞きつけたのか、同じように走る新入生がひとりふたり見かけたかと思えば、それが目的地に近づくほどに数を増やし、ついには大人数での『席取り競争』にまで発展してしまったのだ。
 まるで尻に火が付いた暴牛の群れのごとく。
 砂埃さえ舞い上がらせる集団が、怒濤の勢いで大講堂と呼ばれる校舎に雪崩れ込んだからたまらない。
 広い廊下は大講堂へ向かう闘争心剥き出しの新入生でごった返り、押し合いへし合い、小突き回し、足を引っかけ、張り倒し、罵声を浴びせ、媚びへつらい、(だま)し欺され、(たら)し誑し込まれて生徒による競争――もとい狂騒は激化の一途を辿ってゆく。

「どけや、こらぁ!」
「邪魔よ、邪魔!」
「あ、未確認生物が?!」
「なに? 我々『学園探索部』の出番だな!!」
「いやいや俺たち『にょろにょろ愛好会』が」
「いやぁ、エッチィ」
「え? オレまだ――」
「ふざけるな、貴様っ。そんな桃尻より儂の臀部筋の方がガッチガチだろーが!!!!」
「愚かな。ぷりぷりもガッチガチも鉱物硬度学においては鼻毛の切っ先にすぎん」
「それこそ笑わせるっ。“切っ先”の何たるかも分からぬ輩が」
「ふ、ふ、ふ……どうや」

 ぷち

 最後の記憶はともかく。
 阿鼻叫喚とは、地獄絵図とはまさにあのことだろう。
 はじめ早歩きだったものが小走りになり、駆け足に変わり、途中で怪しすぎる集団が参戦し、勝手に脱落し、乱闘が勃発してはあっという間に鎮火され。それが些細な切っ掛けでまた乱闘騒動にまで発展するなぞ高速回転で繰り返す。
 激流のような集団に揉まれて、気付けばエゥーレは、あれだけ警告されていた“遊戯エリア”に満身創痍で流れ着いていた。いや、漂着といった方が正しいだろうか。
 ただし、漂着した場所があまりに問題だ。

「――なんだ、一番後ろ(・・・・)って誰もいないじゃん」

 疲労困憊だったとはいえ、ふらふらと妙に人気のない空席地帯に迷い込み、そのまま座り込んだのが運の尽き。
 だが人心地ついて我に返ったときにはすべてが遅すぎたのだ。


 リィ……ン、ゴー…………ォォン……


 三度。
 始業の鐘の音が、どこかからともなく重く低く響いてきて、一瞬でざわついていた講堂内の空気が三つの毛色に塗り変わる。
 はるか前方は勤勉の志を胸に静まり返り、中央付近では他愛のない生徒同士の私語が百花繚乱と咲き乱れ、講師が立つ講壇からは最後方――エゥーレの視界前方の無法地帯では、一斉にあらゆる意味での遊戯活動が華々しくも毒々しく、一種独特の雰囲気で開催された。
 そこから取りこぼされたように、ぽつりと席に座るエゥーレが感じるものは、寒々しいほどの孤独感。

 どうして誰もこちらを見ないのか?

 独り席に着く者がいれば、獲物を見つけた捕食者のごとく顔を笑顔で心の内で涎を垂れ流し、どう料理してくれようかとむしゃぶりついてくるのが無法地帯の人間であるのに。
 まるで寒風吹きすさぶ雪原に放り出されたように寂寥感という寒気がエゥーレの身体に凍みてくる。
 そして背中に感じる悪寒。
 それは先輩に聞かされた警告のせいか。

「……」

 エゥーレはどうしても落ち着けず、時折、後ろを振り返る。そこで目にするのは、なぜか槍持ち全身鎧に身を包む警備兵の立ち姿。いや、それより背後に立ち籠める、視界いっぱいに広がる乳白色の濃い(・・・・・・)霧だ(・・)――

(いやいやいや――)

 つい今し方まで、そこは大講堂の端であり、広々とした木壁にばかでかい何かの絵画が掛けられていたはずだ。
 そう。ただの壁だったのだ(・・・・・・・・・)
 それがなぜ――?

 ごくり、とエゥーレは無意識に唾を呑む。

 すでに知っているからだ。
 いや正確には情報を与えられただけだ。
 先輩が何よりも警告してくれた、生徒達が区域分けからも除外した区域外の区域(・・・・・・)『忘却区域』という名と共に。
 普段そこにあるのは大講堂の単なる木壁――だがひとたび始業の鐘が鳴れば、いつの間にか忽然と本物の霧が出る。
 人を呑み込んでも吐き出すことのない妖異なる霧が。
 その、生徒や講師から忘れ去られた、いや避けられた区域へ一度でも踏み入ってしまえば、再び戻ってきた者は皆無という。
 これまで学園側や要請を受けた帝国軍、あるいは『学園探索部』など各種団体が送り込んだ人員は優に千人を超えているというのに――。
 それも故意に入るなら自業自得と言えるのだが、誘われる(・・・・)となればただ事ではない。あまりに失踪者が続出することから、ついには学園側より警備する兵士――装備レベルは騎士と同格だ――を置くことで、完全なる立ち入り禁止とされた学園に数ある怪奇現象のひとつ。
 いや、『学園高度危険地帯』のひとつと正しく紹介されるべきか。

「……」

 また何度目かの振り返りで、消えぬ霧の存在にエゥーレは深く嘆息した。
 いくら大講堂とは云ってもここは屋内だ(・・・)。なのになぜ、霧が出てるのか、と。頭では分かっているのだが、どうしても気になるのだから仕方がない。いや。

「考えたら負けだ」

 エゥーレは首を振って背中越しに忍び寄る恐怖を払い落とし、懸命に意識を前へと集中させる。
 そうとも。自分は勉学の徒。あの無茶修行というべき試験対策の数々は、このガルハラン帝国でも名高き魔術学園に入学し、『魔術』の深奥をこの手にせんがためっ。多少の(・・・)トラブル、イベントごときでこの燃えるような修学の志を乱れさせ萎えさせることなどできるはずもないのだ!

「……っはぁぁあぁん!!」
 ぶっ

 天に延びる“艶めかしい生足”と揺れる“たわわな果実”が突然視界に飛び込んで、あまりに過激すぎる不意打ちにエゥーレは顎を上向けた。擬音(・・)は血の噴水が盛大に上がったことを意味している。

「くそっ……なんて芸術(・・)を」


 大いに心を乱しながら。
 強制的に大人の階段を数十段上らされたダメージによろめきつつ、エゥーレは緊急避難とばかり視界の舵を目一杯右に切る。

「……ふん。あンたの“切っ先”とやら、云うだけあるじゃないか」
「オマエの云う“丸み”も悪くない。手入れが行き届いているその様に、愛の深さを感じさせる」
「やるねぇ」
「オマエもな」
「「ふふふ……」」

 なんだろう。
 太い腕を組み、心持ち誇らしげに腰を突き出し加減で仁王立ちする筋骨逞しい全裸の(・・・)男と、際どいくらいに細い下着を身に付け――いや縛っただけにしか見えない豊満な胸を、組んだ細腕で下から持ち上げるようにして佇む、やはりほぼ全裸の女が互いに向き合っていた。
 不気味に笑い合い、発する言葉は褒め合っているようにも思えるのに、どちらの双眸にもたっぷりの敵意という剣呑な光しか宿っていないように見える。
 だがよくよく冷静になってみれば、互いの指に研ぎ澄まされたナイフと磨き抜かれた水晶玉が挟まれているのに気付くのだが、意味不明で誤解を招きかねないポージングに、ほとんどの観客は二種類の突(・・・・・)起物(・・)へ巧みに誘導(ミスリード)されてしまっている。無論、エゥーレもだ。

 ぶぷっ

「左だ、左――っ」

 もはや軽い貧血で顔を蒼白くさせるエゥーレが、首の後ろをトントンと叩きながら素早く視界を左に切り返す。
 当然、撃沈した。

「――――いったい何の無法地帯だよ」

 これぞ前門の狼、後門の虎というやつか。
 入試対策で溜め込んだ知識を無駄に使いつつ、突っ伏してしまうエゥーレの耳が、この時、何かを聴き取ってしまう。
 背後から(・・・・)――何かを踏み締めるようなその足音が、柔らかな地面の上を(・・・・・・・・・)歩いている音だと気付き、その不自然さに大いに困惑させられながら。

「――――!」

 それでも恐怖がそうさせるのか。
 貧血症状はどこへやら、反射的に振り向いたエゥーレが目にしたのは、直立不動を維持してきたはずの警備兵が大仰なほど狼狽える様。
 ひとりは状況判断に迷い問うように同僚へ何度も顔を向け、対処法を丸投げされた同僚は、何かを吹っ切るように強く首を振り、剣を構えて背後の霧へ臨戦態勢を整える。
 何かがあれば、まずは身構える。そう警備の心得を言い聞かされ訓練してきた賜だろう。そして懐から取り出した笛に口を付けるのも、訓練の成果に違いない。


 ピィ――――――――ッ!!!!


 いかなる喧噪も銀糸のごとく貫く澄んだ音色。
 本来なら聞き違えのないよう独特の拍子で鳴らされる。だがそれだけの余裕がさすがの警備兵になかったのも仕方あるまい。
 頬を目一杯ふくらませ、顔を真っ赤にして懸命に吹き鳴らされる笛の音に、それでも五百人規模で沸き返る大講堂内の喧噪狂乱がぴたりと止んだのは奇蹟としか見えなかった。
 これも本来ならば、笛の音を合図に渡り鳥の群れのごとく、一斉に生徒達が逃げ出すはずを、勉強も私語も遊戯ごともすべての活動を止めたまま、誰一人動く者はいなかった。
 すべてが凍り付いたように。

 ――今のって
 ――“遊戯エリア”の連中だろ
 ――新米講師が新手の対策をしたんだよ


 だってあり得るはずないだろ――っ


 各エリアで、目配せによる無言の会話が瞬時に交わされた。場合によっては生死に関わる事態だけに、誰よりも真剣に状況把握に努めるのは、その特殊性から修羅場をくぐった経験豊富な“遊戯エリア”の学生達であったとは皮肉かもしれない。
 ただどの区域の学生にせよ、共通するのは笛の音に対する明らかな疑心だ。
 それも当然、これまで一度だって、緊急非難を促す笛の音が吹かれたことなどないのだから。つまりは起こり得るはずのない事態が起きているのだ。
 そんな学生達の内心の動揺を他所に、足音は着実に待ったなしで近づいてくる。そして――

「ぅ……あ!!」

 ガタリ、とエゥーレが反射的に腰を浮かせたのは霧にまぎれる影に気付いたためだ。だが、臆病と(そし)ることなかれ。肉体の“硬直”より“動き”として反応できたのは、むしろ生物本能としてはすこぶる優秀な証拠。
 あるいは、それだけエゥーレが入試対策の重要項目である“生存術(サヴァイバルスキル)”をみっちり鍛え込んできた証ともいえるだろう。

 それは確かに人影であった――。

 土を踏み締め、かすかに草擦れの音を伴い、一歩一歩確かめるように歩む姿はまぎれもない二足歩行のそれ。

 それ(・・)へ講堂にいる全員が――なぜか距離的に視野角的に視認できるはずのない区域にいる学生までを含めて――見入ってしまっていた。

 おそらくは『学園高度危険地帯』に指定されてから初の出来事に、逃避よりも好奇の方が勝ったというのは、いかにもこの学園の生徒らしい。
 大半が“生徒外生徒”で占められている現実はともかく、それでもここにはエゥーレを含めた新入生が間違いなく受講している。そんな彼ら彼女らもまた、その意味において(・・・・・・・・)、学園生徒である資格を有していると、本件によって皮肉にも示されたことになる。

 古株も新人も分け隔てなく、居並ぶすべての生徒の視線が“知りたい”と訴えていた。

 あるはずのない霧の向こう側(・・・・・・)からやってくる人影が何者なのか、と。
 いや、人影と思っているだけで、人種とは限らない。
 だからこそ、警備兵は笛を吹き続け、その相棒は恐らく持てる戦技(スキル)をいつでも叩きつけられるよう精神のコントロールに入っているのだろう。
 その凜々しい表情から恐怖や焦りなど一切の感情を拭い去り、腰を据え、槍の穂先を未知なるモノへ向け、突きの構えをとって堅持する。
 そうしている間も。
 揺らめく孤影は大きくなり。
 単なる黒影であった、霧を纏わり付かせる人影に色がつく。大半が泥や血で濁った陰鬱な色合いで。
 すぐに造影に凹凸が生まれて隠しきれぬ女体のラインがきれいに縁取られ。はっきり耳に届く、吐き出される荒い呼吸が切迫さを伝えてきた。
 負傷している?
 何かに追われているのか――


「――どこだ(・・・)ここは(・・・)?」


 それがまぎれもない女の第一声。
 明らかに疲労を滲ませながらも覇気漲らせる戦士のごとき荒ぶる声。
 警備兵に突きつけられる槍などお構いなしに、霧の中から抜け出してきたその女は、エゥーレのすぐ前で、びたりと足を止めた。
 豊かな赤毛を泥や血で汚し、汗に濡れた額や頬にべったりと張り付かせて。
 今も刃傷で潰された片目よりぬらりと血を流し、唯一残された碧眼に獣のような闘争心と狂気を宿らせ、ただ己が行き先のみを真っ直ぐ見据えている。
 なればこそ、そこにあるのは悲壮感よりも凄愴さ。立ちはだかるものすべてを叩きのめし、必要ならば爪を立て噛みついてでも、やり抜いてみせんとする彼女の荒ぶる意志が纏わせるもの。
 故に聞かずとも分かるのだ。
 彼女はつい今し方まで、己の持つ気力や体力だけでなく持てる力のすべてを振り絞って、想像もつかぬ修羅場をくぐり抜けてきたのだと。
 果てぬ闘争の連続に精神の大半を狂気に塗り込まれながらも、辛うじて正気を保ちつつ。
 その隻眼が、ぎろり、とエゥーレを睨み付けた。

「――ひっ」
「若いの――ここは一体、どこなんだ(・・・・・)?」

 それは問われた者にとっては、あまりに珍妙すぎる質問であり、同時に問うた者にとっては、あまりに当然すぎる質問であったろう。
 その奇怪な問答に言葉を失うこともなく。
 エゥーレが震える声で応じれた理由は後になっても分かることはない。ただ、昂ぶる闘志を感じさせるその声に、自分へのわずかな“気遣い”を感じたといえば嘘になるだろうか。
 気付けば答えていたのだ。

「が、学園……です」
「学園?」

 見るからに満身創痍の旅人に、これほど不似合いな言葉はなかったであろう。だが、問われた者のそれが使命だとでもいうように、エゥーレは今度こそ力強く応じたのだ。

「そうです。ここは魔術学園都市――『アド・アストラ』の大講堂です」

 はっきりとそう口にすると、その女がふと笑ったような気がしたが定かではない。場違いすぎる言葉に苦笑したのか、あるいは成し遂げた者故の満足であったかなどエゥーレに分かるはずもなく。
 次の刹那には、肩から胸に掛けた革帯より人差し指大ほどの小瓶――それがエゥーレには、書物で読んだ『魔術の薬瓶(マジック・ポーション)』であることは直感できた――を一本抜き取り、親指で小口を押し壊すと一気に呷って嚥下した。

「せっかく手に入れた秘薬を、もう使っちまうなんてな」

 薬液の呑みあたりをか、あるいは言葉通りの切り札を使う口惜しさ故か、苦々しげに唇をぬぐう女の潰れた目が、ふいにぼんやりと光を放ちはじめる。

「――っ」

 エゥーレが目を倍に開き、声なき声を上げたのは、深く抉られていた片目の傷口が見る間に塞がりはじめたからだ。それも実際にはただ止血されるのではなく、傷痕も残らずきれいに快癒していくのを見れば、誰でもド肝を抜かれるだろう。

(な、治ってる?! あの傷がもう……!!)

 傷口の化膿や発熱を抑えるために飲む薬は確かに存在する。だが直接傷口を治癒するものなど絵物語にしかない話しだと思っていた。その現実にはあり得ない秘薬を、帰らずの霧から忽然と現れやってきた女は使い、奇蹟が起こり得るものと証明してみせたのだ。
 ならば彼女こそ、一体何者なのか――?

「あとひとつ、若いの」
「?」
「――水をくれないか」

 秘薬がささくれた彼女の心まで癒やしてくれたのか、力強くも暖かい蒼き双瞳(・・)に見つめられ、エゥーレはどぎまぎしながらもう一度力強く頷いた。
 そこでようやく、訪れた安堵がギリギリで繋いでいた意識を手放させてしまったのか。
 ふいに、女の身体から力が抜け落ち、だらりと(くずお)れた。身を守る一切の反応も示さずあまりにも無防備に。

「ちょ――」

 その倒れ方の危険さに慌てるエゥーレの周りで、何かから解き放たれたように、ドッと、さっきまでの喧噪が沸き返っていた。だが、さすがに霧を怖れて近づいてくる学生は誰もいない。
 さらに第二、第三の人影が現れないとも限らず、あるいは、凶暴な怪物が出てこないとも限らないからだ。むしろ誘い込まれでもしたら(・・・・・・・・・・)、と考えれば傍観を決め込むのは当然のスタンスだ。
 それでも遠巻きに無責任に騒ぎ立てる野次馬や呆然と立ち尽くすだけのエゥーレを他所に。

「――大丈夫。気を失っているだけだっ」

 駆け寄ってきた警備兵が彼女の容態を丁寧に診てそう告げた。その程度の判断くらいは彼らにもできるようだ。


 リィ……ン、ゴー…………ォォン……


 終業の鐘が鳴り響く。
 だがおかしい。だってまだ講義は始まったばかりではないか。
 ただし、そう不審の顔を浮かべるのは、エゥーレと警備兵だけである。

「俺たちだけ違うのかもしれん(・・・・・・・・)

 何が――?
 きょろきょろと周囲の学生達を見やるエゥーレに警備兵が「気にするな」と真顔で諭し、聞き返すのを諦めさせられた。
 この学園ならば、そういうこともあるだろうと。
 そしてそれよりも警備兵の表情を目にして、エゥーレはなぜか確信したのだ。

 この学園――いや、この大陸のどこかで、何か(・・)が起ころうとしているのだということが。
 これはその序曲なのだと、目に見える根拠すらもないのに、何故か、そうはっきりと感じ取っていた――。
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