(4)レシモンドの読み

文字数 10,931文字

コダール地方
 『ヴァル・バ・ドゥレの森林』の周辺――


 陽射しの恩恵を失った夜であっても、二つの月から降り注ぐ光がコダールの丘陵地を味のある陰影で映し出していた。
 不穏なものを感じさせる『ヴァル・バ・ドゥレの森林』を別にすれば、夜風に波打つ草原の湖や河原から風に乗って流れてくるせせらぎは夜闇に対する本能的な不安を安らげてくれ、夜は畏れるばかりのものではないのだと悟らせてくれる。
 だが、拠点の警備という視点でみれば、危険な獣を遠ざけ、不審な接近者を早期発見するためにも、柵内には篝火をいくつも焚かねばならず、さらにはテントを与えられぬ騎士の従卒達が、陣内各所でたき火を囲んでいるため、結果的に夜の暗幕を柵の外へ放逐することとなっていた。
 特に今宵はコルディナ隊が“魔境”の洗礼を受けて撤退してきたとあって、ある意味騎士達よりもたき火を囲んだ従卒達の談義の方が熱を帯びている。
 今は見習いであっても、来たる時を思えばこそ、実戦を間近にできる貴重な環境に興奮し、さながら日中のような活気に沸くのは当然であったろう。

「聞いたか? 森林で蛮族の集団と一戦交えたらしいぞ」
「レンドルト殿が云ってたやつか?」

 やや興奮気味に確認するのは、すでに元『探索者』が語った“噂”が従卒レベルにまで知れ渡っているだけでなく、まことしやかに(・・・・・・・)信じられていることを物語っていた。

「ああ、やっぱりいるんだよ。あの森林には『銀翼級』に匹敵する魔人共がわんさか(・・・・)と」
「ふ、ふざけるなよっ」
「これのどこがふざけてるんだ?」

 明らかに怯えから否定する仲間の方へ、言い出した男が覗き込むように顔を寄せる。
 
「実際、コルディナ百人長が重篤となっているだろう。それもあの(・・)『精励装具』である鎧を壊されて」
「けれど、いくら『銀翼級』に匹敵するからといって……」

 懸命に抗う男の言葉も、だが、最もといえば最もな話しではある。
 いくら身体能力(ステータス)が並外れていても、“精霊の加護”を与えられた物品を――それも鎧に付与されたものとなれば――容易に破壊できるものではないからだ。
 それは誰もが知る常識である。
 正直、なぜそうなるかは解明されていないのだが、経験的な事実として――加護を付与された物品は、まるで異なる性質に変成したかのごとく強度が増す特性があり、特にコルディナ百人長が有する鎧は土小人(ノーム)の加護による<頑強>の効果が付与されているという話しだ。
 人外の膂力か超常的な力でないと壊せるはずがないものを壊されたとなれば、俄然、噂にも真実味が増すというもの。

「だから“秘術”なんだろ」

 原因はそれしかないと仲間の一人が言い切って、シギル葉の茶をぐびりと呑む。今は名高い“魔境”近くの野営とあって、飲酒は厳しく禁じられている。それでもこっそり呑むのが普通だが、あと三ヶ月で見習い卒業を控えた男は懸命に己に言い聞かせ我慢していた。

「“秘術”ね……剣技(スキル)のことか?」
「『異能(アビリティ)』かもな」
「単純に精霊術を武具に付与したということも」

 思い思いに口にしてみれば、意外に手法があるものだと気づいて何となく皆で半笑いになる。

「同じ『精励装具』だったという線はどうだ?」
「ならば、もう結論が出てるんじゃないかな」

 ある方向へ顔を向けながら仲間の一人が答えた。
 『精励装具』を壊したらしい敵の武器が戦利品として持ち帰られていることを。同時にその入手経緯を簡単に話して聞かせてくれる。
 曰く、戦いの最中に、後列にいたはずの召喚道師が術を発する直前、敵陣から飛来したらしい(・・・)――認識できた者がいないため、関係者の話と結果から推測した話しだ――槍に串刺しにされて死んだこと。
 それも真横に飛ばされて槍ごと大木に縫い付けられる壮絶な死に様であったこと。
 そしてどんな紆余曲折があったのか、気を失う前のコルディナ隊長の厳命でその槍を持ち帰ってきたことなどを。

「はじめ、神意文字(ルーン)が刻まれてないからただの槍だと報告したそうだが、連隊長が再調査を命令したらしくてね。召喚道師達が必死で槍を調べ直してるんだよ」
「それ聞いたな。槍を運んだヤツがやけに重たかったと不思議がっていた」
「重たい……?」

 武器が重いのは当然だと皆が首を傾げる。
 鎧が全身を覆い、より頑丈に進化すれば、必然、それをぶち破るのに切れ味ではなく純粋な打撃力が求められるようになってくる。
 戦獄時代に入ってからは、殊に武防具の発展はめざましいものがあり、時代背景的に即効性が求められたために単純な理論が広く支持された。
 即ち、鎧はどんどん物々しくなり、武器の打撃力を増す簡単な方法として“重量の増加”が推進された。
 武器の先端を可能な限り重くし、振り回して高めた威力を相手にぶち当てて防具ごと壊す――近年の騎士団としての戦いは、本格的な乱戦に入ってしまえば打撃力と手数が物を言う。
 故に、“重い槍”という当たり前のことになぜ不思議がるのか誰もが解せなかったのだ。

「それがな、見た目と実際に手にした感覚が違うということらしい。俺も聞いた話だから詳しくは分からん……あとで行ってみるか、武器庫に?」

 それを誰も本気にすることはなかったが、蛮族が所持していた武器というものに興味は惹かれるようで、仲間と同じ方へ何となく顔を向けてしまう。
 予備として持ち込まれていた武器を保管している天幕(テント)の方へと。

          *****
  
 少しの間、交替してやろうと適当な理由をつけて見張りを追いやり、レシモンドはおもむろに武器庫へと足を踏み入れた。
 厄介だと思っていた副隊長の肩書きも少しは役に立ったかと思いつつ、目当てのものを探れば拍子抜けするほど簡単に見つけてしまう。
 天幕内には剣が収められた木箱の山と戦術の選択肢として念のために準備された矢筒の束が少量、そして支柱に横木を渡して槍を立て掛けられるようにした槍棚の列が整然と並べられていた。
 目当てのものは、真ん前の槍棚にあり、他の槍と同列で立て掛けられている様に、レシモンドは思わず失笑を洩らす。違いは穂先を布で巻いたか否かというだけでは、隊長殿もさぞや無念であろう。――死んでいるわけではないが。

「……騒いでた割にはこの扱いか」

 穂先の繋ぎ近くに何かの意匠を凝らしているが、それだけといえばそれだけで、確かに神意文字が彫られている様子はない。同時にどう目を凝らして(・・・・・・・・)みても(・・・)、平凡な鉄製の槍にしか見えず、レシモンドの瞳から急速に興味の光が失せていく。

「ふん……確かに重い。“混じり”か“仕込み”かどちらかだろうな」

 無造作に片手で持ち上げ、槍の重量感を味わう。
 武器の重量が重視されるようになり、鉄より比重のある“黒鉄”という材料が一躍脚光を浴びているが、文字通り黒色であるため使用されていれば一目で分かる。そうでないとすれば、冶金技術によって調合された“混じり鉄”であろうとレシモンドは推察する。
 “仕込み”とは単純に鉄の内側に“黒鉄”など比重の高い金属を仕込む制作方法の話しである。
 いずれにせよ、標準タイプより明らかに重量がある槍を、試しに片手で軽く二、三回素振りをしてのけるレシモンドの身体能力の方にこそ、目を(みは)るものがある。
 日々、たゆまぬ鍛錬を欠かさぬ騎士といえど、それは尋常ならざる筋力であり、同レベルの能力を有する者は上級騎士では数えるほどしかいないだろう。

「重いといってもそれだけの槍……そういう意味では、俄然、蛮族の方に興味が湧く」

 コルディナ百人長の武名は高く、それを撃破した要因が得物にないとすれば、それはそれで面白い標的を見つけたとの喜びがある。少しでも己の糧(・・・)にできるなら、レアな武具を(・・・・・・)手に入れなくても(・・・・・・・・)十分役得であろうと。
 そう。
 そもそもコルディナとは別の隊に属するが故に、“魔境”に入れなかった鬱憤がレシモンドの戦闘欲求を燻らせていたからだ。
 元々が第三軍団所属でなく、成り行きで今回の作戦行動に随行してきた特殊な事情もあって、取って付けたような“副隊長”という半端な足枷(・・)を付けられ自由を奪われていたから余計に面白くない。
 だから勝手に武器庫へやってきて、特別報酬代わりに頂こうと考えていた。あるいは――

「勇猛な蛮族なら、自分の得物を奪われたら、奪い返しにきてもおかしくないと思ったんだが」

 北のモディール王国との同盟関係で遠征し、“北魔”と怖れられる凶悪な原住民との激闘を思い出す。そこで知ったのは、蛮族に共通する“強者への崇敬”と付随する“物品への執着”は信仰に近いものがあり、そのため目には目を強奪には強奪をもって(あがな)うのが奴らの流儀というものだ。

(バカバカしい(こだわ)りだが、俺たち兵士よりはよっぽど“戦いに純粋”だった……) 

 むしろあの戦場――近代戦を嘲笑うような戦術もへったくれ(・・・・・)もない乱戦に次ぐ乱戦に身一つで放り込まれれば、それこそが唯一にして正しい考えだと思わざるを得ない。
 その過酷な遠征で生き残り、必然的にレシモンドの心に“力への信奉”が根付くことになったのは確かだ。己を蝕んでいた恐怖がいつの間にか喜びに取って代わり、戦うことが己の存在価値であり、強くなることが報酬であるとこれまでの人生観がきれいに反転することになった。
 もはや、柔和な笑顔が評判の“粉ひきの(せがれ)”だったと教えても信じる者はいないだろう。
 垂れ目だった目尻は鋭く切れ上がり、ふっくらしていたほっぺたは乾いたように()け落ちて、人相がまるきり変わっただけでなく、女子供が思わず視線を逸らす陰湿な雰囲気を纏うようになっていた。
 こびりついた血の臭いを本能的に察しているせいなのかもしれないが、逆をいえば、それだけの戦果を積み上げたともいえる。
 実際、帰還したレシモンドは本来の所属組織で戦功を認められ、『一級』の栄誉を授かることになったのだ。当該組織で認められることは、そのまま公国随一の戦士であることを示すことになる。

 名実ともに一流の戦士に。

 それなりの富と地位の獲得は目指してきた終着点でもあったはずだ。だが、いざ掌に収めてみればレシモンドに限ったことではなく、組織に属する者で足を洗った者はいないのが皮肉な話しであった。

 はじめはあれほどに抜けたがっていたものを。
 肉を貫く感触に何度も吐いていたものを。
 ただただ己の境遇を呪っていたものを。

 レシモンドの肉体に刻まれた傷痕の一部は、実は『五枝』と呼ばれる屠った敵の数を一組五つの線として自ら描いた戦果(トロフィー)だ。
 北魔の蛮族が“戦士の証”として用いていたのをレシモンドが好んで真似たものである。それが逞しい胸から脂肪ひとつない腹筋に至るまでびっしり刻まれていた。

 その数、247。

 実際にはもっと多くの敵を葬っているが、ある時から雑魚をカウントするのをやめにして、“己が認めた者”のみ刻む栄誉を与えることに切り替えた。
 最も相応しい強敵は頬に刻もうと考えている。
 今回、素直に第三軍団に随行したのは、行き先が“魔境”になるかもしれぬと聞いたからに他ならない。
 個々の戦闘力に自負を持つ鼻持ちならない『探索者』共が畏怖するという大陸屈指の危険地帯――そこに向かうと聞けば、あくまで可能性があるということでも付き合わぬ手はないとレシモンドは考えた。いや、心を動かされたのだ。
 久しぶりに、周囲に色や臭いがあると感じたのだ。それが率いる連隊長の自分を引き込むための策と気づいていても、「乗らぬ」という選択肢はなかった。
 だから先遣隊に混ぜれなかった不満と苛立ちはそうとうのものであり、それ故、万が一でもいいから、槍を奪い返しに来ないかと、焦がれる思いで武器庫に足を向けたのだ。

 強敵への渇望に、いても立ってもいられずに。

「だが、まさか本当に……くく」

 堪えきれず、漏れ出た笑いをレシモンドは噛みしめる。折角の幸運を逃がしてなるものかとばかりに、声を殺して肩を小刻みに震わす。

「ここにいれば、蛮族に遭えると……この手で強敵を殺せると、な。中々のもんだろ――俺の読み(・・)は?」

 レシモンドの細い目がテントの奥へ向けられていた。
 胸の高さまで積み上げた木箱が整然と列を成し、通路状となった狭間が奥へいくほど濃い闇に呑み込まれ、先が見えなくなっている。そのとある通路に確信を持った視線を投げかけるレシモンドは、そろりと槍を元に戻して剣の柄に手をかけた。
 まるでそこにいる何者かを下手に刺激せず、あくまで開戦のタイミングは己が支配せんとばかり、肉体の緊張を巧みに隠して。

「俺はレシモンドだ」

 落ち着いた声で闇奥の一点に向けて語りかける。

「これでも『俗物軍団(グレムリン)』所属の一級戦士でな、今は故あって騎士のまねごとをしている。――さあ、あんたも自己紹介してくれないか?」

 見えてるとばかり軽く顎をしゃくって促すレシモンドに、確かに闇が身動ぎしたような気がした。
 ふいに、闇の中、より濃い黒の輪郭がはっきりと人影を象る。長身とは言えぬ自分より明らかに低い相手の身長に、他の者であれば「まだ未成年か」と戸惑うところであろうがレシモンドは別であった。
 身のこなしだけで「できる」と察して唇の端を大きく吊り上げる。人影が足を止めた位置は、奇しくもレシモンドの間合いギリギリのところ。これで笑わずにいられようものか。

「やはり蛮族は凄いな……部族ではどれくらいの格付けだ? 相当の上位者だろう」

 誘っても返事どころか人影に動きはみられない。重心は見事に腰の中央に位置し、攻めにも逃げにも瞬時に転じれる状態を保っている。
 上半身を震え捩らせるような感覚に「手練れだ」とレシモンドは確信した。

「いいのか? これでも一時的に騎士団所属の身分でな。何か有益なことを話せば、殺さぬかもしれないぞ?」
「まことの強者ならば、無駄口は叩かぬ。某も含めてな」
「?」

 レシモンドの眉が寄ったのは、耳にした言語が確かに知らぬはずの言葉であったにも関わらず、云いたいことがしっかりと理解できたからだ。

(なま)りか――?)

 あまりにも酷い訛りで不明言語と勘違いしたのだろうか。あるいは、それこそ文明と隔絶された土地で暮らす“噂の蛮族”ならば、辻褄も合おうというものか――? その疑念が隙となって、レシモンドの反応をわずかに遅らせる。

「ちぃ――っ」

 見えてはいた(・・・・・・)
 だが、先に仕掛けさせるつもりが、まったく意図せぬタイミングで仕掛けられ、反応が遅れてナイフのような攻撃を躱しきれず、右腕と脇腹に浅い傷をもらう。
 身を捻って一回転したときには、人影が左斜めの槍棚の影に入って、隙間から再びナイフ攻撃を放ってきていた。
 速い――。
 しかも、この速い動きの中で一度に二本を――それもとんでもなく精確な投擲の技倆にレシモンドは剣で叩き落とすことも、驚く間もないまま夢中で身体を前転させた。
 このまま受け身でいるのはジリ貧だと悟る。追い詰められる前に、多少強引でも流れを変えなければならない。
 基本、敏捷性に優れる蛮族との戦いは、反応速度で負けると一気に持っていかれることになる。剛力無双の強者(つわもの)が、必殺の一撃を(かす)らせることもできず、無残に切り刻まれて沈むのを何度朱色に染まった雪原で見せつけられたことか。
 レシモンドは回転を終えたと同時に予備動作も終えていた。

 体術(スキル)『崩山』――

 はじめの頃は大きな一歩を踏み出さないと必要な破壊力を出せないものだが、熟練すると共に必要とする歩幅が狭くなってくる。最小の動作で最大効果を発揮できるようになってくるためだ。
 半歩で出せれば熟練者――拳士でないはずのレシモンドの動作は一足分をズらすだけで事足りた。
 ズン、と剥き出しの地面にやや窪みを穿ち、生まれた強い力が膝から腰、背中を駆け上がって肩の先で爆発する。
 衝撃を棚に触れた一点でのみ炸裂させて破壊するのでなく、レシモンドが放ったものは、棚全体に衝撃を行き渡らせるよう調整することで、重い槍棚ごと地面を滑らせ、人影を棚と棚の間に挟み込んでそのまま諸共に巻き込み倒れさせた。
 ガラガラと響く派手な音はテントの外まで聞こえ、これで皆が集まってくるのも時間の問題となる。レシモンドの脳裏に真っ先に過ぎったのは「しくじった」というちょっとした後悔であり、「早く留めを刺さねば」と邪魔が入るのを嫌って素早く近づく。
 それはあまりに不用意すぎた。
 不用心な一歩を後悔させるように、倒れた槍棚から人影がまっすぐ低い姿勢で飛び出してきて、そのまま殺気のこもる白刃を一閃させる。
 剣使いにとっては最も受けにくい地面すれすれからの攻撃。
 それも見えてなければ(・・・・・・・)まともに喰らって、両の足を膝下から断ち切られていただろう。

「――っと!」

 だが、それすら反応してみせるのが一級戦士。
 “跳躍”という予備動作が必要となるものを行わず、レシモンドはただ、咄嗟にその場で両膝を畳んでしまう。自然、落下まかせとなるのに構わず、この時点で間合いに入っている人影へ踏ん張りが利かぬのを承知で上段から剣技(スキル)を叩き込む。
 いかなる姿勢、状況にあっても瞬時に“無我”となり剣技(スキル)を放てるのが一流の所以(ゆえん)――そして無駄な動作をすべて廃し、最短の反撃を選べる者のみに“蛮族殺し”の戦果は与えられる。

 剣技(スキル)『双牙斬』――
 威力を犠牲に斬撃の速さに特化した電光石火の連続斬りは、一流になれば同時四連撃をも可能とし、巷では“受け利かず”として怖れられていた。

 確実なヒットが望めるからこそ、もっともポピュラーな技と成り得る――地味に凶悪な剣技が人影の命運を決定づけんとし、だが、相手は両腕を掲げるという最も原始的な対処法で身を守る。

 キキン――!!

 予期せぬ手応えと共に美しい金属音がわずかに響き、供物に捧げたがごとき人影の両腕は無傷でレシモンドの斬撃を受け止めた。
 最低でも腕をもらって終結するはずが。
 必勝を期したはずの攻撃失敗は、そのまま敗北必至の反撃に身を晒すことになる――死を予感させる衝撃がレシモンドの心臓を凍らせ、それも次の瞬間、両膝で着地した苦痛で我に返って、人影が流れるように繰り出してきた斬撃を夢中で受け流していた。
 無論、偶然――ではない。

 “先読み”のレシモンド――その名に恥じぬ必然だ。
 まだ公国内で流布していないため本当の意味での『諱持ち(ホルダー)』ではないのだが、公国軍内ではすでに異名が流れているのは確かだった。
 こと戦いに関してのみ、「手の内が見透かされているようだ」と対戦相手の戦意を奪う神憑りな戦闘センスを披露するためだが、その正体は、実に単純でありながら何よりも堅実な能力――『魔力感知(マジカル・センス)』にあった。
 他にも波動(プラーナ)(オーラ)など表現の仕方は様々であり、何が正しいかの判断は専門家に委ねるものとして、少なくとも得体の知れない“力”が万物に宿っているのは昔から知られている。
 レシモンドはそれを知覚する能力が生まれたときから持っている――いわば『異能(アビリティ)』持ちであった。
 ただし、己の能力に気づき使いこなせるようになったのは、遠征での血生臭い戦闘を通してのことではあったのだが。
 ちなみに“先読み”のコツは単純だ。
 生きとし生ける者は動作の数瞬先に魔力が走り流れる。例えば剣を振り上げるなら数瞬先に、その軌道上に向かって靄のような魔力が薄く立ち上る――それを見極めることで、いかなる早い動きも、暗闇の中での動きも事前に察知することができる。
 『魔力感知』を活かした戦い方を身に付けることで、レシモンドはあの悪夢のような戦場を生き残ることができたのだ。
 
 今回もまた、経験上、これ以上ないタイミングで打ち込んだ一撃を避けられ、それ故に決して抗えぬ敗北の運命にあった彼を救ったのは、己が強さの根源でもある『魔力感知』であった。
 ただ正直、何をどうやったかその瞬間のことは覚えていない。気づけば互いに位置を変えて、はじめのときと同じように睨み合っていただけだ。
 認識できずとも、極限状態で鍛え抜かれた生存本能が、肉体を最適な形で動かした結果なのは間違いない。
 それで十分だ。
 久しく味わってない背中に感じる冷や汗に、レシモンドは気づくことなく相手を睨み据える。

「……あんたみたいな『陰技(シャドウ・スキル)』持ちが隠し籠手(ガントレット)をしてるのは当然だよな」

 ネタは分かってるとばかりにレシモンドが指摘する。それが己の平静を保つための虚勢だと気づくことさえできないまま。
 スキルの基本的な効能は、絶対的な技の“速さ”と“威力”にある。
 一度スキルを発動させれば、相手はまともに反応できずに攻撃を受けることになり、その上、よほど特殊な場合を除いて、物理攻撃の効かない相手でも一定ダメージを通すという、相手からすればインチキのような力を発揮するのだ。

 故に必殺技――。

 体力の消費と筋肉の鈍り、そして生命エネルギーやら魔力やらいうものが奪われるため、そう何度も行使できないが、ここぞというときに必殺たり得るからこそ、誰もが遣い手となるのを夢見て、修得せんと励むのだ。
 だからこそ、敵がスキルの速さに反応し、スキルの威力に拮抗してのけた籠手の防御力を無意識に察して、レシモンドの精神と身体が恐怖に対する防衛反応を示していた。――口元を(いびつ)にねじ曲げ、頬を引き攣らせるというぎこちない(・・・・・)笑顔(・・)によって。
 無論、レシモンドがそれを自覚したところで、自身の『異能』に対する絶体の信頼が揺らぐことはなく、戦意を喪失することなどありはしないだろうが。
 戦いの放棄は、己を否定することに他ならないのだから。

「それにしても、この俺と身体能力(ステータス)が互角とか……『暗殺者』の類いか? どちらか一方が死ぬのなら、名乗ったところで問題ないだろう」
「どちらか一方と云いながら、相当自信があるようだが?」

 思わぬ返事を得られて、レシモンドの表情が純粋な喜びで軽くゆるむ。

「ようやくコミュニケーションがとれたな……そうとも、俺が勝つに決まってる。何しろあの『俗物軍団(グレムリン)』に一級戦士として認められたんだからな」
「先ほどから組織(それ)を口にするが……それほど大したものではなさそうだ」

 そこで初めて、レシモンドの顔に険悪な感情が浮き上がった。先の見張り達が怖れ、無理な交替を了承させた本当の起因である禍々しい感情に縁取られて。
 殺しに慣れた者が意図的に殺意を抱くと、人によっては嘔吐を催させる黒い悪意を産み落とす。
 その、まるで異物が混入したような相容れぬ空気こそが、正規軍として扱われず、自軍からも嫌煙され煙たがられる真の理由であった。
 だが、人影は毛ほども意に介さず涼しげに続ける。

「某と互角であることが何よりの証拠。我が秋水隊の『陰師』として、一番未熟なのが某だからな」
「何だと……?!」
「捨丸」
「?」

 怒りと驚きとふたつの意味で聞き捨てならぬ言葉に意識が向いていたため、それ(・・)が人影の名であることをレシモンドはすぐに理解できなかった。

「某の名だ」
「!!」
「……冥途の土産に持ってゆけ」

 途端に、ぶわりとレシモンドの肌という肌にある産毛が逆立つのが分かった。そうさせる殺意の発現点が人影にあることも、また。

(ようやく……本気になった、とでも?)

 属する組織の一級戦士とは、『探索者』でいうところの『片翼』クラス。
 常人を越えた領域に位置するのが、己だという絶対的な自負がある。例え上級暗殺者が相手であろうとも、劣っているはずがないと。

(組織で末端だと? 暗殺者ならば誰もが等しく末端だろーが)

 その一点こそが唯一にして大きな誤解であったのだが、常識に当てはめれば何一つ間違った見解ではなく、当然レシモンドもその考えに疑問のひとつも覚えなかった。
 この状況で気づけるはずがない。
 捨丸の言葉が事実であり、彼の属する集団の上位陣には『銀翼』に届かんとする魔人達が列を為すなどと、夢にも思うはずがないのだ。
 もし、そのような事実があるのだとすれば、それはレシモンドが身を寄せる公国どころか近隣諸国のパワーバランスを揺るがすほどの危険な戦力の存在を意味することになる――。
 何気にもたらされた情報の、とてつもない重大さに気づけないのも、やはり無理からぬことである。
 ただレシモンドの心と記憶を揺さぶり、この場が在りし日の雪原を思い出させるのは確かであった。
 身体の芯を冷えさせる寒気に立つかのごとく、身を震わせ、死を身近に感じながらも戦意を奮い立たせ、レシモンドは深く腰を落として、ジリジリと両足の位置取りを据え直す。

(集中だ――ヤツにだけ集中しろ)

 意識を眉間の一点に置き、『魔力感知』の感触を最大限に研ぎ澄ます。
 周囲の色が褪せると共に、魔力の銀光がきれいに際立つ。
 見える――。
 捨丸の心臓から全身へと木の根がごとき無数に細く伸びる魔力の動線を、まるで目にするかのようにレシモンドは感じ取る。

 ――いけるっ

 ここまではっきり“魔力の根”を感じれることは希だ。
 生涯に二、三度しか経験のない最高の感触。
 身内に沸いた満腔の自信が、いつの間にか歪に固まっていた口元をほぐして、切れ味の良い笑みを描き出していた。

「……お前は、右頬に(・・・)刻んでやる(・・・・・)
「……」

 今度は向こうが訝しむ番であったろう。
 いまだ強烈な肌のひりつきは感じるものの、もはや恐怖で動きが阻害されることはない。
 それで十分。
 耳鳴りが感じられるような痛いほどの沈黙に包まれる中、レシモンドは外が騒がしくなってくるのをまるで第三者のごとく感じ取る。
 時間はあまりないようだ。
 生涯戦歴で最高の舞台を邪魔される前に、片を付けねばならなかった。 
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