【幕間1】敵の幕営
文字数 5,467文字
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森外の幕営
冷たい夜気がまだ地に蟠 っている頃。
周囲のそれとは二廻り以上大きい天幕に、五名の上級騎士達が、頑丈だけが取り柄の卓を囲んで顔を付き合わせていた。
いずれもが憮然と唇を引き結び、眉間には深い皺を寄せて、剥き出しの地から足へと這い上る冷気を気にする素振りさえ見せずにいる。
いや、その余裕がないというべきか。
「――以上が、コルディナ隊からの報告だ」
抑揚もなく淡々と語り終えた団長をただ沈黙が出迎える。
余分な情報を削ぎ落とし、明瞭簡潔に相手に伝える――補佐官を通さず自ら語ったことが功を奏したか、伝えたい内容が十分に行き渡ったようだ。いや、むしろ効き過ぎた くらいか。
はじめ呆れた風に、互いに目線を交わし肩を竦め合っていた騎士達は、話が進むにつれ表情が引き締まり、最後には語り手である団長の真意を見抜かんと射るような視線を向けていた。
それほどに語られた報告は信じがたい内容であり、おいそれと容認できるものではなかったが、団長が直に語ること、そして探索部隊が“向かった先”を想起して、誰もが否定することを諦めた。
それ故の重い沈黙――。
「ちなみに、コルディナ百人長は吐血がひどく安静にしておく必要があることから、軍議への不参加を認めている」
「吐血、ですか」
何気なく付け加えられた報告に、引っ掛かりを覚えたか騎士の一人が団長の傍に立つ補佐官へ視線を向ける。
「らしくない ですな、団長殿」
その言を誰も諫めなかったのは、“持って回った言い回し”に違和感を抱いたからに違いない。騎士達の視線は説明の補足 を促しているのだ。
団長が軽く頷くのを見て、補佐官が手短に要望に応える。
「百人長の吐血は“毒”や“呪詛”の類いによるものではありません。肋骨を折る大けがによるものです」
団長による指導の賜か、殊更何でもないことのように伝えられたが、しかし、騎士達の凝り固まっていた表情がわずかに動く。
彼らの琴線に触れたのは傷を負った“部位”にあり、それを守っていたはずの全身強装甲 が公国支給の通常品ではなく、家柄は低くても武家として名の知れたコルディナ家が有する軍内では誰もが羨む『精励装具』であることを瞬時に気づいてのものであった。
「鎧はどうなった?」
「歪みがひどく、鎧自体を修繕できても“精霊の加護”は失われたかと」
「そうではなく――」
苛立つ騎士に、察した団長が自身の見立てを伝える。
「“術”を受けた跡はみられない――恐らくは単純 な打撃 によるもの」
その見解に、居並ぶ騎士達が今度こそ驚きで強面を崩した。
あの鎧で防げぬ攻撃を――?!
“獣鬼 の岩斧”や“双牙猫 の剣牙”ならあり得るが、それらしき存在は報告にない。
出てくるのは人種と思しき存在のみ。ならば、いかなる力がそれを為さしめたのか。いや――
「“彼 の森”ならばそれも当然か……」
思わず騎士の一人が呟くものの、それはこの場に居る全員の思いに違いない。
それぞれが持つ“彼の森”に関する“非常識な情報”の数々をあらためて脳裏で思い返しているのか、場の空気が一段と重くなる。
「“失われた秘術をいまだに継承する蛮族”――だったか」
中空を見つめたまま団長が記憶をたぐり寄せる。
言わんとすることは誰もが分かる。そしてそれが“彼の森”にまつわる数ある“噂のひとつ”であるということも。
ほかに、帰巣本能に長けた獣さえ惑わし永遠にさまよわせる“幻惑の靄”――。
あるいは、世の理から外れた法則に守られる“絶望の城跡”――。
あるいは、黄泉の国との境界が曖昧なために狂った武の達人がさまよい出る“泡沫の泉”――。
噂のひとつが真実だというのなら、これら眉を顰 めたくなる噂もまた、真実ではないと誰が言えよう。
そうだとしたら――
ここで初めて、両足から這い上がる冷気に気づいたように、居並ぶ騎士達が微かに上半身を震わせた。
「……そうなると、コルディナ隊が遭遇したという“異種族の部隊”も本当に実在する、と考えねばなるまいな」
「そうであればいいが」
「どういう意味だ?」
「軍団かもしれない 、ということですよ」
見るからに最年少の騎士が、横から冷笑をたたえつつ教示する。諭された騎士は立腹するよりも、その意味することに驚いて呻きを洩らした。
ただでさえ人を襲う獣が多く、“闇墜ち”の目撃例さえ聞こえている危険な森だというのに、その上、『精励装具』を身に着けた騎士を一蹴する武力を持った集団が――それも“軍団”レベルで存在するなど認められるはずがない。いや、認めたくない。
国家を揺るがすどころか、下手をすれば数国を呑み込む“災厄の種”があることを告げたも同然。
「……やはり、森に手を出すべきではなかったな」
「何を云う。目撃情報が正しければ、是が非でも踏み込まねばならん」
「それこそ取り返しのつかないことになる、と云ったのだっ。下手に藪をつついて、おかしなものを目覚めさせては、それこそ国の一大事」
「いや、そもそも本当に――」
喧々囂々、騎士達の声が乱れ飛ぶ。
与えられし任務の重要性。それと災厄を引き起こすかもしれない危険性を見定めねばならず、思わぬ難題に苦しめられる。
『探索者』ならいざ知らず、国家として“魔境”に関与した事例はここ百年以上記録にないだけに、
未知なる相手が“軍団規模”なのか、“秘術”を駆使するのかはすべて推測の域を出ない。
やがて議論に窮した騎士達が、嘘か真か、探り合うような視線を交わし合うだけとなり、場に沈黙が戻ってくる。
「少なくとも――勝手に情報を結びつけるのは、早計すぎるかと」
息苦しくなる幕内の空気など知らぬげに、先の年少騎士が口を開く。
「可能性を否定するつもりがない故の先ほどの発言でしたが……。報告から窺えるのは、“軍団”の規模に届かぬ戦闘集団の存在のみで、無論、“秘術”を臭わす話もありません」
「敵将らしき者を取り逃がす際、轟音の後、兵が弾かれたと言っていたな。それで包囲が崩されたと」
団長の指摘に、動じぬ年少騎士はさらりと受け流す。
「風、もしくは地の『精霊術』を使ったのでしょう。それを“秘術”とするには無理があります」
「だが、『火槍』は明らかに“消し飛ばされて”いる」
続く指摘が本命だった。
年少騎士の冷笑が口元から消え、他の騎士達が息を呑んだのが窺われる。
万物に宿る精霊を刺激し、励起することで力を顕現させるのが『精霊術』の基本である。例えば、火打ち石で着火し火を熾すのも同じ理屈。
その顕現した力を数倍に高め、攻撃に利用しているのが精霊術士の怖ろしさだ。特に上級の術であれば『精霊体』自らが行使する相当の威力を誇り、精霊の結びつきが強いことから、打ち消すことも困難な優れた武器となる。
だからこそ、火精霊を例に挙げれば、『火槍』は革製防具 をも貫通する威力があり、戦場では弓を差し置き、敵の将官クラスを一気に叩く有効な戦術として運用されているのだ。
つまり、敵将が『火槍』から逃れる運命などないはずであったのだ。
「――確かに戦士の高みにたどり着いた者達の中には、超人的な身体能力と稀少武器の『精励装具』を用いることで精霊術を防ぐこともある。
だが報告では、防がれた術は火精の上級に位置する『火蜥蜴の舌槍』だ」
軍が金をかけ、手塩に育てた召喚導師の術。
それを打ち消せる上位の存在は、彼らの国ならば武力で三本の指に入る至高の存在しかいなかった。
団長の言葉に、歴戦の騎士達が顔色を失うのも無理はない。しかも。
「百人長は、逸品であろうが“手にしているのは普通の槍に見えた”と言っている」
「ただの槍で上級の精霊術を?」
それはあり得ないと年少騎士が苦笑を浮かべ、団長も同調する。
「確かに普通では無理だろう。それでも、“事実”だとしたら?」
「つまり、それこそが“秘術”だと……」
「もっと言えば――」
珍しくそこで、団長がその先を口にするのを一瞬躊躇う。
「――そんな輩が一人であればいいが 」
「待て、待て」
以心伝心で勝手に話を進める二人に、さすがに聞き捨てならぬと横やりが入る。
「まさか、そんな化け物じみた輩が“何人もいる”などと、言うのではなかろうな」
それは、もはや確認という名の断言であった。
「馬鹿な――」
「勘ぐり過ぎだっ」
「我らが冷静を欠いては、兵達に示しがつかんぞ」
我慢の限界だったのか、喉の奥に押し込んでいた激情が一気にあふれ出したかのように、場が騒然となる。
「だがコルディナ百人長の怪我と『精励装具』の毀損は事実だ」
あくまで淡々と告げる団長の冷静な指摘を否定できずに誰もが押し黙る。
「他にも、精霊術の加護を得ずに人間業とは思えない動きをする強敵もいたとか」
ただし一人は討ち取りましたが、と補佐官が付け加えるものの安堵する者はいない。
もはや任務遂行の道前に、強大な障壁が屹立しているのを認めるしかなかったからだ。
「あくまで、森を捜索対象とするのが正しければの話しだが」
それが前提だとして団長は、ある意味屈辱的な見解を口にする。
「――冷静にみて、任務を遂行できる戦力は我々にはないと考える」
「同感だ。しかしそれは、平地での運用を軸に兵種を騎馬で構成しているためだ。それを認識した上で、このまま深入りするのは下策以外の何物でもない」
「だが任務を放棄して撤退するわけにはいかん」
「ならばどうすると?」
目前の抗えようもない現実と放棄できぬ任務の重要性との間で、またしても騎士達の議論は平行線をたどる。
次第に、実を結ばぬ議論に倦怠感のような空気が漂いはじめた頃、自然と騎士達の視線は、黙して議論に耳を傾けていた団長へと向けられていた。
問いたげな騎士達の視線に、おもむろに団長が口を開く。
「卿らの意見は分かったが、始めから議論の余地はない」
そうばっさりと斬り捨てて、「任務は続行する」と宣言する。
「だが承知のとおり、他国との緊張は日増しに高まっており、我ら“第三軍団”がいつまでもここに留まっているわけにもいかん」
現状をあらためて認識させるように間を空けて。
「――故に残り三日と期限を切る。それまでに手応えがなければ、任務を断念する」
はっきりと“任務の断念”が選択肢に上げられて、あからさまに渋面をつくる騎士もいたが異議を唱えることはなかった。
団長もまた断腸の思いで口にしている事を、その鉄面皮のような表情の下に見出したからかもしれない。
国宝を守護するのと同等の重さが任務にはあるからだ。
「敵対してしまった以上、もはや穏便には済むまい。今後は相手の警戒も高まり、より厄介になるが、我らも乱世で鍛えられし軍団よ。いかなる秘術を使おうが、蛮族ごときに遅れをとるつもりはない」
「その通り。乱世の激風を田舎者に教えてやろうではないかっ」
「ならばぜひ、私に第一陣を任せていただきたい」
無骨な団長の気概を感じて、次々と騎士達が気勢を上げる。それをひとしきり見守り場が熱くなってきたところで話を続ける。
「ただし、あくまでも任務が優先だ。いざという時に戦いを躊躇うつもりはないが、無闇に戦闘を仕掛けるべきではない。――それに、森以外の周辺も捜索すべきだと考える」
冷静さを持たせるべく、卓に並ぶ騎士達をゆるりと見回す。ただひとつの目撃情報に振り回されるわけにはいかないと。
「まずは、森外の捜索隊を三隊。残り二隊を森の捜索にあてることを基本方針とする。後者に関しては、さらに“森の外周を監視する部隊”と“森を探索する部隊”とで役割を分割。特に森の探索部隊については、小規模な斥候部隊を編成してあたるものとし、森林行軍に対応した兵装に切り替えるものとする。
次に、指令部へ報告と緊急要請をかける。己を過信せず、できる限り戦力の確保に努めるのが一番の近道だからな」
「要請の内容は?」
「“外軍”を呼ぶ」
角張った顔に相応しく、石を磨り潰したような団長の声に、騎士達は何とも言えぬ複雑な表情を作った。
“外軍”――ヨルグ・スタン公国軍外軍。
正規軍から外れたもうひとつの軍隊であり、別称『俗物軍団 』と呼ばれる歴とした公国軍のひとつである。
ただ、おおむね軍人としては有能だが一般規範で収めることができない、一癖も二癖もある者達で構成されているため、軍を運用する側にとっては非常に厄介な存在でもあった。それでも存続が許されるのは、ひとえにその強力な戦闘能力にある。
過去には、当時隣国であった帝国が誇る『双輪』の一画を撃破し、公国滅亡寸前の戦況から逆転勝利をもたらした功績がある。その一戦で、版図を拡大し続けていた帝国は逆に領土を大きく毀損することとなり、守勢に回ってから既に十年近い歳月が過ぎていた。
だが“救国の英雄軍”とも持て囃される一方で、近年の平穏時に力を持て余した彼らが、民に乱暴狼藉を働いているという黒い噂が絶えない現実がある。あるいは小競り合いなどの出兵した先で近隣集落を襲ったという話しも。
“戦獄時代”と言われて久しい乱世において、小国にすぎない公国が生きながらえているのも、かの軍団の存在が大きいのは事実であったが、あまりに剣呑過ぎるというのが皆の共通する認識であった。
かくして、使い所の難しさから近年はとんと噂すら耳にしていなかったが、団長は彼らの存在を覚えていたらしい。
それは誰にとって幸運だと言えるのか。
「毒には毒――“彼の森”相手にはそれでいいのかもしれませんね」
年少騎士だけが、平然と団長の案を支持するのだった。
森外の幕営
冷たい夜気がまだ地に
周囲のそれとは二廻り以上大きい天幕に、五名の上級騎士達が、頑丈だけが取り柄の卓を囲んで顔を付き合わせていた。
いずれもが憮然と唇を引き結び、眉間には深い皺を寄せて、剥き出しの地から足へと這い上る冷気を気にする素振りさえ見せずにいる。
いや、その余裕がないというべきか。
「――以上が、コルディナ隊からの報告だ」
抑揚もなく淡々と語り終えた団長をただ沈黙が出迎える。
余分な情報を削ぎ落とし、明瞭簡潔に相手に伝える――補佐官を通さず自ら語ったことが功を奏したか、伝えたい内容が十分に行き渡ったようだ。いや、むしろ
はじめ呆れた風に、互いに目線を交わし肩を竦め合っていた騎士達は、話が進むにつれ表情が引き締まり、最後には語り手である団長の真意を見抜かんと射るような視線を向けていた。
それほどに語られた報告は信じがたい内容であり、おいそれと容認できるものではなかったが、団長が直に語ること、そして探索部隊が“向かった先”を想起して、誰もが否定することを諦めた。
それ故の重い沈黙――。
「ちなみに、コルディナ百人長は吐血がひどく安静にしておく必要があることから、軍議への不参加を認めている」
「吐血、ですか」
何気なく付け加えられた報告に、引っ掛かりを覚えたか騎士の一人が団長の傍に立つ補佐官へ視線を向ける。
「
その言を誰も諫めなかったのは、“持って回った言い回し”に違和感を抱いたからに違いない。騎士達の視線は
団長が軽く頷くのを見て、補佐官が手短に要望に応える。
「百人長の吐血は“毒”や“呪詛”の類いによるものではありません。肋骨を折る大けがによるものです」
団長による指導の賜か、殊更何でもないことのように伝えられたが、しかし、騎士達の凝り固まっていた表情がわずかに動く。
彼らの琴線に触れたのは傷を負った“部位”にあり、それを守っていたはずの
「鎧はどうなった?」
「歪みがひどく、鎧自体を修繕できても“精霊の加護”は失われたかと」
「そうではなく――」
苛立つ騎士に、察した団長が自身の見立てを伝える。
「“術”を受けた跡はみられない――恐らくは
その見解に、居並ぶ騎士達が今度こそ驚きで強面を崩した。
あの鎧で防げぬ攻撃を――?!
“
出てくるのは人種と思しき存在のみ。ならば、いかなる力がそれを為さしめたのか。いや――
「“
思わず騎士の一人が呟くものの、それはこの場に居る全員の思いに違いない。
それぞれが持つ“彼の森”に関する“非常識な情報”の数々をあらためて脳裏で思い返しているのか、場の空気が一段と重くなる。
「“失われた秘術をいまだに継承する蛮族”――だったか」
中空を見つめたまま団長が記憶をたぐり寄せる。
言わんとすることは誰もが分かる。そしてそれが“彼の森”にまつわる数ある“噂のひとつ”であるということも。
ほかに、帰巣本能に長けた獣さえ惑わし永遠にさまよわせる“幻惑の靄”――。
あるいは、世の理から外れた法則に守られる“絶望の城跡”――。
あるいは、黄泉の国との境界が曖昧なために狂った武の達人がさまよい出る“泡沫の泉”――。
噂のひとつが真実だというのなら、これら眉を
そうだとしたら――
ここで初めて、両足から這い上がる冷気に気づいたように、居並ぶ騎士達が微かに上半身を震わせた。
「……そうなると、コルディナ隊が遭遇したという“異種族の部隊”も本当に実在する、と考えねばなるまいな」
「そうであればいいが」
「どういう意味だ?」
「
見るからに最年少の騎士が、横から冷笑をたたえつつ教示する。諭された騎士は立腹するよりも、その意味することに驚いて呻きを洩らした。
ただでさえ人を襲う獣が多く、“闇墜ち”の目撃例さえ聞こえている危険な森だというのに、その上、『精励装具』を身に着けた騎士を一蹴する武力を持った集団が――それも“軍団”レベルで存在するなど認められるはずがない。いや、認めたくない。
国家を揺るがすどころか、下手をすれば数国を呑み込む“災厄の種”があることを告げたも同然。
「……やはり、森に手を出すべきではなかったな」
「何を云う。目撃情報が正しければ、是が非でも踏み込まねばならん」
「それこそ取り返しのつかないことになる、と云ったのだっ。下手に藪をつついて、おかしなものを目覚めさせては、それこそ国の一大事」
「いや、そもそも本当に――」
喧々囂々、騎士達の声が乱れ飛ぶ。
与えられし任務の重要性。それと災厄を引き起こすかもしれない危険性を見定めねばならず、思わぬ難題に苦しめられる。
『探索者』ならいざ知らず、国家として“魔境”に関与した事例はここ百年以上記録にないだけに、
未知なる相手が“軍団規模”なのか、“秘術”を駆使するのかはすべて推測の域を出ない。
やがて議論に窮した騎士達が、嘘か真か、探り合うような視線を交わし合うだけとなり、場に沈黙が戻ってくる。
「少なくとも――勝手に情報を結びつけるのは、早計すぎるかと」
息苦しくなる幕内の空気など知らぬげに、先の年少騎士が口を開く。
「可能性を否定するつもりがない故の先ほどの発言でしたが……。報告から窺えるのは、“軍団”の規模に届かぬ戦闘集団の存在のみで、無論、“秘術”を臭わす話もありません」
「敵将らしき者を取り逃がす際、轟音の後、兵が弾かれたと言っていたな。それで包囲が崩されたと」
団長の指摘に、動じぬ年少騎士はさらりと受け流す。
「風、もしくは地の『精霊術』を使ったのでしょう。それを“秘術”とするには無理があります」
「だが、『火槍』は明らかに“消し飛ばされて”いる」
続く指摘が本命だった。
年少騎士の冷笑が口元から消え、他の騎士達が息を呑んだのが窺われる。
万物に宿る精霊を刺激し、励起することで力を顕現させるのが『精霊術』の基本である。例えば、火打ち石で着火し火を熾すのも同じ理屈。
その顕現した力を数倍に高め、攻撃に利用しているのが精霊術士の怖ろしさだ。特に上級の術であれば『精霊体』自らが行使する相当の威力を誇り、精霊の結びつきが強いことから、打ち消すことも困難な優れた武器となる。
だからこそ、火精霊を例に挙げれば、『火槍』は
つまり、敵将が『火槍』から逃れる運命などないはずであったのだ。
「――確かに戦士の高みにたどり着いた者達の中には、超人的な身体能力と稀少武器の『精励装具』を用いることで精霊術を防ぐこともある。
だが報告では、防がれた術は火精の上級に位置する『火蜥蜴の舌槍』だ」
軍が金をかけ、手塩に育てた召喚導師の術。
それを打ち消せる上位の存在は、彼らの国ならば武力で三本の指に入る至高の存在しかいなかった。
団長の言葉に、歴戦の騎士達が顔色を失うのも無理はない。しかも。
「百人長は、逸品であろうが“手にしているのは普通の槍に見えた”と言っている」
「ただの槍で上級の精霊術を?」
それはあり得ないと年少騎士が苦笑を浮かべ、団長も同調する。
「確かに普通では無理だろう。それでも、“事実”だとしたら?」
「つまり、それこそが“秘術”だと……」
「もっと言えば――」
珍しくそこで、団長がその先を口にするのを一瞬躊躇う。
「――そんな輩が
「待て、待て」
以心伝心で勝手に話を進める二人に、さすがに聞き捨てならぬと横やりが入る。
「まさか、そんな化け物じみた輩が“何人もいる”などと、言うのではなかろうな」
それは、もはや確認という名の断言であった。
「馬鹿な――」
「勘ぐり過ぎだっ」
「我らが冷静を欠いては、兵達に示しがつかんぞ」
我慢の限界だったのか、喉の奥に押し込んでいた激情が一気にあふれ出したかのように、場が騒然となる。
「だがコルディナ百人長の怪我と『精励装具』の毀損は事実だ」
あくまで淡々と告げる団長の冷静な指摘を否定できずに誰もが押し黙る。
「他にも、精霊術の加護を得ずに人間業とは思えない動きをする強敵もいたとか」
ただし一人は討ち取りましたが、と補佐官が付け加えるものの安堵する者はいない。
もはや任務遂行の道前に、強大な障壁が屹立しているのを認めるしかなかったからだ。
「あくまで、森を捜索対象とするのが正しければの話しだが」
それが前提だとして団長は、ある意味屈辱的な見解を口にする。
「――冷静にみて、任務を遂行できる戦力は我々にはないと考える」
「同感だ。しかしそれは、平地での運用を軸に兵種を騎馬で構成しているためだ。それを認識した上で、このまま深入りするのは下策以外の何物でもない」
「だが任務を放棄して撤退するわけにはいかん」
「ならばどうすると?」
目前の抗えようもない現実と放棄できぬ任務の重要性との間で、またしても騎士達の議論は平行線をたどる。
次第に、実を結ばぬ議論に倦怠感のような空気が漂いはじめた頃、自然と騎士達の視線は、黙して議論に耳を傾けていた団長へと向けられていた。
問いたげな騎士達の視線に、おもむろに団長が口を開く。
「卿らの意見は分かったが、始めから議論の余地はない」
そうばっさりと斬り捨てて、「任務は続行する」と宣言する。
「だが承知のとおり、他国との緊張は日増しに高まっており、我ら“第三軍団”がいつまでもここに留まっているわけにもいかん」
現状をあらためて認識させるように間を空けて。
「――故に残り三日と期限を切る。それまでに手応えがなければ、任務を断念する」
はっきりと“任務の断念”が選択肢に上げられて、あからさまに渋面をつくる騎士もいたが異議を唱えることはなかった。
団長もまた断腸の思いで口にしている事を、その鉄面皮のような表情の下に見出したからかもしれない。
国宝を守護するのと同等の重さが任務にはあるからだ。
「敵対してしまった以上、もはや穏便には済むまい。今後は相手の警戒も高まり、より厄介になるが、我らも乱世で鍛えられし軍団よ。いかなる秘術を使おうが、蛮族ごときに遅れをとるつもりはない」
「その通り。乱世の激風を田舎者に教えてやろうではないかっ」
「ならばぜひ、私に第一陣を任せていただきたい」
無骨な団長の気概を感じて、次々と騎士達が気勢を上げる。それをひとしきり見守り場が熱くなってきたところで話を続ける。
「ただし、あくまでも任務が優先だ。いざという時に戦いを躊躇うつもりはないが、無闇に戦闘を仕掛けるべきではない。――それに、森以外の周辺も捜索すべきだと考える」
冷静さを持たせるべく、卓に並ぶ騎士達をゆるりと見回す。ただひとつの目撃情報に振り回されるわけにはいかないと。
「まずは、森外の捜索隊を三隊。残り二隊を森の捜索にあてることを基本方針とする。後者に関しては、さらに“森の外周を監視する部隊”と“森を探索する部隊”とで役割を分割。特に森の探索部隊については、小規模な斥候部隊を編成してあたるものとし、森林行軍に対応した兵装に切り替えるものとする。
次に、指令部へ報告と緊急要請をかける。己を過信せず、できる限り戦力の確保に努めるのが一番の近道だからな」
「要請の内容は?」
「“外軍”を呼ぶ」
角張った顔に相応しく、石を磨り潰したような団長の声に、騎士達は何とも言えぬ複雑な表情を作った。
“外軍”――ヨルグ・スタン公国軍外軍。
正規軍から外れたもうひとつの軍隊であり、別称『
ただ、おおむね軍人としては有能だが一般規範で収めることができない、一癖も二癖もある者達で構成されているため、軍を運用する側にとっては非常に厄介な存在でもあった。それでも存続が許されるのは、ひとえにその強力な戦闘能力にある。
過去には、当時隣国であった帝国が誇る『双輪』の一画を撃破し、公国滅亡寸前の戦況から逆転勝利をもたらした功績がある。その一戦で、版図を拡大し続けていた帝国は逆に領土を大きく毀損することとなり、守勢に回ってから既に十年近い歳月が過ぎていた。
だが“救国の英雄軍”とも持て囃される一方で、近年の平穏時に力を持て余した彼らが、民に乱暴狼藉を働いているという黒い噂が絶えない現実がある。あるいは小競り合いなどの出兵した先で近隣集落を襲ったという話しも。
“戦獄時代”と言われて久しい乱世において、小国にすぎない公国が生きながらえているのも、かの軍団の存在が大きいのは事実であったが、あまりに剣呑過ぎるというのが皆の共通する認識であった。
かくして、使い所の難しさから近年はとんと噂すら耳にしていなかったが、団長は彼らの存在を覚えていたらしい。
それは誰にとって幸運だと言えるのか。
「毒には毒――“彼の森”相手にはそれでいいのかもしれませんね」
年少騎士だけが、平然と団長の案を支持するのだった。