03 ルナ・コリンズ

文字数 2,562文字

 大西洋の中央海嶺。海底山脈の谷間を一隻の調査艇が進んでいた。
「アルテミスからホーランド、現在水深五五〇〇メートル付近。このあたりも地殻変動は進んでいるようね」
 ステルス爆撃機をサイズダウンしたような潜水艇のコックピットにアルテミスは居た。機体はグレーのMATカラーに仕上げられており最後部にはエイのように長い尾がゆらめいている。左右に広がる翼の部分はゆらゆらとヒレのようにはためいていた。
「ホーランド了解。海は好きかい? アルテミス?」
「ええ。深海で一人という環境も悪く無いわ。海の声を聞いたことはあって?」
「ははっ! 詩的な言い回しは海兵にでも言ってくれよ。それで? お探しのものはそこで見つかりそうなのか?」
 狭いコックピットでほぼ仰向けの体制を維持しながら、アルテミスはヘルメットに装備されているVRモニターを見つめていた。右足でアクセルを踏み込んで首を右へ向けると、機体は大きく翼をはためかせて旋回した。
「ここは古い鉱石の博物展示場ね。磁気ノイズが強くてレーザー照射の分析は上手くないわ」
 両手に握られたスティックを同時に引くと機首はすぐに垂直姿勢を取り、アルテミスの視界はマリンスノーの雨で埋められた。イヤーモニターから聞こえる全周の音声は静かでもあり重たくもあった。海に身を溶かしたような感覚には安堵と陶酔、そして恐怖が入り混じるものだったが、アルテミスは深度表示に時折視線を移しながら生命の底の旅に身を任せた。
「音楽がほしいわ。そっちから流してくれない?」
「いいねアルテミス。我々合衆国の心意気は常にそうあるべきだ」
 イヤーモニターから流れてくる音楽は古いダンスソングだった。ノイズ混じりの音声はあえてそうしているものでは無いが心地良い。
「回収したら国防省とオンラインだアルテミス。弟と接触した件でお伺いがあるそうだ」
「あらあら。びっくりしているようね制服組も。アポローのことは中央局も知らないことにしていたのでしょう?」
「うちは職員のプライバシーセキュリティも高いからねアルテミス」
「そんなこと言って……中央は中央で私のことずっと調べているくせに」
「はは! 公然のタブーも秘密のうちってね。女神の名をコードネームにしている君に星条旗は嘘をつかないさ」
「一二〇秒で回収ポイントへ到達。機体のセンサーをレーザーから赤外線に換装しておいて」
「ホーランド了解。プロジェクトエルピスに全ての加護あらんことを」

 ***

 アルテミスが深海調査を行っていた頃、アポローはミュケナイ製薬の地下五〇メートルに設置されたメインフレームでモニターを眺めていた。
 メガロンと称されたシステムルームはミュケナイ製薬の地下四階まで円筒状に吹き抜けており、その中央ではエレベーターチューブが軋んだ唸りを発している。サーバーやラックなどは見当たらず、壁の一面には大型モニターが二台、その手前のテーブルにはコンソールがあるだけだった。
「パラス、ミュケナイの海洋調査船のタグ付けを終えた。一応そっちでバックアップしておいてくれないか?」
「了解ですアポロー。こちらの端末で使用可能にしておきます。あの、気になった点があるのですが……」
「なんだ?」
「ミュケナイの船舶は現在イルカ、クジラのグループを示す位置情報を追っていますが、それとは別に潜水艦の動きが増加しています」
「潜水艦? 日本のか?」
「いえ。メガロンへ秘匿中継します。見てください」
 パラスの音声がホールに響くと大型モニターには見慣れた世界地図が表示された。そこには多くの青い点が表示され、海洋で活動中の洋上艦と潜水艦の動きが細やかに示されていた。
「パラス……アルテミス、いや、ルナ・コリンズの件は追わなくていいって言っただろ? このデータはどこを参照した?」
「医療で言うところの疑わしきは調査ですアポロー。データはミュケナイと連携しているセキュリティGPSより参照しました」
「医療はそんなこと言わないし、疑わしかったらエビデンスに基づいて正しい検査をだよ。まったく……」
 灰皿からタバコを取って大きく吸い込み、アポローは薄暗いその空間で大きく煙を吐いた。視認できないエレベーターチューブの上端へ、煙はゆらゆらと吸い込まれていった。
「米軍が海獣調査にアルテミスをバックアップしているならそっちへ向かっているはず。その仮定と矛盾するって話だなパラス?」
「そうです。この動きは昨日から加速しています。ミュケナイの船舶を回避しているかのようにも見えます」
「ふんふん。これは米軍の識別艦だけか?」
「はい。大西洋で活動中の七隻に特徴的な運動が見られます」
 モニターに示されたデータは七つの青い点が大西洋へ向かい、そしてまた元の場所へと戻るアニメーションが繰り返し表示されていた。
「海底ケーブルに取り付けてあるエコーセンサーで詳細位置を調べておくか……あれ? 壊れちまったか?」
「いえ。この海洋エリアには強い干渉波が拡散しています。ミュケナイ側のセンサーに故障は確認できません」
「ミュケナイのバンドエコーが干渉受ける? どんな妨害だよそれ」
「干渉波のバンドには軍事ツール特有の通信波形が混在しています。人工的な秘匿通信も確認できますが解析不可能です」
「なんだよ。合衆国はムー大陸でもサルベージする気なのか?」
 アポローはタバコの火を消すとコンソールを叩いた。モニターの一台にはコードの羅列が目まぐるしくスクロールしていったが、アポローはやがて手をピタリと止めて眉をしかめた。
「メガロンの解析が機能しないバンドを使っているのか米軍は……ここ以上の超スパコンでも開発したのか?」
「メガロンの設計思想と水準に人間はまだ追い付いていませんアポロー。そのはずですが……」
「まあ、メガロンも人間全ての技術をカバーしている訳じゃない。予想していない部分には穴もある。セキュリティホールにはアップデートが必要だが……またクロトーにお願いするハメになるのかよ……」
「ですね。メガロンの存在を知るのは私とアポロー、設計者のクロトー様だけです」
「分かった。この件には裏があると仮定を置いておく。合衆国の動向はセキュリティの常城らのがプロだ。必要な部分をサポートしてあげてくれパラス。俺はまたモイライに行く」
「了解しました」
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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