9 南方拓哉 葛藤

文字数 4,170文字

『おはようございますカサンドラ。聞こえていますか? 今あなたの脳に直接訴えて……』
(うるさいパラス。昨日は遅くまで拓哉くんを監視してたんだから少し休ませてよー)
 カサンドラは引き続き南方家で拓哉の行動を監視していた。現在は朝の8時だが、ブラインドの下りた暗い室内は拓哉とカサンドラにとって睡眠の時間帯だった。
『朝ですよ? 起きて洗顔して身体を動かしましょう。きちんと朝食も取らないとダメ人間になってしまいますよ?』
(そのダメ人間と一緒に起きてたから問題ないのー ホントに眠いのにゃ……)
『起きないと首輪が締って痛い思いをしますよ?』
(嘘ばっかり。あーもう分かったってば……)
 ベッドで豪快ないびきをかいて熟睡中の拓哉の足元でカサンドラは大きなあくびと同時に身体を伸ばした。そして猫らしく前足で顔を洗うと階下へ向かった。
「いってらっしゃい。職業訓練の件、拓哉には今日話しておくわね」
「分かった。あまり追い詰めないようにな?」
 カサンドラが階段を下りると南方貞夫はちょうど家を出るところだった。
「あらあらミーちゃん、お腹すいたわよね? すぐに朝ごはん用意してあげるからね?」
(あはは。わたしってばすっかりミーちゃんなんだ)
 和子の足元についてリビングへ行くと、そこは拓哉の部屋と時間が反転しているかのように朝日が眩しく差し込んでいた。キッチンから漂う焼けたベーコンとコーヒーの香りは南方家に朝の訪れを告げており、カサンドラは自らの家族の記憶を少しだけそこに重ねた。
「はい、ミーちゃん。後で美味しい猫缶買ってきてあげるから朝はこれで我慢してね? ——さてと。拓哉を起こしてこないとね……」
 和子はカサンドラに朝食を出すと二階へ上がっていく。
『カサンドラ? 何か手がかりになるような痕跡は確認できましたか?』
(うーん。ずっと拓哉くんの様子を見てたんだけどね? 普通にゲームしたりSNSに書き込みしてた。関係してそうなのは、リバーサンド社がミュケナイを訴えているのは陰謀だーとか書き込んでたぐらいかな)
『こちらでサーチしていた通信内容にも不審な部分はありませんでした。外部との物理的接触はありませんでしたか?』
(ないよー。朝方までネットしてゲームしてお菓子食べてただけ。あ、拓哉くんの狩りのステータスすごいんだよ? 素材とかイベント報酬もフルコンプしてるし、新しいウイングセイバーとかも持ってるよ?)
『なんということでしょう。私はウイングセイバーの素材があと五十も足りないのです。アカウント情報を調べて教えてくださいカサンドラ。サーバーが同じなら是非ともフレンド登録したいのです』
(パラスがそう言うと後から拓哉くんもアカウントBANされそうな気がする。あなた不正アクセスとかしそうだし)
 朝食を食べながらカサンドラがパラスと秘密の通信をしていると和子と拓哉が戻ってきた。拓哉はまだ眠そうな表情で窓側のソファーに座った。
「昨日の晩に話したでしょ? 近くの職業訓練学校、ほら、今募集してるから」
 和子はそう言ってガラステーブル上にパンフレットを広げた。拓哉はボサボサの頭を掻きながらそれを手に取って目を細める。
「だからさあー こういう所に通ったとこで雇ってくれる会社なんて無いんだってば。俺は職歴自体が無いんだし」
「そのための職業訓練でしょう? 体育会系が嫌なら事務や簿記の受験もできるんだから、まずは動かないと」
「それで非正規になって仕事したって今と何も変わらないんだってば母さん。俺自身が嫌々仕事したところで、どうせ続かないって思わない?」
「じゃあ、あなたはいつまでこの生活を続けるつもりなの? 何か約束できること一つでもあるの?」
「そ、そりゃあ死ぬまでニート続けることはできないから、いつかは仕事しないとだけどさ……」
「それっていつなの? お母さん厳しいこと言うけどね? 今の状態のあなたが社会でお金を稼いで生活することは無理よ? 非正規でもなんでもやって、他の人より遅れた時間を取り戻さないとダメ。理屈こねてる時間なんてもう無いのよ?」
(あーあー朝から修羅場だね拓哉くん……お母さんの言うことはもっともだけど、根っこの部分は拓哉くんが働きたくないでござるっていうところなんだよねー)
 拓哉の朝は母との論争で幕開けになった。カサンドラがぼやいたように、職に進ませたい和子の論調は拓哉の心を上滑りし、拓哉の論調も和子の感情を逆撫でするばかりだった。
「だからさ! 今働くとか無理だって本人が言ってんの! 無理なもんは無理だから!」
「働いてもみないで無理を言わないのっ! あなたは能力がないのに仕事を選び過ぎなのよ!」
「そういうのが嫌なんだよ! どうして本人の訴え無視して他の人が俺を判断して決めるんだよ!」
『カサンドラ? 今の人間社会においてニートというのはなぜ良しとされないのですか?』
(え? 働かざるもの食うべからずだからでしょ?)
『働けど働けど楽にならざる、じっと手を見るという状況なのでは?』
(それは働いてるけど苦しい人の言い回しでしょ? 働かないで誰かにパラサイトするっていうことが良く思われないのよ。みんながそれを当然にしたら、みんなそうなっちゃうから、なのかな?)
「あんたみたいな考えしてる人がたくさんいたら世の中はおかしくなるのよ! その考えを当然のようにしたらダメ!」
(あ、お母さんも同じようなこと言ってる)
「じゃあ俺はどうしたらいいんだよ! 働けないって言ってるのは本人なんだぞ!」
「じゃあどっかで一人で暮らしてみればいいじゃない! 人にごはん食べさせてもらってるくせに! そうすればあんたみたいな考えは誰にも通用しないって分かるわよ!」
「あったま来た! いいよ分かったよ。出て行けって話だろ? 最初からそう言えばいいんだよ」
 拓哉はそう吐き捨てると、ドシドシ足を踏み鳴らして二階の自室へと向かった。和子はテーブルからパンフレットを片付けると、大きく溜息を漏らしながらキッチンへ向かった。
(あーあ……こじれちゃった)
『息子さんは王になれば良いのです。自らのワールドを作って同志を集めれば良いのでしょう』
(うーん。それは理想なんだけど、それって、お母さんが言ってることと変わらないんだよね)
 カサンドラが拓哉の部屋に戻ると、そこにはスポーツバッグに荷造りを進める拓哉の姿があった。
(あらら、泣いちゃってるよ拓哉くん。働かないことが家族の心配だってことぐらい分かってるものね? でも、怖くてどうしてもできないことをするには……何が必要なんだろう。それを分かってあげられる人がたぶん一番必要なのかな? ゲームの中の拓哉くんとフレンドみたいに、一緒に居てあげられる人が……)
 拓哉は大学を卒業すると志望通りに大手の通信会社へ進んだ。ネットコンテンツの開発に強い興味を持っていた拓哉にとってその夢は叶うと思われたのだが、配属された部署は体育会系バリバリの営業部門だった。
 採用直後の研修期間ですぐに拓哉はその洗礼を浴び、いわゆるおデブキャラとして同期の採用者たちから強くいじられることになった。飲めない酒を飲まされて宴会芸で場を盛り上げる、そんな日が数日続くと拓哉は人事へ深々と頭を下げて辞表を提出した。
 もともと文化系であり、体育の評価も高くなかった拓哉はその大きな身体を常にネタにされてきた。そうした自分への理不尽は社会に進むことで実績から正しく上書きが可能であると信じていた拓哉にとって、その最初のミスマッチは落胆から絶望、そして社会不信へと心を変化させた。そして何より、拓哉はいつも一人だった。
『カサンドラ? では出家するのはどうでしょうか? かつて悟りを開いた者は、満たされた環境から脱して自らの道を開いたとされています』
(あーもう、ややこしくなるから黙っててよパラス!)
 拓哉はテキパキと日用品を詰め込むと意を決して部屋を飛び出した。
「どこ行くの拓哉? 出かけるならお醤油買ってきてー」
 和子はキッチンからいつものように声を飛ばしたが、拓哉はそれに反応することなく無言で玄関から出ていった。
(あーあ。出て行っちゃった……行くあてなんか無いのに)
 家の正面から去っていく拓哉の軽自動車をカサンドラはリビングの窓から見つめてつぶやいた。
「あ、はい、ちょうど子供も出かけたところで、午前中なら時間がありますから……」
 窓から拓哉を見つめて気にしていたのは和子も同じだった。通話をしながらカサンドラを撫でる和子の表情には不安の色が浮かんでいた。
「ごめんなさいねミーちゃん。バタバタしちゃって……そうだ、一緒にお買い物に出かけましょうか?」
 通話を終えると、ソファーで自分を見上げているカサンドラに和子は声をかけた。それから携帯端末にカードのようなものを繋ぎ、キッチンテーブルの上に置くと自室へ姿を消した。
(あれ? お母さんは携帯二台持ちなのかな? こっちのテーブルにもスマホがあるのに)
 カサンドラがそうぼやくとキッチンテーブルの上からはFAXの送信音らしき音声が鳴り響く。
『カサンドラ? この電子音はどこからですか?』
(お母さんの携帯から鳴ってるよ? 何かカードみたいなのが繋がってるけど)
『その端末と接続されているもの全ての機種名、または刻印番号を大至急教えて下さい。大至急です』
(わ、分かった。えーと……)
 カサンドラは携帯端末と、そこに接続されているカードから取得できる情報をパラスへと伝える。
『端末通信にアナログ発信が確認されました。これは現在の電力網サーチの範囲外です』
(アナログ? 電話回線の?)
『波形はパルスです。送信中のデータには南方貞夫が所持するミュケナイの社内ID情報が含まれています。中継はフリープロバイダアクセス、中東を経由してヨーロッパのネットワークを現在分散しています』
(ええ!? どこに送信してるの?』
『契約されたSIMの発信ではありません。機種名からアメリカ国内製のプリペイド端末と識別します。送信先の特定には72時間を要します』
(そんな! お母さんが犯人なの!?
「あらあらミーちゃん、それに触っちゃダメよ? もう少しで終わるから待ってね?」
 外出の準備を終えた和子はそう言ってカサンドラを抱き上げた。
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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