1 会議室 ミュケナイ製薬
文字数 2,677文字
創業と同時にアポローの研究分野は突如として世界へ驚愕をもたらした。おおよそ人類が未到達のテクノロジーを持つミュケナイ製薬はすぐに投資やスポンサー側の熱視線を浴び、わずか一年で国家レベルの数字が動きを見せる企業へと成長した。
だが、その急成長と未知の学術を世界へ見せ続けるミュケナイ製薬は、時に大きな批判や陰謀論を呼び、風当たりもまた強かった。
敷地の中心部に位置する円筒形のタワービル最上階では、アポローと各部門のトップらが大きなテーブルを囲んで席についていた。
晴天の空に最も近い天窓から差し込む光は会議フロア全体を包み、室内にガーデニングされた低木や草花たちは温室庭園のような湿度の高い香りをそこに返していた。
「研究部門より
アポローを含め席についている十五名は皆白衣姿だった。南方と低い声で名乗った中年男性が説明を始めると、各自手元のラップトップ型端末にデータが表示された。
「みなさんご存知の通り、リバーサンド社の訴訟内容は当社が製品研究の盗用を行ったとするものです。訴状はまだこちらにありませんので、あちらの広報が公開している情報をもとにして概要をまとめました」
しばらく各自が端末へ釘付けとなり、次第にぶつぶつと思案する声が漏れ出すと、その中から一人の女性が声をあげた。
「資源管理の
「そのようです。更に不思議なことに、リバーサンド社が技術盗用されたと主張する新商品は、当社の研究よりも遥かに後の商品です。時系列に矛盾があります」
「アポロー?」
横山がアポローへ視線を向けると、会議に参加している各部門のリーダーらも一斉に視線を同じくした。
「リバーサンド社は既に公開している当社の研究データを、自社の新商品から盗用したとして訴訟した。しかしそれでは時系列に矛盾が存在する。認識の共有はそれで間違いないだろうか?」
アポローが改めて状況を述べると再び会議の場はざわついた。
「横山さん、このオープンデータの利用を行っている企業や団体はどのぐらい?」
「はい。調査途中ですが国内外含めて数千件ほどです」
「その中でリバーサンド社と繋がりのあるものは?」
「いまのところ確認できません」
「わかった。ありがとう。引き続き調査を頼む」
アポローがそう言うと南方の隣に座る男性が首をかしげた。
「盗用……というぐらいでしたら、少なくともこちらより先にリバーサンド社が開発していなければ筋が通らない。南方さん、そのあたり、あちらは何と?」
「ええ
「なんとも不可解な話しですね……南方さん、ありがとうございます」
連携対策室の楠木は南方へそう言って頭を抱えた。
「アポロー? 報道では東京地検に動きがあるとされていますが?」
横山が問いを発するとアポローは席から腰をあげてメンバー全員を見渡した。
「リバーサンド社は、これまで特に問題もなく良好な関係だった。まずは私から改めて話し合いの場を持つよう交渉してみる。捜査の立ち入りが開始された場合はセキュリティ部門に対応を一任する。それで良いだろうか?」
アポローがそう言うとメンバーらは皆うなずき、端末を手にして席を立った。
——会議室を最後に退出し、生体認証でドアをロックしているアポローへ南方は声をかけた。
「アポロー? 少し、良いでしょうか?」
南方の表情にどこか曇りを感じたアポローは笑顔でそれに応じ、歩みを合わせてエレベーターへと向かった。
「その……皆さん気を使って何も言わなかったのでしょうが……」
「奥さんのことですよね南方さん? たしか、リバーサンド社の前身ベンチャー企業に勤めていらっしゃったと」
「ええ……」
南方は前を向いたまま少しためらったように言葉を続ける。
「私の妻は今回の、いえ、リバーサイド社の医薬品プロジェクトに関与していた人間です。本人も報道を見てから動揺してまして」
「報道各社は奥さんに接触していますか?」
「いえ、妻が論文を出していたのは大学時代の話しですから、そのあたり報道もまだ把握していないのかと」
「ご家族に影響が出るようなら対応策はありますので私に言ってください。私も他のスタッフも、南方さんをおかしな目では見ないですよ」
「ええ。心苦しいですが……」
二人は会話を続けながらエレベーターで階下へと向かった。二十二階建ての円筒タワービル中央に位置するシリンダーのエレベーター内からは、各フロアの光景がゆっくりとスクロールしていく。南方は少しだけ表情を崩して話しを続けた。
「妻よりも息子が騒いでまして、お恥ずかしいのですが大学を出てからずっと家でネットとゲームばかり。今回の件も、リバーサンド社の陰謀だとかSNSに投稿しているみたいでして」
「南方さんの息子さん、よく車で迎えに来られていますよね?」
「ええ。大学卒業のときに買い与えてしまいまして、買い物や家族の送迎などは良くしてくれるのですが、将来的に困ったもので」
「親に反抗的とか?」
「いえいえ、そういった点では幸いといいますか、私にも妻にもよく話しをしてくれます。ただ、どうもネットに毒されているといいますか、最近の情報社会の娯楽と生活を混同してるといいますか……」
「あはは、南方さん、それは大変ですねと言葉をお返ししますよ。私もほら、結構なオカルト好きでオタク属性ですから。でもコミュニケーションが取れているのでしたら心配は無用なのでは?」
「そ、そうでしたね。いや恥ずかしい、ついつい子供の愚痴を」
「いえいえ、傾いていても斜塔は立っているものですよ南方さん、今はそうした環境から才能を伸ばす子も多いです」
「いやっ。ははっ。アポローの言う通りそこに期待します。実は私も、最近タブレットで古い野球漫画を見たりしてましてね?」
「南方さんを見るに……あれでしょ? 超人野球的な?」
「いやいや、そこまで遡らないで下さい、あれですよ、ほら、ヒロインと双子の」
「あ~ そっちは私と南方さんのジャンル属性に違いがあるようですね~」
ミュケナイの社内ではスタッフを肩書で呼ばない空気が存在している。エレベーターの中で談笑する二人もまた旧知の仲のような笑いを飛ばし合った。