04 二人の女神の再会

文字数 4,275文字

 北海道石狩市に支社を置くモイライ社。夏の終わりの空気は残暑を感じさせ、河口に近いその場所では季節の変化を名残惜しむかのように潮の香りが蒸した風に混じっていた。
「——いらっしゃいアポロン。ロンロン♪ ここ最近ずいぶんと私に会いに来てくれるのね? とっても嬉しいわ♪」
 少女のような顔で屈託のない笑みを見せ、クロトーは嬉しそうにアポローを迎えた。セミロングの髪は後ろでまとめられており、やはり毛先は不思議な色のグラデーションを見せていた。
「あ、アポロン? この間はごめんなさい……」
 白一色で統一された研究室のような部屋の中心部では鉢植えの生首少女がもどかしそうにしていた。豊かで美しいブロンドヘアーの絶世の美少女、という呼び名こそ彼女にふさわしいが、いかんせん鉢植えのメデューサであることが今の現状だった。
「め、メデューサさん? 体調にお変わりは無いでしょうか?」
 アポローはクロトーの歓迎をスルーしてメデューサに目線の位置を合わせた。なぜ丁寧なトーンになってしまうのかはアポロー自身もよく理解していない様子だった。
「体調って言われても身体は無いんだけど、悪くは無いわよ……」
 顔の距離を近くするとメデューサの美貌には吸い込まれそうな感覚を覚える。もし神の造形というものが存在するのであれば、それは彼女を指して神々ですら異を唱えることは無い。それほどの美しさだった。
「お世辞じゃないですがメデューサさん。吸い込まれそうなあなたの美しさに見合った身体を創り出すのは、本当に神々の仕事でしか成し得ないのかもしれません……」
「え!? やっと私の身体、元通りになるの!?
 もどかしげな様子だったメデューサは驚きの表情を見せた。大きく開けた口からのぞく犬歯は牙のようもに見える。
「でもメデューサさん? そうしたらあなたのキャラとしてのアイデンティティが無くなって……」
「なによアポロン! 私はこのまま鉢植え生首のがキャラ立ちがいいって言うの?」
「俺はどうせ新キャラを追加するなら男性キャラを望みたいし……」
「そんなの私は知らない——みゅぎゅっ!」
 二人のやりとりを見ていたクロトーはパラソルチョコをメデューサの口に突っ込んだ。そして不自然に長い自らの人差し指をぺろっと舐め、いつものように癖のあるドヤ顔でアポローに問いかけた。
「それで? 今日はどうしたのかしらん? アポロン?」
 条件反射的にパラソルチョコをむぐむぐするメデューサをぽかんと眺めたアポローだったが、すぐに我を取り戻してクロトーへと向き合った。
「メガロンのアップデートを頼みたい。解析不可能な米軍のバンドがある」
「それはまた面白い相談ねアポロン? ミュケナイは本格的に軍事産業へ舵を切るのかしら?」
「違う。うちの海洋調査チームと連動して米艦に不思議な動きがあるんだ。たまたまそれを分析していたら解析不可能なバンドを検出した。キミのメガロンがだぞ?」
「そうなのねー、ふーん……」
 クロトーは興味も無いという雰囲気でアポローに応じながら、ヘアブラシでメデューサのふわふわブロンドヘアーを優しく整えた。
「放っておけばいいじゃないそんなの。人間の軍事活動なんて私たちにはさほどの影響も無いでしょ?」
「? らしくないなクロトー? 人間のテクノロジーなんか五分で上書きできるっていうのがキミの売り文句だろ?」
「メガロンのアップデートは面倒なのよアポロン。粒子加速ユニットを停止すると再調整に時間がかかるの。五分じゃ無理よ」
「どのぐらい?」「さあねー♪」
 アポローより少しだけ身長が高いクロトーは、やや上からの目線でアポローに笑いかけながらパラソルチョコを差し出した。
 
 ピンポーン

 不意にチャイムが鳴ると同時に、入り口のスライドドアは音も無く開いた。
「わあっ! アルテミスっ! すっごく久しぶりっ! 元気してた!?
 姿を見せたのはアルテミスだった。高いヒールにデニムのパンツ姿、オーバーサイズの豹柄Tシャツは右肩を大きく露出させている。
「私もよクロトーっ! あなたこそ、こんな所で一体何をしていたの!?
 二人の女神の再会は至って普通の女子同士のそれだった。アポローと鉢植え首のメデューサはその様子を呆けた顔で見つめた。
「なんでキミがここに?」
「嫌ねえ弟ちゃんっ! パラスに聞いたのよっ。クロトーに会いに行くだなんて、どうして私に教えてくれなかったの?」
「そうよアポロン♪ お姉ちゃんが戻っているなら何で真っ先に私に教えてくれなかったのよん!」
「二人同時に答えてやるけどな、それはその必要が無かったからだよっ」
 オロチへ出向いたアルテミスはアポローとすれ違いだった。店内でカサンドラを通じてパラスにアポローの行き先を確認させ、アルテミスはそのままチケットを取って北海道のモイライ社へと飛んだのだった。
「ねえねえアルテミス、さっきネットで色々見てたんだけど、あの俳優と付き合ってるってマジなの?」
「マジだったわよ? でもつまんなくて。あっちの方も自分勝手だし」
「本当!? 私は自分勝手な男を泣かせるの大好きよん? 特に、ベッドの上でね?」
「あはははー♪」「きゃはははー♪」
「……」
「はいこれお土産。空港で買ったんだけどバナナ味でとっても美味しいの」
「ありがとうアルテミス♪ それじゃあお返しにこれ♪」
「あらあら可愛いわね? パラソルのチョコレートなの?」
「……」
 再会にキャッキャウフフする女子二人に対してアポローの出番は無かった。鉢植え首のメデューサも既に関心が無く、二人は天井から吊り下げられているモニターで夕どきの地元番組を眺めていた。
「弟ちゃんは時々ここに来るの?」
「ああ……用事があるときだけな」
 アポローはそれまで何をクロトーに話していたかすっかり忘れかけていた。女子二人のやりとりは関与せず、メデューサと一緒に地元番組のお絵かきクイズコーナーに集中していた。
「ねえアルテミス、さっき電話でちょっと言ったでしょ? 実はネオス社の件で面白い話があったのよん♪ あっちはアポロンの金の矢を持っていたの。それにね? ニオベーの子供が生き残っていたって、アルテミスあなた知ってた?」
「あらあら面白いわねクロトー? 私も別の仕事でネオス社のシュタイン氏を追っていたのよ?」
「何? ちょっと待ておいクロトー、お前、さてはシュタインがニオベーの血脈だって知ってたな?」
「もちろんよんアポロン? ネオス社のシュタインはニオベーの息子イーリオネオスの遺伝子情報を持っていた。だからほら、この子の目、役に立ったでしょ?」
 メデューサの髪に優しく触れ、クロトーはあざとい表情で首をかしげてアポローを見つめた。
「役には立ったよ。焼けて使い物にならなくなったけどな。どうしてニオベー絡みだと俺に言わなかった」
「ゴルゴンアイ焼けちゃったの? 私の調整が甘かったのかしらん♪」
「金の矢はシュタインが家に受け継いできたものだと自ら語っていた。クロトーお前、全部知ってて俺をシュタインに向けさせたな?」
「あははアポロン♪ ロンロン♪ 怒っちゃやーよ? ネオスは商売敵だったからついで退場してもらおうと思っただけ。ほら、分かるでしょ?」
「お前はガイアですらそうやって欺くのだろうな。ゼウスが度々そうやって騙されたのも今の俺にはよく理解できる」
 アポローにしてみれば金の矢とネオス社の一件は楽な問題では無かった。南方夫妻やリバーサンド社の中村をも巻き込み、オロチにも大きな損害を被った顛末となった。眼前のクロトーとそうした記憶が一瞬重なったとき、アポローは今ここで彼女が望む通りその意識を星々の海へと戻してしまおうかと考えた——が、軽く溜息をついて首を振ることで自身のその感情を戒めた。何よりもクロトーの表情はそんなアポローの感情を見透かしている。かつてガイアが彼女に課した戒めは永遠の時間をこの星と共にすることであり、アポローもそこには抗うことは出来ない。クロトーの表情はそれを物語っていた。
「シュタインを殺しちゃったのは私なのよクロトー?」
「何? アルテミス、あなたってトップモデルやってるだけじゃないの?」
「副業でエージェントやってるの。秘密諜報員なのよ私♪」
 アルテミスはそう言いながらハンドガンを構える仕草をアポローへ向けた。ばっきゅーんと。
「ぱちぱちぱちー♪ すごいのねアルテミス! 狩りの女神が時代を超えて健在だなんて。素敵よん!」
「ところでクロトー? この、鉢に植えられてる女の子の首は一体何?」
「ああそうよね、ふふーん、この子も女神なのよんアルテミス?」
 しゃがみ込んでメデューサを見つめるアルテミスにクロトーは得意そうにそう答えた。絶世の美少女であるメデューサと、美しき月の女神であるアルテミスが見つめ合う光景にアポローとクロトーも一瞬息を飲む。しかしながらメデューサはアルテミスの金色の瞳の奥にどこか言い表せない恐怖心を感じていた。
「ア、アルテミスはじめまして。私、メデューサ。ゴルゴン三姉妹の末の……」
「本当!? 面白いわねっ。どうしてこんな姿なの?」
「それはかくかくしかじかなのよアルテミス♪」
 どこからか取り出したジョウロで鉢に水を注ぎながら、クロトーはメデューサとの経緯をアルテミスへと語った。不思議そうにメデューサを観察するアルテミスは時折パラソルチョコをメデューサに与え、その表情を興味深く見つめた。
「それにしても完璧な美少女ね……あら? あなたって?」
「そうなのよんアルテミス。この子は私たちみたいに人間の身体を借りていないの。現存する太古の女神そのままなの♪ 掘り出してから私がここまで修復したのよん?」
「それでなのね? この子にはティタンを強く感じる。恒久の美と永遠の不死……まるで原初の女神のよう」
「私、早く元の身体に戻りたい。アルテミスは私の身体を戻してくれるの?」
 メデューサが訴えるようにそう言うと、クロトーとアルテミスは同時にアポローを振り返って視線を集中した。
「何だよ。そういうのは俺が専門だとでも言わんばかりだな?」
「そうでしょ弟ちゃん」「だってアポロンだもの」
 二人の女神は笑顔で問い詰める。アポローもそこに嫌気する素振りは見せずに再びメデューサのもとにしゃがみ込むと、その顔をじっと見つめてしばらく思案の表情を見せた。
「——メデューサさん? いっそ男キャラになってみる気はないでしょうか?」
「あるわけないでしょ! キャラ設定なんてどうでもいいから早く身体を元に戻してーっ!」
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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