08 二つの箱
文字数 2,938文字
咥えていたタバコを落としそうになりながらアポローは素っ頓狂な声をあげた。
「彼が主催するガーデンパーティーよ? 向こうも歓迎するって♪」
「また面倒なことを……」
「あらあら、EUからも要人が参加するパーティーよ? 弟ちゃんのビジネスにとっても良い話だと思うのだけど?」
灰皿でタバコの火を消し、アポローは訝しげにアルテミスを見つめた。
「パラス。例の海洋マップを頼む」
「了解しました」
パラスが応じると同時に天井部の大型モニター四台それぞれにマップが表示される。そこには現在調査進行中のミュケナイ製薬の船舶、そして米艦の位置が点で表示されていた。
「アルテミス、キミの依頼は俺が受けた通り海獣の生息域調査と神族の痕跡を探ることだ。しかしキミが合衆国に俺の何を伝えているのかは未だ聞いていない。見ての通り米艦はミュケナイの調査から離れて活動している。あえて避けているようにも見える」
「そうよ弟ちゃん。米艦はミュケナイの海獣調査を邪魔しないよう私から言ってあるの」
「じゃあ合衆国は何を目的に動いてる?」
「それは機密の話よ? お宝調査なんだから」
「合衆国政府は金の矢、アダマンのデータを既に持っているんだろ? キミはそれを信用の証として先に向こうに示した。そこにほだされた合衆国は別のアーティファクトを探索している、そうなんだろ?」
「あらあら弟ちゃん、私のこと疑っているみたいな口ぶりね? 私はポセイドンへの復讐が全てよ? 確かに弟ちゃんに会うまでは金の矢のデータを釣り針にして合衆国政府の支援を引っ張っていたわよ? もっと別のお宝があるって信じさせながらね」
「それはパンドラの箱なのか?」
「あらあら鋭いわね~。と言いたいところだけど何? この前私がパラスに語らせたことを疑ってるのかしら?」
「アルテミス様、それは私の判断でアポローへ話したことなのです」
モニター全てにトレンドマークであるフクロウの顔が表示され、同時にパラスはアルテミスにそう発した。
「ミネルヴァ姉さまは私にパンドラを追う者全てを排除するよう仰っていました。現在追跡している米艦の動向とアルテミス様の言動に、何より私が疑問を抱いたのです」
「どうしてなのパラス? あなた自身が疑問を感じている本当の理由は何なのかしら?」
「そ、それは……」
「うふふっ。いいのよパラス。あなたは大西洋にパンドラの箱が存在するかもしれないことを知っているはずよね?」
「……」
パラスのシステムを右手でコンコンと叩き、アルテミスは問いかける。
「ねえパラス? あなたはどうしてアテナがそう言うのか、理由を知っているかしら」
「最初の災いを封印したパンドラの箱には、神々ですら抗うことのできない災いが詰まっていると姉さまは仰っていました」
「いい事を教えてあげるわパラス。弟ちゃんは知っている話でしょうけどね?」
アルテミスは嬉しそうにそう言うとPC端末前のオフィスチェアに腰をかけた。
「——ヘパイストスはアテナにベタ惚れで、勢い余って彼女を襲った。アテナはねパラス? その後で身体に付着したヘパイストスの精液を布で拭ったの。あの子にしてみればそんなのは永遠の屈辱よね? その布を封印したのがパンドラの箱なの」
「そ、そうなのですか? それではどうして箱から災いが飛び出したのでしょうか」
「その部分は物語の通りなのよパラス。ゼウスはパンドラが人間に嫁いだあとに箱を開けることを知っていた。パンドラを贈ることではなく箱の中の災いを人間に与えることが目的だったのだからね」
「おいちょっと待て、ってことは、箱の中の最後の希望ってのは……」
「そうよ弟ちゃん。箱の底にあったのはアテナが封印した布。ヘパイストスの精液を拭った布なのよ」
「最悪だな……パンドラの箱」
アポローはソファーでアルテミスの話に耳を傾けていた。アルテミスは椅子をくるりと回転させるとアポローに向き合った。
「箱はパンドラだけが開くことができる。あの箱を開くにはヘパイストスが創ったパンドラ本人でなくてはいけないの。もう一つ面白いことを教えてあげるわ? 最初の災いの後に箱の封印をしたのはアテナなの」
「開けた後の話は俺もよく知らないな。箱ってぐらいだから蓋はいつか閉められたんだろうが……」
「そうよ。開けたものは閉めなくてはならない。オリュンポスファミリーの中で一番の封印スキルを持つのはアテナ。そしてあの子には箱を閉めなくてはならない大きな理由があった」
「その布の存在が原因か? なんでまたミネルヴァはそんなもの処分しなかったんだ?」
「ふふっ。その布からはヘパイストスとアテナの子、エリクトニオスが生まれましたー♪」
「それはそれこそ神話の話だろ? エリクトニオスはミネルヴァが結局箱に入れて封印を……まてよ? 絶対開けるなって封をしたのはエリクトニオスの箱も同じだな」
「さてさてここで推理が必要よ弟ちゃん。アテナは二つの望まぬものを箱に封印したの。一つはヘパイストスの精液を拭った布、一つはヘパイストスとの間に生まれたエリクトニオス。どっちが本当のパンドラの箱なのかしらね?」
「パンドラが持ってた方がそうだろ? 名前が付いてるぐらいだ」
「ふふーん? どうかしらねー♪ どっちがあの子にとっての災いだったのかしらねー」
照明の光を琥珀色に反射しているグラスを手に取り、アルテミスはそのままウイスキーを一口あおった。アポローはどうして彼女がそんな問いをしているのか分からなかったが、その答えを知っていながら問いかけている様子に違和感を感じていた。
「アルテミス様? 姉さまとは……そのことについてお話されたことがあるのでしょうか?」
「あっはは! そうよパラス。私はこの話をアテナに何度もしたわ? そして何度も星々の海を追いかけ回された。この話をするとすごく怒るんだから、あの子ってば」
「アテナにとって望まない二つのヘパイストスの残滓、そして二つの箱か」
「そうよ弟ちゃん。アテナがパンドラの箱を追わせない理由が分かったでしょ? もしかしたら他にも何か隠しているヘパイストス絡みの箱があるかもしれないわね」
「合衆国にそんな話は通用しない。キミは何と言って向こうに手伝わせているんだ?」
「金の矢みたいなお宝が大西洋にあるかもしれないって言ってあるわよ? 言ったでしょ? 私は弟ちゃんに会うまで一人でポセイドンの手がかりを追っていたの。そうやって向こうのサポートを受けていたのよ。一応は中央局の職員でもあることだし信頼を得るのに時間はかからなかったの」
「もう一度聞くが、キミはその箱を追っているのか?」
「もうっ、しつこいわよ? 私はお酒のつまみにパラスに語ってもらっただけよ。アテナの妹なんだからその話なら知ってると思っただけよ?」
パラスのシステムへ向かって呆れたように手を振ると、アルテミスは立ち上がって部屋のドアへと向かった。
「パーティーの件、ちゃんと考えておいてね弟ちゃん? ふふっ、ちょっと自慢したいのよ私。アポローが私の弟なんだーって、ね♪」
ソファー前のガラステーブルに置かれた招待状を指差し、アルテミスはアポローへそう言ってウインクした。