13 IF もしもあの時

文字数 3,660文字

「おかえりなさいアポロー。お疲れ様でした」
 オロチの三階。パラスの音声にアポローは少しだけ疲れた表情で右手を上げて応じた。
 上着を脱いでいつものようにソファーへ身体を投げ出そうとすると、そこには仰向けでバンザーイのポーズを見せているカサンドラの姿があった。
「どうしたカサンドラ? 店に出なくていいのか?」
「今日はもういいのー。疲れちゃったよー」
 カサンドラは微動だにせずそうぼやいた。和子の事故直後、救急車両が到着して搬送されるまでの間カサンドラはその場を離れず心配そうに状況を見守った。それから疲れた足取りでオロチに戻ると、まる二日行方不明だったカサンドラを店のメイドたちは安堵して取り囲んだ。ひとまず身体を休めたいカサンドラだったがそうもいかず、しばらくの間メイドたちにわしゃわしゃにされる顛末となった。
「ありがとうな、カサンドラ」
 アポローはそう声をかけ、ソファーに座るとタバコに火をつけた、が、口元まで運ぶと手を止めてテーブルを見つめた。
「リバーサンド社との問題はこれで解消されたのでしょうか?」
 パラスが問いかけるとアポローは火をつけただけのタバコを灰皿で消し、くすぶった煙を少しの間眺めた。
「——ああ。訴訟の件は取り下げになる。問題の後始末はこっちでやる事にした」
「何か納得していないようです。アポロー?」
「ああ。すっきりしてない」
 火を消したよれよれのタバコを取って咥えると、アポローは再び火をつけて今度は深く吸った。そして溜息混じりに煙を吐き出すと、目の前の白いモヤモヤに向かって言葉を重ねた。
「南方さんの奥さんのこと、俺は最初から考えてもいなかったんだ。捜査気取りでおもちゃを使ってデータを追っても、南方さんの家族を俺自身がもっと知っておくべきだったと感じてる。後悔というより懺悔だ」
「あの野球のアニメを全話視聴したことは、そこに関連があるのでしょうか?」
「南方さんの家族の接点として、いや、絆のインターフェースとして俺はあの野球アニメを知っておきたかったんだ。そのぐらいにしか考えてなかった」
「私たちの目的に南方家の絆を維持することは含まれていません。懺悔の必要はありません」
「そうだが……そう嫌な言い方をするなよパラス」
「拓哉くんのお母さんね、家庭に疲れたって言ってた」
 お座りポーズに姿勢を戻したカサンドラは前足で顔を洗いながらそうつぶやいた。
「南方さんが俺に奥さんの懸念を話してくれたとき、もしそこに目を向けていたら状況は変わっていたんだろうか? 俺はそれが引っかかってるんだ。エゴの感情は後悔先に立たず……なんだろうけどさ」
「それはどうだろ先生? お母さんを先に疑ってバレちゃったら、あのヒットマン、お母さんを消したかもよ?」
「私もカサンドラの推論に賛同しますアポロー。こちらの動向が最終局面まで知られなかったことは結果オーライ、盗塁大成功でした」
 カサンドラとパラスの言葉にアポローは苦笑した。後悔に相反してのIF論はアポローも二人と同じ考えだったからだが、それ以上に今はそれが一人きりの懺悔ではないことに安堵を感じたためだった。
「巡る後悔よりも先を見ること……か」
「ねえ先生? 拓哉くんはどうなったの?」
「安心してくれカサンドラ。今は病院で南方さんと一緒に奥さんについてる」
「そっかあ、良かったー あの弱虫ニートってば、ちょーっとマザコン臭もあったのよねー 本当はお母さん大好きなくせに……」
「アポロー? VODサイトのログイン情報を南方氏へ提供しましたか? 先程からログオンされた状態になっています」
「ああ。全話パックの視聴期限まだ残ってるから入院の暇つぶしにでもどうぞってね。もともと奥さんが好きな野球漫画だったらしい」
「拓哉くんも一緒に見てるのかな? 今どんな顔してるんだろ…… ねえ先生、機会があったらまた拓哉くん家連れてって? 少しはマシな顔になってるか見てみたいから♪」
「そうだな。ありがとうなカサンドラ」
 アポローはそう言ってカサンドラの頭をわしゃわしゃすると、上着を取ってパラスのシステムに声をかけた。
「そうだパラス。クロトーが解析ボックスの新しいやつ送ってくれるってさ」
「了解しました。クロトー様は……何か言っておられましたか?」
「たまにはお前と話したいってさ」
「そ、そうですか……」
 パラスはどこかためらいながら、それでも嬉しそうに答えた。
「それじゃカサンドラ、少し出かけてくるからゆっくり休んでくれ。あ、猫用のコントローラな? 今週末にはなんとかなりそうだ」
「ほんと? これでやっとゲームが遊べるっ! パラス、週末は寝かさないんだからねー 先生もだよ?」
「あ? 俺は格ゲー専門だぞ? 最近ハマってる10BITショックのレトロゲー、あれでいいなら付き合うが」
「えー あれコマンド入力難しいでしょー ネコルルのコスチュームは可愛いから好きだけど……」

 ***

 カサンドラに北海道土産のチョコサンドクッキーを預け、アポローはオロチの裏手にあるガレージへ向かった。日はすっかり落ちており、夜空には昨日見上げたばかりの月が同じ表情で庭先に光を届けていた。
「よしキッド。目的地の設定はナビのとおりだ」
「なんですかアポロー? 私に自動運転をさせる気なのですか? それに私はキッドではありません。ドラマの影響はほどほどにです」
 90年代のツインターボエンジン搭載車両を改造したアポローの愛車は、その車内に市販のナビとモニターが搭載されているだけのありふれたものだった。液晶モニターではパラスのトレンドマークであるフクロウの顔が少し困った表情を見せている。
「こういうのは趣味の世界なんだよパラス。俺が苦労して苦労してバイオスキャナーまで組み込んだのは知ってるだろ?」
「フロント部のスクロールランプはバイオスキャナーのセンサーと接続されていません。これは何ですか? 飾りなのですか?」
「飾りとか言うなよ。これ、今じゃなかなか手に入らないんだぞ?」
「目的地はネオス社に設定されていますが……アポロー? 一人でそこへ赴くのですか?」
「ああもちろんだ。まずは対話してみないことにはな? それにここからは俺一人の仕事だ。何かあっても俺一人ならどうにでもなる」
「私は物理的なサポートを行えないのですアポロー。カサンドラのサポートを実行していたときにそれを痛感したばかりです」
「神々に戦いを挑むわけじゃない。向こうに何の思惑があろうと相手は人間だ。心配するなよパラス」
 アポローはそう言いながら運転席のコンソールをパチパチといじってスイッチのランプを点灯させた。
「それじゃあ初のオートクルーズだキッド。よろしく頼む」
「はあ。それでは……」

 バキっ!

 パラスが珍しく自信無さげにそう発声すると、車は急発進してガレージ横の大きな木に正面から突っ込んだ。シートベルトの装着途中だったアポローも同時にハンドルへ突っ込み、しばらくの間呼吸困難に陥った。
「パ、パラス……チュートリアルは済ませておいたはず、だよな?」
「車両に実装されているOSの制御に問題はありません。但し、路面の摩擦及び車両機構における運動伝達負荷の情報がありません。安全走行を実現するにはリアルタイムのデータ取得による運動伝達シミューレートが必要です。といいますか? 私は運転初心者、運転バージンなのですよアポロー?」
 アポローは思い出したように車から降りて衝突箇所を確認した。衝突の衝撃はさることながら車両には擦り傷のひとつも無く、フロントのセンター部に取り付けられているネオンも鮮やかに赤いランプをスクロールさせていた。
「良かった。ネオンは無事だ……」
「ちょっと! 何やってんのさっ!」
 車両を確認するアポローへ、静子が血相を変えた表情で飛び込んできた。
「お向かいの吉田さんから苦情が来たよっ!? ああっ! あんたっ! この木はうちが代々大事にしてきたご利益のある木なんだよっ!?
「ご、ごめんなさい静子さん。お、お向かいの吉田さんから!? 俺はなんてことを……」
「そうだよ! 後でしっかり頭下げておきなさいよ? ああ……がっつり痛んじゃって。造園屋さん呼んで見てもらわないと……」
 アポローはそのまま小一時間かけて静子からみっちりと説教を受けることになった。お向かいの吉田さんは大切にしないといけない。これは神々ですら抗えない鉄則である。

「——本当に小一時間問い詰められた……たぶん神々でこの経験をしたのは俺が初めてかも……」
「バイオスキャナーのテストを兼ねてアポローをスキャンしていました。説教中の人間のバイタルには特徴的な変化が見られます」
「あ! やばい。ネオス社にアポ取ってた時間過ぎてるよな?」
「大丈夫ですよ? 私が秘書っぽい声で電話連絡しておきました。ガレージから車を出したら庭先で樹木に衝突して大家さんに怒られていると伝えてあります。あちらは遅くなっても待っています(プークスクス)とのことです」
「は、恥ずかし過ぎる……」
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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