07 不穏

文字数 3,159文字

 夕方のオロチ店内で佐藤はのろけていた。
 静子とメイドたちは開店準備で忙しくしていたが、孝子はボックス席で佐藤の話に耳を傾けていた。
「えー!? 佐藤さんってば、あの人とヤっちゃったのーっ!?
「ヤったとか言っちゃ失礼だよ孝子ちゃん。声も大きい……」
「佐藤さん最低。お店もう絶対行かない。しねばいいのに」
 優子は佐藤の横を通りざまに吐き捨てた。
「ちょ、優子ちゃんっ!? ほら孝子ちゃん、この話ここでするのヤバいって」
「何よ。最初にのろけたの佐藤さんじゃない。それでそれで? なんでそうなったの?」
 優子を悲しそうな表情で追う佐藤だったが、孝子のリスペクトにやはり答えずにいられなかった。
「いやさ、うちの店なんかにルナさんが来てくれたってだけでもうびっくりだったんだけどさ、良かったら食事にどうって誘われてね?」
「あの人って色モノ好きなのかな……」
「ひっどいな孝子ちゃんも。そ、そしたらすっごい外車で迎えに来てくれて、海に行きたいって言うから俺の常連の……ほら、あそこのマリンスポーツの店の上にあるレストランに行ったんだよ」
「あんな古いとこ? 確かに海は見えるけど料理とかゲロマズじゃない?」
「うーん。ルナさんもね? 食事よりも下の店に興味があったみたいなんだよね。俺常連だからさ? オーナーに無理言って顔効かしちゃったんだ。そしたらルナさんすっごく喜んでくれて、食事のあとはもうもう……」
「それでそれで? もうもうどうだったの?」
 十数年ぶりに訪れた佐藤の春。孝子以外の全員からしねばいいのにと視線を向けながらも繰り広げられる佐藤のピンク色のトークは、しびれを切らした静子から業務用マヨを頭にぶっかけられるまで続いた。

 ***

「——あちらが何らかのミッションで軍を動かしていることは確かです」
 ミュケナイ製薬の地下フロア。セキュリティ部門のオフィスではアポローと常城がタブレットを突き合わせて思案していた。
「中央局が国防直下の潜水艦を動かすことはありません。国防側が承認していると思われますが軍事行動のパターンではないようです」
「大西洋域内で確認された通信バンドの調査は?」
「はい。こちらの調査船からマリンドローンを展開しました。深海調査では米軍が通常の暗号で用いるバンドが確認されました」
「だよな。そこまではやっぱりこっちでも掴める……でもそこまでか」
「それともう一つですが、少し前よりミュケナイの敷地内に疑わしい外国人観光者が確認されています」
「疑わしい、とは?」
「敷地全周カメラの映像ですが、園内の周囲九〇度の位置でそれぞれ撮影を行っている外国人が確認できます。いずれも無線所持です。付近のダストボックスより回収したカップから指紋を採取し分析しましたが……」
「合衆国政府の関係者?」
「しかしながら現在、ミュケナイからのデータベース照会について合衆国側が拒否しています。国内の連携調査では指紋に一致するデータは存在しません」
「まあそりゃそうだろう、アルテミスは俺に自身の素性をリークしている訳だから、合衆国政府もミュケナイとは連携を止めるだろうさ。余計なことを探られたくないだろうしな」
 タブレットに表示されているカメラ画像にはミュケナイ製薬が一般向けに開放している園内の様子が鮮明に映されていた。アポローはしばらくそれを眺めていたが、席を立つと部屋の奥のコーヒーメーカーからカップを取った。
「報告ありがとう常城。佐竹はどうしてる?」
「彼は現在フィールドに出ています。情報が掴め次第報告があるかと」
 コーヒーが注がれたカップを受け取って常城はそう応じた。アポローはメガロンで分析不可能な要素が存在することに違和感を持っていたが、それがアルテミスの動きと関係している可能性についてはモヤがかかったままだった。
「ルナ・コリンズがアポローに素性をリークしている以上、同様に彼女は合衆国政府へもこちらの情報を伝えていると予測が可能では?」
「そうなんだ常城。そしてそのあたりは彼女から俺に一切話は無い。ミュケナイの何をあっちが探っているのか分からないんだ」
「既にあちらが日本政府と連携して動いている可能性はあるでしょうか?」
「あるかもしれない。しばらくは今のセキュリティレベルを維持して動いてほしい。頼む」
「はい。了解しました」
 常城はカップを手にしたまま、きつく目を細めてタブレットを見つめた。

 ***

——見渡す限り一直線の水平線。快晴の大西洋上には一隻の無人ボートが波に揺られていた。
 そこから水深三〇〇〇メートルの深海で身を躍らせるアルテミスは、そこに存在することが認められた唯一の存在であるかのように静寂の世界をただ一人彷徨っていた。
『それで? アポロンとはどこまで話をしたのん? アルテミス?』
「お宝探しをしているって話はしてあるわクロトー。パンドラのことも少しだけ匂わせてある」
『ミュケナイはこちらと別の座標で船舶を活動させているみたいね? 米艦が不自然な動きをしていることをアポロンは掴んでいるわよん?』
「それで構わないのよ。国防にはミュケナイが疑ってると伝えてあるの。ミュケナイと合衆国が向かい合っていればこっちは動きやすいでしょ?」
『すっかりインテリジェンスだこと……それにしてもすごいわねアルテミス。あなたの身体能力は海洋神族のびっくり記録更新よ?』
「うふふっ。タイミング良くマリンスポーツが趣味の男と知り合ったのよ。合衆国に知られずに装備を調達することが出来た。装備無しでここまで潜るのは厳しいもの」
 佐藤に紹介させたマリンスポーツ店で調達したダイビング装備一式を身にまとい、アルテミスは深海でクロトーと通信を続けながら更に深くへと潜っていった。
『アテナから聞いた話って本当なのアルテミス?』
「ええ確かよクロトー。あの子はヘパイストスの精液を拭った布を封印した最初のパンドラの箱をすり替えた。箱は二つあったのよ。処女神であるあの子にとっては都合良く汚点を葬る材料だったようね」
『処女神なんて勝手な称号よねー。女子を何だと思ってるのかしらん♪』
「あらクロトー。ヘスティアは最後まで処女神だったわよ?」
『あの子はグルメの女神だったじゃないアルテミス。キッチンからずっと動かなかったし、男なんて興味も無かったのよん?』
「そうね……クロトー? このあたりの地形は自然形成されたものじゃないわね?」
 アルテミスのサーチゴーグルには解析情報が表示されていた。それはライトの光だけでも目視可能であり、やがて周囲を取り囲んだのは人の手で削り出された石の墓場のような光景だった。
「さすがねクロトー。合衆国の機密装備でもここまでサーチできないわ」
『それはそうよん。私たちの技術水準は人間のためのものじゃ無い。あなたが金の矢のデータを合衆国に渡すって言ったとき、私は反対だったのよん?』 
「でもそのおかげで合衆国はお宝探しに食いついてくれた。シュタインはもう居ないから誰も真実を知ることは無い」
『アポロンは本当にシュタインから目的を聞いていないのかしらん? どっちにしても、いつか必ずバレるわよアルテミス?』
「そう……それでも私は箱を開けなくてはならないの」
『いいわよアルテミス、長い付き合いだしね♪ これはあなたと私のプロジェクトだったもの』
「最後まで付き合ってもらうわよ? クロトー」
『分かってますって女神さま♪ ボートに上がったらゴーグルのデータをこっちに送信して? 一つ目の箱の絞り込みにはまだ精度が必要だから』
 巨大な長方形の石群をただ一人這うように進みながらアルテミスは大きく溜息を漏らした。視界から泡になって消えていく自らの吐息は、矛盾した希望と裏切りの辿り着く先かもしれない……彼女は少しだけそんな事を想った。
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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