5 ディナー オロチのメイドたち

文字数 3,901文字

 アポローがオロチに戻ったのは、店内が夕どきの賑わいを見せ始めた頃だった。
「お帰りなさいアポローさんっ! たまにはメニューからチョイスしてみません?」
 いつものカウンター席にアポローが座ると、テンション高めのメイドがメニューを開いて声をかけた。セミロングの髪型に、きょとんとした目がチャームポイント、自身はお嬢様キャラと属性を決めている彼女の胸元には直筆で、雪本孝子(ゆきもとたかこ)二十二歳と書かれたカードがクリップされていた。ネームの他にも顔写真やPRがびっしりとデザインされており、個人情報云々どこ吹く風のそうしたスタイルは、オロチに常連客を惹きつける理由の一つでもあった。
「ありがとう孝子ちゃん。俺、ここのメニューは制覇しちゃってるからねえ」
 お冷をテーブルへ置いた孝子へ笑顔を返し、アポローは提示されたメニューに頭を悩ませた。普段はメニューよりも日替わりのカウンター惣菜をつまむのが楽しみなのだが、今日のカウンターは確かに品数が寂しかった。
「オム行きましょうよ! オ ム ラ イ ス っ !」
 やや息を荒げて、孝子は後ろからアポローの右肩に顔を覗かせてオススメを指差した。そこには、★毒々チャレンジ! ルーレットオムライス★ と、禍々しい書体が大きくオススメを主張していた。
「俺一人でこれ頼むの、ハードル高過ぎない?」
「アポローさんってば、大丈夫ですよっ! ルーレットのバリエーションが増えてからチャレンジしてないでしょ?」
「いや、俺、やっぱ今日は魚食べたいかな……」
「マスターっ! ルーレットオムライス入りましたーっ! お願いしまーっす!」
「お願いしまーす!」 「お願いしまーす!」 「お願いしまーす!」
 アポローをさっくりスルーして孝子が声を上げると、他のメイドたちも続いて声を上げた。
「……」
 アポローは苦虫を噛んだような表情を孝子へ返したが、カウンターの向こうでニヤニヤとこちらを見ている静子の顔を見て、状況は四面楚歌であることを悟った。
「あいよーっ! カウンターお一人様! ルーレットオムライス!」
 あえて、お一人様を誇張してオーダーの復唱をするマスター静子。その声に反応して店内の客の視線を惹きつけたのは、カウンターのお一人様、アポローだった。
「げ、解せぬわ……」

「——はいアポローさんっ、おまたせです! こちらルーレットオムライスになりますね!」
 ほどなくしてアポローの目の前に大盛りのオムライスセットが運ばれた。大きな中華鍋で調理されたチキンライスは食欲をそそる特性ケチャプと、静子自らが毎朝仕入れる地鶏のマッチング。そこにスパイスが絶妙に絡み合い、その上には半熟ふわとろ卵が綺麗な艶を見せていた。料理やドリンクのこだわり、味の評価が常に口コミ上位のオロチにおいて、やはりメイド店らしくオムライスは定番の人気メニューだった。
「ふふっ! それじゃあテンプレですけど、優子(ゆうこ)ちゃーん! 明子(あきこ)さーん!」
 孝子の声が店内に響くと二人のメイドが駆け寄ってくる。小柄なスタイルにポニーテールと大きなリボンが目印のメイドは二十歳の奥菜優子(おきなゆうこ)。物静かでおとなしく、動物好きな彼女は店内の一角に設置されたフクロウのケージも担当している。SNSや動画サイトにも店のフクロウの様子を多く投稿しており、遠方から訪れたファンへの熱心な解説も好評だ。
 対して身長一七五センチの高身長、ショートヘアーだが片目がやや前髪で隠れているメイドは二十一歳の愛川明子(あいかわあきこ)。いわゆるボーイッシュでバイク好き。実家が輸入バイクの専門店ということもあり、海外製の大型二輪を乗りこなしている。静子と同じくIT音痴であり、SNSなどでは活動していないものの、学生時代からバイク専門誌のモデルとして活躍している。そんな彼女がなぜメイド店でバイトしているのかという話題性も手伝って、そのギャップが常連客の一部を惹きつけている。しかしながら当の彼女本人はそのあたり無関心だった。
「ではメイド長がルーレットを! お願いします!」
 孝子がキッチンへ声を飛ばすと、他の三人とは制服のデザインが異なるメイドが笑顔で右手を挙げた。榎本深雪(えのもとみゆき)はオロチのメイド長で二十五歳。ふわっとしたショートヘアーにメイドキャップと眼鏡がトレンドマーク。おっとり系のお姉さんキャラであるのは誰が見ても一目瞭然で、静子をして深雪が怒ったところは見たことがないらしい。学生時代からパティシエを目指していた経歴を生かし、現在もカウンターで静子と一緒にオロチのキッチンを支えている。
「ルーレット~ スタート~」
 深雪がふわっとした声を発しながらリモコンのボタンを押すと、カウンター奥に設置された大型TVにルーレットが表示されて回転を始める。店内の客も一斉にモニターを見つめるが、アポローはその渦中で自身の存在を石にしていた。それは、この儀式の流れをよく知っているためでもある。
「はい! 毒々どっくどく! 毒々どっくどく! 毒々どっくどく!」
 アポローの後ろではメイド三人が声を合わせてルーレットを盛り上げる。カウンターを挟んでキッチン側では静子と深雪もそれに合わせて店内を盛り上げた。
 ——テッテレー♪ というお約束のSEと同時にモニターのルーレット番号がパカパカと点滅すると、そこに表示されたのは、マヨだった。
「6番、マヨです~」
 メイド長の深雪は笑顔で結果発表すると業務用の大きなマヨを掲げた。店内の客も大きな拍手でそれに答え、その盛り上がりに比例してアポローは食欲値をどんどん下げていった。
「私は2番を期待してたんだけどなあ。どくだみの……」
 孝子が残念そうにぼやくと、アポローは驚いた表情で振り返ってその笑顔を凝視した。
「はいアポローさん、ちょーっと、お邪魔しますよ~。それじゃあ幸せのトッピングぅ~!」
 孝子の慣れた手付きでオムライスにハートのトッピングがみるみる描かれる。但し。マヨで。
「チャレンジ? チャレンジ? チャレンジ?」
 ドン引きするアポローを囲むメイド三人は、手を打ち鳴らしながらチャレンジを求める。当然に店の客らも合わせてコールを合わせる。
「チャレンジ! チャレンジ! チャレンジ!」
 大盛りあがりのチャレンジコールがしばらく続くと、やがて静子が両手を上げる。店内は一気に静けさを取り戻し、メイド達はその視線をアポローへと向けた。
「チ、チャレンジ……してやんよおお!!」
 アポローが半ばヤケ気味にそう言うと店内は再び拍手で盛り上がる。この儀式の流れを知っている者は誰であれそこから逃避することは許されない。アポローは二度と孝子に注文を頼まないようにしようと自身を戒めた。この儀式を一人で受けるには、あまりにも神の試練が酷過ぎる。と。
「毒々どっくどく♪ 毒々どっくどく♪ 毒々どっくどく♪」
 アポローをスルーして、目の前のオムライスは店内のコール大合唱の中、みるみるハートのトッピングの内側にマヨの山が盛られていった。毒々ルーレットとチャレンジの意味はその通りで、ふわふわオムライスの頂きは怪しげなトッピングで禍々しく高さを増していく。
「ストーップ!」
「はい! ストップ入りました!」
 眼前の状況に一瞬の現実逃避をしていたアポローが声を発すると同時に孝子は手を止めた。ほっかほかの大盛りオムライスに盛られたマヨはすぐにその形をハートから融解させ、美しい毒々性を香りと共に放っていた。
「どっくどくきゅん! ありがとうございましたーっ!」
 メイド達が胸元でハートサインを作って店内の客へアピールすると再び大きな拍手がそれに答える。アポローはただただ崩れ行くマヨを見つめながらぼやく。
「溶けてやがる……盛るのが早すぎたんだ」

「——あはっ! これ久しぶりですよね? 楽しかった~♪」
「孝子ちゃん、この恥ずかしさををいつかキミにもお返しするからね?」
「いやだもうアポローさんってば! ほら、美味しく召し上がれ?」
 アポローの両肩をモミモミしながら、孝子は悪戯っぽい口調でそう返した。
「孝子は恥ずかしいお仕置きなら大歓迎ですよ~。っと」
 後ろからアポローの両肩に手を置いたまま身を乗り出し、孝子はオムライスの皿にはみ出したマヨを指ですくって、ちゅぽっと音を立てて口に咥えた。
「孝子、いやらしい。あざとい」
 それを見た優子が首をかしげて軽蔑するようにツッコミを入れる。大きなリボンもそれにあわせて角度を変えた。
「由紀子が居なくなったからって、先生とベタつくの良くないぞ孝子?」
「だって~。アポローさんって何か可愛いじゃない~」
 ハスキーな低ボイスで明子が追い打ちをかけると、さすがに孝子も悪びれた表情を見せて舌を出した。明子はあきれた顔でそれを見つめたが、すぐに八重歯を見せてヤレヤレと苦笑した。
「アポローさん、カサンドラが居ないの。占いも全部キャンセルだから……」
 孝子と明子のやりとりを横目で見ていた優子は困ったように口を開いた。カーテンが閉まったままの占いブースにはカサンドラお休み中と掲示されており、優子は心配そうな表情でそれを見つめていた。
「あんたの部屋で寝てるんじゃないのかい?」
「静子さん、俺のとこにも居ないよ? 見つけたら店に戻しておくよ。優子ちゃんも心配しないでくれ、大丈夫だから」
 アポローがそう言うと優子はペコリと頭を下げて店内の給仕へと戻った。孝子と明子も再び客の注文に忙しく対応を始める。
 カウンターで残されたお一人様であるアポローは、マヨ大盛りトッピングのオムライスにすっかり食欲も失せていたが、やがて渋々とそれを口に運んだ。
「——お? 意外とイケる、これ」
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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