7 南方家 夫婦と子
文字数 4,434文字
「ほら~ぴったりでしょう? ミーちゃんの服、とっておいて良かった~♪」
ピンクのフリルが派手な猫用の服を着せ、カサンドラに満面の笑みを見せているのは南方貞夫の妻、
「ど、どうしたんだ? その猫?」
風呂上がりでタオルを腰巻きにし、お約束のように牛乳ビンをあおる南方貞夫は和子の姿に目を奪われた。リビングのテーブルにはペットグッズや服などが多く散乱している。
「この子ね? 裏庭でジョルノにいじめられていたのよ。逃してあげたんだけど、庭で寝ているのを見つけてね? なんだか放っておけなくて」
「そうか……ミーちゃんが亡くなってからずいぶん経つもんなあ。そろそろ新しい家族のお迎えしてもいい頃かもな」
貞夫はそう言いながらカサンドラの顔を近くで眺め、首輪でチカチカと点滅する青いLEDへと手をのばした。
「これ、なんだろう。GPSか何かじゃないのか? 飼い主さん困ってるんじゃ?」
「そうなの。おかしな首輪でしょう? 外したりは出来ないのよ。これ、どうやってつけたのかしら」
(——という訳で南方さんのお宅で足止めされてまーす)
カサンドラの首輪から発せられたデータは音声に変換され、かつての姿である木野由紀子の声でアポローの部屋に響いていた。
『どうしてこうなったカサンドラよ。まあ、南方さんの自宅なら心配は無いが、店と優子ちゃんが心配してたぞ?』
(あー。優子ちゃんは動物大好きっ娘だから。心配してるだろうなー)
「拓哉も猫派だっただろう? あいつ、そろそろ犬の散歩ぐらいさせて運動させないと……」
「車まで買い与えて極楽生活させてるの、あなたでしょ? あの歳でこんな生活していたら、もう社会になんて出られないわよ?」
カサンドラがアポローと密かに通信していることなどは気が付くはずもなく、南方夫婦は会話を続けていた。
「まあなあ……それでも買い物なんかはちょくちょく行ってくれたり、誕生日とか母の日なんかも気にかけてくれてるわけだから、世に言うところのひきこもりって訳でもないしなあ」
貞夫はカサンドラの喉元をコロコロしながら、やんわりとした口調で妻に応じた。
「それでもどうするの? ずっと手に職も経験もないままじゃ……せめて職業訓練ぐらいは行ってもらわないと」
「う~ん。本人はそのあたり嫌だと宣言してるからな。自分は社会不適合者だから社会に出ると間違いなく大きな迷惑をかけるってな」
「それは労働しなくていい環境に居る人間の詭弁でしょ? まずは社会に出て、良い部分もあるってことを悟ってもらわないと。ずるずるやってたら、あの子おそらく結婚も出来ないわよ?」
(こちらカサンドラですー もふもふコロコロされながら南方夫婦の教育方針トークを中継してまーす)
カサンドラは夫婦のやりとりには特に興味もなく、やや眠そうな声をアポローへと返した。
『パラス、南方家の電力網と外部接続は?』
『解析完了しています。あなたが一階でメイド達と毒々ワッショイしている時からモニターを継続しています』
(え!? 先生ってばチャレンジやったの? その場にいたかったなー んふふっ♪ どうせ孝ちゃんにハメられたんでしょ~?)
『何っ? 孝子ちゃんはアレの常習営業マンなのか?』
(あははっ! 引っかかってるのは店の初見さんと先生ぐらいだよ? 今日の毒々メニューは何だったの?)
『オムライス、ルーレットチャレンジでマヨだく』
(お~っ! 食べられる系で良かったね先生っ! 意外と美味しかったでしょ? 先生って結構マヨラーだし!)
『図星だよ。思ったよりイけた』
カサンドラとやりとりしながら、アポローはモニターに次々と表示されるデータを目で追った。
『パラス、SIMや他の通信状況は?』
『SIMのユーザー登録は家族内で三回線です。夫妻と息子さんがそれぞれ一回線ずつ利用履歴があります。いずれもミュケナイ、リバーサンド社へのデータ通信痕跡はありません』
『カサンドラ、家の中でネットに接続されている端末を探してほしい。大丈夫そうか?』
(たぶん大丈夫だと思う。ってか先生もパラスもっ! 何を探しているのかちゃんと教えてよっ!)
カサンドラはテーブルから降りてリビングを見渡した。電話機が置かれている低い棚には家庭契約用のインターネットモデムがチカチカとランプを点滅させている。
(ネットのモデムが電話機の横にあるよ? パソコンへのケーブルとかは……刺さってないから無線で飛ばしてるのかな?)
『ありがとうカサンドラ。探しているのは盗まれたデータだ。俺が大昔に作ったもので、それは人間が扱えないはずのものなんだ』
(え? そんなのって、流出したら人類が滅亡しちゃう系のアレ?)
『そういう系のものじゃない。いや……もし人間が使えたなら最強の兵器にはなるのかもしれないが』
(最終兵器!? あははっ! なんだか楽しくなってきたかもっ。それではカサンドラ、潜入捜査を継続します!)
ことの成り行きにテンションをアゲたカサンドラは、ソファーで引き続き息子の教育方針を議論する夫婦をすり抜けてリビングの探索を開始した。
『カサンドラ? 南方さんの息子さんは、いわゆるひきこもり、って感じなのか?』
(そうみたい。よくあるパターンかな? 親がそれを許しちゃってる系の。なんで?)
『それとなく南方さんから聞いていたんだ。カサンドラ、おそらくPC端末は息子さんの部屋だ。そっちを調べてほしい』
(だね。一階にはそれっぽい端末も無いであります)
カサンドラは報告を続けながら軽快なステップで階段を駆け上がった。二階に辿り着くと、三つ確認できるドアの一つからTVの音声が漏れており、カサンドラは何のためらいもなくそのドアを前足でガリガリと引っ掻いた。
「お!? さっきの迷い猫? お腹すいたのか?」
姿を見せたのはジャージ姿の
カサンドラはうやうやしく拓哉の足元に身体を擦りつけ、そそくさと室内へと侵入した。
「なんか持ってきてやるから待ってて。ベッドの上にあがるなよ?」
拓哉は笑顔でカサンドラのこめかみを撫で、のしのしと階下へと降りていった。
(うひー。花マル満点のひきこもり息子さんだー。猫の鼻だからか分からないけど、すっごく油臭かった……)
『端末はどうだ?』
(あるよ? デスクトップ型って言えばいいのかな? 本体とモニターが別々のだよ?)
六畳スペースの部屋にはOAデスクとチェア、他にはベッドとTV、収納棚などがあり、カサンドラが見渡す限り室内は綺麗に片付いていた。
(なんだろ? 部屋はすっごく綺麗。わたしの部屋よりずっと……ちょっと神経質な人なのかな?)
『端末の電源は入ってるか?』
(ううん? 入ってない。いれてみる?)
カサンドラはそう言うと、デスクの下に置かれているセミタワーPCの電源を前足で器用に押した。カチっと音を立てて少しすると、モニターには慣れ親しんだOSの画面が表示された。
『パラス、もう一度宅内電力網からアクセスしてOSのログを洗ってくれ。通信ログとインターフェースの解析全てだ』
『了解しました。OSのライブラリ分析を全ファイル対象にて実行します』
(わ。下で喧嘩してる)
カサンドラが耳を傾けると、階下からは何やら言い争う声が聞こえてくる。その内容は推して知るべし、息子と問答する家族の喧騒だった。
四十七歳の南方貞夫は大学を卒業して以来、製薬会社の研究分野に身を置いてきた。拓哉が産まれると住宅を購入し、一国一城の主として南方家を支えてきた。
ミュケナイ製薬の創業当時、アポローは木野薫からの紹介で貞夫を社へ引き抜いた。研究実績もさることながら寡黙で粛々と成果を見せる貞夫の職人気質は、新進気鋭のミュケナイにとって、やがて欠かせない人材となっていった。
妻の和子もまたバイオテクノロジーの研究者であり、過去にはリバーサンド社のグループベンチャー企業に身を置いていた。現在は専業主婦として家事に勤しむ傍ら、大学を卒業してからニートな生活を続ける拓哉に頭を悩ませていた。
(ねえ先生、ここの家のお父さんは、子供がひきこもりなのを分かってるんだよね?)
『ああ、南方さんはそれとなく俺にこぼしてた。気にしてるみたいだ』
(ふ~ん。分かってはいるんだけど、子供を無理に外に出す責任とか負いたくないって感じ?)
『面白いなカサンドラ。どうしてそう思う?』
(うちは逆だったから。わたしもね、ひきこもってた時があって。でもお父さんは、お前が外に出てどんなトラブル起こしたって全部引き受けてやる、だからとにかく外に出て働いてみろって。ここの家のお父さんはその逆な感じがするの)
『その通りだよカサンドラ。南方さんはね、息子を無理に社会へ出すことと、その息子のトラブルで自身の社会的信用を失うことにジレンマを抱えているんだ。そこで被る家庭の損失や社会的信用のリスクをね。家庭全体のことを常に考えている真面目な父親なんだ』
(うん。真面目なお父さんって感じはするよ? 息子さんも親と断絶してるひきこもりって訳じゃないみたいだし、たぶん几帳面なタイプ……」
カサンドラが再び耳を傾けると、階下からドシドシと音を立てて階段を登る音が二階に響いた。拓哉は不機嫌な表情で部屋に戻るやいなや、OAチェアにドカっと腰を落とした。
「ちょ! 電源触ったのか?」
拓哉はモニターを見て一瞬驚いたが、手にした牛乳を皿に注いでカサンドラへ与えると、キーボードを叩いてOSにログインする。
『端末ハードウェア全てのスキャンを完了しました。捜索対象のデータに一致するものはありません』
『通信ログは?』
『ゲートウェイはISPのものです。個別のDNSやプロキシは端末設定されていません。アクセス分析はブラウザの履歴情報以外、現在は確認不可能です』
『カサンドラ、すまないがそこで監視を頼む。ネットの使用や通話の状況を見てパラスへ報告してほしい』
(うーん。わたしは構わないけど、お店は大丈夫なの?)
『なんとかしておく。頼む』
「——パラス、ちょっくら出かけてくる」
アポローはそう言って、スーツの上着を羽織ってからスマートウォッチを眺めた。
「どちらへ?」
「今から北海道だ。お前のシステムの提供者は、俺に来いって言ってるようなもんだからな」
「分かりました。よろしくお伝えくださいね」
テーブルから矢を手に取り、アポローはパラスにそう伝えて部屋をあとにした。