8 モイライ 忘却された者

文字数 5,355文字

 羽田空港からの最終便でアポローは新千歳空港へと飛んだ。
 空港から外に出ると夏の夜風は東京よりも少しだけ涼しく、星々もまたその光を鮮明にしていた。
 札幌市に拠点を置くミュケナイ製薬からの迎えに応じると、アポローはそのまま車に乗り込んで目的地へと向かった。
 
 北海道石狩市に日本支社を置くモイライ社。
 医療器具メーカーとして知られるその外資系企業にアポローが到着したのは、既に深夜二時を過ぎた頃だった。
 日本海側に面した敷地からはライトアップされた大きな河口橋が見える。耳をすますと波の音が虫たちの声にあわせて静かなホワイトノイズを奏でていた。
 工場に隣接した三階建てのビル正面は一面のガラス貼りでデザインされており、その正面ゲートの横に掲げられた旗には、パラスのシステムに刻印されている糸引き車と同じシンボルが描かれていた。
 既に照明も落ち、薄暗い無人の正面入口へ進むと自動ドアは何の警告もなく開いた。受付ロビーも同様に無人だったが、アポローは勝手を知ったような足取りで奥へと向かっていった。
 エレベーターは行き先を指定することなく自動で階下へと進み、ほどなくしてその扉が開かれると、そこは白い壁の通路の先にセキュリティドアが見えるだけの場所だった。アポローはドア横の生体認証へ手を触れ、上部に設置されたカメラを見上げた。

「久しぶりねアポロン♪ ロンロン♪ パラスの調子はどうかしら?」
「そっちでもモニターしてるだろ。俺より調子はよく分かってるくせに」
 二十畳ほどの一室に足を踏み入れると、そこは通路と同じく全てが白色で統一されており強い照明の反射はアポローの目にも眩しかった。壁の両側にはダストボックスのような収納が一面に並び、部屋の殆どを占める中央のドーム状設備にはチューブや配管がいくつも繋がっていた。
「これをリバーサンドの中村さんに渡した目的を聞きに来たんだが?」
 アポローが矢を取り出して見せると白衣姿の女性は笑顔でそれを受け取った。身長一八〇センチのアポローより少し目線が高いがスレンダーなスタイルに大柄な印象を受けることはなく、毛先に白いグラデーションを見せる薄茶色のセミロングヘアーは、室内の照明に不思議な色を返していた。
「そうそう、これね? 懐かしいでしょ、アポロンの矢なのよね」
 矢をつまんで眺める女性の手は人差し指がどの指よりも極端に長く奇妙だった。女性は矢をひとしきり眺めるとアポローへ投げ渡し、蒼い瞳の目を細めて悪戯っぽく笑った。
「アシュリー、どこでこれを?」
「いやあねえアポロン、アシュリーだなんて。クロトーでいいわよ? ここは誰にも干渉されないから」
 その女性、モーガン・アシュリーはそう言ってアポローへ微笑んだ。白衣の下はブランドロゴがプリントされたTシャツにスウェット姿。ほぼノーメイクの子供っぽい笑顔は見るからに二十代、はたまた十代の若い女性を思わせた。
「リバーサンド社がミュケナイを訴えたのは知ってるだろ? なんでそのタイミングでこれを俺に?」
「それは気付いて欲しかったからよ? そのデータ、あなたの矢から流出してるんだから」
「分かってる。こっちもリバーサンドのサーバーから酷似したデータを確認した。そしてそのデータは誰かが仕込んだものだ。しかも、現在の人間の技術レベルで記述されている」
「既にその水準に人間が到達している。そうあなたは考えたことなくて?」
「もったいぶった話はよしてくれクロトー。このレプリカはどこで入手した?」
「ネオスよ? ほら、ベンチャー企業の」
「は? 聞いたこともないが?」
「あなた、本当に関心の無いことには無頓着よね? 半導体関連の企業よ。ネットで検索して調べておきなさい?」
「俺はクロトーみたいに好き好んで地上に残ってた訳じゃないんだ。現代社会の知識は十数年の経験値しか無いんだぞ?」
 アポローが不機嫌にそう言うと、クロトーと呼ばれたその女性はドヤ顔でアポローに詰め寄った。
「あなたたちは人間ごっこして遊んだあげく、荒らすだけ荒らして放棄したんだから、それから先の人間がどうだったかなんて関心も無いわよね? そうよ? 私はここにずーっと残って仕事をしてきたの。この呪いをかけたガイアですらそれを忘れているほどにね? だいたいあなたたちは……」
「分かった、わーかったって。なんでそんな嫌味に言うんだよ……」
「ん♪ 分かればよろしい」
 クロトーに詰め寄られたアポローは正面から受け答えする事を嫌気した。あからさまに面倒な顔を見せるアポローだったが、クロトーはそれがいつものやりとりであるかのように笑顔を返した。
「うちのスパイがね? ネオスからこれを拝借してきたのよ。私も見たときは驚いたのよん?」
「スパイって、モイライのか?」
「そうよ? あなたの会社だってセキュリティは持ってるでしょ? うちも同じなの。私たちのテクノロジーは人間のためのものじゃ無い。だから監視のためのスパイだって普通に居るわよ?」
「今のモイライのトップはクロトーじゃないだろ? 大丈夫なのか?」
「大丈夫よんアポロン♪ むしろ今の立ち位置の方が良いの。カラカラと一人で糸を紡いでるのが性に合ってるのよ」
「妹たちも残っているのか? ここに?」
「どうかしらね? どこかで暮らしているのかもしれないし分からないわ。気になれば向こうからアクセスしてくるでしょ? モイライって看板をわざわざ出してる訳だし」
 クロトーはそう言って白衣のポケットからパラソルの形をしたチョコレートを取り出してアポローへ渡した。
「美味しいわよこれ? うちの工場で大人気なんだから」
「あ、ああ……それで、そのネオスって企業がアダマン鋼の……この矢の粒子変換構造を解析したってことなのか?」
「その確率は半々よ。ただ、これがネオスから出てきた事と、アダマンのデータがリバーサンドに置かれた事、そして誰かがミュケナイへの訴訟を後ろ盾しているってことは確かね」
「そういやリバーサンドの中村さんが、今回の訴訟には提携している外資系企業が絡んでいるって暗に言ってたな……」
「あら、あそこのトップもずいぶん口が軽いわねえ。ネオスはリバーサンドの非公開提携ベンチャーよ。研究開発の資金調達を非合法に迂回してバレないようにやってるわ」
「中村さんが? 信用第一のあの人が?」
「私はその中村さんを詳しく知らないの。でも経営者はあまり信用を社内に置き過ぎると全体像が見えなくなるわ。ネオスみたいなベンチャーは新しい技術をグレーゾーンで取引するから、あなたも注意しなさいよ?」
「分かった。そのネオスってとこに接触してみる。どうせ俺の矢だってことを分かってるだろうからな」
「神への接触を確信した人間には必ず思惑があるわよアポロン?」
「分かってるよクロトー。ああそうだ、パラスがよろしくと言っていた」
「あらあら、たまにはあの子ともコミュニケーションしてあげないとって思っているのよ? ごめんなさいねと伝えておいて?」
「君はアテナ……ミネルヴァと繋がったパラスを良く思っていないことは分かっているよ。でも、伝えておく」
「ふふっ。こればかりは抗えないもの。私たちは人と違って、永遠にその(さが)と因果を変えられない。ホントに呪いみたいなものよね」
「どうでもいいさ。それよりパラスの解析ボックスをアップデートしてくれないかな。なんで投入式なんだよ?」
「え? 私ってばそんな仕様にしたんだっけ? いいわよん、後で別のを送るわね」
 アポローはそれだけ告げると部屋を後にしようとした。
「ああん! 待って! あなたを呼んだのはサプライズがあったからなのよん!」
「え?」
 クロトーは焦って引き止めると、部屋の中央にあるドーム状設備へとアポローの腕を掴んで引っ張った。
「これなの! 驚くわよー!」
 そう言って手にしたリモコンのスイッチをポチッと押すと、ドームは左右二つに開いて、中からは何とも形容しがたいものが姿を現した。
「なっ! きもっ!」
 アポローがドン引きしながら凝視したそれは、植木鉢に植えられた人間の生首だった。
「んっふっふー♪ 驚いたでしょうー♪」
「驚くも何も気持ち悪っ! クロトー、これは何の実験だよっ!?
 クロトーは鼻歌混じりにその生首の頭を撫でた。美しく豊かなブロンドヘアーに白い肌、この状況でなければ目を奪われるほどの美少女は、穏やかな寝息をたてながら静かに眠っている様子だった。
「ん……」
 やがて植木鉢の少女は目を開き、目の前に立っているアポローをぼんやりと視界に映した。
「ほら、分かる? アポロンよ?」
 寝起きの少女へクロトーは優しく語りかける。
「はあああああああああー!?
 美少女一転、その植木鉢の少女は怒りをあらわにしてアポローへと食いつこうとした。が、植木鉢は微動だにしなかった。
「ちょっと! あんたっ! 責任取りなさいよね! さっさと私の身体を元に戻してよ!」
「な、なんの話しだ!? おいクロトー、この子は!?
「この子、メドゥーサよん♪」
「まさかっ! ミネルヴァ神殿でポセイドンとエロい事やって炎上した、あのメドゥーサかっ!」
「きーっ!! 炎上したくてヤった訳じゃないわよっ! 私は襲われたの! 被害者なのよっ!」
「おいやめろ! こっち見んなっ!」
 アポローはとっさにメドゥーサの視界から避難してクロトーの後ろに回る。
「ね? 本物なのよ? 見つけたときはもう嬉しくて嬉しくて、その場で夜通し踊っちゃったんだから♪」
「いやいやいや、俺はメドゥーサとか話でしか聞いたことないし。どこでこんなの拾ったんだよ、つか、大丈夫なのか?」
「大丈夫よんアポロン。石になったりしないわ。ほら、こんなにお目目ぱっちりで可愛いじゃないのー」
 鉢植えのメデューサに視線の高さを合わると、クロトーは奇妙に長い人差し指で優しくその頬に触れた。しかしながら、それはいささか植木鉢の植物を愛でているようにしか見えなかった。
「いやおかしい、絶対におかしい。なんで植木鉢なんだよ……」
「組織を復元した後にね、どうやって維持しようか悩んだの。でね? ネットで生首の保存を検索してたら植木鉢でコミュニケーションするアイデアがひらめいて♪」
「ネットで生首の保存を検索するユーザーがどのぐらい存在するのか知らないが、それにしても狂ってるぞ、クロトーよ……」
「どいつもこいつも狂ってるのよ! あんたアポロンなんでしょ! さっさと身体を元に戻してっ!」
 鼻息を荒くする植木鉢の美少女に、アポローは恐る恐る向き合ってその顔を見つめた。
「身体を復元……というよりは、別の身体に植え替えるのが早いと思われますが……」
「うっさい! そんなヤブ医者みたいな話してんじゃないわよっ! バーカ! バーカ!」
 真顔で自身を分析するアポローに、メデューサは更に頬を赤らめて声を上げた。
「つか、俺にこの子の身体を復元しろと?」
「うーん。脳の回復がもうちょっとなのよねえ……視神経も入れ替えたばかりだし」
 クロトーはそう言いながら、どこからか取り出したジョウロで鉢に水を注いだ。
「まさかっ! 人間の生命維持に光合成を実現したのか!?
「まさか♪ これは気分の問題よん? 生命維持は下のユニットで循環させてるわ」
「ひでえ……本当に狂ってやがる……」
「ヘラなんかに比べたらこんなの可愛いものじゃない。それにさっき言ったでしょ? 今の立ち位置が好きなの。今の私は経営者を捨てた神話ハンターなんだから♪ 毎日がもう楽しくて仕方がないわ♪」
 クロトーは満面の笑顔を見せながらブラシでメデューサの髪を整える。
「ほら、メデューサちゃん? もう少し我慢したら人間にしてあげるわ。そうだ、あのドラマの続き、録画してきたから一緒に見ましょうね? チョコもたくさんあるわよ♪」
「むにゅっ! 本当よ! 絶対よ! アポロン! あんたたち神族の責任なんだからね! ぜーったいに身体返してよね!」
 未だに状況を飲み込めていないアポロンを見据え、メデューサはパラソルチョコを口に突っ込まれながら涙を浮かべてそう訴えた。
「あ、そうだアポロン、おみやげがあるのよ。えっと……」
 部屋の隅に立てかけてあるハンドクリーナーをよけ、クロトーは棚から木製の小箱を取り出してアポローへ渡した。
「ここで開けないで。帰ってから開けて」
 囁くように耳打ちすると、クロトーは再び癖のあるドヤ顔でアポローを見つめた。
「それとね、この子と一緒にこれも拾ったんだけど、持っていく?」
「ま、まさかこれは、アイギスの……」
 クロトーが引きずり出したのはボロボロの盾のようなものだった。その中心部には錆びた鎖がぶら下がっており、何かを留めていた痕跡がありありと見える。
「そうよ。たぶんアイギスの盾でしょうね。捨てるのも気が引けるから取っておいたのよ」
「そ、そんな伝説のアイテムを掃除機と一緒にしまっておいたのか……」
「だってほら、これはもう役に立たないわよん?」
「確かに、こんなの貰ったところで俺も困るが……あ、喜ぶかもしれない人間に心当たりがあるかも」
「何よアポロン。他に戻ってる神族がいるなら私にも教えなさいよね」
「違う。ペルセウスの末裔を二人ほど雇っているんだ」
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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