5 距離感 少しだけ先を生きること
文字数 3,006文字
ほどなくしてアポローが戻ると静子は咥えタバコのままキッチン側へ移動し、カウンターへ皿と椀を置いた。
「はい。お疲れさん」
静子は少し疲れた表情で、ありあわせの料理を盛り付けるとアポローへ手渡した。
「アスパラベーコンなんて久しぶりだね? 俺さ、これにマヨかけて喰うの好きなんだよ」
「はいよ!」
業務用の大きなマヨネーズをどかっとカウンターに乗せ、静子はそこに肘をついて身を乗り出した。
「どうなの? これ?」
後ろのTV画面は深夜ニュースをループしており、セントラル記念病院の映像と、ミュケナイ製薬でインタビューを受けるアポローらの映像を映している。静子は訝しげにそれをアポローへ示唆した。
「由紀子」「由紀子ちゃん」
静子とアポローは互いに声を重ねて問い合ったが、気まずい空気に苦笑の表情を交わす。
「いいよ、あんたからで」
「まずは由紀子ちゃんってことだね。静子さん?」
「足取りは分からずだよアポロー。今朝からずっと留守電のまま。警察もアパートに行ったらしいけど、私に詳しいことは教えちゃくれない」
「こっちも今のところ同じだよ静子さん。佐々木医師が同行、ないしは関わっていることに間違いないだろうけどね」
「そっか」
静子はそう返してタバコへ火を付け、溜息混じりに大きく煙を吐き出した。
「あ、吸っていいの? 今日は?」
「いいよ。食べてからにしなさいよ? 喰いながら吸うもんじゃないよ?」
「あはは……」「ふふっ……」
二人は互いに苦笑したが、静子は再び両肘をカウンターに乗せて身を乗り出した。
「あの子に友達が居ないのさ、あんたも分かってるでしょ?」
「ああ。ここの店の子たちは結構つるんで遊びに行ってるみたいだけど、由紀子ちゃんにそんな感じは無いね」
アポローがタバコを取り出すと、静子は自分の灰皿を手渡した。
「私もたいそうな事を言えるほど人間出来ちゃいないけどさ、居るんだよ。あの子みたいなタイプは」
「タイプ?」
「よっと」
静子はカウンターから身を乗り出し、アポローの前に置かれた灰皿でタバコの火を消した。くすぶった煙は少しの間、カウンターの照明を白い光の束にして揺らがせた。
「がっつりファザコンなんだよ。あの子」
「まあ、そうなのかもな。小さい時から父親一筋で育った訳だし」
「がっつりってのが、やっかいなんだよ。そういうのはねアポロー、こじらせると男しか頼れなくなるなるんだから」
「そんなもんなのか? 静子さんには懐いてるんじゃ?」
「それはあくまで親身なバイト先のお姉さんとしての話。あんたがここに住み始めてから、私はすっかりお役御免になったもんさ」
「お姉さんじゃなくて、おばさんだったからじゃ……」
「灰皿、没収~」
「ああ! やめて! ごめんなさい!」
静子はアポローから灰皿を取り上げ、吸い殻をカウンターキッチンの三角コーナーへ捨ててから勢いよく水を流した。
「ほら! きれいにしてやったよっ!」
両手を合わせて謝罪のポーズを取るアポローに灰皿を返すと、静子は再びタバコに火をつけた。
「占いのブースを店に置いてからも、ほら、あの子の常連客、おっさんばかりでしょ? その手の層を惹き付けるクセみたいなのを持ってるんだよ。ああいう子はね」
「客層は、たしかにそう言われてみれば……でも、前のメイドカフェでバイトしてたとき、きちんと彼氏だって居たんだよって、本人から何度も聞かされたけど?」
「相手はそこの雇われ店長だよぉアポロー。それもおっさん。それで他の子からハブられて店に居られなくなって……」
「そうなのか……」
「あの子の父親ってさ、あんたの方が分かってるだろうけど、娘を抱きしめるような感じじゃないんだよ。力が強過ぎてこう……上手く言えないんだけどさ」
「木野先生は体育会系だと俺も思うよ。人の内側をこじ開けるような人じゃないし、行動で示す人だった」
「そうなんだよねえ……その反面、娘には不自由させたくないっていう色も強く行動に出てるんだよ。それはあの子もよく言ってたよ。お父さんは私のために頑張ってるから迷惑かけたくないってね」
「由紀子ちゃんには父親しか居ないのに、そこに飛び込めない。そういうジレンマだと?」
「そこなんだよ。こじれたファザコンってのはね? だから他の年上男性へ愛情やら欲求やらを転化しちまうんだ。無意識にね?」
「静子さんもそうだった、とか?」
「知ってるくせに聞くんじゃないよっ。うちの親父はファザコンどころかトラブルだらけのトラウマ。トラコンだよっ」
静子が再び身を乗り出して乱暴にタバコの火を消すと、灰皿の中の水滴がジッと音を立てた。
「イラついてるんだよ私もさっ! あれこれ想って言葉にしたところで、何もっ、あの子には言えなかったから!」
カウンターに乗せた両腕、その拳をきつく握りしめて静子は声を荒げた。俯いたまま、痛みに耐えるかのような表情で。
「——静子さんと木野先生は似てるよ。由紀子ちゃんへの強い想いは、本当にね」
アポローは静子の拳に自身の拳を軽く乗せ、苦笑した表情で言葉をかけた。
「最後に話をしたときの木野先生は由紀子ちゃんへ伝えきれていない想いを、他の誰でもない父親である自分に訴えているようだった。今の俺たちも由紀子ちゃんより少しだけ先を生きて走っているだろうけど、その経験や知識があっても、それが大切な誰かにとって正しいのか、伝えていいことなのか、いつも疑心暗鬼なんだよ。それが正解なのか解らないから怖いんだ」
静子はアポローへ顔を見せないよう、後ろの大型TVへと向き直って短く息を吐いた。そして、乱れた長い髪をかきあげてから自答するようにつぶやいた。
「そうだね……腫れ物扱いしてきたのは、私なのかもしれないね……」
***
「その佐々木って医者、どう関わってんのさ?」
カウンター席でアポローの隣に腰をかけ、静子は問いかけた。
「木野先生の執刀医を偽装して手術を行った。そして木野さんは亡くなった。佐々木医師は失踪して由紀子ちゃんも行方不明。今分かっているのはこれだけだ」
「それで?」
「由紀子ちゃんは俺に自分の店を開業出来るかもしれないと話していた。佐々木医師の奥さんが不動産を仲介したらしい」
「そんな話っ、初耳だけど?」
「ごめん。静子さんに伝えておくべきだった。俺も開業自体は絵に描いた餅だと思っていたんだ」
「そんな話って……あんな子一人にすんなり大人が勧める上手い話なんて、怪しい以外ないだろうに……」
訝しげな表情で頭をかきながらそう言う静子に、アポローは白いブレスレットを取り出してテーブルに置いた。
「これを着けていてくれたら静子さんの居場所は分かる。じっとしてはいないんだろ? どうせ」
「あらプレゼントかい? にしちゃ安っぽいね。分かったよ。ありがと」
「静子さんは、生きてる限り死なない人だから心配してないよ、ケガしたって、無理やり治してあげるから」
「そりゃありがとう天才先生様。こっちも死ぬまで長生きさせてもらうよ。ケガしたらどうぞ治して下さいな」
静子はからかい口調で応じながらブレスレットを左手首へとはめた。柔らかい感触と同時に青色のランプが一つ点灯する。
「で、アポロー? その不動産ってどこなのさ?」