11 同僚 察する想い
文字数 3,000文字
「奥さんの容態は移動中に報告を受けました。必要なものがあれば用意しますから言って下さい」
アポローはまず南方へそう伝えた。南方はいつも通りに姿勢を正したままアポローを見つめ。深々と頭を下げた。
「妻の件はセキュリティ部門から報告を受けました……今回のことは、私の首がいくつあっても足りない問題です。そして中村さんとリバーサンド社に対しても……」
南方は頭を下げたまま、しかしながらその声は凛として力強かった。アポローと中村はすぐにそんな南方をなだめ、ロビーのソファーへと腰を落ち着けさせた。
「緊急処置は必要ないと報告を受けていますが、現在の奥さんの容態は?」
「軽い打撲と打ち身があったようです。頭部MRIにも異常はありませんでした。意識もしっかりしておりますし、早ければ今週中に退院できるとのことです」
アポローの問いに穏やかに答えたのは中村だった。
「中村さんが来て下さったこと、私もミュケナイも心強く思っています。私からの個人的なお願いだったにもかかわらず、本当にありがとうございます」
「いやいやアポローさん、我社への不正なアクセスについてあなたが個人的に伝えてくれた事実はこちらこそ正直助かりました。まさかデータを改ざんされていたとは……」
和子の事故と不審な男の確保をミュケナイのセキュリティから報告されたアポローは、その内容をまず中村へ伝えた。調査にアポローが行った行為も中村には無断の不正アクセスだったのが、中村はそのあたりの事実は問わず自社のセキュリティに検証を指示した。
「奥さんへの面会は?」
「アポローさん。とりあえず私たちが会うのは日を改めましょう。和子さんも元はリバーサンドグループの研究者、そしてあなたは旦那さんの会社のトップです。和子さんの心情は察してあげましょう」
「そうですね……ところで南方さん? 息子さんはどうされています?」
「お恥ずかしいですが、朝に妻と口論して家を出て行ったとのことでして……でも先ほど電話が繋がりまして、事故の状況を伝えたところ、すぐにこちらへ向かうとのことでした。必要なものがあれば買っていく、と、言葉を……」
姿勢を正していた南方はそこで涙を止めることができなかった。そんな南方の肩にアポローは手を置いたが、すぐにハンカチで顔を拭いて力強い表情を見せた。寡黙な南方は根の部分で揺るがない強い意思を持つ。そこに言葉で慰めを求めていないことはアポローもよく理解していた。
「そういえば南方さん、先日話していた野球漫画のアニメ、オンラインで私も全部見たんですよ。まだ視聴期間があるんで、こっそり私のログインIDを使ってください。息子さんも好きなんでしょ?」
「え、ええ……元々は妻が持っていた漫画なんですけどね」
「ならちょうどいいじゃないですか。入院中の退屈しのぎに使って下さい。奥さんにも是非」
「アポロー、私はもうミュケナイには……」「それはダメです」
南方の言葉を遮ってアポローは笑顔を向けた。
「行為と責任の所在はあなたじゃありませんよ南方さん。奥さんを仕向けた側がその対象と私は判断しています。中村さんも……私がそちらのサーバーにアクセスしてこっそり調査しこと、許してくれますよね?」
アポローがそう言うと中村は苦笑ぎみに頭を掻いて南方を見つめた。
「無かったことにしませんかアポローさん。年寄りが得意なのは忘れることです。色々ありましたが、何も無かったのです」
「という事ですよ。南方さんもこの件は秘密厳守で願います」
南方は驚いた表情で二人を見つめた。企業を揺るがす事件であると受け止めていた南方にとって、その企業の二人のトップは何事も無かったかのように笑い合っている。そんな状況にしばらく南方は感情が追い付かなかったものの、そこが失うに耐え難い自らの居場所であることに気付き。再び深く頭を下げた。
「南方さん、今大切なのは奥さんの
中村はそう言って南方の背中を叩いた。南方は立ち上がってアポローと中村に笑顔で答え、和子のもとへと向かっていった。
「それでは私らも、社に戻って後片付けとなりますかな?」
「ええ。ひとまずは」
南方の背中を見送って二人は病院を後にした。外に出ると強い日差しがスーツ姿の二人を迎え、駐車場のアスファルトも容赦なく熱気を照り返していた。
「中村さん。ここでお伝えしたいことが。どうぞ私の車で」
アポローはミュケナイの社用車へと中村を案内した。中村は一瞬顔をしかめたが、日差しの強さも相まってか車内で話を受けることを承諾した。
「ご存知の通り、あれからモイライへ行って来たんです」
中村に続いて後部座席へ乗り込み、アポローは静かな口調でそう切り出した。
「そういえば、あの、アポロンの矢でしたか、あれはどうでしたかな?」
「ええ。あれ自体はあそこのトップのお遊びみたいなものでした」
「モイライの創業者は、現在北海道の支社に在籍しているのでしたかな? 確かアシュリーなんとか……創業者一族が歴代同じ名前の……」
「モーガン・アシュリーです。実は彼女からネオス社について情報を得まして。中村さんにもお分かりになる部分があるのではないかと」
「やはりその話でしたかアポローさん。今回の訴訟を進めたのは、あなたが思うようにネオス社のレポートから始まったのですよ」
「以前に私がタブレットで拝見したデータも、あれはネオス側が作成したものですね?」
「ええ。その通りです」
ミュケナイの運転手は冷えた飲料水を二人に手渡した。車内はエアコンですっかり冷えていたが、二人はそれを一口飲んでしばらく沈黙した。
「——中村さん。リバーサンドはネオスと提携を解消すべきだと私は考えます」
「我社は研究プロジェクトを非合法に提携している。そう言いたいのでしょうね。アポローさん」
「ええ。差し出がましいのですが」
「時代は代わりましたよ、アポローさん……」
中村は車内から外を見つめ、疲れたような口調でアポローに語りかけた。
「ひたすらに研究を重ね、くる日もくる日も……そのようなことは今やデータと市場、そして金融が全てに化けました。その中で一度でも甘い商売に身を置けばそこから抜けることは難しい。いや、私も歳をとった……」
「良き歳を重ねた、ですよ中村さん? これはお願いなのですが、ネオスの追跡調査は私に任せて頂けないでしょうか?」
「アポローさん、それは状況証拠だけなのでは? やはり警察に任せた方が……」
「いえ。実は既に足を突っ込んでいます。私とミュケナイに全て任せて頂きたいのです」
「分かりましたアポローさん……いずれにしてもネオスとは関係解消です。リバーサンドもここで転換を迎えることでしょう」
「中村さん? 以前に
「ははっ。本当にあなたという人は……」
中村はそう笑うとアポローへ手を差し出した。アポローはその手を強く握り、固い握手を交わした。