2 居場所 アキバの酒場
文字数 3,595文字
ともすれば古い三階建ての事務所ビルとして見過ごされる店の入り口は、丸太や木材を無理やり打ち付けたようなデザインに、なぜか昭和時代の喫茶店を思い出させるショーケースのメニュー、そこに後付したポップ看板やアキバらしい装飾などがごちゃ混ぜに装飾されていた。
「おかえり~!」
正面入り口奥の大きな木製カウンターでアポローに声をかけたのは、マスターこと、店主の
「ただいま静子さん。腹減っちゃってさ、適当に頂くよ」
広いカウンターは年代を感じさせる質感の木材が味を出しており、そこには様々な惣菜や料理が大皿に盛られていた。アポローは空いている席に腰を落ち着けると、目の前の大皿から手元に料理をよそった。
「由紀子ちゃんの、お父さんの病院に行って来たんだって?」
木の椀に盛られた熱々の豚汁を差し出しながら、静子はやや不安げな表情でアポローへ声をかけた。
年の頃は三十代半ば、若干
「ああ。病室で木野さんと少し飲んでね。さすがに病院食をつまみにはしなかったよ。もうすぐ退院出来るってさ」
「そうなのかい? ならいいけどさ……」
アポローは店内を見渡し、奥のブースでタロット占いに興じる由紀子へと視線を向けた。静子も由紀子へ視線を向けたが、その表情はどこか不安を映していた。
「三番船の船長さんからオロチ焼きのリクエスト入りましたーっ!」
「マスター! お願いしまーっす!」
店内のメイドたち全員がそのリクエストに呼応する。
二〇時を過ぎた店内は、スーツ姿の男性客や若者たち、女性客らが遅めの夕食と一日の癒やしを賑やかに楽しんでおり、メイドたちも忙しく、そして楽しそうに声を交わしていた。
カウンターの他に三十席を抱える店内は、海賊船をコンセプトにしたインテリアやアイテムが多く目につく。入り口の右側には大きなフクロウのケージがあり、中の足場も船のマストを模していた。
「あいよーっ! オロチ焼き、残さず店じまいまでに全部食べてってよ!」
静子が回転ロースターから艶々の香草入り肉巻きを大皿に取るのを眺め、アポローは由紀子のテーブルへと向かった。
「今、大丈夫?」
アポローはテーブルを後にする中年の男性客へ笑顔を向けてから由紀子の向かいに座った。テーブルにはアロマキャンドルとタロットカード、猫の装飾のついたキャンディーボックスやマグカップが置かれている。
「大丈夫ですよっ。タロットさんも、ちょっと一休みです」
「親父さんと久しぶりに会ったけど、またレベルアップしてるかもな」
「そーなんですよっ。入院のリバウンドでね? 新しいバイク買うとか海外旅行したいとか、私だって色々行きたい場所あるのに酷くないですか?」
由紀子は口を不満そうに膨らせながら、慣れた手付きでタロットカードをクロスで包んだ。
「あははっ。らしいね。でも木野先生が病院再開したら由紀子ちゃんは手伝うんだろ? 付き合っていかなくちゃな、親父さんとは、まだまだ」
「うーん……」
「ほら由紀子ちゃん、今日は遅いから夕食こっちで済ませてって」
片付いたテーブルの上に静子が料理を置く。ホワイトシチューから覗くグリルチキンは由紀子の目をキラキラさせた。
「ありがとうございますマスターっ! 美味しく頂きます!」
「あ、静子さん、ついでに灰皿貰える?」
「ここ禁煙だよアポロー。吸いたいなら上で吸いなっ」
一蹴されたアポローは由紀子のように口を不満げに膨らませ、タバコの煙を吐き出すアクションを静子へ向けた。そこに居るのはすっかり自宅気分の三十路男の姿だった。
「あははっ。先生、マスター怒らせたら、ここ追い出されちゃいますよ?」
由紀子はシチューのチキンにがぶっと噛み付いて、からかうようにそう言った。
「病室に置いてあったフクロウのぬいぐるみは、ここのだって?」
「そですよ? あっちの角に置いてあったフクちゃんです。運ぶの大変だったんですよ? 佐々木先生に手伝ってもらっちゃいました」
「なんでまたそんなものを……」
「早番で掃除してた時にですね、フクちゃんの声が聞こえたんですよ。ここから出してーって」
アポローはふと天井に視線を向けたが、表情は変えず再び由紀子へ視線を戻した。
「まあ、あれが一緒の限りは、木野先生も寂しくないだろうな」
「私ね、先生、あの……」
由紀子は一瞬俯いてつぶやき、困惑した表情を見せたがすぐに顔を上げてアポローへ向き直った。
「私ねっ、お店を持てるかもしれないんですっ!」
「え? お店? 由紀子ちゃんが?」
「そ、そうなんですっ! 佐々木先生の知人の不動産屋さんで空き物件があって、少しの間だけ無償で使っていいって!」
由紀子は胸元で両手を握りしめ、大きな瞳をキラキラ輝かせた。
「あ、いや、それはおめでとう、なのかな? でも木野先生が退院したらそっちはどうするんだ?」
「お父さんはすぐに復帰しないですからっ。どうせ旅行とか行っちゃうし。それに、お店は週末だけなので問題ないのですっ」
「お、おう……で、いつからの話? それ?」
「えへへ、実はもう準備が進んでいて、佐々木先生も手伝ってくれて、来月にはプレオープンできそうなんですよ?」
アポローは由紀子のテンションと、先程まで顔を合わせていた木野薫の表情に自らの感情が追い付かなかったが、同時に佐々木医師と由紀子の関係についても疑問を感じた。
「佐々木先生と由紀子ちゃんは、どんな関係?」
「え!? 佐々木先生はお父さんの主治医ですよ?」
「いやいや、女の子一人に不動産仲介して開店サポートするとか、主治医と患者家族の対応じゃないだろ?」
「あっ、そ、そうですよね。そう思いますよねっ? お父さんが入院してから、佐々木先生に家まで何度か送ってもらったりして、その時に一緒だった奥さんと何度か話をして……」
「佐々木先生の奥さん?」
「そです。渋谷でカフェを経営してるんですよ? 私も店を持つのが夢なんですよって話をして、それから色々と交流してたんです。あ、奥さんとですよ?」
「いい縁があった、そういう話だね? 由紀子ちゃん?」
アポローの若干尋問めいた口調に、由紀子も口を尖らせる。
「いやですよもうっ! 私、やましい事なんてしてないですからねっ? アポロー先生とだって、十分におかしな縁からの関係じゃないですかっ」
「あはは、ごめん由紀子ちゃん、ぶっちゃけなんかほらさ、佐々木先生ってスケベそうじゃん? ちょっと心配しちゃってさ」
「あははっ! それは言えてます。佐々木先生はソレっぽいですよ? 病院の看護師さんたちも、なんか引いてる感じですよねー」
「——そ、それで、ですね?」
由紀子が再び俯いてつぶやいたとき、アポローは背後から男性に肩を叩かれた。
「おっ、やっぱりアポローさんじゃないですか~ いいタイミングでお会いできましたよ~」
「おっ。佐藤さん! もしかして入手できた?」
アポローが興味津々に振り返ると、紺色のジャケットを着た男性客が親指をぐっと立てて微笑んでいた。
「そうです、ほらこれっ」
男はそう言ってスマホを取り出してアポローへ画像を見せた。
「これは、新品の組み立て済み?」
「そうですよアポローさん。 ライブラのゴールドは品薄なんで中々入荷できなかったんですが……」
「だよなぁ……あ、言い値で買うよ?」
由紀子とのトークはどこへやら、アポローは食い入るようにスマホの画面を見つめ、溜息混じりで商談に応じた。
「毎度です! じゃあいつも通りにクリアケースとスタンドはサービスで!」
日焼けしたサーファーのような爽快感を感じさせる佐藤は、ショルダーバッグから伝票を取り出してテキパキとアポローへサインさせた。笑顔がキラキラしているのは、口元からこぼれる八重歯がそうさせているのかもしれない。
「またグッズですかあ? アポロー先生ってば歳のわりにそういうの好きですよね。あ、もともとオタク属性でしたっけ?」
「だよ? 由紀子ちゃん。俺は日本のアニメとか漫画の創造性が大好きだから」
そうですが何か? という顔でアポローは由紀子を見つめた。
「アポローさんは神話ものとか、そっち系の属性ですからねえ、あ、由紀子ちゃんもたまにうちの店寄ってよ? あのサークル本、増販が入荷したからさ」
「ホントですか? 私、あのメガネ触手の新作、まだゲットしてないんですよね~」
由紀子は、いつもの笑顔を見せてそう答えた。