12 木野由紀子 想いの結び目

文字数 6,063文字

 由紀子と佐々木が目覚めたのはオロチの三階、アポローとパラスの部屋、そのソファーの上だった。
「ここは……」
 由紀子は口を開くと同時に、視界にぼんやりと映るのがアポローであることを認識した。
「オロチの三階だよ、由紀子ちゃん」
 アポローは静かにそう答え、ペットボトルの飲料水を由紀子へ手渡した。由紀子はそれを一口飲んでテーブルに置くと、そのまま俯いて言葉を返すことは無かった。
「こ、ここは!? あ、アポローさん! なんでここに!?
 佐々木は突然声をあげ、立ち上がってアポローを見つめた。
「ここは私の自室ですよ佐々木先生、少し……お話しても良いでしょうか?」
 由紀子へしたのと同じ動作でペットボトルを佐々木へ手渡し、アポローは立ったまま静かにそう答えた。
「佐々木先生、あなたは自身の金銭的問題から木野医師を計画的に殺害し、その保険金を得ました。何故ですか?」
「あ、いや……」
 佐々木はまだぼんやりと頭から言葉を巡らせたが、しばらくそれが口に出ない様子だった。
「——アポロー先生の言う通り、私は夫婦の問題から妻に資金の全てを持ち逃げされ、その穴埋めに非合法な手段を取りました……理由は先生の言う通り、金銭です」
「由紀子ちゃんと逃亡したのは何故ですか?」
「そ、それはっ……」
 佐々木は隣で俯いたままの由紀子を見た。そして。
「わ、私達が一緒だったのは愛し合っていたからです」
 と、真剣な表情をアポローへ見せて答えた。
「な、なあ? 由紀子ちゃん? そうだよ、ね?」
 由紀子の肩を揺さぶりながら佐々木は同意を求めたが、由紀子はそれに答えなかった。
「由紀子ちゃん?」
 アポローが声をかけると由紀子は一瞬身体を震わせたが、すぐに頭を横に振った。
「佐々木先生、愛し合うという話は、違うようですね」
「ち、違いますよアポローさんっ! 私は確かに加害者であり犯罪者ですが、世の中から由紀子ちゃんを守ろうとする意思があったんです!」
「世の中が由紀子ちゃんの敵になると?」
「そうじゃないですか!? こんなご時世、被害者の身内、ましてこんな可愛い子なんか、報道やネットで晒されてお涙頂戴になるに決まってる!」
「いわゆる、加害者側の罪滅ぼしのようなもの、ですか? 佐々木先生?」
「そ、それもありますがアポロー先生っ。私達は愛し合っていたのですよ。肉体関係もありました。互いの将来の同意もありました。それは確かなんです!」
「わたし、愛し合うっていうの、よく分からない……」
 俯いていた由紀子は、熱弁する佐々木へ顔を向けて口を開いた。
「一緒にいたり、えっちしたり、ベッドで話しながら安心して眠ったり……それはすごく好き。でもわたし、先生のこと愛していないと思う……愛するって、わたし、よく分からない」
「そ、それが愛し合うって事なんだよ由紀子ちゃん! 二人でパートナーに、将来を共に出来るのなら、それが愛だよ! 由紀子ちゃん!」
 佐々木の言葉に再び由紀子は俯いた。アポローはそのやりとりを静かに見つめていた。
「木野先生を殺害した、ということは認めるのですね? 佐々木先生?」
「は、はい。それはもう……」
「では、あなたたちの法に基づいてその罪を受け止める、そうですね?」
「い、いや、あのですね!?
 佐々木はテーブルからペットボトルを手にとってグビグビ飲むと、胸元で手を合わせてアポローを見上げた。
「私達が向かっていた国では、犯罪者引き渡しの協定が無いんです。そこまで辿り着ければ、私は生涯かけて由紀子ちゃんを守り、そして贖罪します。どうか、なんとか、見逃して頂けないでしょうか!?
「そうでしょうか? では私の治験データをどうやって扱う予定でしたか?」
 アポローはそう言いながらテーブルの上にUSBのスティックメモリを置いた。
「そ、それもっ、お金にするためですよ! アポローさん!」
「佐々木先生、私にもあなたに罪を問い、裁きや報復を行う理由があります。そこに異論はありますか?」
「こ、これはお返しします! もちろん、賠償を請求するのでしたら、一生涯かけてもっ!」
「では話しを戻しますが、木野先生への保険金殺人、海外逃亡の件についてはその罪を負わず見逃してほしいと?」
「頼みますよアポローさんっ! あっちの国に行けば全部、全てがなんとかなるんです! 同業のよしみで、なんとかひとつっ!」
「あなたのような人間がいることに、私はひどく残念なんですよ、佐々木先生」
 アポローが佐々木の肩に手を触れると、その姿はビシャっと音を残して水になった。由紀子はその状況に反応することもなく、ただ俯いたままだった。

 ——不意に右手で空を掴む仕草をしてから、アポローは由紀子へと語りかける。
「由紀子ちゃん。俺は木野先生から君を頼むと言われ、約束をしたんだ。お金も静子さんが取り返してくれた。あとは……」
「もう、分からないの。何も」
 由紀子はアポローの言葉を遮って答えた。
「お店を出せることも無理だって分かってた。お父さんの手術を佐々木先生がするって急に言ったときも、お父さんが死んじゃうかもって気づいてた。わたしの身体目当てで一緒に逃げようとしてるってことも分かってた。でも、なんで、そんなことにわたしがなっちゃったのかってこと……全然分からないの」
 言葉を返すことなく、ただ静かに自分を見つめるアポローへ由紀子は表情を歪ませて問いかける。
「ねえ先生、教えて? なんで生きてるのわたし? 安心したり幸せだったりする事を追いかけてっ、それがどうしてこんな事になるの? 最高のお医者さんなんでしょ!? だったら教えてくださいっ、わたしっ、もうっ、分からないっ」
 由紀子はアポローを見つめ、強く問いを放ってから再び俯いた。アポローはそんな由紀子に軽い溜息をついて問いを返す。
「由紀子ちゃん、人はどうなったら死んだと言える?」
「そ、そんな話っ」
「いいから、聞かせて?」
「——身体が壊れて……元に戻せなくなったとき?」
「アポロン」
 不意に飛び出したその言葉に由紀子は反応できなかった。それは会話の流れと全く異なる突然のワードだった。
「な、何? です、か?」
「由紀子ちゃんはアポロンの話を知っているかい?」
「そ、それは神話とかの話で……」
「アポロンとか神々とか呼ばれる連中はね、大昔に星と生き物を創って、ついでにその身体を借りて人間ごっこをやろうとしたんだ。元々が人じゃないから親兄弟、恋人に対する嫉妬や戦争、報復なんかを罪の意識なくやってね? 彼らもどうしてそんな事をするのか分からなかった。おそらく今も分かっていない。何が生で、何が死なのかをね?」
「わたしが、そのアポロンと同じってこと?」
「違うよ」
 アポローはそう言うと、佐々木の座っていた場所に残された水たまりに手を触れた。すると、それはみるみるうちに全裸の佐々木の姿へと変貌した。
「いやあっ! 何っ! なんなのっ!?
 佐々木が水へ姿を変えたときには動じなかった由紀子が悲鳴を上げる。だらしなくソファーにもたれた格好の佐々木は浅い呼吸を繰り返し、目を閉じたまま何も言葉を発しなかった。
「由紀子ちゃんの言う通り、壊れた身体を戻した。これは生きているのか、死んでいるのか? どっち?」
「な、何をしたのっ? 薬を使ってとかっ!? こ、こんな事って、でも、佐々木先生、生きてる……」
「そう。身体の一部でも残っていれば作り直すことができる。でも、今の佐々木先生は、身体だけ」
「ど、どういう事!? 今そんな話をわたしにしたって!」
「生きることについて教えてと言ったのは君だよ。由紀子ちゃん」
「佐々木先生? 聞こえるの?」
 由紀子は佐々木に呼びかけるが反応は無い。
「た、魂がないとか、そういうこと?」
「君らが言うところはそうだ。見えるかい?」
 アポローが右手を胸元で開くと小さな青い光のリングがそこに浮かんだ。それは由紀子の目にも、その表現の通りに映った。
「それが……魂なの? それを戻したら佐々木先生は生き返るの?」
「その通り。でも俺はこれを戻そうとは絶対に思わない」
 アポローが光のリングを再び右手で握りしめると、それは指の隙間から光を四散して消失した。
「これで佐々木先生はどこにもいない。宇宙の果てにもどこにもね? これが、俺が答えられる生と死のありさまだよ」
「……」
 由紀子は唖然とした表情でそれを見つめていたが、何かを思い出したように口を開いた。
「先生って、アメリカで交通事故にあって家族と一緒に死んだって、でも、死んだはずなにに生き返ったって……わたし、こんな話信じてないけど、先生って、人間じゃないのかもって、どこかでそう思ってた……」
「それは正解だよ? 由紀子ちゃん」
 アポローはそんなふざけた話を何事も無かったかのように語り、更に由紀子を混乱させた。
「う、宇宙人、なの?」
「宇宙の人じゃない。でも宇宙が起源なのはその通り。一つの意識が暇を持て余して分裂した一つが俺だよ。由紀子ちゃんが言う通り、この身体は事故で死が訪れた人間のものを借りているんだ」
「じゃあ、さっきのアポロンの話は……」
「大昔にアポロンとか呼ばれていたソレも、今と同じように俺が姿を借りていた」
「そ、そんな話っ、信じろって言われてもだけどっ、じ、じゃあ先生は今ここで何をしているの?」
 由紀子は話し半分に納得しかけて混乱しながら、隣の佐々木の顔とアポローを交互に見て質問を繰り返した。
「俺の仕事は全ての生き物を設計すること。今は生き物に蓄積された環境情報の収集をしているんだ。またどこかで、より良い生き物を設計するためにね。この星の人間もそうした情報から創られ、そして生きている。絶望的にね」
「どうして、絶望的、なの?」
「由紀子ちゃんは生きることに問いを訴えたよ? どうして生きているかを聞いた。それがこの答えなんだ。君らは次の生き物を設計するために、その進化や情報を身体に蓄積するためだけに生きている。その目的のために身体は簡単に死を望めなようになっている。幸福を感じ、恐怖を感じ、子孫を増やして情報を蓄積させる。全てはただ、それだけのために」
「そう、なの? でもわたしには、そんなこと実感にないし……」
「無くていいんだ。それが生きること、生かされていることの本当の理由であると知れば、人間は生きることに絶望にしか抱かなくなる」

「——由紀子ちゃん? お父さんの一生を考えてみたこと、あるかい?」
「お父さん、の?」
「そう。お父さんが生まれてから亡くなるまでのこと」
「それは……」
 由紀子はまた記憶を辿った。そこに浮かぶのは自らが知っている父との日々だった。
「わたし、お父さんのこと、そんなに知らない……」
「由紀子ちゃんのお父さんにも、君が生まれる前の時間がある。俺はね由紀子ちゃん? 人の生を問うことに本当は関心は無いんだ。ただ、木野先生は望んで亡くなった訳じゃない。いつも君のことを俺に話しながら、将来は一緒に病院を経営すること、そしてそれは妻であった由紀子ちゃんのお母さんの夢だったことを忘れずに生きていた」
「……」
「それは例えて神々が意図する生と死の目的ではなくとも、人間が自ら生きる意味と目的を繋いでいくことに他ならない。人の想いは、人にだけしか存在しないからなんだ。そして最後の家族である由紀子ちゃんに、木野先生もまた想いを繋げてきた。今、由紀子ちゃんにはそれを繋げる人がいない。それをして生きる理由を、お父さんの想いと一生の時間を、だからといって由紀子ちゃんが無いものにしてはいけない。それは木野先生が俺に繋げた想い、俺が由紀子ちゃんに繋げる想いなんだ」
「わたしね、先生……」
 俯いた由紀子の目からは、いつしか涙が溢れていた。
「お父さんが怖かった……小さい頃から勉強も運動も嫌いで、学校出てからもずっとバイトばっかりして、お父さんがお母さんの話しをする度にわたし、ごめんなさいごめんなさいって、こんなわたしでいつも、ごめんなさいって。わたし、いつかお父さんに捨てられるんじゃないかって……」
「——気がついたらいつも、いっつも男の人ばかりが優しくしてくれて、わたしもそれがすごく心地よくて、安心して身体を許して、でもそれは良いことじゃないって分かる度に、お父さんにごめんなさいって思って、そうしてるうちに、どんどんお父さんに近寄れなくって、わたし、なにをどうしたら、お父さんと過ごせるのか、どんどん分からなくなって、分からなくって……」
「こんなはずじゃなかったよ? わたし、もっときちんと仕事をして、友達とお泊りして笑ったり、お父さんにもそんな話しをしたかった。でも、でも、全然ダメでっ、お父さんに笑って話せることなんて、何もなくてっ」
 しばらくの間、由紀子はそうして想いを吐き出したが、告白の最後は嗚咽へと変わり、言葉にならなかった。 

「——はあっ」
 由紀子はぐしゃぐしゃの顔のまま、笑顔でアポローを見つめた。
「ねえ先生? わたしも佐々木先生みたいにして? 何かのお薬使ったんでしょ? ここからわたしを消して? 最後にアポロンの話はちょっと面白かった。ありがとうです」
「生きることの質問は、もういいのかい?」
「はい。もう分からなくって大丈夫ですっ。そんな事より、佐々木先生が言ってたように、これからのわたし、もう無理なんです」
「お父さんのことは?」
「はい。それも悲しいけど、もうダメです。本当はね先生? 悲しすぎてもう全部ダメなんですよ。これからどこかでお父さんに会ったら、その時は全力で土下座します」
「ダメだ」
「どうしてえっ!!
「由紀子ちゃんは佐々木先生と共犯だよ? その罪は償わないといけない。たとえ他の人が君をどう言おうとね」
「じゃあわたしっ! 勝手に消えます! ここだって! 刑務所の中だって! ダメなんですよわたしっ! こんなの、こんなの、もうっ……」
「それはダメだ、由紀子ちゃん」
「消してっ!! わたしがどこにもいないようにっ!! 身体も何もかも全部消して下さいっ!! 死にたいんじゃないのっ! 全部消えたいのっ! お願いだからっ!! お願いっ……」
 由紀子はそう言うとソファーから床に崩れ落ちて大きな声で泣いた。それはいつまでも終わることのない苦しみへの恐怖、そして悲しみからの逃避だった。
 アポローはしばらく由紀子を見つめると、踏み出して右手を差し出そうとした。それと同時にスマートウォッチの画面にパラスのフクロウマークが点灯する。
「同じことを繰り返すのでしょうか?」
 沈黙を保っていたパラスの音声が静かに室内に響く。アポローは差し出そうとした自身の右手を見つめ、それから再び由紀子を見つめた。
「何がだよ」
 アポローはそうつぶやくと、その手を由紀子へ静かに差し伸べた。
「おいで、小さな女の子。君に新しい名前をあげる」

 アポローの手を由紀子が強く掴むと、そこからは光が溢れて部屋いっぱいに広がっていった。それは瞬きの渦、星雲の光のようだった。
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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