4 猫 カサンドラの困惑

文字数 4,127文字

 都内足立区。北千住の街を一匹の猫が疾走していた。可愛らしいリュックを背負ったその猫は、ランチタイムで賑わう商店街の人々の目を引きつけていた。
「なにあの猫~! リュック付いてる~!」
 制服姿のOLらは物珍しさにスマホを向けたが、その猫、カサンドラはそれどころではなかった。
「猫っ! 猫こわいっ! 猫こわ過ぎだからっ!」
 実際にそう声を上げている訳ではないのだが、首輪の青いランプが点滅するのと同時に、その声はオロチの三階、アポローとパラスの部屋に響いていた。
『大丈夫なのですか? カサンドラ?』
「だ、大丈夫じゃないよっ! 私っ、猫に大人気っ!」
 パラスの音声はカサンドラの首輪から発声され、それは彼女の耳にしか認識されない。歩道を疾走するカサンドラの後方には、別の二匹の猫が同じ速度でカサンドラを追跡していた。
『あなたが現在向かう座標は目的地から逸脱していますよ? 大丈夫なのですか?』
「仕方ないでしょパラスっ! 私! オス猫に追っかけられてるのー!」
 部屋のモニターにはGPSマップが表示され、パラスはそれを見て……いる訳ではないが、カサンドラの支援を行っていた。
『あはは。追跡されるなんてエージェント失敗。ということでしょうか?』
「うるさいうるさーい! なんとかしてよーっ! 私、猫バージンロストしちゃうからーっ!」
『ねぇカサンドラ知っていますか? 猫の妊娠期間は2ヶ月ほどなんですって』
「な ん と か し て ー !!
 パラスはモニターのマップを広域表示にする。同時にいくつかの建物が青く反転し、ルート候補が複数表示されていく。
『二丁目の角を曲がると、お豆腐屋さんがあります。昭和十七年創業のお店で人気みたいです。そこから曲がっていくと回避できそうな場所があります』
「ちょっ! パラスっ! そんな適当な伝え方ってある!? AIぶっ壊れたのっ!?
 息を荒くしたオス猫に追跡されるカサンドラは一瞬止まって後ろを振り返り、思い切って車道を全速力で横断する。猫らしい飛び出しで車の流れを抜けると、そのまま建物の隙間を縫うように走り続けた。
『私はカサンドラの脳で判断しやすいようにサポートしました。それではこれから伝える座標へ向かって下さい。風速による影響を考慮して5%の遅延を予測します』
「うるさいわよっ! どっちにしてもわかんないわよっ! なんとか振り切ったからっ! もうっ!」
 住宅ガレージの車の下に身を潜めてカサンドラは周囲を見渡す。現在は猫である彼女の五感は、意識することなく周囲の状況を的確に捉えていた。
「あぁ、もう……猫こわすぎ。あんなに血走ってハァハァして、匂いもひっどい。あれが猫の正体なのね……」
『現在位置から目的座標まで、最短ルート予測では423メートルです。カサンドラ?』
「はいはい。あなたのGPSって、他の猫の位置情報とか分からないのかなぁ……」
『分かる訳ありませんが?』
「思ってるよりも1BITなのよね、パラスって」
 カサンドラはそうつぶやいてから、無意識に前足で顔を洗った。

 ——猫の居なさそうな通りを選んで進み、カサンドラは一軒の住宅へと辿り着いた。
「ここがあの男のハウスね……って、私も南方って人は知らないんだけど。パラス?」
『南方氏はミュケナイの研究職員です。血液型はA型。学生時代はソフトボール部に所属、妻が一人、息子が一人です』
「妻は普通一人だけでしょ? それで、これを取り付ければいいんだよね?」
 リュックから伸びた紐を器用に前足でたぐると、スマホのコンセントバッテリーのようなパーツが中から飛び出した。カサンドラはそれを咥えると住宅の周囲を見て回った。
 二階建て庭付き。正面には車1台分の駐車スペースがあり、周囲の住宅と同様の一軒家だった。
「コンセント、コンセント……どこかな?」
『あの、カサンドラ? 正しくは、どこかにゃ? では?』
「どこかにゃあ、ほらパラス、コンセントどこにあるの? どこかにゃ? ど、こ、か、にゃ?」
『なぜ感情が攻撃的なのです? この星の文化では、猫が擬人的に会話を行う場合にNYAを用いるのが普通では?』
「その文化については帰ってからじっくり誤解を解いてあげる。それで、これ、何なの?」
『それは電力網を利用したサーチプラグです。半径二十メートル程度の電気的接触全ての情報を収集します』
「あー。うちも前にコンセントに挿れるだけのインターネット使ってた。それみたいなもの?」
『はい。それみたいなものと考えて下さい。通信はこちらとペアリングしてあります』
「スパイ活動する気満々じゃないの……コンセントはどこなの?」
『住宅メーカーの仕様データでは、まず裏手の水道供給箇所付近、壁面下部にコンセントがあります』
「なんで先に色々教えてくれないかなあ」
 家の裏手は小さな庭になっており、ひと目で手間がかかっていると分かる綺麗な家庭菜園が目を引いた。壁側にはホースが巻きつけられた蛇口があり、その脇には大きめのクーラーボックスが置かれていた。
「こ、れ、何入ってるの? お、重い……」
 カサンドラは身体全体を使ってクーラーボックスを押しのけようとしたが、それは全く動かなかった。
「ふんがぁー!」
 上に飛び乗り、猫立ちで前足を壁に立て、後ろ足でボックスを倒そうとしたが、それは少しだけ傾いたものの、カサンドラの身体サイズで倒すのは無理だった。
「む、無理、にゃっ。でも、これの後ろにコンセントがある……」
 壁とクーラーボックスの隙間を覗き込んでいると、カサンドラの本能が危機を察知した。
「うわぁっ! わんこ?」
 思わず斜め後ろに飛び跳ねたカサンドラへと、ゆっくり歩み寄ってきたのは大きなセントバーナード犬だった。その口には骨の形をしたおもちゃが咥えられている。
「え!? なんで? 身体が動かない。さっきはオス猫から逃げられたのに!」
 猫が状況判断に混乱を生じたとき、その状況を把握するまで身体が硬直することがある。加えて今のカサンドラは意識は人、身体は猫のため余計に理解不能な混乱を体感していた。
「あ、あはは、大丈夫、ほら、こわくない……うちにもハーレーって名前のわんこがいるんだよ……って! わんこ、こわいー!」
 身を低くして固まるカサンドラに大きなわんこはゆっくり近づくと、咥えていたおもちゃを無造作に落として同じように体勢を低くした。
『カサンドラ! それはきっとサポートキャラです! きっとあなたの役に立ちます!』
 パラスは音声を輝かせたが、カサンドラの目の前で尻尾を振る大型犬は、サポートキャラどころかボスクラスだった。
「えっと……手伝って、くれるの、かな?」
 身体の硬直が解けたカサンドラが一歩前に進むと、わんこは突如として落とした骨型のおもちゃを再び咥えて立ち上がった。
「いやあああああっ!」
 一目散に庭の反対側へ走ったカサンドラへ、わんこは喜々として突撃した。
「ただ遊んでほしいだけだったー!」
 家庭菜園側の後ろには高いフェンスがあり、唯一の逃走経路である反対側の道へカサンドラは走った。しかしそこにも、わんこの大きなハウスの後ろに網が高く張られていた。
「きゃああっ!」
 突進してくるわんこへと、カサンドラは意を決して直進し、その足の下を見事にくぐり抜ける。
「こ、こんなゲーム、やったことあるかもっ。一撃もらったら瀕死でしょ!?
『大丈夫ですカサンドラ。ソウルだけになってもアポローが回収してなんとかしてくれますから』
「嫌あ! 人間性は無くしたくないのー!」
 パラスと仲良くトークしてる間に、わんこは再びおもちゃを振りかざして突進した。カサンドラもまた再び足元をくぐり抜け、行ったり来たりの攻防を続けた。
「はっ! そうだ! お約束だけど、わんこをあれにぶつければ!」
『地形効果なのですか!? オブジェクト破壊ですか!? 頑張ってくださいカサンドラ!』
 クーラーボックスの側面に飛び込んでカサンドラが顔を出すと、わんこはお約束に突進してきた。が、その大きなセントバーナード犬はクーラーボックスごとカサンドラを覆って停止した。
「足の長さを忘れてたーっ!」
 前足でタシタシしようとするわんこから逃れようとカサンドラが右往左往すると、やがてその足はクーラーボックスを容易く転倒させた。
「ちょっと! 何やってんの!?
 小気味よくサッシの音を庭に響かせ、庭に女性の声が響いた。
 姿を見せたのはロングヘアの中年女性で、主を目にしたわんこは大きな体を躍らせてじゃれついた。
「ちょっとあなた、またロープちぎって遊んでたの? 畑に入ってないわよね?」
 女性はサンダル履きで急いで庭に降りると、家庭菜園の状況を確認した。
「もう、クーラーボックスも倒して……あら?」
 コンセントにプラグを差し込むことに四苦八苦していたカサンドラは逃げる間もなく女性に発見されてしまった。だがこういう場合は猫になりきるのが得策であると、どこかで記憶した自らの知識を発揮して、あえて女性の足にうやうやしく頭をこすりつけた。
「あらあら、怖かったでしょう? うちの犬はいつもこうだから」
 女性はカサンドラの頭を撫でてから、倒れたクーラーボックスを元の位置に戻した。コンセントに挿されたものについては特に気にしなかった。
「お、終わったわよ……パラス?」
『あなたが電力ポートの位置を確認してから状況が不明でした。何があったのです?』
「パラス、あなた、状況が分からないくせにノリノリだったわよね?」
『こういう展開は大好物なのです。それと、電力ポートは正面入口付近にも複数ありました』
「まじで!? なんで最初に教えてくれないのよっ!」
『あなたが複数の情報を確認しなかったからです』
「むーかーつーくー。帰ったらあなたの電源落としてあげるんだからっ!」
『それは釈迦に説法というものですカサンドラ。システムの電力は送電停止から三〇〇時間維持されます』
「じゃあ、あなたのシステムに、おしっこかけちゃうんだからっ!」
『その行為に何の目的があるのですか? あなたが何をしようとも私は天上天下唯我独尊です』
「それはお釈迦様じゃなくて、って、あれ? 合ってる?」
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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