12 新旧 人とモノ
文字数 3,261文字
「男の名はモーリフ・シュコルビッチ三十四歳。モスクワ出身の政府系エージェントです」
部屋の中央で椅子に拘束されているのは和子と接触したフードの男だった。頭部にはVRゴーグルが装着されており、両腕からは複数のカテーテルがバイタルユニットへと接続されていた。
「確保の際に現場を捉えていた防犯カメラは一台です。映像データを表示します」
セキュリティ部門のSVである常城はそう言って壁に設置されている大型モニターへ画像を表示した。コマ送りの画像は歩道を歩くフードの男の後ろ姿を捉えており、男が右に振り返ると左側の路地から手を上げて現れた常城が男の肩を抱き、そのまま仲良く路地に消えていく様子が映し出されていた。
「ナイフを使ったようには全然見えない。さすがだね……この男も抵抗しなかったように見えるけど?」
「はい。瞬時に状況を判断して服従したのは、この男もこちら側の人間ということでしょう。もしただの輩であったのなら現場の後始末は少々面倒になっていたかもしれません」
常城はアポローに報告を続けながらモニターの画像を切り替えた。
「この男が国内に姿を見せたのは一年前からです。ネットから収集可能な画像全てを対象に顔及び身体データのサーチを行った結果、駅などを中心にその痕跡が確認されました。そして……」
常城は一致したシュコルビッチの画像データを表示し、部屋の奥でPC端末に向かっている佐竹へと相づちを打った。モニターにはリバーサンド社の監視カメラ映像がウインドウで追加表示された。
「これは二ヶ月前の記録です。リバーサンド社の廃棄物搬出口を撮影しているセキュリティカメラの映像です。シュコルビッチの身体データ情報と照合し、清掃車の助手席に乗っているのは本人であると断定します。そして、こちらを見て下さい。搬出口から助手席へ戻ったのは別人です。おそらくこの時にシュコルビッチはリバーサンド社内へ侵入したと思われます」
「それでもリバーサンド社内のセキュリティカメラには侵入の痕跡が無い……」
アポローは拘束されているシュコルビッチを眺めてそうつぶやくと、再び常城へ顔を向けた。
「どこまで自白した?」
「催眠導入剤とVR視覚誘導法を二時間行いました。彼のクライアントが通話によって指示を行っていたこと、このカメラ映像の通り二ヶ月前にリバーサンド社へ侵入し、サーバーのデータを手動で書き換えたことを自白しています」
北千住の駅前で常城に身柄を確保されたシュコルビッチは抗うことなくミュケナイ製薬へ移送された。
自白剤の投与と同時にVRゴーグルは視覚へ様々な映像を送り続け、シュコルビッチは擬似的に作り出された世界でリバーサンド社への侵入を回帰しながら自白に口を開いた。
ぼやけた意識で視界に飛び込んでくる擬似的な映像や音声は、自白強要に対する訓練を十分に受けたシュコルビッチにとって自白の根拠ではなかった。彼をそうさせたのは頭の片隅によぎる古い祖国の風景と、駅前で一瞬立ち止まって振り返ったときに葛藤した安住の地への想いだった。その感情は今なお和子へ語った自らの言葉を幾度となく回想させ、抗えない現状から脱する恐怖を懺悔のように自白の言葉へと変え、やがて意識は懐かしい過去の原風景に溶けていった。
「南方さんの奥さんに関わる部分は?」
「はい。それはシュコルビッチが宿泊していたアパートで回収された端末に痕跡がありました。最初に和子さんへ接触した際、彼は彼女が過去に勤めていたリバーサンド社のグループ企業社員を装っています。当時の社内パスワードが流出したとして和子さんに接触を求めたメールのログも残っています。佐竹? パスワードのログを出してくれ」
モニターに複数のウインドウでメールのログが表示されると佐竹は続けて報告する。
「メモアプリに残っている羅列データは和子さんがシュコルビッチへ伝えたパスワードと思われます。このいくつかのパスワードには共通の変更アルゴリズムがあり、シュコルビッチはそこから現在のリバーサンド社のセキュリティパスワードを導いたものと予測します」
「なぜ和子さんはこんな事に引っかかって……いや、同調したのだろうか」
「そのあたりはシュコルビッチの自白から得られる情報はありませんでした。常城と一緒にクロスチェックを用いましたが……何も」
「人の想いは人の中にしか生まれない、それは必ずしも言葉が示すものではない、か……」
アポローはそう言って拘束されているシュコルビッチの顔を近くで見つめた。
「アポロー? この男の扱いはどうされますか?」
「研究室にでもくれてやればいいと思ったけど、情報を引っ張るときに合衆国のデータを使ったんだろ? あっちのリクエストは?」
「はい。国防省と情報局は身柄の引き渡しを強く求めています。同時にミュケナイに対して祝福を、とも」
「そうならそうしてあげればいい。クール便にでも詰めてあっちに送ってくれ」
「了解です」
常城がそう言うと佐竹も立ち上がって姿勢を正した。そしてしばらく、室内はバイタルユニットが発する電子音だけが沈黙を繋いだ。
「——あ、そうだ。モイライから面白いものを貰ってきたんだ」
アポローは壁に立て掛けてあったトラベルバッグからボロボロの革の盾を取り出すと、二人の前で掲げて見せた。
「アイギスの盾だってさ。掘り出し物だから君たちにプレゼントしようと思ってね」
常城と佐竹は一瞬首をかしげ、それから顔を見合わせて苦笑した。決して感情を顔に出さない今の二人を社内の誰かが捉えていたなら、それは翌日の社内回覧で大きく話題になったかもしれない。『あの常城と佐竹の笑顔が目撃された!』 とかなんとか見出しが付くことは間違いないだろう。
「あいぎすの盾って、何ですか?」
「へ?」「あ?」
佐竹からの質問にアポローと常城は同時に驚きを返した。
「お前、メドゥーサを退治したペルセウスの話とか、知らなかったのか?」
「そうなのか? 俺は常城みたいにそっち系は明るくないからな」
やや呆れた顔で佐竹を突っ込む常城だったが、佐竹の頭の上には複数の『?』マークが飛んでいた。
「ペルセウスよりは、ミネルヴァが使ったかもしれない盾だよ常城? ペルセウスの末裔である君たちに縁があるアイテムだと思ってね」
「……」
常城と佐竹はそう言われても困るという複雑な表情をアポローへ見せた。
「私たち異母兄弟はアポロン、いえアポローに導かれて現在ここに居ますが……やはり未だに認識が及ばないことが多いのです。それを将来、家族へ繋ぐことも……」
「そういう重い話じゃないんだ常城。ネタの一つとして受け取ってくれないだろうか?」
アポローはそう言いながらボロボロの盾を渡した。常城はその盾の表と裏を何度かひっくり返して眺めた後、それを佐竹へと渡した。
「お前が持ってた方がいい。これを見ながら少し勉強しておけ。図書館に行けば神話の本なんかもあるから」
「お、おう……」
「あはは。図書館もいいけど映画もオススメだよ? ティタンの戦いとかね」
アポローはそんな二人を見て笑顔で言葉を続けた。
「常城、君が言うように神々のしがらみなんて今の人間には何も関係無いんだ。そこにこだわって神々を見ている人間がいたのなら、そんな人間は間違いなく神々にクレームの一つでも飛ばすだろう。おそらくこの騒動の顛末も同じだよ」
「ネオス社がそうであると?」
「どうだろうね。どっちにしても直接行って話を聞いてこないとだ」
「お一人で? 危険では?」
「大丈夫だよ常城。パラスのサポートもある。何より君たちは少し休みを取ってほしい。ここ数日は家に帰ってないだろ?」
アポローがそう言うと常城と佐竹はそれ以上言葉を返すことは無かった。
机の上に置かれたアイギスの盾は長い時間の色をそこに映し、その隣に置かれた常城と佐竹のナイフからは、刃に美しく刻まれたペガサスの羽が今この