2 アポロー・パラス・カサンドラ

文字数 3,289文字

 東京都千代田区、通称アキバの一角に店を構える居酒屋、メイド海賊オロチ。
 その三階の部屋では、小さなリュックを背負った猫が床でパリポリと音を立てながらランチタイム中だった。
「カサンドラ? どうしてあなたはそればかり食べるのですか? こんなにたくさんの猫ちゃんフードをプレゼントされているのに」
 部屋の隅にはキャットフードやペット用のおやつが積まれていた。ダンボール箱には『カサンドラちゃんへ』と書かれたカードや絵葉書が添えられている。
「私はこれが好きなのっ。猫缶とか猫が食べるものでしょ? パラスも一回食べてみれば? 美味しくないんだからっ」
 その猫、カサンドラはそう言いながらパリポリとヌードルスナックを食べていた。脇に散乱した小袋にはヘビーヌードルとプリントされている。
「成分を分析しても、それは猫のあなたにとって効率的ではありません。素直に猫缶を食べることを提案します」
「いーやーなのー」
 カサンドラの声は首輪から発せられていた。にゃーという猫の発声はそこに無く、チカチカと点滅する首輪の青いLEDが人の言葉を発しているようだった。
「ところでカサンドラ、その身体は今どんな感じなのですか?」
「なあに? 猫になって今どんな感じ? ねえどんな感じって私に聞くの?」
「ええそうです。ねえどんな感じです?」
「大変よっ! 大変に決まってるでしょ? 頭の中は人間なんだからっ」
 ヌードルスナックを綺麗にたいらげ、カサンドラはパラスのシステムに向かってそう言った。とは言っても口は閉じたままで。
「あなたはたいした人気者なのですよ? ネットでも今話題の猫です。あ、そうだ、後ろ足で立って歩いたりとか出来ますか?」
「できないわよっ! 頭は人間でも身体は猫なんだから! ゲームで種族変更するようにはできないのっ!」
「それは残念です。動画サイトで一山当てようという私の予測は、その選択に不備がありますね。では頭にみかんをどれだけ積めるか、やってみませんか?」
「私をバズらせてなんとかしようとするのやめてよパラス? 猫になってまで人間の欲望に晒されたら、って、あなたも人間じゃないでしょ?」
「あらあらカサンドラ、私は電子の妖精ですよ? ネットの海は広大なのです」
「パラス? 私最近思うんだけど、あなたのキャラ属性ってかなり濁ってるよね?」
 つい数週前まで木野由紀子(きのゆきこ)と呼ばれていた二十歳の女の子は、今や猫の姿ですっかりパラスと仲良くやりとりをしていた。
「おや、アポローが戻ってきたようです」
 スライドドア上部のランプが点滅を繰り返すと、ほどなくしてドアは音もなく開いた。
「お帰りなさいアポロー。またまたTVで人気のようですね?」
「今回は容疑者じゃない。まだね」
 アポローはいつものようにソファーに腰を落ち着けると、飲みかけのウイスキーを一口あおってからタバコに火をつけた。
「お帰りなさい先生。ねえ、昨日頼んでおいた猫用ゲームコントローラー、まだ?」
「そんな簡単に作れるもんじゃないだろ? 知り合いに頼んでおいたから少し待って……って、カサンドラちょっと来い、ブラッシングしてやる」
 ソファーで横になろうとしたアポローは、カサンドラの抜け毛がソファに散乱しているのを目撃し、棚からコロコロを取り出した。
「それブラシじゃないでしょ!? 粘着剤が毛につくの嫌!」
「いいから言うこと聞けってば。じゃないとアポローの名において命じるぞ?」
「先生はいい歳してオタク」「その元ネタは私のデータに二つ存在しますが、どちらでしょうか?」
 カサンドラとパラスの同時ツッコミをスルーして、アポローは自身のスーツとソファーをコロコロした。コロコロ。

「——パラス、ジオOSの起動を頼む」
 アポローが日課の通りに端末に向かうと、表示されていたOSは暗転し、すぐに幾何学的な点と線が画面上にひしめいた。
「昨日の処理データに未処理項目があります。継続しますか?」
「頼む」
 アポローがそう返すと、表示されている点と線は3Dの球体になり、そしてすぐに人の形を成した。カーソルが頭部に移動してズームされると、再び数字や記号が画面を埋めた。
「それが先生の、生き物に蓄積された情報収集……っていう仕事なの?」
 コロコロから避難していたカサンドラはアポローの右肩に飛び乗って目を丸くした。
「うわ、せっかく上着にコロコロしたのに……そうだよ、これが仕事」
「お仕事なの? 先生は誰かに言われてやってるの?」
「ライフワークみたいなもんだ。誰に言われてる訳じゃない」
「ふ~ん。ねえねえ先生? 他の星の生き物ってどんななの? 全部先生が作ったんでしょ?」
「作るのは別の連中の仕事。俺は設計専門。他の星の生き物は、何て言ったらいいのか……」
「そうなの? 宇宙船でバトルしたり、お腹からプギャーって出たりしないの?」
「しないし、そんなの作らせない。宇宙船ってのは人間だって持ってる訳だから、まあ、他でもあると言えばそうだが……」
「宇宙空間での艦隊戦は壮観ですよね? カサンドラ?」
 仕事へ集中するアポローを気遣うように、パラスが音声を輝かせてカサンドラの気を引いた。
「旗艦はやはり白に限ります。類まれな能力と容姿を持ったリーダーと忠実な士官たち、そこに対する敵といつしか芽生える友情、海の中では決して見ることが出来ない宇宙空間での熱い戦い、ああ、うっとりします。早く続きを視聴しなければなりません」
「あー、パラスずるいっ。レンタル見るなら画面に映してよー。私も見たいー」
「パラスお前、オンラインゲームで飽き足らず、今度はVODか?」
「狩りは飽きていませんよアポロー? 数ヶ月前からオンラインのレンタルを利用しています。初月無料だったのですが自動課金らしく、あなたのスマホ決済と一緒にしておきました」
「またそのやりくちかっ! っと、パラス、お前の使ってるレンタルって野球アニメとかある?」
「はい。対象四作品が現在レンタル可能となっています」
「そっか。どこのサイト?」
「それではショートカットを画面上に表示します」
 アポローがキーボードの手を止めると画面は再び慣れ親しんだOSへと戻る。ショートカットアイコンをクリックすると、そこには動画サイトのメニューが表示された。
「ええと……これか」
「なあに? 先生ってばジャンル変えたの?」
「いや、会社の人から強く勧められてさ。何か手がかりがあればと思って」
「手がかり?」
「パラス、これの全話パックをレンタルしてくれ。一気に見るとなると大変だな……カサンドラも一緒に見るだろ?」
「え~、私、どうせ見るならテニスのがいい……」
 アポローがソファーへ移動すると、天井のモニターにはアニメのOPが流れる。カサンドラも渋々とソファーで香箱をつくってそれを見上げた。
「アポロー? 私は宇宙艦隊アニメをバックグラウンドで視聴しますのでお構いなく」
「ああ、好きにしてくれパラス。俺が寝落ちしてもお構いなく」
「わたしもそっちがいいっ! パラス、後ろの画面に映してよっ」
 カサンドラがそう言って駆け出そうとすると、アポローはその尻尾をムギュっと掴んだ。
「なあカサンドラ。君に是非お願いしたい仕事があるんだ」
「もうっ! 何なのっ! 尻尾掴んだらダメなんだからねっ!」
 振り返って威嚇の表情を見せるカサンドラを抱っこし、アポローはその背中の小さなリュックに何かをしまった。
「アポロー? 一つだけ提言しますが、そのアニメと南方氏の関係予測は分析の対象外です」
「いいんだよパラス。それとは別に俺がこのアニメを見たいだけだ。で、首尾は?」
「私は経験ありません。ですが、やはり野球の花形はピッチャーでしょう」
「その守備じゃないよっ! 首に尾と書く首尾だよ!」
「アポロー? あなたの癖のある言い回しはとても濁っています。ええ、もちろん首尾は整っています」
「あははっ! 二人ともよく似てるっ」
 カサンドラという同居人が増えたことで、それまで殺伐としていたアポローとパラスの空間に何かしらの変化が生じていた。
 たとえ、そこに存在するのは人間ではなくとも……
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登場人物紹介

アポロー

 かつてアポロンと呼ばれた神々の一人

 生命の設計者として蓄積情報を収集するため再び地球に訪れた

 事故で命を落とした人間の身体を借り、名をアポローとして製薬会社を創業

 アキバのメイド居酒屋三階を居場所とし、随伴者であるパラスと共に人の営みを続けている


 身長180cm やや細身 日米ハーフの三十路男性

 日本のアニメや漫画文化を好み、その独創性に共感している

 少年のような表情を見せながらも他者に対して不思議な独特の空気を持ち、時にそれは人と神々の交錯へと自身を巻き込んでいく 

パラス

 カオス、ガイア……その起源は他の神々と同じく、一つの光から多様に分裂した存在

 アポローの随伴者として目的遂行をサポートしている

 ハイテクシステムに身を宿し、自身はフクロウのマークをアバターとして扱っている


 かつて神であったトリトンの庇護下から脱し、ミネルヴァ(アテナ)の妹としてオリュンポスファミリーから愛された

 世間知らず、かつ奔放な性格を見せるものの、彼女自身はアポローを強く敬愛している

カサンドラ

 アポローとパラスが自室を置くメイド居酒屋に、ある日ふらりと現れた茶虎の猫

 不在となった前任者の占いブースを引き継ぎ、類まれな能力を発揮することに


 中身は二十歳の女の子

 占い百発百中のカサンドラとして人気の看板猫なのだが……

榊原静子

 アキバのメイド居酒屋【メイド海賊オロチ】の店主

 江戸っ子気質な性格は常連客から人気があり、料理の腕も評価が高い

 古くから街の顔として知られた一家の一人娘であり、彼女自身もまた人脈は広い

 ひょんなきっかけからアポローを店の三階に住まわせることになり、現在は食事を提供しながら付き合いを続けている


 年齢非公開 アポローよりは年上 吊り目がチャームポイントでスタイルが良い(客評価)

 和服を好み、自身はメイド服を着たことが無い、絶対に着ないと声明している

 いささか古風な性格だが実はお嬢様育ち。いわゆるメカ音痴で、最近はスマホに頭を悩ませている 

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